ガネーシャ チャトゥルティ―Ganesh chaturthi―  
     
 

ガネーシャ神の写真 ガネーシャ・チャトゥルティー
   (ガネーシャ神聖誕祭)

 ガネーシャ・チャトゥルティーは、インドの太陰暦バードラパダ月のチャトゥルティーの日(4日目)に祝われます。西洋の太陽暦では通常9月中にあたります。ガネーシャ神は象の頭をした神様で、障害が取り除かれて成功が確かなものとなるように、通常、何か事を始める前に礼拝されます。ガネーシャ神はまた、世俗的知識と霊的叡智の両方の授与者でもあられます。

 プラシャーンティ・ニラヤムでは通常、このお祭りは3日間にわたって祝われます。1日目は、学生たちがディボーショナル・ソング(信愛の歌)やストートラム(神への讃歌)を歌い、神の御前で文化祭を行い、バガヴァンは御講話をしてくださいます。2日目と3日目は、バガヴァンの学校の学生と教職員たちが、各構内でガネーシャ神の像を礼拝する儀式を行います。それらの像は、3日目に、色鮮やかで精巧に作られた山車(だし)に乗せられ、神への賛歌(ヴェーダ)が唱えられバジャンが歌われる中、大行列をなしてサイ・クルワント・ホールへと持ち込まれます。像は、しめくくりの礼拝とアーラティが捧げられたあと、近くの湖や池に沈められる慣わしになっています。これは、霊性の道を歩む上で障害となる困難や悪い性質を、ガネーシャ神が持っていってくださると信じられているためです。

 

ババの御言葉

 ヴィナーヤカ(ガネーシャ神の別名)はあらゆる種類の知識を司る者です。学びは知性(ブッディ)に関係があります。学びとは単なる学問のことではありません。本に親しむことが知識なのではありません。人の一生は一つの連続する学びのプロセスです。あらゆる探求のプロセスは学びに関係しています。しかし基本的に、探究とは、何が一時的なもので何が永続的なものなのかを見出すことを扱うものであるべきです。これが真の知識です。

Sanathana Sarachi, October 1995より

 

 ヴィナーヤカの原理には、ガネーシャ神の信者であるかないかに関わらず誰にも関係する一つの意味しかありません。「ヴィナーヤカ」とは、自分の主人は自分であり、自分より上の主人を持たないという意味です。ヴィナーヤカは誰にも依存しません。ヴィナーヤカは「ガナパティ」とも呼ばれています。この言葉は、ガネーシャ神がガナ(神なる存在の部類)を司どる者であることを意味します。この言葉はまた、ガネーシャ神が人の内なる知性と識別力を司る者であることも示しています。ガネーシャ神は偉大な知能と知識をもっています。その知識は、純粋で神聖な心(マインド)から生じます。この知識は叡智(ヴィグニャーナ)へと導きます。ガネーシャ神は、知性(ブッディ)と叡智すなわち悟り(シッディ)を司る者であるがゆえ、ブッディとシッディの主なる神であると述べられています。ブッディとシッディは、ヴィナーヤカの伴侶と呼ばれています。

 ヴィナーヤカの乗り物はねずみです。ねずみの内的な意義とは何でしょうか? ねずみは嗅覚(きゅうかく)の化身であると考えられています。ねずみはまた、世俗的な性癖(ヴァーサナ)への執着の象徴です。ねずみを捕まえたいときには、ねずみ捕りの仕掛けの中に臭いの強い食べ物を置くとよいことはよく知られています。ねずみはまた、夜の暗闇を象徴しています。ねずみは暗闇の中でもよく見ることができます。つまり、ヴィナーヤカの乗り物として、ねずみは、人を暗闇から光へと導くものを表しているのです。したがって、ヴィナーヤカの原理とは、人の中の悪い性質、悪い行い、悪い考えのすべてを取り除き、良い性質、良い行い、良い考えを注ぎ込むことを意味します。

 ヴィナーヤカのもう一つの名前は「ヴィグネーシュワラ」〔ヴィグナ+イーシュワラ〕です。「イーシュワラ」とは、考えられるあらゆる富の形態――お金、知識、健康、至福、美しさなど――に恵まれた者という意味です。ヴィグネーシュワラは、これらすべての形での富の形態を促進する者であり、それらを享受する妨げになるものをすべて取り除きます。また、自らを礼拝する者に、これらすべての富の形態を与えます。ヴィナーヤカは「最初に礼拝されるべき神(プラタマヴァンディタ)」だと言われています。世の中では誰もが富と繁栄を望んでいるがゆえ、まず初めにヴィグネーシュワラを礼拝しているのです。

1991年9月12日のガネーシャ・チャトゥルティーの御講話より

 

 象の顔をした神を崇拝することの内的な意義とは何でしょうか? 象は力と巨大さの象徴です。象の足は、他のどんな動物の足よりも大きいものです。象は、どんな深いジャングルでも突き進んでいけます。このように、象は、他の人に道を示すというリーダーの特質を象徴しているのです。象はまた、忠誠心と感謝の念に満ちていることで知られています。どんな状況でも、象は自分の主人を忘れません。最期の瞬間でさえ、自分の主人の声を聞くと、目を開いて主人の姿を探すのです。主人のためには、命さえ犠牲にします。これらは人が象から学ぶべき教訓です。感謝の念に欠けた知力には価値がありません。人は皆、自分を助けてくれた人に感謝すべきです。

1997年9月7日のガネーシャ・チャトゥルティーの御講話より

 

http://www.srisathyasai.org.in/Pages/AshramInfo/Ganesha_Chaturthi.htm



ガネーシャ チャトゥルティの御講話

書籍   『サイ・ガネーシャ』若林千鶴子著、日本刊行センター(1998年発行)

2009年 『シュリ サティヤ サイ ババ2009年2010年講話集』に掲載

2004年 サナザナサラチ85号(シュリサティアサイ出版物日本刊行センター刊)

2002年 http://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_20020910.html

2001年 http://www.sathyasai.or.jp/sn/sn82/mes82.html

2000年 サナザナサラチ72号(シュリサティアサイ出版物日本刊行センター刊)

1999年 http://www.sathyasai.or.jp/sn/sn70/spirit70.html

1998年 サナザナサラチ66号(シュリサティアサイ出版物日本刊行センター刊)

1997年 http://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19971007.html

1996年 サナザナサラチ61号(シュリサティアサイ出版物日本刊行センター刊)

1995年 サナザナダルマ35号(シュリサティアサイ出版物日本刊行センター刊)

1994年 サイラムニュース50号に掲載

1992年 サナザナダルマ254号(シュリサティアサイ出版物日本刊行センター刊)

1991年 サイラムニュース43号に掲載

1989年 サイラムニュース40号に掲載

1988年 サナザナサラチ36号(シュリサティアサイ出版物日本刊行センター刊)

1985年 http://sathyasai.or.jp/d/d_19850918.html

 

 
 
 
 

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