●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2000年11月28日   

バガヴァン シュリ サティヤ サイババ 75周年御降誕祭 パートI

サイラム

 スワミの恩寵によって、プッタパルティーにおけるスワミ75歳の誕生日に立ち会うことができました。わたしは11月21日の火曜日にプッタパルティーに到着し、25日の土曜日までそこにいました。

1.バガヴァン シュリ サティヤ サイババの75周年降誕祭はおよそ50万人(100万人という人もいる)以上の人々がスワミの式典に参加するという点で、類まれなものです。今回の人混みはスワミ70歳の時の降誕祭より多少人数が少ないかなと言った帰依者の方が何人かいました。スワミの誕生日は、シュリ サティヤ サイ ヒルビュー スタジアムは人々ですし詰め状態となり、空いている場所などありませんでした。どこにいっても人々の海でした。

2.11月21日火曜日は、通常と同じでバジャンの後に朝夕2回のダルシャンが行なわれました。サイ クルワントホールもまた人々でいっぱいの状態で、遅れて来た人たちはホールの外で座っていなければなりませんでした。 サイ クルワントホールに入れなかった帰依者の方々のために、移動式のテレビ(Circuit TV)がアシュラム内の各地に設置されてました。プッタパルティー全体がお祭りさわぎの様相を呈し、アシュラムのなかでは各州の書籍を売るテント小屋がたくさん建てられました。民族的な飾り付けやアーチ、花やテープや様々な飾りものが世界中から持ち込まれました。ノースインディアン キャンテーン(北インドの食事をだす食堂)の近くには食事を配る場所があります。意気旺盛なハイダラバードの男子学生たちがいつものようにバジャンを歌いながら、ノースインディアン キャンテーン近くの食事配給センターまで食料を運んでいく姿が見られます。男女別 になった食事を配るためのカウンターがたくさんできています。11月22日,23日,24日の誕生日の式典中は食事は無料となります。

3.アシュラムのなかには2,3の専門の案内所もできました。医療をほどこすテントも建てられました。医務室の小屋には、かなり多数の医者たちがいて患者を看ています。病理検査室もあり、また伝統的なインド療法を希望する人のためにアユルヴェーダとホメオパシー(毒療法:病気と類似の反応を引き起こす薬品を患者に少量 与えて治療する方法.)を施す仮小屋もあります。薬は無料です。

4.プッタパルティーの新聞はすべてスワミのメッセージと降誕祭のことを掲載しています。

5.「バンガロール スキャン」という週間の新聞は、ババの人類に対する75歳の誕生プレゼントとして、バンガロール特別 専門病院を見出しにし、ババの特集を付録につけました。

6.降誕祭の期間中に、スワミは「チャイタニヤ ジョーティー」(スワミの75年間の生涯を展示した東洋風の記念館)の開館式をとり行い、また、スワミはプッタパルティーの音楽大学(Music University & College)の開校式をもとり行いました。

7.11月22日、アンドラプラディシュ州の長官(Chief Minister)であるチャンドラバブー ナイド氏が「シュリ サティヤ サイ プラシャンティー ニラヤム駅」の開通式をとり行いました。最初の列車が15時17分に長官によって旗を振り下ろされプッタパルティを出発しました。列車は現在バンガロールとプッタパルティー間を走っています。

8.降誕祭では一千万個以上のラドー(インドのお菓子)が用意されました。 ラドーを用意しているときの写真がタイムズオブインディア紙のバンガロール版に掲載されました。

9.宿泊施設は完全に満杯状態で、たくさんの人たちがアシュラム内に住んでいる帰依者たちの部屋のベランダで寝起きしている光景が見られます。また、その人たちの荷物が木の下や壁の出っ張りにたくさん積み上げられており、セヴァダルたちがしっかりと見張っています。

10.アンドラプラディシュ州のメーブーブ ナガール サミティーには特に感謝の意を表したいと思います。このサミティーのセヴァダルたちはバス停に到着した人々を助けています。彼らは乗客の荷物を宿泊施設まで運んでくれるのです。プッタパルティーのバス亭では彼らが手押し車で荷物を運んでいるのが見られます。 また、飲料水を容易に確保し、水売り場が人で混乱するのを避けるために、セヴァダルたちは背中に大きな水のタンクを背負ってあちこち巡回しています。そのタンクにはシュリ サティヤ サイ 恵みの水プロジェクトと描かれています。

11.プッタパルティーの商売人たちにとっては絶好の機会です。ロッジやホテルは一部屋1,000から1,500ルピーします。写 真、カセットテープ、書籍、服、小間物まであらゆるものが、アシュラムの外では割増料金になっています。

L. Ganeshkumar







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