プラシャーンティ評議会
会長マイケルG.ゴールドスティン
 
     
 

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、

サイ ラム!

私たちの愛するバガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ、私たちの最愛のスワミは、治療に当たっていた医師団の報告によれば、今朝方2011年4月24日午前7時40分に、心肺機能不全のために、肉体を離れることをお選びになりました。私たちは愛するスワミを失ったことを深く悲しんでいます。神の愛の化身は、この聖なる復活祭の日曜日に、死からの聖なる蘇りのこの日に、私たちの元をお離れになりました。私たちは、私たちが生涯を通じて経験することの中の最大の損失を悼みます。

誰が何を書き、何を話しても、いかなる言葉も、完全に私たちの悲しみを癒したり、将来に対する私たちの不安を和らげたりすることはできません。私たちは、肉体のスワミを失ったことを嘆きながら、残りの人生のすべてを無駄に過ごすことも考えられますが、それでは何も成し遂げることができません。また私たちは、すべてを成し遂げることもできます。それは、私たちの人生をスワミに捧げ、無私の愛と奉仕というスワミの聖なるメッセージのために捧げて、スワミがお定めになった私たちの霊的運命を成就することです。今まで、スワミは私たちの霊的ハートの中と、私たちの愛するスワミとしての御姿の中に住んでいらっしゃいました。スワミは今、主の中の主、バガヴァン シュリ サティヤ サイババとして、私たちの霊的ハートの中だけにお住まいです。今私たちは、スワミの愛を体験するために、内を向かなければなりません。

いたずらで気まぐれな私たちの心は、こうした厳粛な瞬間に大混乱を引き起こします。心は問いかけますがそれは徒労に終わります。心は私たちを当惑させ、不安にします。私たちのハートこそが答えを与えます。ハートは私たちを慰め、啓発します。

多くの場所で同じような疑問が発せられています。

どうしてスワミは今、私たちを置いて行かれたのでしょう? 私たちは、スワミがあと10年一緒にいて下さると思っていました。

実際、ヒンドゥー教徒やその他の人々が使っている太陰暦によると、スワミは85歳ではなく、95歳まで生きたことになります(「肉体を去ったときスワミは何歳だったのか」参照)。おそらくスワミは、私たちが期待していたよりも早く他界されたのでありましょう。しかしながら、私たちの愛するバガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様は、御自身がまとっていらっしゃった肉体の死に制限されることはありませんし、時間による制約もお受けになりません。スワミは、永遠に私たちと共にあり続けます。

いつもスワミがそこにいて下さるという安心感が得られないまま、自分自身の裁量に任されたとすれば、私たちは何をするでしょうか? スワミは、私たちの無私の愛と英知の源であり、人生におけるすべての辛酸における頼みの綱ではなかったでしょうか?

スワミはこれまでいつもそこにいて下さいましたし、これからも、いつもそこにい続けて下さいます! 私たちが小さかった頃に、父母が私たちを守ってくれたように、スワミは若い人から老いた人にいたるまで、私たち全員にとって、聖なる保護者でいてくださいました。「そこにいる」とは、必要があるときはいつでもまたどこでも、私たちが頼ることができるということです。スワミは私たちの霊的ハートの中に住んでいらっしゃいます。どんなときでも、どんな場所でも、私たちがスワミを必要とするときは、スワミは私たち一人ひとり、全員のために「いつでもそこにいてくださいます」。

私が最後にスワミとお話ができたとき、その直前まで私は頭がいっぱいでした。スワミは突然私をお呼びになり、近くに来るようにとおっしゃいました。スワミは、手を伸ばして私の手を取り、その手を優しく撫でて下さいました。そして愛を込めて微笑んで、大変優しく「あなたのハートの中には恐れがあります」とおっしゃいました。私は神の愛によって、母であり父である神の愛によって、深い安心を覚えました。私はババ様の御手と御足に繰り返し何度も接吻をしました。私は溢れんばかりの子供の喜びを感じました。一瞬の間、私は若さと無邪気さを取り戻しました。スワミの甘い言葉と優しい愛撫は、私が抱いていたに違いないあらゆる恐れを溶かし、代わりに高揚感と若返りの感覚をもたらしました。スワミはいつも私たちのためにそこにいて下さることでしょう。スワミは私たちの母であり父である神でいらっしゃいます。これは変わっておりません。それは常にそうであり続けます。これは時間の影響を受けず、スワミの肉体が生命を失っても変わることがありません。

スワミの帰依者としての私たち一人ひとりに、また霊的団体としての私たち全員に、どのような未来が待っているのでしょうか? どうすればシュリ サティヤ サイ オーガニゼーションが存在することができるでしょうか? もしスワミが私たちの間に生きていらっしゃって私たちを啓発し、私たちが道を誤った時に正して下さるのでなければ、私たちはどのように団結することができるのでしょうか?

「私がここにいるのに何を恐れるのですか?」と私たちの愛するスワミは宣言されました。スワミは、これまでいつもそうであったように、これからも引き続き、私たちの霊的ハートの中に、内在の神として存在し続けます。「ここ」にいるとは、スワミが霊的に存在していらっしゃることであって、スワミの肉体がいらっしゃるということではありません。スワミはいつも「ここ」にいらっしゃいます。このことは変わっていません。「ここ」はすべての場所であり、それは時間を超えています。「ここ」は、私たち自身のハートの中で、私たち一人ひとりが誰でも行くことができるところです。スワミと共に今「ここ」にいるためには、私たちは恐れではなく信仰を選ばなければなりません。

スワミは、私たちがこの人間としての人生をどのように生きるべきかを示すために降臨されました。スワミはすべての人々の心とハートの中に、良心と無私の愛を呼び覚ますために降臨されました。すべてを愛し、すべてに奉仕すること。常に助け、決して傷つけないこと。シュリ サティヤ サイ オーガニゼーションは、スワミが下さったこれらの霊的原理を基盤としています。私たちは間違いなく精進を続けます。

私が、最近の手紙で皆さんにお送りした世界大会の決議事項をスワミにお見せして、承認と御指導を仰いだとき、スワミはお見せしたすべての内容を承認して下さいました。私がお見せした内容のすべては、皆さんの世界大会のスタディー サークルの発言や結論に関する報告書に基づいたものでした。ですから、その提案をスワミが承認して下さったことは、皆さんの真剣な検討と、シュリ サティヤ サイ オーガニゼーションをより良いものにしようという誠実な願いとを、スワミが承認して下さったことにほかなりません。私たちは間違いなく、最愛のスワミが気持ちよく承認下さったこれらの決議事項を守ることでしょう。すでに、すべての国に適用できる普遍的なガイドラインの草案を作るために一つの委員会が任命されて作業が始められ、7月の世界青年大会のプログラム案が提出され、それ以外のすべての決議事項の検討が始まっています。

国際シュリ サティヤ サイ オーガニゼーションが、引き続き世界において無私の愛と奉仕の燈台であり続けるように、心からその活動を支え、私たちの愛と信仰と最善の努力を傾注することは、私たちの神聖な務めであります。それは、全人類のために私たちが捧げる、私たちの愛するバガヴァン ババの、私たちの最愛のスワミの霊的遺産に対する貢献です。

私たちは、霊的な確信を持って私たちのハートに耳を傾けなければなりません。私のハートは、人類に対するスワミの教訓は決して忘れられたり捨てられたりすることはないと、私に教えています。私のハートは、私たちの霊的生活と、私たちの崇高な行動と、私たちの無私の愛が、私たちの間にスワミがいらっしゃることを示す価値ある証となることを、私に教えています。

主の中の主、バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ、母であり父である神、最愛のスワミ、私たちがいつも揺るぎなくあなたを愛し、いつもひるむことなくあなたに従い、いつも私たちのハートの奥にあなたを見出すことができますように。

サイの奉仕のうちに愛を込めて
マイケル ゴールドスティン

(2011年4月24日)
http://www.sathyasai.org/swamihealth/goldstein110425.html

 

 
     

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