アカンダバジャン  
     
 

バガヴァン・ババ様の御生誕祝いの一環として、11月の第2土曜日から日曜日にかけて世界中のサティヤ・サイ・センターで、全人類の平安・調和・至福への祈りをこめた24時間連続バジャン(神の栄光を歌うこと)が行われます。サイババの写真

多くの人数で共に歌うことはたいへん重要だと、ババはおっしゃいます。これは今の時代〔カリ・ユガ〕において、もっとも簡単に神に至る道なのです。

バジャナ ビナ スカ シャーンティ ナヒー
       バジャンなくして幸福と平安はない


「ババの御言葉」

今日、わたしたちは、アカンダ バジャン(世界中のサイの帰依者によって24時間続けられる地球規模(グローバル)のバジャン)を歌うことになっています。アカンダ バジャンは単に一個人、一国家、あるいは一地域のために行われるのではありません。アカンダ バジャンは全人類の幸福のためのものです。

歌われたバジャンは音波の形で(くう)に広がり大気全体を満たします。それによって環境全体が清められます。そうして清められた空気を吸い込むと、人の(ハート)も浄化されます。神の御名を唱えることは、与え、受け取るプロセスです。神の御名を歌うことは、喜びと神性さを分かち合うための修練となるべきです。わたしたちが創り出す音は大気中に残響するということをよく覚えておきなさい。それは音波として永遠に(くう)に留まり、その音を発した本人よりも長く生き続けます。

集団でのバジャンを娯楽として扱ってはなりません。何千人もの人々が共にバジャンを歌うとき、人はその献身的行為とそこで体験する法悦に完全に浸りきるべきです。歌は、活気に満ちた魂のこもったものであるべきで、機械的であったり、物憂(ものう)げでインスピレーションを与えることのできないようなものであってはなりません。歌はバーヴァ〔思い〕とラーガ〔メロディー〕とターラ〔リズム〕を結合して一体化させるべきです。すべての人が声をそろえて、同じ気持ちで、同じ高さで、同じテンポで歌うとき、いったいどれほどの喜びが体験されることでしょう! そのような一体性があるときにこそ、神を体験することができるのです。

すべての人が神の御名を唱えることの有効性と効能をよくわかっているというわけではありません。まず必要なのは、思いと言葉と行動が純粋であることです。舌で唱える神の御名を(マインド)で瞑想し、唱えて思う御名を拍手で称賛すべきです。こうした神の御名への三重の専心――(マインド)、発言、行為の一体化――が(ハート)を清め、信愛の情を養うのです。

 
 

神の御名を集団で歌い唱えるときには、そのグループ全体が容易に参加できるような形にすべきです。バジャンはみんながついていけるようなメロディーやリズムのものにするようにしなさい。リード シンガーが他の人たちになじみのない歌を選べば、グループからの応唱(おうしょう)は貧弱なものとなり、熱意も、純粋に参加しようとする気持ちも失せ、(マインド)が散漫になってしまうでしょう。帰依者全員がバジャンに参加したときに生み出されるバイブレーション、それが喜びや調和を引き起こすのです。

特別な行事の際に大人数でのバジャンをコーディネイトする人たちの多くは、そのときどういった種類のバジャンを歌うべきなのかをわかっていません。独自のスタイルをもっている人は、個人で歌うぶんには自分の好きなように歌ってもかまいませんが、集団で歌うには向いていません。

集団でのバジャンを行うときに守るべきいくつかのルールがあります。アーラープ〔バジャンのイントロとして精妙なラーガで歌われる独唱〕はキールタン(個人で歌うこと)のときには行ってもかまいませんが、集団でのバジャンではまったく場違いなものです。そのようなバジャンにおいては、もっぱら神の御名に重点を置くべきです。

1986年11月8日の御講話より

純粋なアートマの化身である皆さん! 昨年の11月23日、バガヴァンの降誕50周年を祝うために世界各地から人が集まりました。そして、各センターの役員たちは第二回世界大会を始めとする諸行事に参加しました。その後、役員たちは、50周年の年が終わる前にある喜ばしい行事を各国で催すことができるよう、その日を定めてほしいと言ってきました。彼らを落胆させないために、世界中のすべてのセンターで、土曜日(昨日)の午後6時30分から今日の午後6時30分まで、全24時間にわたってバジャンとナーマ サンキールタン〔集団で神の御名を歌うこと〕を行うことが決まったのです。

その結果、世界42ヵ国の7000以上のセンターが、熱意をもってこの喜ばしい課題に取り組みました。

それは「アカンダ バジャン」すなわち、絶え間のないバジャン、と名づけられました。しかし、それは本当にアカンダ バジャンでしたか? そのバジャンはある日の午後6時30分に始まり、翌日の午後6時30分に終わります。これを「絶え間ない」バジャンと呼べるでしょうか? この宇宙の広大さと時間の永遠性を考えるとき、24時間などいったい何だというのでしょう? それは一回のまばたき、地上での人生のごく一瞬にすぎません。たった一日神の御名を唱えただけで、皆さんは「絶え間なく!」バジャンを行ったと主張します。アカンダ バジャンという名に値するためには、それは呼吸と同じくらい絶え間のないものでなければなりません。

皆さんは、自分たちが行っているサンキールタンの本当の意味を探究しなければなりません。キールタンとは「神の栄光を高らかに歌うこと」であり、サンキールタンとは舌や口からではなく(ハート)から出てくる歌を歌うことです。それは神の栄光を思い浮かべたときに心から湧き上がってくる身震いするような喜びの表現です。それは内なる歓喜が自然に現れ出たものです。他の人々からの非難や賞賛には一切注意を払いません。聞き手の賞賛や評価は求めません。それは歌い手自身の喜び、歌い手自身の満足、歌い手自身の歓喜のために歌われます。こうした最高の部類のキールタンのみが、「サンキールタン」という名を受けるに値するのです。

神への切々たる思いを歌い、神を崇めるという体験を満喫することは、大気の浄化を助けます。今日、人は、暴力と憎悪と無慈悲と不正を表す音声によって汚された空気を吸い込むことを余儀なくされています。そのため人々は、本来人が獲得するはずの深遠なるものを急速に失っているのです。ナーマ サンキールタンのバイブレーションは大気を清め、純粋で、穏やかで、人を高めるものにすることができます。この世界規模のサンキールタンのプログラムが計画されたのは、こうした崇高な目的を掲げてのことでした。

1976年11月14日の御講話より

それを単なる24時間や7日間の催しにしてしまわずに、生まれてから死ぬ まで続けなければならない、ということもまたアカンダ バジャンは意味しています。火葬場への行進は誕生の瞬間から始まります。心臓の鼓動は火葬場へと向かう行進のための太鼓の音です。ある人はより長い道のりを歩き、ある人はすぐに到着します。しかし、すべての人がそこへと向かう道の途中にあります。それゆえ、バジャンは子どものときから歌い始め、ずっと続けなければなりません。バジャンはいつも人と共にある同伴者であり、慰めであり、力でなければなりません。バジャンをすることを老年まで延ばしてはなりません。というのも、バジャンは(マインド)にとって欠くことのできない食糧であるからです。

つねに神の御名を唱えていなさい。わたしは皆さんがここで歌ったバジャンを、昨日今日と聞いていました。皆さんの声は弱く、会場の外には十分聞こえませんでした。わたしは、ある団体がアカンダ バジャンをすることを決め、その計画を成功させるために一時間いくらで数人の人を雇わなければならなかったことを知っています。信仰と熱意をもってバジャンをしなさい。あなたの歌う御名の一つひとつに信愛をこめ、その信愛で町中を揺さぶりなさい。神の御名は、同朋愛を深め、調和を樹立し、すべての嵐を鎮め、平安を与えてくれます。

1959年7月10日の御講話より

 

出典:http://www.sathyasai.org/calendar/akhand.html
翻訳:サティア サイ出版協会