サンクラーンティ  
     
 


マカラ サンクラーンティ

このお祭りは一月十四日に行われます。この日に太陽がヒンドゥー暦のマカラ宮(山羊座)に入るため、この日はマカラサンクラーンティと呼ばれています。この日から太陽は北半球を周 り始めます。聖典によれば、この日は大いなる霊的意義がある日だとされています。

また、この日は、農民たちが一年間の作業を終え、収穫を喜ぶ日でもあり、インド国中で祝われています。たしかに、収穫祭は、世界中の多くの国々に共通しており、楽しく陽気に祝われます。タミルナードゥ州、アーンドラプラデーシュ州では、この収穫祭をポンガルと称しています。

プラシャーンティ ニラヤムでは、このお祭りはバガヴァンの学生たちによるスポーツと文化の祭典の閉会式と一緒に行われ、一年間に行われたさまざまな行事や試合で賞を受けた学生たちが表彰されます。


「ババの御言葉」

太陽は毎月、黄道帯(こうどうたい)の一つの(きゅう)から次の宮に移動します。

サティアサイババ

「神聖な変化」を意味するサンクラーンティは、毎月、太陽が黄道の一つの宮から別の宮に移動するときに生じます。しかし、太陽が磨羯宮(まかつきゅう)(マカラ サンクラーンティ)に移動するときは、特に神聖になります。

太陽は穏やかで
日は短く
月明かりに照らされた耕地に
涼しい風が心地よく吹き渡る
農夫は大収穫の喜びに歌い
穀物の山の上ではカラスが鳴く
花は(つぼみ)を開いて喜びを表し
どの家も穀物であふれ
サンクラーンティの訪れを歓迎する

(テルグ語の詩)

サンクラーンティ、家の穀倉が新しく収穫した穀物でいっぱいなることを農夫たちが喜ぶ日。

太陽は、磨羯宮に入ると北方への周回を始めます。太陽は、六つのチャクラ(身体の霊的中枢)を照らしながら、万人の人体の中で光り輝きます。六つのチャクラのうち、二つがもっとも重要です。それは心臓のチャクラ(フリダヤ チャクラ)(*1)と頭頂のチャクラ(サハッスラーラ チャクラ)です。心臓のチャクラには、八枚の花弁があります。神は八枚の花びらのある心臓のチャクラの主です。この八枚の花弁は主なる神の八人の配偶者と見なされます。こうした関係において、主なる神は太陽の姿で礼拝されます。太陽系は太陽を源とします。それゆえ、太陽は神として崇められるのです。

古代の聖賢たちは、八枚の花びらをもつ心臓の神聖な中枢を崇め、その結果、頭頂のチャクラに達して、この上ない至福を享受しました。

1998年1月14日の御講話より

今日の聖なる祝祭は、太陽の見かけの動きが北方への周回を開始すること(ウッタラーヤナ)に関連しています。太陽は毎月、黄道帯の一つの宮から次の宮まで動きます。今日は、太陽は磨羯宮(マカラ)に入るため、マカラ サンクラーンティと呼ばれています。この吉日は、人間に多くの現世的、霊的な恵みが与えられることを告げます。サンクラーンティの日は、多分野における人間の将来の成功の証です。

サンクラーンティの日は、農家に勤労の実りである穀物の到着を示します。サンクラーンティは現世での成功を祝う神聖な祭であり、また、涼しい空気の中で休息する大切な日でもあります。激しい労働の期間の後には、休息の日々が必要です。そうしてこそ、人は心の平安を享受できるのです。「サムヤク クランティ イティ サンクラーンティ」。サンクラーンティは平安を授け、喜ばしい変化を告げます。人々の内から喜びを引き出します。サンクラーンティはライフスタイルに変化をもたらします。神聖な考えを生じさせます。

1997年1月14日の御講話より

サンクラマナは、純粋で汚れのないハート(フリダヤ)に向かって内なる旅がなされる時です。ちょうど太陽が北方への旅を始めるように、サンクラーンティは、自己実現のために知性がアートマに向かって方向転換させられるべき日です。

ヴェーダは、太陽が北方への経路(ウッタラーヤナ)をとる期間〔冬至から夏至までの半年〕は神聖である、と宣言しています。偉大なる戦士ビーシュマは、自らの生涯を閉じるために、矢の(とこ)に横たわって、ウッタラーヤナの到来を56日間待ちました。古代の伝説(プラーナ)は、ウッタラーヤナに亡くなる者はだれであれ解脱を得ると、名言しています。

黄道で宮から宮へと向かう太陽の動きにおいて、太陽が磨羯宮に入ることはもっとも重要です。磨羯宮は平安と満足の星座です。グレゴリオ暦によると、サンクラーンティは1月13日か14日に始まります。サンクラーンティは、一種の精神的、肉体的平安を授けます。

サンクラーンティのような祝祭の本当の意味を理解している人はわずかです。肉体的な喜びを通して永続的な至福を確保することはできません。人は、自らの内にこの至福の源があることを見出さなければなりません。サンクラーンティは、頭に眼鏡を載せてあちこち眼鏡を捜している人のように、これまでいつも自分と共にあった喜びを発見する人のように、人がこの発見をすることを可能にしてくれます。

神はどこかよそにいるのではありません。神は人のハート(フリダヤ)に(まつ)られています。ですから、自分のハートの中に神を探す人は自らを救い、解脱に至ります。すべての外的な霊性修行の価値は一時的です。修行は永続的な至福を体験するために内へと向かうべきです。すべての精神的な修行は、ハートを影響を受けない状態に保ちます。九つの信愛の道は、神聖なものを聞くことに始まり、真我(アートマニヴェーダナム)の全託に終わります。最後がもっとも重要です。全託(アートマニヴェーダナム)のあとには、その他の努力は必要ありません。

サンクラーンティは全託への希求を授けます。サンクラーンティは家庭で祝う祝祭の一種です。そうです。これはそういった祝祭です。ですが、全世界は、一つの家族(Vasudhaiva Kutumbakam)です。この祝祭は全世界に関係するものであり、親戚縁者に限定されるものではありません。サンクラーンティは全人類と関係しています。人々がそれを認識するしないにかかわらず、サンクラーンティはすべての人に幸福感を促します。

サンクラーンティは内的変化を促します。人々の心(マナス)(*2)を照らします。サンクラーンティは内にある感情を広げさせます。万人に内在する目に見えないアートマの顕現をもたらします。サンクラーンティはそうした莫大な重要性をはらんでいます。サンクラーンティは、心のみならず、自然の力にも影響を及ぼします。自然は心の投影です。世界は心をその源とします(マノーモーラム イダム ジャガット)。心(マナス)がハート(フリダヤ)へと向きを変え、ハートが神性で満たされるとき、心はトラブルの元であることをやめるでしょう。心は五感の(あるじ)です。五感が制御されているとき、心は制御されています。心の主人だけがマーダヴァ(神、クリシュナ神の別名)に達することができます。

1996年1月15日の御講話より

ドワーパラ ユガ(前の時代)に、牧童と牧女たちは、よくクリシュナのいる前で、神への信愛に我を忘れて、限りない喜びを体験しました。サンクラーンティの日、牧童たちは神聖な清めの方法としてよく牛糞(ぎゅうふん)を使いました。また、サンクラーンティの祝祭の内的意味を身をもって示しました。牧童たちは、自分の家の前に牛糞を丸めた玉を三つ置き、その上にかぼちゃの花を三つ乗せ、クリシュナを崇めて歌い踊りまわりました。

こうした牛糞にはどんな意味があるのでしょう? 昔、人々は牛糞に水を混ぜて家の前に播いていました。牛の糞は、空気中のバクテリアを殺すのに有効でした。牛糞は健康と幸福の象徴であると考えられていました。一つ目の牛糞の玉は、ゴーパーラ(牛を守る者)として崇められたクリシュナの象徴でした。クリシュナは喜びと健康を授ける者として崇拝されました。 二つ目の牛糞の玉は、クリシュナが持ち上げて自らの神性を示した、ゴーヴァルダナ山の象徴として置かれました。三つ目の牛糞の玉は、牛乳の与え手としての牛、人々の健康と喜びの源を象徴しました。ゴーパーラとゴーヴァルダナとゴー(牛)は、このようにして崇められていたのです。

かぼちゃは、野菜の中で一番大きいために、名誉ある位置を与えられています。ゴーピカ(牧女)たちは、かぼちゃを広い心を持つものの象徴と見なしました。そのため、かぼちゃは、サンクラーンティの祭日にふさわしい供え物として捧げられます。この捧げ物の利点は何でしょう? かぼちゃは腐りにくく、長持ちします。かぼちゃを調理してさまざまな料理を作ることができます。また、ほかの多くの野菜といっしょに調理するのにも向いています。このような著しい特徴があるために、かぼちゃ一個を供えることは、人間のさまざまな徳を神に捧げることを意味するのです。

サンクラーンティの祝祭は、人が自らの視覚を神へと向ける日と見なされるべきです。人生はサトウキビの茎に例えることができます。堅くて、たくさんの節のあるサトウキビのように、人生は困難でいっぱいです。けれども、黒砂糖の永遠の甘さを味わうことができるよう、サトウキビは(つぶ)されて汁が黒砂糖へと変えられなければならないように、これらの困難は、神の至福を享受するために克服されなければなりません。艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えさえすれば、永続する至福を得ることができます。金は、るつぼで溶かされ、しかるべき形に打たれなければ、魅力的な宝石にはなりません。

1992年1月15日の御講話より

 

訳注:
(*1)ハートチャクラ、アナハタチャクラともいう。
(*2)マインド

 

サンクラーンティの御講話

2009年 http://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_20090114.html

2008年 http://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_20080115.html

2007年 http://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_20070114.html

2006年 「サティヤサイババ2006年講話集」

2005年 http://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_20050114.html

2004年 サナザナダルマ60号、サナザナサラチ82号

2003年 サナザナサラチ79号

2002年 サナザナサラチ76号

2000年 サナザナダルマ48号、サナザナサラチ70号

1999年 サナザナサラチ68号

1998年 サナザナダルマ42号

1997年 サナザナダルマ40号

1996年 サナザナダルマ36号

1995年 サナザナダルマ33号

1992年 サナザナダルマ22号

1985年 サナザナサラチ25号

 
 

出典:http://www.srisathyasai.org.in/Pages/AshramInfo/Makara_Sankraanti.htm
翻訳:サティア サイ出版協会