●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2001年7月19日   

マハーラーシュトラへのスワミの御訪問

サイラム、皆様

昨日スワミがボンベイ近隣地域を訪問したことについて、あるプッタパルティの住人からの寄稿です。


 本日7月18日水曜日、ババは早くも午後2時10分に、ダルシャンに来られました。ババの椅子は他の講演者用のマイクと並んでベランダに置かれていました。インタビューが終わった後、旅行に付き添った二人の講演者が旅行中の体験を話している時、3時15分に、ババは出てこられ御座りになりました。そのお話は感動的で高揚させるものであり、とっさに私は皆さんにお伝えしようとメモを取りました。その後スワミはアラティを行い、バジャンは無しで、プールナチャンドラ ホールへお戻りになりました。


 彼らが訪れた場所はマハーラーシュトラ(ボンベイやシルディがある州)の内陸にあり、未開発の広大な地域のようです。ほとんどの人々は州全体から来た村人達であり、人の姿をしたババを見たことがありませんでした。(今までハートの内だけでした。)マハーラーシュトラの州知事や他の全ての大臣や最高裁裁判官、多くの大学教授や技術者達といった「エリート」や「知識人」が集まりました。月曜日に議会の開会が予定されていましたが、州知事やその他の大臣達はそれを取り止めて、スワミに会いに来ました。


 州知事と彼の側近達は個人的にババやゲスト達に応対しました。そしてババの足元にひれ伏しただけで、一緒に馬車に乗ることを断りました。ババが寺院に向かい、金の馬車に乗って3マイルの道のりを進んだ時、大臣達全員が裸足で歩いたり走ったりして追いかけました。これはとても強い印象を与える出来事でした。なぜなら、政府の高官達は概してとても傲慢で高圧的であり、一般 人に対して粗暴に振舞うからです。しかしババの前では皆が謙虚でした。

ラツールとチャクールを訪れた
バガヴァン ババ

 巨大寺院の落成式が執り行われました。それを建てたのは大変謙虚な人で、彼は招かれなければ、ババに近づこうとせず、サイ オーガニゼーションの全インド会長でさえ彼を知りませんでした。それはシヴァラヤ(シヴァの住居)と言われます。プラシャンティ ニラヤムにあるババの車が通るそれに似た巨大なアーチがあります。果樹園を通 って3マイル程進むと、サイ クルワントホールに匹敵する程の巨大なメインホールがあります。それは丘の上にあり、2つの部分で構成され、シヴァ リンガムのような形をしています。屋根の卵型の部分は青色で、ドームの下に美しいシヴァ リンガムを置く、3階建ての構造です。広く平らな部分は数千人が座ることができる大広間です。リンガムはクリシュナ像の前にあり、そこにはサティア サイとシルディ サイの像もあります。他に9つの寺院があり、他の神々を配しています。それらの場所全部が人で溢れていました。

 それを建てた後、建立者はババが個人的に祝福に来て下さることを望みました。彼はタパス(苦行)を行い、そしてババは来られました。 彼は人生でその他に欲望は無いと言いました。ババが乗るために金の馬車が用意されました。それはスワミのために用意しましたが、乗るか乗らないかはスワミの御意志次第ですと、建立者はスワミに言いました。スワミは自然にそれに乗られました。

 スワミは初日(7月15日日曜日)に、「エリート」や「知識人」である来訪者に御講話をされました。その前の講演者は慎ましやかに言いました。「私達はババの御前で、人生や生活をいかに過ごすか教えて頂くよう求めるより他に言うことはありません。」私たちが誰であるかを知らないのであれば教育は無駄 であると、いつものようにスワミは仰いました。

 車で約2時間かかる次の場所へ行く必要がありました。州知事はババのためにヘリコプターを用意していました。しかし、それは政府の乗り物でありババが乗るには相応しくないという理由で、ババは乗りませんでした。州知事は自分も一緒に乗っていくので問題ありませんと言いましたが、ババは断って、「私達は規則を守らなければなりません。」と仰いました。ババはダルマを固守し、車で行かれました。

 ちょうどモンスーンの季節で、初日に雨が降り始めた時、スワミは出てこられ、空を見上げました。そして、残りの滞在の間、黒雲は現れませんでした。

 そこでの数万人の人々に無料で食べ物が与えられました。ほとんどの人々がなんとか生活を維持しているレベルなので、これはとても意義のあることです。

 この地域ではビタラの姿をしたクリシュナが崇拝されています。ビタラの姿をしたクリシュナを歌ったバジャンを主に、数多くのバジャン集会が開かれました。人々は地域に応じた伝統的な服を着て、プラシャンティ ニラヤムでは歌われないような北インド(主にヒンドスタン語)のバジャンを歌いました。

 【この物語を知らない人々の為に。クリシュナの熱烈な帰依者のある少年が、クリシュナのダルシャンを求めて熱心に祈っていました。ついにクリシュナは現れました。しかし、その時彼は両親に仕えるのに忙しく、それが終わるまでクリシュナを長い間待たせました。とうとうクリシュナは疲れて青ざめ(「疲れて青ざめた様子」つまり「パンドゥランガ」という名前もあります)、煉瓦のようにそこに立っていました。(「ヴィタ」や煉瓦を意味するような物、つまり「ヴィタラ」や「ヴィトバ」という名前もあります)】

 全ての行事が慎ましく厳かに執り行われました。人々の真の帰依心とそれに伴う彼らの規律ある態度はスワミに付き添っていった人々をとても感激させました。私達はスワミを当然のものだと思ってはならないと、彼らは言います。「肉体的に私と離れている人々は、精神的にはたいてい私の近くにいます。そして肉体的に近くにいるという理由で私に近いと思っている人々は、精神的には私から離れています。」とババは仰っています。

 スワミは休憩時間を予定されていましたが、「休みは要りません。私が帰依者達と共にいる時、休みは必要ありません。」とスワミは仰いました。

 スワミは御手を揺らしていました。その時、60フィートの高さの貯水タンクの天辺にいた警察官を指さし、風が強くて危ないので降りるように仰いました。スワミは数万人の人々が足元にいようとも、全員の些細な事柄にまで注意を払われています。

 最終日、スワミは大きなスタジアムで御講話なさいました。そこは人で溢れていました。その地方の言葉であるマハーラーティに通 訳されました。「バガヴァンの御言葉は甘露です。彼の御講話は、数千万の帰依者のハートを満足させます。」と通 訳者は言いました。そしてそれはスワミが話しているように聞こえます。「バガヴァン ババが75歳だって?いや、彼は17歳だよ!」最後に州知事がババに退出路を示しました。しかし、ババは人混みの中を歩いて出て行かれました。

 ラーマが14年の追放の後、アヨーディヤに戻ってきた時を想像させるものでした。まさにそれに似た感覚だと思います。

サイラム

 


寄稿: Augustus Chang
訳:浅海 輝久
Photo by www.srisathyasai.org.in





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