プレーマ・サイ
 
     
 

サティヤ・サイ・ババは、ご自身を三つ組の化身のうちの二番目の化身であるとおっしゃっています。一番目の化身はシルディ・サイ・ババで、三番目はプレーマ・サイ・ババです。以下、プレーマ・サイ・ババのものとして知られている情報を出典と共に記します。

プレーマ・サイについてのサティヤ・サイ・ババによる最初の言及は、1963年7月6日のシヴァ シャクティの御講話にあります。バラドワージャが供犠を行った後にシヴァとシャクティと交わした会話の中で、シヴァはこう述べています。

「シヴァとシャクティが人の姿をとってバラドワージャ・ゴートラに三度降誕する。シヴァのみがシルディ・サイ・ババとして、シヴァとシャクティが一緒になってプッタパルティにサティヤ・サイ・ババとして、シャクティのみが後にプレーマ・サイとして降誕する。」

プレーマ・サイについてのさらなる情報

サティヤ・サイ・ババは、1960年9月9日の御講話(Sathya Sai Speaks Vol.1)で、次のようにおっしゃいました。

「私は、この死にゆく人間の姿にあと59年留まり〔注:現在では、スワミはこれを太陰年でおっしゃったのだと考えられています〕、このアヴァターの目的を必ず果たします。このことを疑ってはいけません。あなた方に関しては、私は私のペースで私の計画を遂行します。私はあなた方がせきたてるからといって急ぐことはできません。時として、いっぺんに10のことを成し遂げることができるまで、私は待つかもしれません。ちょうど、一台の車を運ぶためには貨車のエンジンはかけず、馬力に見合うだけの十分な貨物が積まれるまで待つのと同じです。けれども、私の言葉は決して裏切りません。それは私が意志したときに起こらなければならないのです。」

さまざまなサイの帰依者が、自らの著書でプレーマ・サイについて言及しており、インタビュー等でこうおっしゃったといったようなことを述べています。そのいくつかを次にあげますが、そうした情報の中には一致を見ないものもあります。それらを読んだ後、これは正しい、あれは間違っている、といったことは考えずに、ただ、何が起こるかを目にするまでお待ちになることを提案いたします。物事は、しかるべき時に、しかるべき方法で、展開するでしょう。時機を待ちましょう。そして、待っている間は、スワミの不確実性を楽しみましょう!

しばしば私たちは、プレーマ・サイはサティヤ・サイ・ババが去った8年後に生まれるであろう、サティヤ サイ ババが去るのはご自身が96歳の時であろう、といったことを耳にしていました。 ドクター・S・P・ルヘーラ著 "The Sai Trinity"(Taring paperbacks, Vikas Publishing House Pvt Ltd刊、ニューデリー、1997年)の中で、著者は、サティヤ・サイ・ババは時おり近しい帰依者たちに少しばかり情報を明かしており、プレーマ・サイはサイ・ババが肉体を去ってから8年ほど後にカルナータカに生まれるだろうとサイ・ババが予言したと、言明しています。

ハワード・マーフェットは自著"Sai Baba, Invitation to Glory"第四章において、次のように述べています。

「最後にサティヤ・サイは語った。プレーマ・サイが現れる、プレーマ・サイはサティヤ・サイの姿が去ってから1年後に、カルナータカ(旧マイソール州)に、バンガロールとマイソール市の間の場所に、生まれるだろう、と。」

"Living Divinity"(邦題『大神格サイババアバター』)16ページに、著者のシャクンタラ・バルーはこう書いています。

「シュリ・サティヤ・サイ・ババは述べている。もう一人、プレーマ・サイというサイ・アヴァターラが現れるだろう、その三人目のサイは、グナパルティという、カルナータカのマンディヤ県の村に生まれるだろう、と。このように、シュリ・サティヤ・サイ・ババは自らの過去のみならず、プレーマ・サイとして身をまとう未来の姿についても言及している。」

ペギー・メイソンとロン・レインによる"Sathya Sai Baba, The Embodiment of Love"(邦題『サイババは世界の危機を救う』)の中で、著者は自分たちがプレーマ・サイに関して論じたときのことを記しています。

「プレーマ・サイとしての次の降臨は、今の御姿が96歳で退かれた後すぐになされることになっているが、それは女性なのだろうかと私たちは考えた。ババは答えた。"ノー、男性、マイソール――カルナータカ"と。(1972年からマイソール州はカルナータカと呼ばれるようになった)。」

"In Glimpses of the Divine: Working with the Teachings of Sai Baba"(1993年)で、著者のブリジット・ロドリゲスはこう書いています。

「ここ数年の学生たちとの個人的な話の中で、ババは学生に、プレーマ・サイとしての次の化身の父親はすでに南インドのカルナータカ州に生まれていると語った。またババは、プレーマ・サイの体は形成過程にあるとも語った。」

三つ組みの化身の使命

サム・サンドワイス著"Spirit and the Mind"の中で、著者は、サティヤ・サイ・ババが1976年9月にBlitzニュー・マガジンの編集主任であったR.K.カランジャ氏に与えた長いインタビューの詳細を記しています。

質問:
なぜ、今回の仕事は、シルディ・ババ、サティヤ・ババ、プレーマ・ババという三人の別々の化身に分配されなければならなかったのですか?

ババ:
彼らは別々ではありません。私はすでに、この使命の最終的な目的における彼らの完全なる唯一性に言及しました。彼らに必要な仕事と力は、時と状況と環境に応じて違ってきます。しかし、彼らは同一の神聖な体(ダルマの化身)に属し、同一の神聖な体に由来するのです。

前のアヴァター、シルディ・ババは、世俗的な統合のための基盤を築き、仕事としての義務というメッセージを人類に与えました。

今のアヴァターの使命は、同一の神、すなわち神性が万人に宿っているということを、万人に気づかせることです。人は、肌の色や宗派にかかわりなく、互いを敬い、愛し、助け合うべきです。そうすれば、あらゆる仕事は礼拝のための一つの方法となり得るのです。

最終的に、第三のアヴァター、プレーマ・サイは、神が万人の内に宿っているということのみならず、万人は神であるという福音を広めるでしょう。それは究極の英知であり、それがすべての男女を神へと進ませることでしょう。

三人のアヴァターは、仕事・礼拝・英知という三つ組みのメッセージを携えているのです」
〔仕事・礼拝・英知(Work・Worship・Wisdom)は、言い換えるなら、カルマ・バクティ・グニャーナ、すなわち、行為・信愛・英知であり、奉仕・霊性・教育にあてはまる〕

ヒスロップの変わりゆく指輪

ジョン・ヒスロップ博士の"My Baba and I"55〜56ページにおいて、ヒスロップ博士はスワミがヒスロップ博士に物質化したプレーマ・サイの付いた指輪について書いています。その指輪のプレーマ・サイの姿は、実に、年を追うごとに変化しました。ヒスロップ博士はこう書いています。

「その石は、プレーマ・サイ、すなわち、愛する創造主であるサティヤ・サイ・ババの肉体の死から数年後に地上に現れる運命にある御方のカメオでした。それは茶色がかった石で、大変光沢があり、そこに横顔が掘られていたのですが、鼻筋とその長さは見てわかり、それと共に左目のアーチがかすかに示されていました。気品があり、肩の長さの髪と、口ひげと顎ひげがありました。蓮の花の上に横たわっている、あるいは、蓮の花から顕現しつつあるかのようなお顔でした。表情は穏やかで、平安で、威厳がありました。
ババはおっしゃいました。"彼は今、生まれる過程にあり、そのため、これ以上見せることはできません。彼が世に示されたのはこれが初めてです"と。

(中略)

どこにいっても、帰依者たちは私に指輪を見せて欲しいと言ってきますが、前に指輪を見た帰依者たちが一年かそこいら経ってからまた指輪を見て、驚くようなことを言いました。"顔の向きが変わってきている。今では鼻全体が見える"と言ったのです。
私の返答はいつも、実は、自分には変化がわからない、というものでした。帰依者たちは、"あなたは毎日見ているから気づかないのでしょう"と言いました。

(中略)

1980年のある日、私が帰依者の会合で指輪を見せていたときのことです。私はよく注意して指輪を見てみました。衝撃が走りました。"違う! 変わっている!"と。
今では、鼻全体があり、それははっきりと見てとれます。最初、鼻全体は見えなかったのですが――あるいは、鼻は石の縁とつながっていて完全には見えなかった、とでも言ったほうがいいかもしれません。今、鼻と石の縁の間にはスペースがあります。さらには、左目の一部も見えます。左の頬の一部もです」

http://www.sathyasai.org/intro/premasai.htm

 

 

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