●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2001年8月13日   

バガヴァンのハイデラバードの青年たちへのインタビュー

マインドを支配し、優れた指導者になりなさい

2001年8月13日:それはある夕暮のこと、プラシャンティ・ニラヤムではありふれた一日だった――すずめがさえずり、カッコウが心ゆくまで歌い、オウムがそろってサイラーマ・サンキルタンを唱えていた。

 宇宙の主であるバガヴァンは、トラストのメンバー、サミティメンバー、地域のセヴァダル召集人と11人ほどの青年から成るハイデラバードのグループにゆっくりと近づかれた。彼独自の非の打ち所のない方法と荘厳さで、バガヴァンは上品なテルグ語でこう尋ねられた。「なぜ、今朝私に会った者と会っていない者が一緒に座っているのですか?」

 バガヴァンは、その朝バガヴァンが慈悲深くもそのグループに与えてくださったインタビューのことをおっしゃっているのだが、確かにそのインタビューには54人のメンバーのうち40人しか参加できなかったのだ。参加できなかったのは、5人ほどの地域召集人と青年全員だった。私たちは、何と言えばよいか分からず、ただにっこりしていた。私たちがその質問にどう答えてよいか分からず居心地の悪い思いをしていることをすぐに察知されたバガヴァンは、こう問い直された。「何人いるのだね?」私たちは、「11人です、スワミ!」と答えた。

 すると、その神々しい顔には笑みが浮かび、目はいたずら気に輝いた。スワミはこうおっしゃった――11の間に1を入れると、「ナマム」という音になり、それはヴィシュヌ神の慣習と儀式を行うヴァイシュナヴィティの象徴である。また、同時に、ナマムとはすぐ騙される人のことを指しもするのだ、と。

 神なる存在の人とのこの会話から30分ほどたった後、一人の学生がサイ・クルワント・ホールに座っていた私たちのグループのところへ飛んできて、バガヴァンが青年たちにインタビュールームに入るようおっしゃっていると伝えた。ハイデラバードの11人の青年達はすぐに、一列になって、急ぎ入るよう迎え入れてくれたバガヴァンご自身と一緒に、あこがれのインタビュールームに入っていった。

 皆が落ち着くと、バガヴァンは私たちに、最近行っている活動について尋ねられた。私たちは無知にも、「マーブーブナガール地区ボリビルにおける模範的な村をつくる計画」について、私たちが行ったことを詳しく説明した。バガヴァンに写 真までお見せして。だが、バガヴァンは、じっくりと写真を見てからこうおっしゃった。「これらはすべて、もう見た。」ええ、もちろんです、あなたはずっと私たちと共におられましたから、と私たちはそろって答えた。

 それからスワミは、その辺り一帯の水はフッ素を多く含んでいるため、村の人々に安全な飲み水を提供することが急務だと強調された。私たちはスワミに、400個の水のフィルターを配ることでこの問題を打開するつもりだと伝えた。
「そうだ、そうだ!それを実行して、それでまた報告しなさい。」というのがバガヴァンの返事だった。

 バガヴァンがその他に強調した事柄は、衛生施設を提供し村の人々を助けることだった。村の人たちは、彼らの日常生活における健康や衛生上の問題を自覚していないので、このセヴァは特に必要なのだった。私たちはスワミに、このプロジェクトの第2期には、公衆トイレの建設に着手することを約束した。

 スワミはそれから、サティアサイ青年部のメンバーは、社会全体において理想的な振舞をしなくてはならないとのお考えに言及された。「言葉少なくよく働け」を青年の合言葉にしなさいと彼は指示なさった。

 スワミは続けて、働くときやセヴァを行っているときの態度について説かれた。私たちに分かりやすいように、彼は次のような小話をなさった。

 ある日、小さな村で、子牛が湖のぬかるみにはまってしまっていた。子牛は必死になって、自分の足をとらえている泥から逃れようとしていた。ところが、子牛が苦しんでいるのを、子どもたちが堤防のところから見て面 白がっていた。子どものうちの誰一人として、子牛を助けようと進み出る者はなかった。その時、通 りかかった一人のサンニャーシー(行者)がその光景を見て、すぐにぬかるみに入り、子牛を彼の肩に担ぎ上げた。子牛が苦しむのを、一種の娯楽のように面 白おかしく見ていた子どもたちは、サンニャーシーに、自分たちが楽しんでいたのにどうして子牛を助け上げたのかと聞いた。すると、サンニャーシーはこう言った。「親愛なる子ども達よ、私が通 りかかったら子牛が苦しんでいるのが見えたのだよ。子牛が苦しむのを見て、私の胸が痛んでね。だから、私は私の苦しみを癒すために、子牛を助けたんだ。」

 つまり、スワミはこの話から、このような態度でサービスをし、自己実現すべきだと説かれたのだ。それからスワミは、サーダナは、簡単に言えば、悪を善に変えることに他ならないと付け加えられた。

 スワミはまた、悪いことを1回だけはしても許されるが、それ以上は許されないとおっしゃった。従って、もし何らかの間違いや悪い行いを一度知らずに行ってしまってもそれは構わないが、その後それが悪いと知っていてなお行い続けたならば、その者は神が施す罰を受けなくてはならないのである。

 それから、私たちはスワミに、決断をすることの難しさについて尋ねた。「ある決断をするとき、私たちの良心がそれをしてはならないと言い、心(マインド)がそれを覆してそれをしてもよいと言うことがあるとします。すると私たちは大抵、状況を考慮して心に従っては、後になって結局気分の悪い思いをするのですが、それはどうしてなのでしょう、スワミ?」

 するとスワミはおっしゃった。「心(マインド)は主人の奴隷であるべきだ。心の言うことにしたがってはならない。自分の良心に従いなさい。心を支配し、優れた指導者になりなさい。」

 続いて、私たちは尋ねた。「スワミ、私たちは集中することが出来なかったり、瞑想できなかったり、ガヤトリーを唱えられなかったりすることがあります。時々、そうすることがとても難しくなるのです。私たちは大変な努力をするのですが、それでも失敗してしまうのです。どうしたらよいのでしょう?」

 スワミはおっしゃった。「努力するのではない。ただ、するのだ。しなければならないのだ。努力しているうちは、自分で言い訳をする余地を作ってしまうが、すると決めたときには、それはすぐにでも習慣になる。」

 バガヴァンは、この俗世で神への信仰を持つことの必要性を強調された。彼は、信仰は人生に良い出来事をもたらすと語られた。信仰を育て、それに則して生きることで、いつも守られることになるのだと。

 彼はそれから、次のように話を発展させた。信仰は自信につながり、自信は人を真理へ導き、真理を得ることは人に平安をもたらし、いったん平安がもたらされれば愛があふれ、愛は至福をもたらし、至福が訪れるときはいつも「神が共にいる」のである。

 スワミはそれから、「賢者とはどんな者だ?」とお尋ねになった。私たちはさまざまに答えたが、スワミは首を横に振られるばかりであった。彼は「賢者とは、その目と耳を常に開けておき、そのかわり常に口を閉ざしている者だ」とおっしゃった。彼は、このことはすべての人々が実践しなければならないと忠告した。

 私たちはスワミに、この国に祝福をお与えになり、平安と繁栄をもたらすようお願いした。スワミは「もちろん、そうなるだろう」とお答えになった。

 彼は、近い将来平和が訪れると付け加え、国内の問題もまた近々解決されるだろうとおっしゃった。さらに、ロシア、中国、日本、パキスタンとインドは親交をお互いに深め、一つの友好関係を持つだろうとおっしゃった。また、インドは、この国の人々が純粋で、勤勉で、忍耐強いために、世界を統率する存在になるだろうとも語られた。

 スワミは、青年たちに、スワミの人生そのものが、自分たちが生きている間に受け取れる一番のメッセージであるから、スワミの人生に倣うようにと諭された。彼はまた、セヴァは識別 をもって行うべきで、セヴァの質は量よりも重要だとおっしゃった。 スワミは、すべての青年は仕事を始めるまでに見通 しを立てておかなくてはならないが、仕事をしている間は現在のことだけを考えてするようにとおっしゃり、過去のことは決して気にしてはならないと語られた。彼は、人間は価値と美徳ある人生を送らなくてはならないと述べられた。

 彼は、ある特定の源から生じたものはすべて最終的にはその源へ帰るものだとおっしゃった。それはつまり、私たちが神から来たので、最終的には神のところへ戻らなくてはならないということである。「だから、困っている人に奉仕することで神に仕えなさい。困っている人の中に神を見いだし、神に仕えるが如く彼らに奉仕しなさい。」

 そしてスワミは、グループを十分に祝福し、すべてのセヴァ プロジェクトを実行するようにとおっしゃった。


 


寄稿:Augusuts Chang





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