婦人の日  
     
 

1995年より、毎年11月19日は女性の日として祝われています。バガヴァンはいつも、女性の偉大さと、母親としての理想を強調され、人々や国家の性質を形成するのに女性がどれほど重要な役割を担っているかを説かれます。この日、マンディールには上品な装飾が施され、お祭りのプログラムはすべて女性帰依者が取り仕切ります。サイの小学校の児童とサイ大学アナンタプール校の女子学生によるブラスバンドに率いられて、アナンタプール校の女子学生たちがヴェーダを唱える列が続き、その後、バガヴァンがサイ・クルワント・ホールに登場なさいます。色鮮やかな踊りやその他の文化祭が催されたあと、選りすぐりの女性帰依者たちが何人かスピーチをします。このスピーチのあと、バガヴァンは御講話をして皆を祝福なさいます。大学や小中高等部の生徒たちもプログラムを披露します。

ババの御言葉

サイ ガヤトリー バーラタ(インド)は神聖さと貞節の国であり、高潔な女性の国という栄光をもたらす、すぐれた人格を備えた立派な女性を輩出しています。

古代から、ガヤトリー マントラを司る神ガヤトリー デーヴィは、もっとも古く権威のある英知の聖典「ヴェーダ」の母として崇拝されてきました。ガヤトリー マントラはこの聖なる国で生まれました。ガヤトリー マントラの栄光は世界中に広まっています。バーラタの人々はさまざまな方法でガヤトリーを崇め、救われてきました。ガヤトリーは、1)サティヤヴァティ、2)アンガヴァティ、3)アンヤヴァティ、4)ニダナヴァティ、という四つの姿において崇められています。四つはどれも等しく神聖であり、神の無限の恩寵を引き出します。世界はガヤトリーの四つの姿に象徴されます。世界が自然(プラクリティ)とか、女性の姿(ストゥリー)と呼ばれるのはそのためです。また、生まれた国は母国と呼ばれます。

家庭の女性は、グリハラクシュミー(家庭の繁栄の女神)として非常に尊ばれてきました。夫が困難に遭うと、妻は喜んで共に苦しみを背負い、何でもする覚悟、苦しみを受ける覚悟、さらには、夫と家族のためには命さえ犠牲にする覚悟ができています。家の評判がよいのは、その家の女性のおかげです。女性は犠牲の権化です。夫も犠牲を払うかもしれませんが、それには利己的な意味合いが含まれます。一方、女性の犠牲は完全に無私無欲です。ですから、私たちはバーラタの女性を誇りに思うべきです。

サイ ムーブメントにおける女性帰依者の多くが、弱い立場にある女性に、家族のために小銭を稼ぐのに役に立ちかつ時間を有効に使えるような、裁縫などの技術を習得する援助をする奉仕活動に熱心に参加しています。もし、そのような活動が国全体で始まれば、国は繁栄するでしょう。こうした神聖な仕事は、古代から続く私たちの国の文化の典型です。女性は私たちの古来の文化の相続人です。文化とは純化を意味します。女性は純化の担い手であり、国の自由のために、こつこつ働いています。

聖典の言葉の霊妙さを説き、社会における女性の役割を果たすのを奨励するために、11月19日が婦人の日(マヒラ デイ)として定められました。ダルマは、女性によって、社会でその地位を占め、本来の栄光を取り戻すことができます。

1998年4月19日の御講話より

既婚女性は、「ダルマ パットニー」(正しき妻)、「グリハラクシュミー」(家庭の女神)、「イッラールー」(家の女性)、「アルダーンギ」(夫と同じ権利をもつ伴侶)といった多くの立派な称号をもっています。こうした称号は、政府から与えられ社会的に認められている「パドマシュリー」や「パドマビブーシャン」といった称号よりも価値があります。女性はまず家のことをしなければなりません。それから、もし必要であるならば外で働けばよいのです。母親のいない家庭は何も安置されていない御堂のようなものです。女性は子どもにとって理想の母親であるべきであり、夫の世話をし、そのあとで外で働けばよいのです。女性は学ぶことも、学位 を取得することも、政界に入ることも、どんな仕事をすることもできますが、まさに人生の基盤である家庭をおろそかにしてはなりません。夫と妻には、等しく家庭の調和を確立する責任があります。しかし、時代は変わってしまいました。女性にふさわしい理想は実践されておらず、今日、理想的な男性や女性の姿は見当たりません。世界がこれほど哀れな状況にあるのはそのためです。

1997年11月19日の御講話より

私は、女性は教育を受けるべきではないなどとは考えません。女性は教育を受けるべきです。仕事をもつこともよいでしょう。ただし、女性は女性であることの義務と栄光にたがわぬ 生き方をすべきです。女性に与えられる第一の称号は「グリハラクシュミー」(家庭の女神)です。女性はあらゆる繁栄と名誉とよい評判を、家と家族に授けることを期待されているのです。女性は「家庭のラクシュミー」とみなされるべきであって、「会社のラクシュミー」とみなされるべきではありません。女性の第二の称号は「アルダーンギ」(よき伴侶、ベターハーフ)です。これは、妻は夫の伴侶であって、夫の仕事のパートナーではないという意味です。第三の称号は「イッラールー」(家の女主人)です。女性は家の女主人であり、会社の女主人ではありません。既婚女性に授けられた第四の称号は「ダルマパットニー」(ダルマにかなった妻)です。これは、家庭があらゆる正義の住居であることを意味します。家庭は、太古の時代からの慣習として崇められている、あらゆるダルマ(正しい行いの規範)の生誕地です。

私たちが今日守るべきは真理と正義であり、国家ではありません。真理と正義が守られれば、その二つが国を守るでしょう。

それゆえ、正義は家庭の中で培わなければなりません。家庭とは取るに足らない場所ではないのです。家庭は、国を守り保護するダルマの住居です。家庭は世界を照らし支える灯台です。女性は、女性のもっとも大切な義務は、教育や地位 とはかかわりなく「家庭を守る」ことなのだと認識せねばなりません。

たとえば、このような事実を思い起こしてごらんなさい。死んだ夫をよみがえらせようと努力したり、あるいは、その面 影を大切に胸に抱く女性は大勢います。どれほどの男性が、妻のために同じように振る舞えるでしょう? 多くの男性たちは、あわてて次の妻を探しまわります。

女性が尊ばれる所には、どこであれ、繁栄と幸福があります。女性は、決して、蔑視されたり、軽んじられるべきではありません。主婦が涙を流すような家庭には、繁栄はもたらされません。これらが、太古からの、家庭における女性の役割の理念です。

1996年11月19日の御講話より

人間は、何億という生き物が住んでいるこの世界の中で、特に選ばれた存在です。女性は、男性も含めた全宇宙の中で、ほかのものよりも非常にすぐれています。女性のほうがすぐれていることを証明するたくさんの例があります。ラーマが有名になり、神として崇められたのは、神を出産するという形でカウサリヤー妃に授けられた賜物のおかげではないでしょうか? 双子のクシャとラヴァ(ラーマの息子)があれほど偉大になったのは、シーター妃が養い育てたからではないでしょうか? また、シヴァジが偉大で勇敢になったのは、母親のジジャバイの子育てがあったからです。ガンディーが名声を得ることができたのは、母親のプタリバイの励ましがあったからです。偉大なリシ(聖賢)や、すぐれた武将、高徳な英雄、邪悪な人々も、母親の胎内から生まれました。母親はプラクリティ(自然)の化身にほかなりません。

ガヤトリーはすべてのヴェーダ聖典の根源そのものです。ガヤトリーはストゥリー(女性原理)の化身です。ヴェーダは人類の母です。こういったことすべてを見るなら、女性というものは非常に高い地位 を占めるものであり、生まれながらにして何か実に偉大で徳の高いものであることが感じ取れます。女性は過去から現在に至るまで、ヴェーダ聖典によって称賛されています。ヴァイディカ プージャ、ヴァイディカ ウパーサナ、ヴァイディカ アラダーナといった、古代のさまざまな宗教儀式の中で、女性は大変高い地位 を与えられています。

女性がいないと家は密林のようになってしまいます。今、男性たちは、女性に涙を流させてはならない、と心せねばなりません。男性たちは女性を敬い大切にすべきです。そうして初めて、繁栄と幸福が訪れるのです。女性が涙を流す家は、それがどのような家であれ、滅びます。男性たちは精一杯女性を敬いながら人生を送らなければなりません。女性には九種類の力が備わっており、アーディ シャクティの化身そのものです。シャブダ ブランママイー、チャラーチャラマイー、ジョーティルマイー、ヴァーンガマイー、ニッティヤーナンダマイー、パラートパラマイー、マーヤーマイー、シュリーマイー――これらは女性に与えられた名前です。こうした原理は甘露のごときものです。そのため、女性はストゥリーという価値ある名前を得たのです。

女性には、国のために戦って調和と平和をもたらす精神力と勇気があります。ですから、女性をさまざまに描写 したヴァールミーキは、女性はやさしさの化身そのものであると言いました。このやさしさの最大の原因は何でしょう? 女性には犠牲の精神が備わっているので、やさしくなるのです。母親は子どものためであれば、どんな犠牲でも捧げる覚悟ができています。母親は子どもを守るためであれば、自分の命さえも犠牲にします。このような犠牲の精神は女性のみに見られるものです。子どもが何かの病気で苦しんでいれば、父親は大丈夫だと言います。母親は子どもを守ろうと大変な努力をします。女性は生来の犠牲の精神によって、犠牲の権化として知られるようになったのです。

母親はすべてのものの基盤です。(子どもが話す)最初の言葉は「ア マー アンマ」(お母さん)です。ですから母親はマトゥル デーヴァ(母なる神)と呼ばれるのです。バーラタの文化における四つの重要な教訓は、「マトゥル デーヴォー バヴァ」(母親を神として崇めよ)、「ピトゥル デーヴォー バヴァ」(父親を神として崇めよ)、「アーチャーリヤ デーヴォー バヴァ」(教師を神として崇めよ)、「アティティ デーヴォー バヴァ」(客人を神として崇めよ)というものです。母親は子どもを生みます。母親が父親を教えます。母親以外のだれも父親を示す権限はありません。母親のみが父親を示す権限をもっています。それから、父親がグル(師)を示します。グルがその子どもを神へと導きます。これがバーラタの古代からの伝統であり文化です。

この世は不和だらけだ、と私たちは言います。そうした不和はどこからやって来たのでしょう? それは私たちの心の中からやって来たのです。毎年11月19日に「ストゥリー ディナ」(婦人の日)をお祝いするたびに、これまで述べたような考え方を広めて行かなければなりません。善い思いを広めるばかりでなく、自分たちの家庭からその実践を始めなければなりません。皆さんは善い思いを抱くよう子どもをしつけるべきです。もし、夫が悪人でも、心の平安を保たなければなりません。

今日は女性のために捧げられた尊い日です。女性が変われば、男性たちも必ず変わります。女性は正しい道を歩まなければなりません。そうすれば、男性たちも正しい道を歩きます。女性が指導者になれるからこそ、女性は半身であると言われるのです。女性が善良な考えをもってさえいれば、今日、明日の内に、男性たちを変えることができます。ですから、女性が慈悲と愛と犠牲の精神を教え込むべきです。犠牲よりも偉大な特質は存在しません。

1995年11月19日の御講話より

 

出典:http://www.srisathyasai.org.in/Pages/AshramInfo/Ladies_Day.htm
翻訳:サティア サイ出版協会


婦人の日の御講話


2005年  サイラムニュース135号

1996年  http://sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19961119.html