レッディ博士からのビデオメッセージ  :2016年4月24日

アラーダナマホーッツバム

 
     
   2016年7月9日   
 




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  サルヴァルーパ ダラム シャーンタム
  サルヴァナーマ ダラム シヴァム
  サッチダーナンダ マドヴァイタム
  サッティヤム シヴァム スンダラム

サット チット アーナンダ(絶対実在・純粋存在・至福)の化身であり、サッティヤム シヴァム スンダラム(真善美)であり、すべての名とすべての姿を取られながら、同時にあらゆる名と姿を超越されている、私たちの愛する主、バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様の神聖な蓮華の御足に、愛と感謝を込めて、祈りに満ちたお辞儀を捧げます。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、

皆さん全員に、愛を込めてサイ ラムと申し上げます。

これ(アーラーダナ マホーッツァヴァム)は、私たちのために、そして私たちの罪を贖うために、バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様が犠牲にし、私たちに与えてくださったものに対して、私たちの感謝と愛の念を表す特別な機会です。

インドを含めた世界中にいる何百万人ものババの帰依者たち、信奉者たちは、30日間にわたって礼拝したり、御教えを学んだり、奉仕をしたりしながら、集中的に特別な霊性修行「愛のサーダナ」に取り組み、私たちの感謝と愛を表しています。

始めに私は、サイとは誰なのかを思い起こし、続いてサイのメッセージとサイの業績を振り返ってみたいと思います。

スワミは愛の化身です。名前、姿形、属性を超越している神は、私たちの罪を贖うために、甘美な御名を持つ美しい御姿に化身されました。彼は愛の化身です。彼の愛と栄光は、無限であり、計り知れません。月は月光を通してのみ見ることができる、とバガヴァンがおっしゃったように、サイの愛は神の愛を通じてのみ体験できます。

しかし、サイが何者であるのかを思い出すためには、1968年5月17日に行われた御講話を振り返らなければなりません。第一回世界大会が行われたこの日、スワミは、この人間の姿の中に、あらゆる神の御名と御姿と属性が顕現している、とおっしゃいました。どんな疑念も私たちを迷わせることはありません。

この御講話の中でスワミが与えてくださった二つ目の深遠なメッセージは、誰であろうとも、どんな探究法を使ったとしても、たとえ全人類が何千年もの間一致団結したとしても、サイのリアリティーを理解できる者は一人もいない、ということです。

しかし私たちは皆、サイの愛を体験し、サイの愛を享受し、そこから恩恵を受け取ることができています。

サイが与えてくださった第三の重要なメッセージは、人生のゴールにたどり着く唯一の道は、サイの神聖な命令を忠実に暗黙のうちに実践することである、ということです。

もう一つ、私たちが思い出さなければならない重要なことは、1947年5月27日に、スワミがご自分の兄に宛てて書かれた手紙です。これは兄からの手紙の返事として書かれましたが、興味深いことに、スワミはすべての帰依者に宛てて、とおっしゃっています。ですから、これは私たち全員のためのメッセージなのです。そこには、私たちが思い起こすべき重要なポイントが二つ書かれています。スワミは、自分は私たち全員に至福を授けるために来た、とおっしゃっています。至福、アーナンダです。次に、人類の嘆きと苦しみを取り除くために来た、とおっしゃっています。これが、サイが明かされたご自分の使命です。

この壮大な使命は、現在、インドを含む世界123か国で、さまざまな機関により、さまざまなやり方で、表されています。

スワミは初等教育から博士課程まである教育機関を設立されました。そこでは教育が無償で提供されており、学力だけでなく、人格の卓越性も重視されています。これらの教育機関の卒業生たちは、模範的市民となり、愛と光を灯す灯台となっています。同じように、世界中にはたくさんのサティヤ サイ スクールや教育協会やヒューマン バリューズ教育プログラム(SSEHV)があり、サティヤ サイ教育を広めています。

加えて、バガヴァンは、一次医療から二次医療、専門医療に至るまで完全に無償で愛と慈悲をもって提供される医療機関も設立されました。これらの機関では、最新式の医療が無償で提供されているだけでなく、予防医療も重視されています。インドでは、初めに設立された総合病院(ジェネラル ホスピタル)と、その後設立された特別専門病院(スーパー スペシャルティ ホスピタル)が運営されており、特別専門病院では神経外科や心臓外科などの複雑な手術も、完全に無償で提供されています。これに影響を受けて、世界の多くの国々では、医療キャンプ、診療所、移動病院、健康教育などの形でボランティアによる医療奉仕が行われています。

これに加えてバガヴァンは、たくさんの人道的奉仕プログラムや地域奉仕プロジェクトを始められました。そしてそれに影響を受けて、世界中で、生活困窮者にシェルターや衣服や食事を提供するなど多くのプログラムが実施されるようになったのです。

また、さらに重要なのは、それまで水を入手することのできなかった何百万人という人々に、持ち運び可能な形で水が提供されているということです。これはインドで始まりました。これに影響を受けて、私たちもアフリカ、エルサルバドル、インドネシア、その他、世界のさまざまな場所で、さまざまなプロジェクトを行っています。

もう一つ、バガヴァンが人類に与えてくださった素晴らしい贈り物は、サティヤ サイ オーガニゼーション(SSO)です。インドのサティヤ サイ セヴァ オーガニゼーション(SSSO)とサティヤ サイ国際オーガニゼーション(SSIO)は、スワミから明確なご指示をいただいてきました。このオーガニゼーションの目的は、私たちの真の本質、私たちが生まれつき持っている神性に目覚めさせ、私たちが神聖な愛の化身であること、神聖なアートマの化身であることに気付かせることです。私たちがそれを実践しなければならないことを示されるために、スワミは降臨されました。

現在のところ、私たちの多くが、2011年4月24日を、スワミが肉体を離れられた日として、美しい神の御姿という照覧者を失ったという悲しみをもって思い出していることを、私は知っています。

しかし、私も、そして皆さん全員も、サイはどこにも行かれない、ということを思い出しましょう。なぜなら サイは私たちの永遠の同伴者だからです。サイは私たちと共にいました。サイは私たちと共にいます。そしてサイは私たちと共にいるでしょう。

昨年私は、プレ世界大会のために世界中を旅しました。プレ世界大会は合計18回行われました。私たちは、たくさんの帰依者たちが、今もなおバガヴァンの存在を、サイの愛を、サイの導きを体験しているという素晴らしい体験を分かち合うのを目の当たりにしました。ですから、サイは今この時にも、私たちと共にいらっしゃるということを、いつも覚えておきましょう。

主クリシュナはギーターの中で、「アヴァジャーナンティ マム ムダ マヌシーム タヌム アースリタム パラム バーヴァム アジャーナント マナ ブータ マヘーシュワラム」(これらの無知な人間たちは、私もまた人間であると考えている。彼らは私のすべてに遍満する神聖な本質、すなわち至高の神に思い至らないであろう)と語りました。同様にスワミはたくさんの御講話の中で「自分は肉体に限定されるものではなく、すべてに遍満する実在である」とおっしゃってきました。しかし、無知の中にいる私たちはときに、執着のゆえに、その真実を忘れています。そうです。私たちはこの美しい御姿と甘美な御名を愛しています。しかし、サイは根源的なすべてに遍満する実在であり、私たちと共に常に永遠に存在しているのだということを思い出しましょう。

この素晴らしい神の愛は、どのようにしたら体験できるのでしょうか? 先ほど申し上げたように、スワミは、私たちは月光を通じてのみ月を見ることができる、とおっしゃいました。同様に、神の愛は神の愛を通じてのみ体験することができるのです。

スワミは、非常に実際的な神聖グルであり、私たちにその方法を示してくださっています。スワミは、ヒューマン バリューズ(人間的価値)を実践するよう教えてくださいました。スワミはそれをEHVすなわちヒューマン バリューズ教育(人格形成教育)と名付けられました。3HV(スリー エイチ ヴィー)とおっしゃることもあります。それは、三つのH、すなわちHead(頭)、Heart(ハート)、Hand(手)を発展させることです。私たちSSIOに霊性、教育、奉仕という三つの部門があるのはそのためです。私たちが30日間にわたる「愛のサーダナ」において、頭、ハート、手という三つの側面をすべて強調したのは、それが理由です。

例えば、手はどのようにして使われるべきでしょうか?スワミは「奉仕する手は、祈る唇よりも尊い」とおっしゃっています。スワミは、私たちが無私の奉仕に従事することを望まれています。それゆえ、世界中の帰依者とボランティアは常時さまざまな奉仕プロジェクトに携わっているのです。

しかし、この見解の中で、私たちはスワミが与えてくださった二つの重要なメッセージを思い起こさなければなりません。

一つ目のメッセージは、奉仕とは、奉仕は神によるものであり、神に対するものであり、神を称えるためのものであるということを、最終的に私たちが悟るためのプロセスであるということです。このプロセスの中で、私たちは自分が本当に、他の誰でもなく神に奉仕しているのだということを悟ります。ナーラーヤナ セヴァ(神に奉仕する)という言葉が使われているのはそのためです。私は、主イエスがおっしゃった「困っている兄弟に奉仕をしているとき、あなたは私に奉仕しているのである」という御言葉を思い出します。ですから、私たちは「神に」奉仕しているのです。私たちは、自分が奉仕をしているとき、自分は神に奉仕しているのだということを、はっきりと思い出さなければなりません。

二つ目の奉仕の重要な側面は、それがボランティア(自発的に行うこと)であるということです。それは自分自身を変容させていることを意味する「スワヤムセヴァ(自分自身のセヴァ)」と呼ばれます。奉仕は、他の人のためにするのではありません。奉仕の目的は、私たち自身が変容することです。奉仕をすればするほど、私たちのエゴや執着やプライドは減っていくはずです。奉仕をした後に私たちの中に生じる深刻な欠点は、他の人の中に過ちを見出すことです。霊性求道者にとっての大きな障害は、他の人のあら捜しをする批判です。スワミは、「あなたが他の人の欠点を見出したときはいつでも、実際のところは、あなたが悪いカルマを背負い、善いカルマを失うことになる」とおっしゃっています。ですから、決して、一方的な偏った判断をしたり、批判的になったり、他人のあら捜しをしたりしないように、常に心得ておきましょう。

次に、ハートを発展させる、豊かにすることです。スワミは、これは非常に重要なことである、とおっしゃっています。私たちのハートは愛で満たされているべきです。ですからスワミは「拡がることが私の人生である」とおっしゃいました。心を豊かにする方法として、スワミはナーマスマラナ(神の御名を思い起こすこと)を重視されています。私たちがジャパやバジャンを行うのは、そのためです。また、ディヤーナ(瞑想)を行うのも、私たちがリアリティー(実在)に触れるためです。

これらの信愛の修行を実際に行うと、私たちのハートが純粋になることがわかるでしょう。スワミは「純粋さは悟りである」とおっしゃいます。私たちが純粋になる瞬間、私たちは悟りに達します。そのため主イエスは「心の清い人たちは幸いである。彼らは神を見るであろう」とおっしゃったのです。

私たちが信愛(帰依心)を発展させた証は、否定的な性質が取り除かれていることです。スワミは「カーマ〔欲望〕、クローダ〔怒り〕、ローバ〔貪欲〕、モーハ〔執着〕、マダ〔自惚れ〕、マーッツァルヤ〔嫉妬〕を手放さなければならない」とおっしゃっています。スワミがおっしゃるには、偉大な学者であり、シヴァ神の帰依者であり、ヴェーダに精通していたラーヴァナは、ただ誤った欲望を持っていたために、強欲であったがために、滅ぼされてしまったのです。ドゥルヨーダナは強大な権力を持っていましたが、怒りを持っていたために、滅ぼされました。ヒランニャカシプは、スワミがおっしゃるには、史上最高の科学者の一人で、三つの世界すべてを征服しましたが、彼もまた滅ぼされました。

ここで、私たち自身の状態を見てみましょう。私たちは、欲望、怒り、強欲の三つをすべて信じ込んでいます。ですから私たちはこれらの敵に本当に警戒しなくてはなりません。

そしてそれよりも重要なのは、最後のマーッツァルア、嫉妬です。スワミは「神は遍在です。嫉妬もまた遍在です」とおっしゃっています。私たちは常に気を付けていなければなりません。スワミは嫉妬を、根に取り付いて一日で根をだめにしてしまい、大木でさえも倒してしまう虫になぞらえています。それゆえ私たちは、これらの性質を手離すよう、気を付けましょう。

次は、教育のプロセスです。スワミは「深く神性な教えを学ぶことよりも大切なのは、それを実践に移すことです」とおっしゃっています。スワミの言葉はすべてマントラのようです。スワミの文章すべては金言のようです。スワミとの対話はすべてギーターのようです。スワミの御講話すべてはヴェーダのようです。スワミの御言葉、スワミの御教えは、あらゆる聖典の真髄です。私たちがすべきことは、それらを深め、実践することに時間を割くことです。

幸運なことに、サイは他に前例のないアヴァターで、サイの音声や映像が記録に残っており、御講話は「サティヤ サイ スピークス」で、著書は「ヴァーヒニー」シリーズで読むことができますし、そのうちのいくつかは電子書籍にもなっています。

そのため、私は皆さんに「愛のサーダナ」プログラムの一環として、サイ文献を毎日読み、サイの御教えを吸収することを、お勧めします。私たちがこれを行い、実践すると、霊性の四分の三は探究であることがわかります。「私は何者なのか」と自問自答すると、そこにはただ一つの実在だけがあり、他には何もないことに気付くでしょう。それが神です。

スワミは「一体性は神です」とおっしゃっています。私たちは一体性を体験する必要があります。さまざまなレベルでの一体性です。個人レベルの一体性では、私たちは、思いと言葉と行動の一体性を体現しなければなりません。次は家族レベルでの一体性です。それから、組織の中での一体性。さらに重要なのは地球全体の一体性です。スワミは「国は多いが地球は一つ。星は多いが空は一つ。器官は多いが肉体は一つ。生き物は多いが息吹は一つ。花は多いが礼拝は一つ」と美しい言葉でおっしゃっています。私たちはその御言葉を完全に理解しなければなりません。多様性の中に一体性を見出すよう努めましょう。スワミは、テルグ語の詩の中で、このようにおっしゃっています。「私は一つの文章をあなたに伝えようとしている。あなたに悟ってほしいのは、あらゆるヴェーダーンタの真髄。ただ一つの神聖原理。生きとし生けるものすべての中に存在するアートマ。いったんそれを理解すれば、私たちは人生の目的を理解するのだ。」

私たちが自分の頭とハートと手を発達させながら、EHV、ヒューマン バリューズ教育のさまざまな側面を実践していることは、どのようにしたらわかるのでしょうか? スワミは、「ジャナカ王の手と、仏陀のハートと、シャカンラの頭脳を持ちなさい」とおっしゃいます。私たちがそれを手に入れたとき、人生の目的地に到着します。二つの兆候によって、それがわかります。

一つ目の兆候は、私たちが霊的に進歩すると、恐れを抱かなくなる、ということです。スワミはテルグ語の詩の中でこうおっしゃっています。「生まれてから死ぬまで、人は恐怖に満ちている。家を失う恐怖。財産を失う恐怖。美しさを失う恐怖。若さを失う恐怖。家族や友人、愛する者を失う恐怖。そして最終的には命を失う恐怖、すなわち死の恐怖である。」ですから人生全体が恐怖に満ちているのです。しかし、神が私たちと共にあれば、私たちに恐れはなくなります。それが、心から霊性を志す者のしるしです。恐れのないことをアバヤと言います。あらゆるアヴァター、あらうる神の化身が、一つの手で「恐れるな」を意味するアバヤハスタ(施無畏印)をし、もう一つの手で信者の願い事を叶えるヴァラダハスタ(与願印)をしているのはそのためです。しかしこの他に類を見ないアヴァターであるスワミは、両手でアバヤハスタをなさって、私たちに恐れを持たないよう教えていらっしゃるのです。スワミの御言葉を引用した有名な歌「Why Fear When I am Here(私がここにいるのに、なぜ恐れるのか?)」もあります。ですから、私たちは恐れてはなりません。なぜなら、サイはいつも私たちと共にいらっしゃるからです。サイが私たちの側にいる限り、悪いことは何も起こりません。「私はあなた方の上に、あなた方の下に、あなた方の前に、あなた方の後ろに、あなた方の中に、あなた方の外にいます」とスワミがおっしゃるのはそのためです。このことを確信しましょう。恐れないようにしましょう。サイはいつも私たちと共にあります。

二つ目の兆候は平安です。雨が降った証拠は、地面が濡れているかどうかです。同じように、私たちの霊性修行の証は、平安があるかどうかです。スワミはプッタパルティにある聖地をプラシャーンティ ニラヤムと名付けられました。シャーンティ ニラヤム(平安の住居)ではなく、プラシャーンティ ニラヤム(至高の平安の住居)と名付けられたのです。スワミは特別な意味でこの言葉を使っていらっしゃいます。他に邪魔されたり、かき乱されたりすることのない平安という意味です。その他の平安は来ては去りますが、至高の平安であるプラシャーンティは、いつまでも変わることなく永遠に続きます。私たちが目指すべきは、プッタパルティにあるプラシャーンティ ニラヤムという美しい場所です。そこで私たちは自分の霊性バッテリーに充電をします。スワミはあるとき私たちにこうおっしゃいました。「私たちすべてのハートがプラシャーンティ ニラヤムになるべきである」と。私たちは、この至高の平安の住居という寺院を歩いているうちに、平安を楽しむだけでなく、自分の周囲に平安の光を放つようになるでしょう。

バガヴァンが私たち全員を祝福してくださいますようお祈りします。私たちがハートと心(マインド)と魂と力のすべてを使って神を愛することができますように。私たちが自分は神の化身であることを悟ることができますように。私たちは神なる愛の化身であり、神聖アートマの化身なのです。

ご清聴ありがとうございました。ジェイ サイ ラム。




 

 

 
     

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