ロンドンに基盤を置き、医療キャンプとセバを行いながら
世界中を回っている眼科医のウパディヤーイ博士の体験

 私が6ヶ月前に体験したお話しをしたいと思います。それは、変容と呼ばれるものです。如何にしてスワミが帰依者の本性を変えるかという素晴らしいお話しです。それは一つづつ変えられていきます。西洋は変容の時期を迎えております。スワミは変容が極めて難しい人達を自分のそばに引き寄せております。

  私たちの国(イギリス)には非常に頑固な人がいます。その人の名はエリック アーノット(Eric Arnott)といいます。彼は私の教授で、私は彼の下で過去22年間働いております。彼は眼科医学のトップの教授で、眼科に関しては世界的な第1人者です。過去2〜3年の間、彼はよく「さあ、インドに行こう、いつシングババ(Sing Baba)に会えるかね?」と私に言っていましたが、彼は正しく「サイババ(Sai Baba)」と発音することさえもできなかったのです。こんな時、私は「まだ、あなたの行く時期が来ていません」と答えていました。しかし、私としては彼に何時か是非サイババに会って欲しいと願っていました。というのは、彼は私の先生であり、彼が私に素晴らしい眼科手術の技術を教えてくれ、私はスワミの御慈悲によりこの素晴らしい技術を非常に貧しい国々にもたらすことができ、彼には借りがあったからです。 私はヒマラヤとか、砂漠とか、気温がマイナス28〜30℃まで下がるとても寒いところへも行きました。そして、それらの地域で人々の視力を回復させることができるということは素晴らしいことです。彼らは、手術後目を開けると、今まで閉ざされていた神の素晴らしい贈り物である自然を見ることができたのです。彼らは手術後、最初に包帯を外した時に神の存在を完全に信じます。従って、私は教授が何時かサイババに会うべきだと心の中で強く願っておりました。しかし彼はサイババのアシュラムについてとんでもない考えを持っていました。彼はそれをバチカンのように思っていました。即ち、彼がそこへ行けば直ぐに法王と会見し、法王の側に座って法王と話ができると思っていました。彼は世界中の多くの聖職者や重要人物の手術をしており、彼が行くところは何処でも彼のために赤い絨毯が敷かれ、大いなる敬意をもって扱われていました。そして、これがサイババと会うときに彼が期待していたことです。従って、私が彼に、「そうじゃない、全く違うんだ」と伝えることはとても難しいことでした。

 去年、「ケアー アンド シェアー国際調査基金」の援助のもと、私たちは、手術後に直ぐに視力を与えることができる素晴らしい機械を入手し、スワミはそれをお受け下さいました。それは貧しい人達にとって大きな恩恵をもたらすものです。その機械は、白内障の手術を受けた人が、その日のうちに車を運転して職場に戻って働くことができるように、西洋において発明されたのであります。しかし、スワミはそれとは全く異なる考えで、その機械を貧しい人達のために使いたいと考えました。スワミの考えは、白内障の手術後は通 常の場合、3日〜4日間病院に入院しなければならず、すぐに働く必要がある貧しい人でも1週間〜10日間はきつい仕事につくことは許されませんでした。このことは、その家族はその間、パンとバターを買うことができないことを意味していたのです。この素晴らしい機械でこれを解決するのがスワミのアイディアでした。その機械は「レガシー2000」と呼ばれました。

 そして、この機械はプラシャンティ ニラヤム(サイババの霊的修道場)に7月に届く予定だったのですが、ある不具合が生じてその機械が予定通 りに届かなかったことからスワミのドラマが始まったのでした。その時、その機械を受け取って操作をするためにプッタパルティ(サイババの住まわれている場所)に滞在していた私たちのチームは、スワミが「いや、その機械はここには来ません。国に帰って11月に戻ってきなさい」と言われたので、帰国せざるを得なくなりました。そのとき、私が「スワミ、機械はこちらに向かっています。間違いなく来ます。」と言うと、スワミは「私はよく知っている。間違いなく来ない」と言われました。私は、1日、2日、3日、4日と待ちましたが、何も起こりませんでした。そして私たちは帰国せざるを得ませんでした。スワミは一番よくご存知です。私たちが帰国すると、アメリカから送られたその機械はイギリスに渡り、イギリスからベルギーに行き、ベルギーで立ち往生し、最終的にインドに着いたのは10月でした。

 そして、その時までにスワミはエリック アーノットの祈りを聞き届けられ、私たちがスワミに誰が行くべきでしょうかとお訊ねしたときに、スワミはエリックをプラシャンティ ニラヤムに連れて行くことに同意されました。私がこのニュースを彼に知らせると、彼はとても興奮しました。彼は「プールの付いた5つ星の当地で一番良いホテルを取るように」と言いました。そこで私は、「エリック、そこには5つ星のホテルは有りませんよ。そこは美しい神様のアシュラム(霊的修道場)なんですよ。そこには唯一つのスイミング プール、愛のプールがあるだけなのですよ」と言いました。彼は「いや、いや、近くに大きな町があるはずだ」と言うので、私は「最も近い大きな町はバンガロールですよ」と答えました。「どれぐらい離れているの?」と聞くので、「100マイルです」と答えると、「問題ないよ、私は毎日カンタベリーからハーレー ストリートまで車で通っているのだ。私はバンガロールに泊まって毎朝プッタパルティの病院まで車で通 うことにする」と言うのでした。私は彼に道路事情について話し、カンタベリーからロンドンまでの通 りとは違うこと、それだけじゃないこと、バンガロールから約4時間かかることを話しました。彼はプラシャンティ ニラヤムに泊まることを嫌っていました。

 私は悩みました。スワミが彼を連れてくるようにと言われたとき、私は大変興奮しましたが、時が近づいてくるにつれて、私はどんどん神経質になっていきした。「スワミ、私はこの人を連れて行きますが、彼があなたの規律に適応するかどうか判りません」。それから、私は別 の方策、即ち「スワミこの旅行をキャンセルして下さい」と祈るようになりました。スワミは一番よくご存知です。

 出発の日が近づいてきたので、私たちはこの特別な機械に必要な部品を揃えておりました。私たちは11月4日の水曜日に出発の予定で、日曜日にエリックに電話すると、彼はジブラルタルへ行っていました。私は「どうしてジブラルタルに行ったのだろう?」と思いました。彼は火曜日の朝まで戻ってきませんでした。火曜日、彼が手術にやってきたので私が「ビサとか全て準備はできていますか?」と聞くと、彼は「イヤ、あなたがビサを準備してくれているのでしょう?」と言うので、「パスポート無しにビサを取ることはできませんよ」と言うと、「明日の午後6時出発なのに、私はまだビサがない」と彼は言ったのです。

 私は大変ハッピーでした。何故なら私には全てをキャンセルする言い訳ができたからです。しかしながら、私は彼のパスポートを持たせて誰かを高等弁務官のところへ行かせることに気が付きました。多分、特急扱いで2時までにビサをおろしてくれるだろうと思いました。ところが、彼は新たな爆弾を落としたのです。それは、「私の妻も一緒に行きたいと言っている」というものでした。私は、プッタパルティの快適な場所にもう一人宿泊させるためのアレンジはできると思いましたが、インドでは男女のカップルは常に問題があり、しかも彼女は一回もサイババの会合に出たことはなかったのです。それ故、ちょっと心配でした。私が「彼女のパスポートは問題ありませんか?」と聞くと、彼は、「彼女のパスポートはキャンベリーにある。彼女はファックスで必定な情報を全部送ります」と答えたのです。私は「イヤ、高等弁務官は大変厳しいから、ファックスのパスポートにビサを発給することはできないはずだ」と答えました。彼は「イヤ、スワミが私を呼んでいるのだから、私は行かなければならない」と言うのです。私は「スワミは奇跡を起こさなければならない」と言いました。

 このとき2つのことが起こりました。ジーン(Jean Rally)がその日私に会いにき、その時、私はとても神経質になっていました。私は彼女に「私はどうしたらいいか判らない」と話しました。そして、それからちょうど15分後にわたしは手術室のドアをノックする音を聞きました。すると、驚いたことにそこにはインドの高等弁務官が立っているではありませんか。そこで、私が「サー!あなたはここで何をしているのですか?」と聞くと、彼は「あなたがインドに発つと聞いたのですが、目の調子が悪いから、あなたが出掛ける前にここを訪ねて、目のことであなたに会った方がいいと思ったのです」と答えたのです。私は彼に5〜6日間だけ出掛けると話しました。彼は「何かがここに来るようにと言ったのです」と言ったのです。私は「後ほどお会いしましょう。一つ問題が起きているので」と言うと、「問題は何ですか?」と彼が聞くので、「緊急にビサが必要なのです」と言うと、彼は「心配ありません」と言いました。彼は受話器を取り上げ、「外交官ビサを発給しましょう。問題ありません」と言ってくれたのです。そして、40分以内に高等弁務官事務所から使いの人がビサを持ってきたのです。これがスワミのやり方です。

 しかしながら私はまだ安心できませんでした。というのは、エリックが奥さんにSelfridges(ロンドの高級品店)へ行って、インドへ持っていくために何本かの高級ワインとスコッチウィスキー、シーバスリーガル(ウィスキーのブランド)などを買ってくるように話しているのを聞いたからです。それで私は大変不安になって、「あなたは何をしようとしているのですか?」と聞くと、「そこではよい飲み物が手に入らないと君が言ったので、自分たちの分を持っていこうとしているのだよ」と答えたのです。私が「エリック、アシュラムの中では禁酒なのですよ」というと、「何を言っているんだね、私はローマ法王と会ったときには、一緒にワインを飲んだのだよ」と返事が戻ってきました。そこで、「それはいいけど、あなたは神様(Divine)のところへ行こうとしているのですよ。DiとVineはノーワインを意味しているのですよ」と言うと、彼は「大丈夫。全てはうまくいくから」と言うので、私は大変心配になりました。

 スワミは私を試し続けられました。夜9時にエリックがまた電話をかけてきました。彼は「私たちはファーストクラスで行くのでしょう?」と聞いてきました。そこで「節約のために私たちはいつもエコノミークラスで出掛けているのです。あなたのためにファーストクラスを取るわけにはいかないのです」と答えました。彼は、「そんなことは聞いていない」と言いました。そこで「あなたがファーストクラスに乗り、他の人達がエコノミークラスに乗ることは問題がないのだが、今回はグループで旅行するのだから…」というと、「イヤ、イヤ、私は今まで一度もエコノミークラスで旅行したことはないのだよ。どの航空会社を利用するのかね?」と聞くので、「エアーインディア」ですと答えました。彼は、「小切手帳を持っていって飛行場でどうなるかやってみよう」と言いました。そこで、私は「直前に変更することは大変難しいですよ」と言いましたが、彼が不満を持っていることは伝わってきました。

 翌日、病院に持って行くもの全てを纏め、とても早い時間から飛行場へ行きました。飛行場では所持品の制限重量 をはるかに超えていると告げられました。実際、100kgも重量オーバーでした。私が「これらは全てスワミのためのもので一切付加料金を払うつもりはありません。もしこれらを送ってもらえなければ、そこで手術をすることができないでしょう」と話すと、受付の人は「オーケー、ちょっと待ってください、何か方法を考えてみましょう」と言ったのです。それから、急に受付の彼女が「オー、あなたのグループにベロニカとエリック アーノットという名前の方がいますか?」と聞くので、「ハイ」と私が答えると、「オー、彼らは大丈夫です。彼らはファーストクラスの乗客なので、重量 オーバーした荷物を持っていくことができます」と言ってくれたのです。私が「どうしてそうなったのですか?」と聞くと、彼女は「どういうわけか判りませんが、たったいまファックスが届いて彼らがファーストクラスへ移されたのです」と答えました。全てが大変うまくいきました。エリックはその後に少しいらいらしてやって来ました。彼は「ファーストクラスへの移動のことで話さなければ」というので、私は「スワミが既にあなたがファーストクラスで行けるように手配されましたよ」と伝えました。

 私たちはボンベイに到着しましたが、通常この旅程では、そこに45分間から1時間止まることになります。エリックは既に世界中を旅しておりましたが、スワミは御自身が或る人をお呼びになるときにはスワミのやり方をお示しになるのだと思われます。即ち、エリックと彼の奥さんはあらゆる種類のVIP待遇を受けたのです。即ち、彼らがボンベイに着くやいなや、2人のスチュワーデスが美しい花輪と花束を持って現れました。彼女たちは彼らに挨拶し、「アーノットご夫妻ですか?」と聞きました。このとき私は所謂クリケットで言うところの「クリーン ボールド(見逃し三振)」 状態でした。私は何が起きているのか全く理解できませんでした。私はこれらのことを全然手配していなかったのです。私はただ座って、今回の旅行が全てうまく運びますようにと神に祈っていただけなのです。私はエリックを見つめて、「あなたはスワミのアレンジが気に入りましたか?」と訊ねると、彼は「驚いたよ!私は今までこんなもてなしを受けたことがないよ。インドの首相を訪問したときでさえも、こんなことはなかった。私が到着した時には誰かが迎えに来たけど花輪はなかったし、この種のことも無かったよ」と答えました。私は「スワミはなにしろ宇宙の主ですから全てをご存知です」と言いました。エリックは休憩のためにファーストクラス用の特別 の「マハラジャ ラウンジ」へ招じ入れられました。そして、そこへ行く前に私に「ここでは酒を飲んでもいいのか?まだバンガロールからだいぶ離れているから」と聞くので、私は「ああ、好きなだけ飲んでいいですよ、でも明日からはダメですよ」と答えました。そして彼はそのラウンジへ行き、そこで丁重に扱われ、とてもハッピーでした。

 そこから私たちは直接バンガロールへ行きました。スワミの仕事で移動するときはしばしば起きることですが、どんなに多くの荷物を持っていようと、それがどんなに重量 オーバーになろうとも、税関職員はとても親切に手助けをしてくれます。彼等はコンベアベルトのところへ来て荷物を降ろしてくれ、また外で待機している車に全ての荷物を積むのを手伝ってくれました。というのは荷物には全てプラシャンティ ニラヤム行きと表示してあったからです。私は、プラシャンティ ニラヤムに到着するのを心待ちにしておりました。その時、時刻は夜中の3時でした。私は、「そうだちょうど良い時刻だ!そこに朝7時に着けば、スワミの朝のダルシャン(神の御姿を拝見すること)に間に合う」と思いました。何故ならば、一旦インドに着いたならば、することは唯一つだけ、速く行ってスワミを拝見することだけです。バンガロールに泊まるとか他のことを気遣う必要はないのです。しかし、エリックは「とても疲れた。4,5時間寝たい。こんなに長旅とは思わなかった。どこかホテルを探してくれないか?」と言うのです。私が「アーノットさん、全て荷物を積み終えたのです。アシュラムに付いたら休めますから」と言うと、「いや、私は今休みたいのだ。一日でこんなに長距離を旅行したことはないのだよ。もし休まなければ、手術の際に集中できないよ」と彼は言うのでした。私は「あなたが直ぐ手術するかどうかはまだ判らないのですよ」と言いましたが、彼の気持ちを変える方法はありませんでした。そこで、結局私たちは彼と、彼の奥さんと、ウエリントン ヒューマン ホスピタルから随行してきた手術の助手のために近くにホテルを取りました。私は、当面 何もすることがないので、大変不愉快でした。ただ座って彼が起きるのを待つだけでした。そこで、その間にプラシャンティ ニラヤムで何が起きているか知ろうとしたのですが、駄目でした。スワミが意図することは何でも、主の意思ですから、変更することはできないのです。私はこの時、そして別 の時にも再びそれを学びました。しかし、それでもなお、私はできるだけ速く行くために幸運を追い求めました。エリックは11〜11:30に起きてきたので、私はスワミに「どうかどうか、遅くとも午後のダルシャンに間に合うようにしてください」とお祈りをしました。プッタパルティへ車で向かう途中、ほぼ真ん中ぐらいまで行った所で、彼はどこかに車を止めて飲み物を飲みたいと言い出しました。私は「駄 目、駄目、止めちゃ駄目ですよ、外の飲み物は絶対駄目ですよ、バイ菌が入っているし、あなたは予防注射をしていないのだから」と言って、彼を思い止まらせようとしました。彼は「いや、いや、私は飲み物を持っているのだ、だから止めてくれ」と言ったのです。そして、余計に30分が過ぎてしまいました。私は時計を見て、「スワミ、あなたは何をしているのですか?」と訊ねました。4:15に私たちはプッタパルティのガネーシャ門に到着しました。

  ここでまた問題が起きました。何故なら宿泊担当オフィスの職員はみんなダルシャンラインに座ってしまっていたからです。午後3:45からスワミのダルシャンが終わるまで何もすることはできないのです。そして、私も為すすべがなかったのです。そこでタクシーをマンディールの外に待たせ中に入って行きました。すると急にボランティアの人がやって来て、「ウパディヤーイ博士、直ちにまっすぐ行ってください、スワミがお待ちです」と伝えてくれたのです。私は何処へ行ったらいいのかよく判りませんでしたが、誰かが私たちを案内してくれ、私たちはスワミのドアーの前に到達しました。私は全く問題がなかったのですが、エリックは最高級のスーツとネクタイを締めていて、汗をかいてそしてハーハーと息を切らしており、周りの人は彼を見て、ネクタイをし、西洋のスーツを着ているこの男は誰だろうと思っているようでした。私たちは彼の奥さんが何処にいるのか判りませんでした、というのは、女性は男性と同じ側から入れなかったからです。ちょうどその時スワミが現れました。「さあ、入りなさい」と仰いました。中に入るとロシアとイギリスからの友人がおりました。スワミはエリックに近づいて訊ねました「いかがですか?」、エリックは「サー!私は大丈夫です」と、「主」を「サー」と呼んだように、あたかも普通 の人と話すようにスワミに話しました。スワミは彼が正しく座ることに慣れていなかったので、脚を伸ばしてもいいと言われました。スワミは「ここにはセバダル(ダルシャン場での規律を管理するために奉仕する人)がいないので、自由にしていいですよ、ここの中では自由にしてください」と仰いました。スワミは大変親切にも、扇風機のスイッチを入れてくださり、私たちは座りました。その時、私はスワミにアーノットの宿泊についての問題をお話ししたいと思いました。私が「スワミ、彼…」というと、スワミは私を遮って、「あなたは黙っていなさい」と仰られ、私は沈黙しました。

 それからスワミはスワミの椅子の隣に座っていたロシアの青年の方を向いて美しい指輪を物質化されました。その指輪には聖なるオームの文字が刻まれていました。その指輪をその青年に与えるのではなく、スワミはそれをアーノットに投げ、アーノットはそれを受け取りました。スワミは訊ねました「これはなんだと思いますか?」。エリックはリングを見つめ、「なんだかよくわかりません。サー!。でも何らかの聖なる印だと思います。ウパディヤーイ博士が何か新しいことを始めるときにいつも使用するので、この印を知っています」と答えました。スワミは「西欧では宇宙はビッグバンから始まったと言っています。これはそれと同じ原始の音で、全宇宙はそこから始まったのです。それはオームと呼ばれています。私と一緒に、オームと言ってご覧なさい」と仰いました。私はスワミが彼をイニシエイト(霊的な覚醒)するために、意図的にこのようなことをするとは知りませんでした。この時、エリックはダグラスの隣に座って脚をスワミの方へ伸ばしていました。私は、彼のそのような姿勢がよいとは思っていませんでしたので、とても居心地が悪かったのです。しかし、私が注意しようとしたとき、スワミは私を止めて「静かに」と言われました。エリックが「オーム」というと、彼は直ぐにその伸ばしていた足を折り曲げ、彼は恭しく手を合わせ、「はい、スワミ」と答えたのです。その瞬間から完全なる変容が始まったのです。

 スワミは彼から指輪を受け取ると、彼がオームの指輪を欲しがらないことを良く知っていたので、その指輪をロシアの青年に与えようとしました。スワミは「何が欲しい?」と訊ねました。そのロシアの青年は「私はあなたの御姿の指輪が欲しい」と答えました。スワミは指輪を取って、エリックの顔からほぼ30cm位 のところでスワミは指輪に息を吹きかけ、それを美しいサイババの指輪に変えてしまいました。スワミはそれを青年の中指にはめて与え、そしてグループの人たちに話し始めました。  

 暫くしてスワミは私たちに、明朝手術を開始するようにと、そしてその手術の技術を病院(スワミの運営されている医療費無料の特別 病院)の医師達に教えるようにと話されました。徐々にみんな立ち上がって外に出始めました。この時、私は「スワミ、ここにロシアのグループがいますので、私たちがロシアに行くことをお許しください」とお祈りしました。このことにつきましては、何時か他の時に話したいと思っております。

 私はスワミに「スワミ、エリックは何処に泊まったらいいでしょうか?」と訊ねました。スワミは微笑んで、「問題ない。彼はアシュラムに泊まるでしょう」と言われました。私はまた酒について訊ねました。するとスワミは「外に置いておきなさい」と仰いました。私はスワミが何を意図されたのか判りませんでした。スワミは「明日の朝来なさい、もっと他の指示を与えましょう」と付け加えられました。こんなに困惑して私がスワミの部屋から出たのは初めての経験です。何故なら、ここにアシュラムに泊まると言うスワミがいて、一方でアシュラムに泊まりたくないと言うエリックがいるからです。私は、たとえ5つ星のホテルがないとしても、少なくともある程度の空調設備のある何処かのホテルを探さなければと考えていました。

  私たちはタクシーを待たせていたガネーシャ マンディールの外へ出てきました。エリックは私に、「あなたには何があったか判りますか?私が何処か他のところへ泊まろうと考えていると思ったら大間違いですよ。私はアシュラムに泊まります」と言ったのです。そこで私は「お酒はどうするのですか?」と訊ねたら、彼は「タクシーの運転手にあげてしまえ」と言ったのです。タクシーの運転手は全く予期もできない6〜7本のスコッチウイスキーとその他にも車のトランクに入れてあった高価のものをもらったから、彼にとっては人生最高のプレゼントとなりました。エリックは、「我々のスーツケースだけ出して、あとの物は全て外において置きなさい」と言ったのです。これはスワミが「外に置いておきなさい」といわれたことを意味していたのです。宿泊する部屋へ行く途中、エリックは「ただトイレと、浴室と、ファンが付いている部屋さえあればよい、それだけあれば充分、他に何もいらない」と言ったのです。全くの変容です!インタビューする45分前、バンガロールからプッタパルティへの移動中、もし5星のホテルがないのなら、空調のある最も近いところは何処かと訊ねていたのです。スワミとの15分間の後、全ては完全に変わってしまったのです。

 翌日ダルシャンのためにやってきたとき、スワミは我々をスワミの部屋のドアーの傍に座れるように素晴らしい配慮をして下さいました。その時、エリックは「私の家内もまたスワミにお会いすることができるだろうか?」と訊ねたので、「それはスワミが決めることです」と答えました。「でも、スワミは私に会うと言ってくれたのですよ」と彼が言うので、「スワミがあなたに明日会いましょうと言った場合、スワミの明日はとても長くて、翌年のこともあれば、来世のこともあるのですよ。だから、そんなふうに思ってはいけませんよ。スワミはあなたに会うかもしれないし、会わないかもしれないのですよ」と言いました。すると彼は「いや、今朝起きたとき、私は深くお祈りをし、スワミが『さあ、二人とも』というのを聞くことができた」と言うので、私は「何が起きるか見てみましょう」と答えました。すると、スワミはこちらに来て私たち二人に今日もまた部屋に入るようにと言われました。エリックが私に、「家内のことも聞いてくれ」というので、私は「神様に聞いたりしてはいけないのですよ。神様は何でもご存知なのだから」と言いました。そうです、如何にしてスワミは私たちを試されるかわかりません。スワミが私たちのところへ来たとき、話し掛けるチャンスも与えてくれませんでした。そして、急にこちらを振り向き、「そうだ、そうだあなたの奥さんを呼びなさい」と仰いました。そこには極めて大勢の女性が座っていましたので、エリックはどのようにして妻を呼んだらいいのか判りませんでした。「どのようにして家内を呼んだらいいのですか?」と言うので、「そこに立って、手を振って合図すればいいのですよ」と言うと、「彼女は私が呼んでいることが判るだろうか?」と言うので、「あなたにはたった一人の奥さんしかいないのだから、他の人は来ませんよ」と言ってあげました。そして、彼はおぼつかない格好でそこへ小走りで行きました。お判りかもしれませんが、彼は約1万人もの人々が座っている前で、そんなことをしたことがありませんでした。彼は勇気を奮って手を上げて、彼女が気が付いたと思ってから戻ってきました。神だけがどのようにして彼女が彼を見たかを知っています。

 彼女はウエリントン・ヒューマン・ホスピタルの人と一緒にやってきて、我々はみんな部屋に入りました。そこにはまた他の人達もいました。ベロニカ(エリックの奥さん)はインタビュー・ルームに入ったことがなかったので、その場の規律を知りませんでした。彼女はご主人と私の間に入ってきて座りました。スワミは椅子から立ち上がり、「奥さん、ここはアシュラムで、ロンドンではありません:男と一緒には座れません」と仰いました。そこで、彼女は女性側に移動し、そこに座りました。それからスワミは、そこにいる色々な人達と話しをし、彼女に「何が欲しいか?」と訊ねられました。私は「彼女がサティア サイババのことを全く知らなかったので、何故そのような質問されるのか判らないだろうが、それは神だけが知っているのだ」と思い、彼女がどのように答えるのか判りませんでした。私が予想だにしないことでしたが、彼女は「スワミ、私は何もいりません。あなたを見ていて、ただあなたの恩寵だけを頂きたいのです」と答えたのです。スワミは、スワミが描かれた美しいペンダントを彼女のために物質化して与えました。それから、エリックの方に向いて彼のために指輪を物質化し、「この指輪は通 信用の指輪です。あなたが私に話し掛けたいときにはいつでも、その指輪を通 して私に話し掛けなさい」と仰いました。エリックは指輪を見つめていたので、私は彼を突っついて、「ほら、スワミがあなたに話し掛けていますよ」といいました。スワミは、続けて「あなたは私のところへ来るのに大変時間がかかりました。あなたは過去25年間私に会いに来ようと思っていました。その時が来たのです。あなたは親切な人(kind man)です、これからは人類(mankind)のために働きましょう」と仰いました。何という言葉の使い方でしょう!

 それからスワミはエリックとベロニカを奥の部屋に連れて入り、約20分後に戻ってきて、スワミは「さあ、準備は整った、このまま手術室に向かいなさい」と仰いました。エリックは私に囁きました、「私はどこに病院があるのかも知らないのだよ」と。私は「スワミが私に残っているようにと言われたので、2〜3分で戻りますから外で待っていて下さい」と彼に伝えました。そこには別 のグループの人達もいたのですが、彼らも出て行ってしまい、スワミと私だけが残りました。スワミは私に、「あなたがいま問題にしていることを話してご覧なさい」と訊ねられたので、私は「問題はありません、スワミ。私は全てあなたにお任せしておりますから」と答えました。それから、スワミは手術や手術用機械およびそれらに関連することについて、とても詳しくお話しになりました。スワミは「毎晩、私はそこでの出来事の報告を必ず受け取ります。そしてまた、あなたが私の病院を去る前に、きっと私たちの医師はあなた方二人のように十分に習熟し、この手術を自分たちで出来るようになっているでしょう」と仰いました。私が「スワミ、この技術を習得するのに私たちは何年もかかったのです。それを3日でやるのですか?」と言おうすると、スワミは「時間と空間について心配することはありません」と仰いました。私が言おうとする前にです!スワミはあなたの心を読み取ってしまうのです!
  それからスワミは別のことを少しお話しになり、私たちは部屋から出ました。私たちが出てくると、スワミの部屋のドアーの傍に車椅子に乗った夫人がいました。スワミは彼女に「どうして部屋に入らなかったのですか?」と訊ねると、彼女は「スワミ、あなたがドアーを閉められ、私の車椅子を持ち上げてくれる人は誰もいなかったのです」と答えました。「オー、車椅子?あなたはどうして車椅子に乗っているのですか?」、「スワミ、私は歩けないのです」、「誰が歩けないと言ったのですか?」スワミはインタビュールームの外に立っており、約1万人の人達がそれを見ていました。スワミはその優しい手を伸ばされ、その夫人に「私の手につかまって立ち上がりなさい」と仰いました。その夫人は立ち上がりました。スワミはその車椅子を傍らに押しやり、その夫人に「あなたは今歩けますよ」と言いました。このことはエリック アーノットにとってはあまりにも衝撃的なことであったに違いません。彼はスワミの傍でオームを唱え、そして指輪が何か別 のものへ変化していくのを見ていました(スワミは彼に指輪をそして奥さんにペンダントを物質化して差し上げていたのでした)。 今、彼は20年間歩けなかった人が何の手当を受けることもなく歩きだしたのを見ているのです。彼は起こっている現実に完全に打ちのめされ、言うべき言葉を失っていました。彼はようやくのことで「スワミ、もし手術室へお越し頂ければ幸いです」と言うと、スワミは「おーそうですね、そこへ行きましょう」と仰いました。

  私たちが病院へ着くと、全てが整っておりました。私たちは手術室へ行き、手を洗い、着替えをすると、一人の患者がそこにいて、全ての手術道具は準備されていました。しかし、エリックは始めようとしないで、ただ座ったままでした。そこで私が「何を待っているのですか?」と尋ねると、「スワミはどこですか?ここへ来ると仰った」と言うので、「あなたはまだ判らないのですか?スワミが『私が行く』と仰った時は、それは必ずしも肉体の形を取って来るということではなく、スワミはその場所に居るのです」と私は説明しました。しかし彼は「いや、いやスワミは来ると仰ったのだ」と主張するのです。そこには他の医師達もいて、彼等は午後のダルシャンに間に合うように、できるだけ速く手術を終えたかったのです。しかしエリックは、6人もの患者が待っているのに始めようとしなかったのです。そこで私は「スワミどうにかして下さい」とつぶやいたのです。それから私はエリックに「判りました、とにかく始めて下さい、私は様子を見てきましょう」と伝えたのです。私は再び着替えて、部屋の外に出ました。
  数人の医師と「ケアー アンド シェアー」のためにロンドンから来た他の人達が、モニター装置でこれから行われる手術の様子を見ようとラウンジに集まっていました。私は、こんなことどうしてスワミに話せるだろうかと思いました。受話器を持ち上げてスワミに話すなんてできません。私はそこにあった小さな礼拝室に入って、「スワミ、彼はあなた無しには始めようとはしません、どうか何とかして下さい。あなたご自身がお越しになるか、彼が手術を開始するように英知をお授け下さい、さもなければ私たちはどうにもなりません」とお願いしました。それから私は手術室に戻りました。今度はエリックが「さあ、始めよう、スワミは多分途中まで来られているでしょう。スワミはとても忙しいから」と言って手術を始めました。私はスワミに感謝を捧げました。

 手術の間に、とても変わったことが起こりました。手術では目の水晶体の混濁部を取り除いた後、次の工程ではインプラントと呼ばれる新しいレンズを取り付けるのです。私たちは15個のイギリス製のインプラントを持ってきており、それらはウエリントン ヒューマン ホスピタルから同行してきた婦人がしっかりと保管していたのです。彼女は皆の前でインプラントの入った箱を開け、その内の一つを洗浄するために蒸留水で洗ったのです。それから、私たちはそれを拡大して見るために顕微鏡の下に置いたのです。エリックがインプラントも持ち上げた瞬間、そこにババがいたのです。ババは「私はそこにいる」と仰った通 りに、そこにいたのです。私は初めてエリックの目から涙が流れるのを見ました。完全なる変容が起きたのです。暫く彼は話せませんでした。それから彼は私に、「私は手術を最後までやるから、君は指導医師にその手術の手順について説明しなさい」と言いました。私が「何があったのですか」と聞くと、彼は「簡単には言えないのだよ。私は完全なる至福の状態にあるのです」と答えました。スワミが臨在した状態がビデオに記録されていたのです。それは訓練用ビデオだと思います。エリックは手術を見事に終えました。

  スワミは「急いで帰っては行けません。次の処置を行いなさい。明日会いしましょう」という内容のメッセージを送ってきました。そこで私たちは全ての手術を行いました。高価な目の手術など思いもよらないような非常に貧しい人達をスワミは選んでいました。もしもあなたがこの手術を受けるために或いはエリック アーノットに会うためにイギリスに来たらわかりますが、それはまるであらゆる種類の人が集まる病院のようなものです。全ての国際連合加盟国を代表するような人がそこにはいます。彼は民間の外科医で、彼に会おうと思ったら数時間待たなければならないのはごく普通 です。しかし、ここプッタパルティでは彼は完全に変容した人となったので、大きな喜びと至福でもって最も貧しい階級の人々に手術を施しています。そして手術が終わったあと、彼は私にとても美しい次のようなことを言ったのです。 「私は世界中で最も豊かな人達の手術をしてきたと思うが、このような満足はそこからは得られませんでした。今日、まともな服さえ着ることのできないとても貧しい人達を手術した後、私は何かを神に捧げたような気持ちになりました。それが私の神への供物だったのです」

  そして、彼はそれによって完全に報われたのです。この後、スワミは彼に話掛けて、「また会いしましょう」と言われました。しかし、問題はその後、マンディールで24時間連続バジャン(神に捧げる歌を歌うこと)が始まり、その間は手術もなく、何もほかのことが一切進行しない状態となったことです。みんな24時間座っていました。それは土曜日の夕方で、バジャンが始まりました。エリックもやってきて座りました。彼は毎日新しいスーツを着ることにしていました。そこで私が彼に「こんなに暑いのに、どうしていつも新しいスーツを着るのですか?もっとほかのクルタ パジャマとか薄いズボンのようなものを着ないのですか?」と訊ねると、彼は「いや、サイババが誰かに『あなた自身を変えようとしてはいけません。あなた自身でいなさい』と話しているのを聞いたことがあります。他の人が着ているものを気にすることはないのです。私は以前に自分の国でクルタ パジャマのようなものを着たことがありますか?決してそんなことはありません。もし私が女王や、ローマ法王、またはアメリカ大統領に会いに出掛けるときには、私はできるだけ良いスーツを着て出掛けます。今、私は主に会いに行くのですから、着心地が良いとか悪いとかは関係なく、最も良いスーツを着るのです。ですから私を止めないでください」と言ったのです。そして彼は毎日スーツを着たのです。そうして私たちはマンディールへ出掛けていって座ったのです。スワミはやって来て「また会いましょう」と仰いました。その後1時間半座っているうちに脚が痺れてきました。私は彼に「バジャンが始まったので、今はもうスワミがあなたに話し掛けることはありません」と話したのです。しかし、「スワミは私に話し掛けるだろう」と彼が言うので、私は「もう一回言うが、スワミの言葉は普通 と違うのです。私の知っている限りでは、バジャンが終了するまではスワミは誰とも話をしようとはしませんよ」と言いました。

  エリックは奥さんがショッピングをしたいというのでバンガロールへ行くことになっていました。それから、彼らはオーティとマイソールヘ行って、どこか歴史上の名所を見学しようと思っていました。エリックはかつてマイソールのマハラジャの家族の手術をしたことがあるので、その人が彼を招待していたのです。そこで、私たちは彼がそこへ行けるように手配をしました。彼がいない間、私はそこでバジャンを楽しむことにしました。エリックはマンディールに夜8時迄いて、スワミが彼ら夫婦に会わないことが判ると、2人はバンガロールへ行き、そこでホテルに泊まりました。翌日の日曜日に彼は妻に「どこかへ何かを見物に行きたいとは思わないのだ。私はここへある目的があってきたのであって、観光とか誰かの家族に会うために来たのではないのだ。静かに座ってババの本をいくつか読みたい。でも、君はショッピングに行きたいのならば、どうぞ」と言ったのです。すると、彼の妻は「オーケー」と言って友達と出掛けていきました。 エリックはバンガロールのホテルに留まってババの本を読みました。
  その日曜日の夜、彼らはいつもより早く床につきたいと思いました。彼は9時頃床につきましたが、10時頃突然起きあがりました。彼は妻に「何か聞こえた?」と訊ねたところ、彼女は「ええ、ババが『帰ってこい』と言っているのが聞こえました」と答えたのでした。彼は「自分は何か物音を聞いたように思うんだが。でも、明日は飛行機でオーティに行く予定になっているし…」と言うと、彼女は「いいえ、私はあの角から(指で示して)スワミが『帰っていらっしゃい』と言うのを、とてもはっきりと聞きました」と言ったのです。そこで、彼らは翌日の朝4時にタクシーが迎えに来たとき、予定を変更してプッタパルティに帰ることに決めたのです。

  一方、バジャンが終わると、スワミは自らの手で我々にとても素敵なプラサーダム(神や聖者から帰依者に配られる物)を配った後、急に「明日の朝8時から手術を開始しなさい。彼は帰ってきます」と仰ったのです。私が「スワミ、それは予定に入っていませんでした」と言うと、スワミは「いや、それには理由があるのだ」と仰いました。「スワミ、有り難うございます」と私は言いました。病院のスタッフにはどうやって連絡しようか?ところが彼らは既にメッセージを受けていました。

  エリックは朝4時に起き、オーティへ行く予定だったタクシーは方向を変えてプッタパルティに行きました。そして、8時1分前に彼は病院に到着したのです。スワミは私たちに「ダルシャンの後病院に行きなさい、そこでは全てが準備されてあなた達を待っている」と仰られたのです。私たちが病院に着くと、私たちが必要とされている理由がわかったのです。その理由はその病院の医師達は自分たちだけで手術することに自信が持てなかったのです。私たちはその日一日一生懸命働き、午後4時頃全てが終わり、主任医師に「今ハッピーですか」と訊ねると、「はいハッピーです」と答えが戻ってきました。そこで、私たちは彼が自ら手術をしてみるようにと言い、私たちはそれを見守りました。彼はその手術を見事に行いました。何の問題もありませんでした。私たちは急いでスワミのもとへ行きました。すると、母のように、そして父のようにスワミは待っていて下さいました。ダルシャンは終っておりましたが、私たちはパダナマスカール(神の御足に触れること)をすることができました。スワミは「レポートはどこですか?」と仰るので、スワミにレポートをお渡ししました。スワミは「私があなたを呼んだ理由はこれなんですよ。私には彼らが自分たちだけで手術をするのは十分でないと判っていました。これでプログラムは完了しました。私が彼に『また会いましょう』と言ったのはこれだったのです」と仰いました。エリックはスワミが自分に会ってくれないのではないかととても心配していました。今、彼はスワミのパダナマスカールを行うことができました。スワミは「心配しなくてもいい、ここはあなたの家ですよ。何時戻ってきてもいいです」と仰られ、私たちに祝福を与えてくださいました。私たちは帰るためにタクシーを待たせておりました。しかし、これにはもう一つの筋書きが用意されていたのです…。

 エリックの奥さんは、「どうしてババは私を見てくれないの?私もまたダルシャンに来て、スワミが少なくとも私に手を振ってくれることを期待していたの、そうしたら私もあなたがた二人のように大きな喜びを持ち帰れたのに」と泣きながら話していました。そうこうして荷物がタクシーに積み込まれるのを待っている間に、シンガポール出身の女性が走ってきて、「ベロニカという名前の人はここにいますか?」と訊ねて来ました。そこでベロニカは、「はい、それは私です」と答えると、その女性は「これはスワミからです。いまスワミがこれをあなたのために贈られたのです」と伝えました。それは美しいスワミの祝福を与えているお写 真で、その上にスワミは「愛を込めて」と書かれていました。ベロニカは彼女の祈りが答えられたので涙にむせておりました。 このようにして、サイババについて何にも知らず、そのお名前をシィング ババ(Sing Baba)と発音していた人達が、いまでは一緒に座ってスワミについての美しい書物を毎晩1時間ほど読んでいるとのことです。  

 


訳:一色 健輔





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