●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2001年4月22日   

2001年4月22日のセッションの詳細

 今回のセッション(集会、御講話)は、サーカラ(姿形を持つこと)とニラカラ(無相であること)の見方についてお話してくださいという、スワミに対する学長の依頼から始まりました。

 そこで、スワミは以下のような御講話をお説きになりました。

 「鳥たちは、木にとまり、フンを落としてその木の下のところを汚します。その結果 、誰も木陰を楽しむことができなくなります。あなた方がただ手を打って、鳥たちを怖がらせてどこかに行かせようとしても、なかなか飛び立ってはくれません。鳥たちを飛び立たせるには、あなた方は手を打ち鳴らすとともに、「シィー、シィー!」と口から声を発して、追い払わなくてはなりません。それと同じように、神の御姿を目で見ながら、神の御名を口で唱えつつ(称名バジャンを歌いつつ)手を打ち鳴らすことは、カーマ(欲望)やクローダ(怒り)という名の悪い鳥たちを追い払うのに役立つのです。これが「サーカラ・バクティ」です。サーカラ・バクティ(御名や御姿を持つ神への帰依と信愛)はニラカラ・バクティ(無相の神への帰依と信愛)に優るというのが、私の意見です。
  大洋に溶け込む川の水は、全託を象徴しています。というのも、川の水は下の方に流れ、大洋と川の水が融合する地点で大洋の水はその川の水の上を覆うように流れるからです。川の水(人間)が大洋(神)にすべてをゆだねて融合する――これは、まさにサラナガティすなわち全託の象徴です。

 人は、自分が今は失っているが神は持っているものについて祈るべきです。人は平安と至福を求めて祈るべきですが、それは実は自分自身が本来持っているものだからそうすべきなのです。サントーシャム(幸福、喜び、または満足)が束の間のものであるのに対し、アーナンダ(至福、歓喜)は永遠なのです。
 水の滴を手のひらに落としてもたちまち蒸発してしまいますが、同じ滴を大洋に落としたなら、大洋に溶け込むことができるのです。ですから、ただ神のことを思い、溶け込みなさい。けっして、世俗のものを追い求めて、世俗的になってはいけません。
 もしあなたが底に砂糖のあるコップに一杯の水を取っても、水の上の方は甘い味はしません。スプーンでよくかき回してはじめて水のどこの部分も甘く味わえます。このたとえでは、コップはハート、水は世俗の欲求、砂糖は至福、スプーンはブッディ(英知)、かきまぜることはサーダナ(霊性修行)に該当します。

 マハーラーシュトラ州のナシクではなくUP州(ウッタルプラデーシュ州)のナシクにあるサラシュワティ河のほとりに、ジャガナート・サーシュトゥリという敬虔なクリシュナ神帰依者がいました。彼は、ラーダという女性が自分の帰依心と愛でクリシュナ神をわがものにしたことをよく知っていました。彼女のように振る舞うことを理想として、彼はラーダを崇めていたのです。ある日のこと、ひとりの腕輪売りが、サラシュワティ河のほとりで美しい乙女がその右腕を飾るための腕輪を求めているのに気が付きました。腕輪売りが驚かされたことは、乙女が腕輪をいくつ付けても、さらに加え続けることをやめないことでした。
  やっとのことで、乙女は満足すると、代金は彼女の父であるジャガナート・サーシュトゥリに請求するようにと言って、彼の住所を教えました。売り主がその家を訪れてお金を請求しました。驚いたサーシュトゥリは、自分は独身だから娘など自分にはいないことを伝えました。それに対して、その腕輪売りはまさかあの乙女が嘘などつかないだろうと言いました。乙女によると、家には小さな部屋があり、その隅っこに腕輪に足るお金があるだろうということでした。そこでサーシュトゥリが行ってみると、驚いたことにいくらかのお金があり、それは10ルピーでした。彼が戻って売り主に腕輪の価格を聞いたところ、まさに10ルピーでした。サーシュトゥリは、その乙女が実はラーダその人であることに気づきました。サーシュトゥリは、売り主の幸運を望んでいたので、彼とともに川の土手にラーダを見るために出かけました。しかしラーダはどこにも見当たりません。腕輪売りは大声で左腕もまた腕輪で飾りたいとラーダに叫びました。そのとき突然、腕が川の表面 から浮き上がりました。サーシュトゥリは大喜びで、ラーダがクリシュナにだけみせると言う御顔を彼にも拝見させて頂けるようお祈りしました。
  これらはみな、サーカラ的信仰をもってすれば可能なのです。

  スワミの御講話の中には、チャールズ・ペン、ウォルター・コーワン、カルナム・スバンマといった人達の生涯に言及されたところがありました。スワミは、スワミが彼らに与えられた約束を最期まで守らせるために、彼らをみな、死の淵からよみがえらせました。スワミはおっしゃいます。「私が約束をすることはめったにないが、ひとたび約束をした以上は必ず果 たされる」。
  スワミは、御講話を通じて、コダイカナルの世話役でティライエの会期中、側近にいたスリ・ラジェンドゥランの命をいかにお救いになったか、お話してくださいました。



寄稿:A Raghavendra
訳:東野 安博/聖 真一朗





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