歴史的プロジェクト
K.Chakravarthi
(シュリ・サティア・サイの飲料水供給プロジェクトのコーディネーター)
「主は荒れ野を湖とし、砂漠を水の源とした。」
旧約聖書詩編107(35)
「私の与える水を飲むものはいつまでも渇きを知らないだろう;私の与える水は、その人の中で、永遠の命にわき出る水の泉となる。」
ヨハネの福音書4:14
シュリ・サティア・サイの飲料水供給プロジェクト(計画)は、アンドラプラデッシュ州における最悪の干魃地域の一つに、命の水を供給しようとするものであります。
若者の心に光を灯す無料の教育の贈り物と、惨めで無力な貧しい人々に対する無料の近代的医療の贈り物の次に、バガヴァン・ババはアナンタプール地区の多くの人々の乾ききった生命に、安全できれいな飲み水を文字通り注ぎ込むことを決意されました。それがシュリ・サティア・サイ・飲料水供給プロジェクトです。
バガヴァン・ババの生誕69周年記念日の前日であり、1994年の音楽を通して国家の一体化を祝う祭典の最終日の御講話の中で、バガヴァン・ババはアンドラ・プラデッシュ州のラヤルシーマ(Rayalaseema)地区で安全な飲料水が欠乏している深刻な問題について言及され、そしてこの問題の原因が我が国においては手に負えなくなっている複数の州間の河川紛争に関連していると述べられました。この祭典の御講話の席にはインドの首相とアンドラ・プラデッシュ州の州知事が出席されておられました。このような問題について一般的に言及している間に、バガヴァン・ババは、飲料水の欠乏に悩んでいるアンドラ・プラデッシュ州の上記の地区に飲料水を供給するために、5億または10億或いは20億ルピーもの出費するとの驚くべき提案をなされました。
1、2ヶ月後、アンドラ・プラデッシュ州の州政府はバガヴァン・ババに飲料水プロジェクトの実行を手助けしたいと申し出ました。最初、州政府は飲料水供給の要望にも適合することのできる用水路を掘削することを提案しました。これに対して、バガヴァン・ババは、計画しているのは安全な飲料水を提供することであって、それは上方が開放した用水路ではなく、パイプを通して供給する方が良いと指摘されました。そこで、バガヴァン・ババは州政府の代表者に、もしも計画ができて実行の準備ができたら、その計画を提出するようにと言われました。そして、彼等が驚いたことに、バガヴァン・ババはそのプロジェクトを1995年11月までに完成したいと言われました。それは、なんとその会談の日から10ヶ月以内ということでした。
政府機構の動きは非常に遅いといった一般的な印象とは異なり、アンドラ・プラデッシュ州の政府はそのパンチャヤット(Panchayat)統括省を通じて迅速に行動し、1995年2月までにシュリ・サティア・サイ・中央基金によって示された、約700の村に飲料水を供給する計画書を提出しました。アンドラ・プラデッシュ州政府は、当初そのプロジェクトにかかる費用として7億ルピーを試算していましたが、シュリ・サティア・サイ中央基金が詳細に検討したところ17億ルピー以上、即ち、当初の見積の2倍以上、の費用がかかることが判かりました。どんな基金でも、このような費用超過に直面したならばプロジェクトを取り消していたことでしょう。しかしながら、バガヴァン・ババの中央基金だけは別でした。干魃とフッ素化物の混入した水に悩まされている村々を、貧しく、見捨てられ、孤立した人々のために安全な天国に変えることはバガヴァン・ババの御意思でした。普通の人は費用とそれによって得られる利得との割合で物事を計算しますが、バガヴァン・ババはただ利得だけを考え、それに掛かる費用については考慮しませんでした。バガヴァン・ババの愛と無私の奉仕は何時ものことで、こうして人間の形を取った神が崇められてきたのです。
ここで、このプロジェクトの根幹をなすものは以下のようなものです。
a)ペナホービラム(Pennahobilam)の重力式貯水池から砂濾過層を通して高速に処理された水を直接的に揚水すること。
b)パルナパリィ(Parnapalli)にあるチトラバティ(Chitravathi)の重力式貯水池の河床の集水井戸から揚水すること。
c)ペナール(Pennar)とハガリ(Hagari)の河床の集水井戸から直接的に揚水すること。
d)トゥンガバードラ(Tungabhadra)の高レベル水路に1年間に5〜6ヶ月間水が流れるので、その時にその水路から揚水することと、この水を夏季用貯蔵タンクに貯水し、この貯蔵タンクから砂濾過層を通してゆっくり処理された水を年間を通じて供給できるようにすること。
e)トゥンガバードラ(Tungabhadra)の高レベル水路或いは重力式貯水池または何れかの川からの水が給送できない場合には、掘り抜き井戸から地下水を揚水すること。
先ず最初に、インドの僻地へ飲料水を供給するプロジェクトを実行するために、給水管を埋設するための溝が掘削機によって数100キロメートルに亘って掘削されました。これはまさに壮大な仕事です。そして、直径600mmから80mmにおよぶ種々のパイプが、ほぼ2000kmの距離に亘って掘削された溝に埋設されました。
40,000〜300,000リッター容量の高架の給水槽が約250個構築されたほかに、約125個の地上水位の給水槽が構築されました。
チトラバティ重力式貯水池の背後の集水井戸の水は、幾つもの急峻な小山の頂上に設けた地上水位の重力式貯水槽に揚水され、そこから重力を利用した流れによって色々な場所に設けた下級貯水槽に水が満たされ、その下級貯水槽から更に最終目的地である一方面のプラシャンティ・ニラヤムや他方面のカディリ(Kadiri)に到達するようになっていました。このような小山の上の地上水位の重力式貯水槽に至る資材の搬送用の道路は、掘削機を用いて造成されました。そして、この小山に変圧器や電気の中継基地を建設するため、そしてまたディーゼル発電機を設置するために、小山の大規模な開削が行われました。様々な計画のほとんどは、まさに気力をそぐようなものばかりでした。
金属やプラスチックの種々の直径のパイプを、国中から数千台のトラック荷として、また多数の鉄道貨車荷として輸送しなければなりませんでした。そして、これらの輸送は全て70〜90日間でなされたのです。道路は非常に多くのトラックで混雑して、途切れることの無い程の数珠繋ぎとなりました。これらは、勿論、わくわくするような光景でした。
飲料水を供給するこのプロジェクトは、その規模からするとかなり大きなもので、実際先例のないものです。私達は当然のことながらこのプロジェクトにかかる費用とこのプロジェクトの広がりに圧倒されておりました。しかしながら考えてみますと、私達はこのプロジェクトに圧倒されている一方、神から与えられる慈悲深い天からの雨については当然のことと思っているのは妙なことではありませんか? 人間の本質というものは、神性のほんの僅かな顕れを賛美する一方で、その壮大にして絶え間ない顕現については、これを無視してしまうものですね! 天からの雨については、神の御意思の目に見える表徴としては捉えず、神によって与えられた水源から、人の居住地へパイプで搬送される水については、神の愛を反映するものとして捉えてしまうのです。まさにそれはそうなのですが、天から降る雨のような自然現象もまたそうなのです。
このプロジェクトの運用について若干触れてみたいと思います。政府の関係部局が設計図と仕様書を提供し、有名なマルチサービス会社の、Larsen & Toubro社が主たる施工機関であり、シュリ・サティア・サイ中央基金が資金調達と統括機関であります。バガヴァン・ババは偉大な統率者であるとともに活力を与える人で、政府の関係部局或いはLarsen & Toubro社に対してもそうでありました。政府の関係部局とL&T社に一つの統一したビジョンと共通の目標を与えたのはバガヴァン・ババの存在であります。両者の間に認識の不一致とか目立った不和の場面は一度もありませんでした。これは、絶えざる問題に対して辛抱強く解決策を見出すようにとの、バガヴァン・ババから両者に対しての要求と、バガヴァン・ババから両者に与えられた信頼と信任のたまものであります。
従来の管理に関する概念では、管理者(マネージャー)を、手放す管理者と手放さない管理者とに区分しております。一方の管理者は自分より下の人に全ての責任を委ねる人で、他方の管理者は全てを自分の手で処理する人です。このような従来の区分はバガヴァン・ババには通用しません。バガヴァン・ババは手放す管理者と手放さない管理者の両方であります。他の分野におけるのと同様に、バガヴァン・ババは、我々限られた人間の心が、何でも2つに分けてしまうといった習性を超越しているのです。バガヴァン・ババは細部に至るまで注意深く配慮する一方、関係者に非常に大きな自主性、即ち、他者にある事柄を委任することのできる権限、を授けます。
私の記憶から消え去ることのない幾つかの思い出があります。それは、このプロジェクトの人達と共に、村々の調査を開始した頃の暑い埃っぽい日のことでした。温度計の水銀柱が華氏108度(摂氏42.2度)にも達している日中に、辺鄙な村に車で行った時、小さな子供達が遠い道のりを水瓶を運んでいる光景に出くわし、また他の村では、多くの人が行列をなして掘り抜き井戸の手動のポンプの順番を忍耐強く待っている光景を見かけました。そしてまた、村から村へと移動する間に同じ様な状況を何回も見ました。このような村に掘削される井戸は最終的には高架式の水槽或いは地上水位の水槽とパイプで連結され、全システムが適当な規格のモーターとポンプで駆動されるのですが、我々がこのような井戸の掘削位置を決めるために車から降りると何時でも、村人が我々の周りに群がり、小声で「この人達はサイババの所から来たのだ。ババは我々に水をくれようとしているのだ。間もなく我々はきっと水をもらうことができる。」とささやいていました。彼等の表現は単純でストレートでありますが、彼等の目は戸惑いを示した眉と、額の深い皺の下から輝きを放っておりました。そして、村人の多くはスワミを見たことすらないのですが、彼等の中にスワミに対する確固たる信任と信頼があらわれ、またスワミと全ての村人との間に、愛による強い結びつきを感じ取ることができました。
そして、我々は村から村へ移動しましたが、スワミが飲料水を供給するプロジェクトを始めたとの話は、既に知れ渡っていましたので、村人達は地質調査チームが井戸掘削地を最終的に決定するための困難な仕事に援助の手を差し延べ、それが決定されると直ちに掘削装置を村に運び込み、井戸の設置場所と掘削に関しての話が村中に行き渡る前に、他の作業者達はパイプラインを付設するため、また水槽を組み立て或いは高架の貯水槽を建築するために、掘削された溝に入って行きました。村人達は長い経験によって、掘り抜き井戸の場所が選定されてからそれが完成するまでに途方もなく時間が掛かることに慣れっこになっていましたので、パイプラインのネットワークが次々と形成されて行くのを見て、スワミがこれらを成し遂げさせていくあまりの速さに驚きを隠しきれず、大きな賞賛をもって「ただババ様だけがこのようなことをお出来になる。政府も、他の誰もこんなことはできない。」と語っておりました。
私はチトラバティ貯水池の背後に位置するペッダコットラとチンナコットラ(Peddakottla&Chinnakottla)と呼ばれる村にある、集水井戸の予定地に始めて行った日のことを思い出します。我々は灼熱の太陽の下で、ジープにへとへとになる程乗った後で、その村に乗り込んで行きました。我々が村を横切ってその目的地を見に更に進もうとしたとき、2、3人の村人が「この先、道路は完全に砂道になっていて4輪駆動のジープ以外は進むことが出来ない」と話しかけてきました。そして、彼等は我々に対して気の毒そうに、「もしもどうしても行こうとするのであれば、日中の太陽の下を1時間と少し歩かなければならないでしょう。」と言った。我々の気力は当然のことながら充分とはいえず、内心「行くべきか行かざるべきか」自問自答していました。その時、急に一人の村人が、「この村の地主のジープの音が聞こえる、彼のジープは4輪駆動車だ。」と叫んだ。
我々は彼が彼のジープで我々を目的地まで連れていってくれるかどうか訪ねてみようと決心し、彼の場所まで歩いて行って、我々が直面している問題について概略話し、それから彼の名前を聞いた。彼は、「私の名前はSainath(サイナータ)で、私はあなた方がババのプロジェクトの件でここにやって来るのを知っていました。私のジープでお連れしましょう。」と言いました。我々は皆この時、スワミが自ら顕れられる方法は無数にあり、今ここではスワミの御名の栄光を担った村人として顕われられたと思いました。
そして、我々がこのプロジェクトの様々な計画に従って毎日のように村から村へと移動している際に、不思議な道筋とか偶然の一致によって物事が上手く解決することが度々あり、これらは全てスワミが顕れて、そして導いて下さった何よりの証拠であると思いました。
プロジェクトを全体としてみた場合、このプロジェクトの最も特徴的な点は、時間枠にあったと思います。他の特徴としては、設計事項の多様性と、技術的複雑性と、プロジェクトの広大な地域性と、大きな工事費と、資金が慈善の基金によったことで、これらが全て加わってユニークなプロジェクトの全体をなしていました。これら全てのことは、将来何時か、何らかの方法で、何処かで再現されるかもしれません。しかしながら、その総合的な広がりと根底を流れる精神の点では、これは唯一のものであって、バガヴァン・ババ御自身によるものでなければ、誰も再現できるものではありません。このプロジェクトはスワミの広大な愛と完全なる無私の奉仕の現れであります。
物質的な面から捉えると、この飲料水供給プロジェクトは慢性的な干魃地域の人々の渇きを癒すと言った意味がありますが、奥深い霊的な意味では、時代から時代へと自ら顕現され、この時代においてはバガヴァン・シュリ・サティア・サイババとしての形を選ばれた神から、我々全ての者に対して、永遠に続く命の水を飲むようにとの呼び掛けであります。
目次に戻ります(C) 1997 Sathya Sai Organization Japan