宗教についてのババの御言葉  
     
 

 人間の神聖な資質であるところの協調心と、同胞意識と、献身の心を鼓舞するために異なる宗教が生まれたのです。宗教は人間性を発展させること、そして正しい生活の基本的な指針を示すことを意図しています。宗教は人が同胞と調和して生きることを可能にします。宗教は制限的な概念ではありません。宗教は個人と神の間の結びつきをもたらします。愛、犠牲、奉仕、正義が宗教の四肢です。

SSS(サティア サイ スピークス)Vol. VII B; Page-113

 高尚にして神聖な目的を持つ宗教が、狭い解釈で実践され、また狭い教義で広められていることは実に不幸なことです。全ての宗教は社会の安寧を促進するために協調心を広めてきました。全ての宗教は人々に(1)真実の道に沿って生きること、(2)良い資質を発展・奨励すること、を求めております。このように、全ての宗教の基本は一つで同じです。  

SSS Vol. VII A; Page-239

 多くの人々は宗教が世界における全ての闘争、暴力および苦悩の原因であるとみなしておりますが、宗教はそのような原因ではありません。自己中心的な心が実のところは全ての闘争の原因なのです。

SSS Vol. VII A; Page-44

 宗教を捨ててはいけません。あなたの信仰ならびに聖伝を守りなさい。宗教間の相違を排除すると、そこには愛が広がります。愛がない口先だけの祈りは無駄 です。個々人の中にある愛は全ての人に共通であるということを理解しなさい。
  宗教を統一することについて話す人がいますが、宗教は心の態様であって、心の態様と同じ数の宗教があるのです。もしも心の態様を統一できるのであれば、宗教も統一することはできますが、それは不可能なことです。もしも祭壇を均一化できなければ、このような試みは失敗する定めにあり、また、このような試みは価値の無いことです。

1965年4月10日の御講話より

 一つの宗教が他の宗教より優れているとか、または他の宗教の方が劣っていると考えることは無知の証拠です。全ての宗教の教えは神性です。基本的な教義は真理に基づいています。魂の真理は宗教の本質であり、全ての聖典が伝えることであり、全ての形而上学の基礎です。
 宗教はたくさんありますが道は一つです。職業はたくさんありますが生活は同じです。それ故、調和の下に生活し、同胞意識を培いなさい。

SSS Vol. X; Page-179

 神は自ら多くの形を取って顕現されています。神は、そこから呼び起こされる歓喜の故に、多くの形をもって崇拝されています。古代ローマではバーラット(インドの古称)と同様に多くの神が崇拝されました。その当時には一つの神という信仰はありませんでした。それからキリスト教がやってきました。多様性における調和の考えが受け入れられるようになりました。古代ギリシャにおいて、ソクラテスの弟子のプラトンが宇宙の全てのものに神が内在することを指摘した最初の人です。
  あらゆる種類の宗教上の相違を受け入れてはいけません。プラシャーンティ ニラヤムにおいて受け取ったメッセージを実行しなさい。そしてあなたの経験した祝福を他の人と分かち合いなさい。
  人間の第1の義務は、種々の宗教によって示される道は異なっていても、そのゴールあるいは目的は一つであるということを認識することです。愛、犠牲、憐憫(れんびん:かわいそうに思うこと・哀れみ)、徳行、誠実性そしてこれらと同等の特質は全ての宗教に共通 しています。異なった途を取りながら、全ての宗教は多様性の中から調和を達成することを追求してきました。

1976年10月1日の御講話より

 サナータナ ダルマだけが、「一つにして唯一」と言える宗教がないことを宣言している唯一の宗教です。そしてサナータナ ダルマは、全ての宗教は一つの真理の一側面をそれぞれ表すだけであり、全ての名称は神の名であり、全ての形は神の形にすぎないと宣言しています。如何なる宗教も宇宙の永遠の真理を完全に表すということはできません。

SSS Vol. V; Pages 109,359

 異なる信仰のそれぞれの創始者の教えに基づき、特定の国々の時代と環境を配慮し、そして関与する人々の特別 な要請を考慮して、ある規則や規律が定められたのです。これ故に、ある信仰が優れており、他の信仰が劣っているとみなすべきではありません。人の基本的な義務はこれらの神聖な真理を心に止め、その人生においてこれらを実際に行うことです。  
  単一の同胞意識と献身が全ての人間にとって最も重要なものです。これらの神聖な特質を人間の中に育むために、いくつかの偉大な魂がそれぞれ宗教を開設することを求めたのです。宗教は制限的な概念ではありません。宗教は人間の個性を発展させ、正しい生活のための基本的な指針を示すことを意図しているのです。それは個人と神との間の繋がりをもたらすものです。
 全ての宗教は社会の安寧を促進するために一体性を強調します。世界の幸福は社会の安寧に依存しています。全ての宗教は霊的に純粋であることの重要性を説いています。全ての宗教は人々は真理の道に沿って歩むことを求めております。また、それらは全て善良な性質が基本であることを教えています。このように、人にとって、全ての宗教のエッセンスが一つで同じであり、そして全ての聖典が同じ真理を宣言しており、全ての人間が努力して向かう目的地が一つであるというのに、何処に宗教の相違があるというのでしょうか? 道は色々ありますが、最終目的地は一つで同じです。

SSS Vol. VII A; Page-28

 学生達は“RELIGION”(宗教)という単語の根本的な意味を理解すべきです。それは、「獲得」を意味する“RE”の部分と、「一緒になる」または「結合」を意味する“LIGNO”の2つの部分からなっています。即ち、神と再結合することが宗教なのです。
 全ての宗教は真理と犠牲と統一の重要性を強調しています。あなたの社会の全ての人々と愛と調和をもって生活することを学びなさい。それがキリスト教とイスラム教の基本的な教えです。グル ナーナクは孤立した個人の祈りよりもむしろ団体の祈りを望みました。多くの人々が調和の下に集い、神に祈りを捧げるならば、彼等の祈りは神の心を溶かすでしょう。たくさん集まった人の中には、純粋な心をもって祈りを捧げる人が少なくとも一人はいます。その祈りは神へと届きます。これ故、帰依者はバジャン会に参加すべきです。また、帰依者は社会奉仕に参加し、そして社会生活に関わりを持つべきです。これこそがもっとも崇高な生き方です。
  宗教は世の中の全ての争いと暴力の原因であるとみなされています。しかし、宗教は原因ではありません。利己的な心が全ての争いの源であります。宗教が一つしかない国々において争いはありませんか? 宗教が現在の状況の根本原因ではないということが強調されなければなりません。
  イランとイラクの人々は同じイスラム教を信仰しています。両国が争う理由は何ですか? キリスト教を信仰する国々が争う理由は何ですか?
  宗教は人の心に神聖な考えを植え付けようとしますが、人はそれが芽生え成長することを許しません。人の権力闘争と生存競争への利己的な欲望は、ほとんどの場合、宗教を拷問と迫害の道具として使うことを認めてしまいます。人類を同じ目標のもとに結合しようとする代わりに、宗教は憎悪と狂信的行為によって守られた要塞組織となってしまいました。従って、各宗教は他人を引き離してそこに引き込ませようとし、またそこから離脱するのを阻止しよとする自己拡大のために夢中な武装キャンプのようなものです。それ故、宗教は混乱と闘争の根源であると非難されています。生活の他の多くの分野での大きな進歩にも拘わらず、宗教上の憎悪は今日でも世界の多くの場所で燃えさかっています。

SSS Vol. X; Page-59

 ヴェーダは、人は神の祝福に感謝の気持ちを表すために神を崇め、礼拝すべきであると教えています。聖書は、人は平安を祈願し慈善を施すべきであると教えています。コーランは、悩める者にあわれみを施し、自分の願いを至高神に全託すべきであると記しています。仏典は執着を捨てることと感覚のコントロールを説いています。ゼンドアヴェスター(ゾロアスター教の教典)は、人が悪の傾向を取り除き自分自身に内在する神の栄光を輝かせることを唱道しています。

SSS Vol. X; Page-160

 各宗教間の相違はどうして生じたのでしょうか?夫々の宗教の創始者がこの世を去ってから、時の経過とともに後継者達が創始者の教えに反しそして彼等の個人的な利益のためにお互いに争ったからです。そして、各宗教内で分裂が起こり、分派が形成されました。これは個人の利己的な動機の結果 であって、元の創始者の責任ではありません。
 ヒンドゥ教であろうが仏教であろうが、ジャイナ教であろうがシーク教であろうが、キリスト教であろうがイスラム教であろうが、神は一つで唯一です。自分の宗教に大きな愛を公言する人達が、自分たちの宗教の方が他の宗教よりも優れていると思っているとすれば、それは空想に耽っているにすぎないのです。もしあなたが全ての宗教の神は一つであると宣言するのであれば、何故にヒンドゥ教の優越性を主張して他の宗教をけなすのですか。どの宗教も他の宗教を非難することを許してはなりません。他の宗教のあら探しをするようなものは宗教ではありません。それは傲慢というものです。
 キリストまたはラーマやクリシュナあるいはアッラーを崇敬した偉大な聖者達はその深遠な教えに啓発されたのです。しかし、これらの信仰に従う人達の何人がこれらの教えに恥じない行動をしているでしょうか? ある宗教の創始者の教えが守られていなければ、それを宗教と呼ぶことができるでしょうか? これらの人達は宗教の名をもって、さらには利己的な利益のために宗教の創設者の評価を下落させているのです。

GEMS OF WISDOM P333

 

(注) サイ オーガニゼーションはインドのアーンドラ プラディーシュ州プラシャーンティ ニラヤムに本部を置く国際的でスピリチュアル(霊的)な非営利の奉仕団体であり、宗教団体ではありません。詳細はSSO概要世界のサティア サイ オーガニゼーションをご覧ください。

訳:一色 健輔

 
  ●目次に戻る

●SSOJホームページ

 
 
(C) Sathya Sai Organization Japan