●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2002年1月15日   

太陽は優しく穏やかに輝き、
日増しに日が短くなり始める。
冷たい風が荒々しく吹きつけ、
畑は黄金色の実りにあふれる。
農民たちは歓喜して歌う。
つぼみは花開き、 川岸はまるで花環のよう。
農民たちは刈り取ったばかりの実りを持ち帰る。
そして喜びとともに迎える、この嬉しい祭りの日を。

サンクランティ祭

 太陽は、十二宮の各部屋を1年、つまり12ヶ月かけて通過します。太陽が十二宮のそれぞれの部屋に入ることを「サンクラマナ」と呼びます。「クランティ」とは、変化を意味し、「サンクランティ」とは聖なる変化を意味します。ただし、太陽がそれぞれの部屋に入る時、そのすべての時が等しく神聖であると考えられているわけではありません。それでは、「マカラ・サンクラマナ」、つまり太陽がマカラ(山羊座)の室へ入ることは、なぜ特に重要で神聖なのでしょうか? 太陽が十二宮のそれぞれの室に入るという動きの物理的な性格に加えて、マカラ・サンクラマナに関しては、内なる霊的な意義があるのです。

 太陽が山羊座に入るという出来事は、マルガシラの月とプッシャ(訳注:北インドではミをつける)の月の間に起こります。バガヴァット・ギーターの中で、シュリ・クリシュナはこう述べています。「月でいうならば、私はマルガシラの月である」。マルガシラの月は12ヶ月のなかでも王の立場にあるのです。その理由は何でしょうか? 太陽系の惑星の中で、太陽は、それらの惑星を統括する帝です。太陽なくしては、世界における生命の営みは絶えてしまいます。マルガシラの月の間、世界では、生命を支える穀物が豊かに収穫され、人々は喜びを授かります。すべての農家の穀物倉はいっぱいになります。また、この時期の気候は涼しく、心地よいものです。従って、この時期は、穏やかな休息を楽しむのに適した時期です。この時期はまた、人が日々の過酷な労働という重荷から解放され、各自の時間を子供や家畜とともに楽しく過ごすことのできる時期でもあるのです。

 サンクランティ祭は、人が神にその視線を向ける日であると考えるべきです。人生はサトウキビの茎に例えられます。サトウキビの茎が硬くて、節がたくさんあるように、人生もまた困難に満ちています。しかし、ちょうどサトウキビの茎がつぶされて、その搾り汁がジャッガリー(粗黒砂糖)に変えられなくては、砂糖の不変の甘さを楽しむことができないように、神の至福を楽しむためには、人生における困難を乗り越えなくてはなりません。

サティア・サイ・スピークス 25巻第4スピーチ。 聖祭についての神聖なるメッセージ

 

 

寄稿:ラヴィ・クリシュナムルティ
訳:阪東 真実





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