全てを包含するババの御教え  
     
 

 ババの御言葉のうちのほんのいくつかからでも、私達はババという存在についてうかがい知ることができます。ババの哲学のキーワードの一つは「愛」です。「一日を愛で始め、一日を愛で満たし、一日を愛を持って過ごし、一日を愛を持って終えなさい。それが神に至る道です」とババは言います。「真理」はまた一つのキーワードです。「三人のあなたがいるのです。あなたが思うあなたと、他人が思うあなたと、本当のあなたです」とババは言います。ババはダルマを説いており、「正しい行い(ダルマ)」もまた一つのキーワードです。「早く出発し、ゆっくり進み、安全に到着しなさい」とババは言います。プッタパルティのニラヤム(ババのアシュラム)に入ると「あなたは光の中にいます。その光はあなたの内にあります。あなたはその光なのです」という平安の銘文を目にします。

 ババを道徳とイデオロギーの側面から捉えたとしても、彼の生活の清らかさと思想の広範さには息を呑みます。ババは、愛が彼自身の姿(スワルーパ)であり、平安が彼自身の変わらぬ 本質(スワバーヴァ)であり、正しい行い(ダルマ)が彼が物事を行うにあたって確実な方法であり、真理(サティア)が彼がそこで生き呼吸をするよすがである、と言っています。ババは清廉そのものです。
  ババの広大な展望については、全ての宗教は神へと通ずる道であるというババの確言を思い起こさなければなりません。プラシャーンティ ニラヤムの瞑想ホールの壁には仏陀、イエス キリスト、ゾロアスター、グル ナーナク、シャンカラチャリヤ、マドゥワチャリヤの肖像画があります。蓮の花をあしらったプラシャーンティのシンボルそのものが、オーム、ダルマを表す輪、聖なる火、三日月と星、そして十字架で囲まれています。またババは繰り返し、サイという姿と名に限定されるべきではないと私達に注意を与えています。他の全ての御名と御姿は等しく神性であり、同じように尊重され愛されるべきです。大切なのは多くの御名と御姿の背後に流れる一つの神の御霊(みたま)なのです。
  ババの存在はどこででも感じられます。ババは詩人W.B.イェーツ*が「地球の記憶」と呼ぶものに通 じているので、全てのことを知っています。ババの念動力やその他の力は宇宙の法則を超越しています。

 ババがその普遍の愛を通じて放つ無限の至福は、広く様々な場所で感じられ、経験されています。
  個人のレベルにおいては、ババは欲望から啓蒙への全ての道のりにおいて一人一人を導きます。ババは帰依者に母(サイ ジャナニ)の愛を注ぎます。ババは帰依者の正しき願いを叶え、苦悩から救い出す力を持っています。ババはまた必要であれば、悲しみという炉や喜びという流れを通 じて、容赦なく人々の魂をつちで打ち、形作ります。ババの活動は限られた時間ではなく永遠の歳月の中で行われています。ババにあるのは単なる哀れみや嫌悪ではなく、愛です。人々の内なる宝石をすり磨き、人々を救う愛です。
  神は人々を奇跡的な方法で変容させることができます。この宇宙というチェス盤でなされているチェスゲームにおいて、ババは駒なのではなく、揺るぎない王者から得た力を持つゲームの競技者です。変容は人間的見地から、そして人間的手段を通 じてなされなければなりません。

 この目的のために、ババは包括的プログラムを作ってきました。病院で患者の世話をしたり、少年院で罪を犯した子供の世話をしたり、苦しむ人々を助けたり等、人はセヴァダルの元で正しい行いについて教育されなければなりません。貧しい人に食べ物を与え世話をするのは、富む人の神聖な義務です。次の世代は特にこの目的のために始まったバル ヴィハ−ル(子供のための教室)、マヒラ ヴィバーグ(婦人部)、男子大学、女子大学で、よく練られた学習課程を通 じて、正しい行いについて教育されなければなりません。

 サティア サイ スタディー サークルや学者の集会(ヴィドゥワン マハーサバ)を通 じて、あるいはこれらの人々の講話を通じ見識を深めた人達と接することによって、人は真理に対する洞察力を培わなければなりません。サティア サイ サミティーは平安と調和のために働きます。 全てのカーストと信条、全ての地域社会とあらゆる言語を持つ人々がサティア サイ サミティーに引きつけられ、メンバーになっています。彼らは兄弟姉妹のように共に働くことを学びます。彼らは朝早く、心安らぐ歌やババのバジャンを歌いながら、ナガラ サンキールタン(聖なる歌を歌いながら通りを回ること)へと繰り出し、人々が神の御名を口ずさみつつ眠りから覚めるようにします。彼らは神を全ての御名と御姿で礼拝します。

 それがどのような人間であっても、人間を神として捉えるということなどおかしなことだ、といぶかる人にババは言います。「そうです、私は神です。今のあなたに、この言葉の真偽を確かめるのに十分な器量 があるというのでしょうか。自分自身の魂に深く入り込み、そこから見てみなさい。そうすればあなたはこの言葉が真実であるということが分るでしょう。そして私は、あなたもまた神なのです、と付け加えましょう。」アヴァターであることの概念は、適切な意味で理解されなければなりません。アヴァターとは、人間をもう一段上の段階へと進化させる救済者です。彼は至高神から直接来る一筋の光です。超絶的な恩寵が可能となるのは、宇宙の法則に取り囲まれているこの世界に彼の存在があるからなのです。


訳注* W.B. イェーツ (W.B. Yeats):
ウィリアム・バトラー・イェーツはアイルランド出身の20世紀を代表する詩人です。1865年にアイルランドの首都ダブリンに生まれ、このとき家の召し使いが夜ごと話す妖精物語や、目に見えない妖精相手にしゃべりつづける老人の姿が、イェーツに強い影響を与えた、といわれています。ロンドンに移り住み、22歳の頃に文学の世界に入り、アイルランドの民話を収集、24歳で物語詩集「アシーンの放浪」を出版します。1917年、30歳年下のジョージー・ハイド・リースと結婚、妻の影響を受けて魂の世界に傾倒、ケルトの魂を昇華させた作品に円熟味を加えます。神知学協会を創設したブラヴァッキーなどとも親交が深かった、ともいわれています。そして1923年ノーベル文学賞を受賞。1939年南フランスにて生涯を閉じました。(S.S. 99.9.5)(W.B.イェーツ詩集の解説より引用)

 

訳:鈴木 恵美

 
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