●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2003年6月26日   

スワミが軽い怪我
 ―― サイの帰依者たちはどう対応すべきか?

親愛なるサイ ファミリーの兄弟姉妹と子どもの皆さんへ
サイ ラム

今年は肉体のスワミにとって77歳の年ですが、スワミは96歳の年まで肉体を有するとおっしゃっています。スワミは人間の姿をまとった宇宙の神です。私たちはバガヴァン サイの帰依者となるという大変な幸運に恵まれました。スワミは人生という一時的な逗留とうりゅうにおいて、常に私たちを導いてくださるグルであり、神であり、御者(肉体という馬車の操縦者)であられます。私たちがスワミを崇めるのは、スワミの人生が私たちの人生と深く結びついているからです。

サイは人間の姿をまとって降臨されましたが、その御力には限りがありません。スワミの御講話から引用してみましょう。

「私の力は計り知れません。私の真理は説明できず、理解することもできません。どれほど徹底した調査をしても、どれほど正確に測定しても、私のことはとうていわかりません。私が知らないことはありません。私の知らない道はありません。私に解決できない問題はありません。私は全能です。私は完全であり、すべてなのです」

先週、私たちは思いがけないスワミの「ちょっとした転倒」を聞き及んでショックを受けました。プラシャーンティ評議会の会長であるBro. ゴールドスティン氏から送られてきた「ニュース速報」は以下の通りでした。

「私たちの敬愛するバガヴァン ババ様は、転倒して腰を少々痛められたとのことです。その後ちょっとした外科手術を受けられ、現在は非常によくなりつつあります。担当した医師たちはスワミの回復の速さに驚き喜んでいます。世界中の皆さん、どうかご安心ください。そして、お喜びください。私たちの最愛のスワミはお元気で、ほどなくダルシャンも再開されることでしょう」

スワミはこれまでにも帰依者の病気をご自分で引き受けられたことがあります。通 常、スワミは帰依者の肉体の苦しみを身代わりとなって引き受け、その後、御手を振り動かしてご自身を癒されるのです。

同様に今回も、スワミは救われるに値する帰依者の病気を引き受けられたのかもしれません。けれども私たちには、劇の監督である偉大なる神スワミがどのようにこの新しいドラマの脚本を書かれたのかわかりません。今度御講話が行われたら、スワミご自身の口からこのドラマの脚本について詳細を話していただけることでしょう。

この「ニュースの種」をあれこれと思案する代わりに、スワミが帰依者の病を引き受け、その大いなる慈悲を示されたいくつかの事例を思い起こしてみましょう。これに関しては、ここにいる私たちのだれもが同じように、スワミがいかに奇跡的に私たちの健康問題を解決してくださったかを語るに足る体験をしていますが、ここでは十分な裏付けのあるものを1つ2つ見てみましょう。

カストゥーリ博士の著した『真・善・美』第2巻に載っている「現代のシヴァ シャクティ」と題された第5章は十分に裏づけされたエピソードの1つです。カストゥーリ博士はスワミの肉体が明らかに病んでいた8日間と、その間の帰依者たちの涙と沈鬱ちんうつな表情を、14ページにわたって如実に記述しています。スワミはそのとき「帰依者たちが連れて来たインドの高名な医者たちの医学的治療を受けることを拒む」仕草をなさいました。

カストゥーリ博士の文章を引用しましょう。 スワミは脳血栓の発作を起こされ、1963年6月29日から7月6日までの8日間ベッドに伏せっておられました。スワミの左手、左足、そして両目は冒され、右手も少し麻痺まひしていました。7月6日はグル プールニマの日でしたが、帰依者たちは暗い気持ちでふさぎ込んでいました。数人の帰依者がスワミをお部屋から抱え降ろし、祈祷ホールの銀製のイスに座らせました。スワミはカストゥーリに次のメッセージをアナウンスするよう求めました。

「これはスワミの病気ではありません。ある者を救うためにスワミが身代わりに引き受けた病気なのです。スワミは病気ではありませんし、今後も決して病気にかかることはありません。あなた方は皆、幸せでいなくてはいけません。それだけがスワミを幸せにするのです。あなた方の喜びがスワミの糧なのです」

(Sathya Sai Speaks 旧版より)

それからバガヴァンはご自分の右手で、麻痺した左手と左足に少々水を振りかけられました。そして患部である手足を右手で少しさすったかと思うと、バガヴァンは瞬く間にその病を取り払ったのです。スワミは御講話を始められ、たった今まで沈みきっていた帰依者たちは、安堵と幸福で胸がいっぱいになり感動のあまり絶句していました。

スワミはおっしゃいました。
 拠り所よりどころのない者にとっては、神が拠り所です。まさにそれが、一人の無力なバクタ(帰依者)が被ることになっていた病を私が引き受けなければならなかった理由です。その帰依者はこの病を乗り越えられなかったでしょうし、私が引き受けた4回の心臓発作に耐え抜くこともできなかったでしょう。私のダルマ(義務、本分)はバクタラークシャナ(帰依者を救うこと)です。もちろん、私が助けたいと思った者の病を引き受けたのは、これが最初ではありません。シルディで前の肉体をまとっていたときにも、私はこの責務を引き受けました。これは私のリーラ(神性遊戯)であり、私の本性です。これは、私がそのために降臨した任務の一部なのです」

(Sathyam Shivam Sundaram Part II 旧版より)

「私はこれまでずっと、私に関するある秘密をあなた方に隠してきました。今、それを明らかにすることができるときが来ました。今日は神聖な日です。私はシヴァとシャクティ(シヴァ神とその神妃)の恩寵を勝ち取った聖仙バラドヴァージャのゴートラ(家系)に生まれた、シヴァ‐シャクティなのです」

(Sathyam Shivam Sundaram Part II p88-p89より)

「これはおそらく私が帰依者たちを驚かせ心配させた中で、もっとも長い期間だったでしょう。なぜなら、その帰依者は8日間続くはずだった心臓発作から救われなければならなかったからです。それから、他にもいくつかの理由がありました」

(Sathya Sai Speaks旧版より)

こうして、スワミは御自分の帰依者を救うために、無限の慈悲とティヤーガ(犠牲)を身をもって示してくださったのです。

次に、「Sanathana Sarathi」(SSSBPT発行の月刊誌)の1999年2月号に掲載された1999年1月14日のスワミの御講話を見てみましょう。

このエピソードは1999年1月11日にプッタパルティで行われたスポーツ大会のとき、スタントをした学生たちの怪我けがをスワミがいかに回避され、ご自分の身に引き受けられたかの一部始終を明らかにしています。この「スワミが上演されたドラマ」の中で、スワミは馬車が突然止まったときに転倒し、深く身体を切りました。スワミは、だれ一人スタジアム(スポーツ大会が行われた場所)でその怪我に気づく者がいないよう意志した、とおっしゃっています。しかし、スワミはご自分の痛みを癒すようには「意志」されなかったのです。スワミはこの重傷に伴う苦痛を引き受けられました。だれかが帰依者たちのカルマの結果 に苦しまねばならなかったところに、スワミはそれを自分の身に引き受けることを選ばれたのです。

スワミはおっしゃいます。 「同様に、私はさまざまなときに、学生や帰依者を守るために、彼らの言うに言えない苦しみを自分の身に引き受けます」 「ですから、あの日に起こったことは完全に私の意志によるものでした。私がこのエピソードを話しているのは、私の命令に従う帰依者を守るためなら何でもする、という事実を証言するためです」

どうか、「Sanathana Sarathi」か「Sathya Sai Speaks」に掲載されているこのエピソードのすべてをじっくりと読んでみてください。(邦訳はシュリ サティア サイ出版物刊行センターの「サナザナ サラティ」68号を参照のこと)。そうすれば、スワミこそが、馬車の不慮の横転の筋書きを書いた脚本家であり、また、着ていたローブを引き裂くことなくご自身の肉体に深い切り傷を負わせた脚本家であることに気づくでしょう。スワミはご自身の命令に従う帰依者のために、慈悲とティヤーガ(犠牲)を身をもって示してくださったのです。

今度は、1968年ごろに起こった驚くべき事件を見てみましょう。詳細はJ スマン バブー博士の『Sri Krishna, Sri Sathya Sai』149ページに掲載されています。

アナカパッリでインドステイト銀行の行員をしているサニヤーシ ラージュという帰依者が、妻と娘を連れてスワミに会いにやって来ました。彼の娘はよくてんかんの発作に襲われていました。そのため、彼らはスワミが娘を癒してくださると信じて、娘をスワミの許に連れて来たのです。

サニヤーシ ラージュはスワミのダルシャンを受け、娘の病気について話しました。スワミはそれを聞くと「待ちなさい、待ちなさい」とおっしゃいました。サニヤーシ ラージュは、職場である銀行に2週間の休暇しか願い出ていませんでしたが、スワミは彼の嘆願に注意を払う様子もなく、ただ「待つ」ようにとおっしゃいました。彼はバガヴァンにすべてを委ねていたため、家族と共にスワミのもとに留まりました。1ヶ月を過ぎても、スワミは相変わらず「待ちなさい、待ちなさい」と繰り返し続けました。サニヤーシ ラージュはスワミを無視したくなかったので、職を失うという可能性も受け入れることにしました。2ヶ月待った後、とうとうスワミは彼らをインタヴューに呼び、娘にヴィブーティを物質化して完全に病を癒してくださったのです。

さて、スワミの祝福を受けた後、サニヤーシ ラージュは家に帰り、翌朝、銀行に出勤しました。不意に戻って来たにもかかわらず同僚たちが何の悪い反応も示さなかったので、彼はたいへん驚きました。自分の席もまだ他の行員に奪われていませんでした。突然、小使いの者が、支店長が会いたがっているという伝言を伝えに来ました。最悪の事態を想定しながら支店長に会いに行くと、支店長はただ無言のまま1通 の封筒を彼に手渡しました。サニヤーシ ラージュは自分の机に戻り、最悪の事態を覚悟しながらその手紙の封を切りました。それは彼が昇進したという嬉しい驚きの知らせでした。

彼は友人たちに真実を話しましたが、友人たちの言うことには、自分たちはずっとサニヤーシ ラージュが欠勤せずに仕事をしていたのを見ていたし、昇進は彼が何人かの商人の莫大な不良債権を回収したことへの報酬であるということでした。 こうして、彼は自分がいかに幸運であったかを悟ったのです。スワミが彼の代わりに彼の姿をとって顕れて、昇進できるよう働いてくださったのです。

このエピソードから、スワミは帰依者を助けるためになら何でもしてくださるということがわかります。さらに言えば、スワミのリーラ(神性遊戯)とはそういったものであり、私たちが表面 的に見ているものは、絶対の真理ではないのかもしれません。

帰依者はだれもが、スワミのお部屋に呼ばれ、その蓮華の御足をマッサージしたいと願っています。しかし、この献身的な礼拝を許される人間はほんのわずかです。スワミはどんな仕事においても、どんな助けも必要とされません。けれども、もしその少数の人たちがスワミに選ばれたなら、それは実のところその人が過去生で積んだ功徳がもたらした祝福なのです。

スワミが病で苦しんでいると思われる現在の状況下で、私たち帰依者にはいったい何ができるでしょうか? 私たちはただ、スワミが通 常の状態に戻るよう「意志」されますようにと祈ることができるだけです。そしてそれと同様に大切なことは、この機会にスワミが私たちを助けにきてくださった無数の事例をじっくりと思い起こし、スワミの愛と恩寵に感謝することです。スワミは苦しむ私たちの避難所であり、その苦しみがスワミご自身の戯れによって引き起こされているのなら、今、時期を逸せずにこのように祈ることこそ私たちにできる唯一の事柄です。この件に関して、他の人が想像した作り話に耳を傾けないようにしましょう。それよりも、私たちの人生の御者であるスワミへの完全な信仰をもちましょう。スワミが私たちにそうするようにと力説されていることを思い出しましょう。

「私があなた方一人ひとりに求めるものは、私があなた方に授けたハートであり、その他の贈り物や、より高価な捧げ物ではないのです。私が与えたときと同じくらい清らかで、私が満たしたのと同じくらい愛の甘露に満ち満ちた、あなたのハートを差し出しなさい」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私たちの父なる神そして母なる神であるスワミに、いつも帰依に満ちた純粋な愛を捧げましょう。これだけが唯一私たち自身のものと呼べる贈り物であり、私たちの人生におけるスワミの無限の愛と慈悲と支えに対してスワミにお捧げすべきものなのです。

ジェイ サイ ラム

サティア サイ ソサエティー、シンガポールより

 

翻訳:サティア サイ 出版協会





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