サイババの御言葉

日付:1961年7月4日・場所:プラシャーンティ・ニラヤム
聖地バドリーナートに関するババの御講話A

目に見えるものに連れ立って
目に見えないもののところへ


あなた方は皆、私からバドリー〔バドリーナート〕への旅のこと、現地で何があったかを聞くのを心待ちにしています。人々はバドリーに行って、安全(バドラム)に帰ってきました! 手っ取り早く言えばそういうことです。

というのも、火、水、風、空、地――実に、どの五大元素にも、ずっと危険が潜んでいたのです。人々はいつも神の恩寵を感じていました。150人ほどでしたが、その多くは老人で、あの巡礼(ヤートラー)を果たすには、まあまあといった健康状態でしたが、スワミのおかげで、ちょっとした頭痛さえ起こりませんでした。スワミもバドリーに行ったのは、かの地の中心的な神聖さの源であるネートラリンガムを、霊験あるものとしてよみがえらせなければならなかったからです。シャンカラーチャーリヤは、カイラーサ山からリンガムを五つ持ってきて、ドワーラカー、シュリーンゲーリー、バドリー、プリーにそれぞれ一つずつリンガムを安置し、五つ目のリンガムをチダンバラムに置きました。もちろん、バドリーのリンガムはナーラーヤナ アムシャム(ナーラーヤナ神の位置)を有したものであり、再び聖化されなければならなかったものでした。それは私の務めであり、私といっしょに来た人たちは、私がそれを行うのを見ました。

この国に不信論がはびこることはない

私は今年それをやり遂げなければなりませんでした。というのは、今年はこのアヴァターが降誕してから35年目の年であり、また、シュリーンゲーリーのシャンカラーチャーリヤ ピータ(学林)の後継者も今年で35代目になるからです。それゆえ、今年はバドリーカアシュラムとして知られる霊的財産のバッテリーを充電するのに重要な年なのです。あのネートラリンガムは、シャンカラーチャーリヤが現地のナーラーヤナ神の像の下に据えたものですが、私が取り出して、ガンゴートリーの水でアビシェーカ(聖水による灌頂)を行いました。その水は私の手でひとすくいして汲んできた水です。そのリンガムは金のビルヴァの葉とトゥンメーの花で礼拝されましたが、どちらもその場で私が物質化し、その後、元の場所に戻しました。そのリンガムは金の蓮の花の上に乗せられましたが、その蓮は花びらが三層になっていて、それぞれの層には16枚の小さな花びらが二重になったものがついていました。蓮の花(カマラ)全体はハート(フリダヤ)の象徴であり、リンガムはそこに安置されて礼拝されなければなりません。

大挙してバドリーの道を歩いた巡礼者たちの熱意を見れば、あなた方は驚いて言葉も出なくなり、もはや、この国には無神論者がはびこっているなどと嘆くこともなくなるでしょう。信仰心を唯一の支えに、インド各地からやって来た巡礼者は皆、男も女も、子どもも、老いも若きも、頑丈な者も、よぼよぼの者も、富める者も貧しき者も、バドリーへと歩を進めます。目的地へと向かう巡礼者の着実な足取りから学ぶことは、数多くあります。それは巡礼を続けるうえでの強みです。同じ求道者同士に囲まれていると、信愛(バクティー)と信仰心(シュラッダー)と霊性修行(サーダナ)を深めることができます。バドリーのナーラーヤナ ムールティ〔ナーラーヤナ神の御姿〕の偉大さはこの点にあります。

当然ながら、霊的な変化も起こらなければなりません。それゆえ、 「バドリーを参拝した巡礼者を見るだけで、多くの徳がもたらされる」 と信じられているのです。

もちろん、霊的な変化を経るためにそれほど遠くに行く必要はありません。バドリーナーラーヤナはここにいます! バドリーは、ナラ(人)とナーラーヤナ(神)の結び付きを深め、祝うことのできる場所ですが、それはここでも深めることができます。迷妄を取り払えばナーラーヤナ(神)になり、迷妄に陥っていればナラ(人)であり続ける――そういうことです。私が行ったことのない場所はなく、私のいない場所はありません。ですから、私といっしょに行った帰依者(バクタ)たちは、有形なるものに連れ立って概念的なもののところへ、目の前に見えるもの(プラティヤクシャ)に連れ立って目に見えないもの(パロークシャ)のところへ、旅をしたのです! 彼らは幸運でした。

巡礼の間、巡礼者は沈黙を保つべし

ここにいて巡礼に参加できなかった人も、残念に思う必要はありません。なぜなら、その間ずっと、あなた方はスワミのことを、スワミのことだけを考えていたのですから、その霊性修行(サーダナ)のほうが立派です。結局、巡礼というものは、ハートを柔らかくするため、視野を広くするため、思いやりの輪を広げるためにあるのであって、珍しいものや、絵はがきやプラサード、神仏の像や写真を集めるためにあるのではありません。巡礼は器(パートラ)よりも目(ネートラ)のためのものです。巡礼は、瞼が瞳を閉じるときのように、静かになされるものでなければなりません。神の領域の境界線にいるときに、なぜ口を動かして大声を出す必要がありますか? 実に、あらゆる巡礼の場(クシェートラ)、あらゆる巡礼(ヤートラー)は、あなた自身の内にあります。たとえバドリーやカーシーに向かって一歩踏み出していなくとも、あなた方はいつも巡礼をしている最中なのです。ガンゴートリーで汲んでネートラリンガムに注いだアビシェーカの聖水(ティールタ)を得られなかったからといって、悲しく思ってはなりません。あなた方が皆、バドリーでの出来事を人伝(ひとづて)に聞いてから、ずっとそれを欲しがっていることを私は知っています。私がガンゴートリーの聖水(ティールタ)を手に入れて、ここであなた方にあげますから、気を揉むのはやめなさい。

巡礼は時間とお金の無駄であると、人は言うかもしれませんが、私に言わせれば、もし本物の信愛があるならば、巡礼は時間とお金を使うのに最もよい方法です。バクティは弱さのしるしではありません。バクティは勇気のしるし、英知のしるし、識別心のしるしです。バクティだけが、あなたに幸せ(サウキャ)と平安(シャーンティ)を与えることができるのです。誰もが、いつの日かあなた方といっしょに並んで歩くことになります。なぜなら、誰もがこの二つを切に望んでいるからです。人々は無知と動揺からさまざまな他の救済策を試しますが、人を癒すことができるのはこの救済策だけなのです。

出典:Sathya Sai Speaks Vol.13 C34

この御講話にまつわるカストゥーリ博士のお話 (ラジオ サイより)

ババに連れ立ってバドリーナートへ


バドリーナートへの訪問を初めてババが話題にしたのは、1958年、チットラーヴァティー川の岸辺でのバジャン会でのことだった。ババはそのとき、自分が苦行(タパス)をしていた場所に帰依者たちを連れて行くと述べた。私たちはわけがわからなかった。というのも、ババがそれまで地上で生きてきた中で苦行をしたなどということを聞いたのは、それが初めてだったからである。私は少々混乱した。

訪問は1961年に確実なものとなり、計画が立てられた。ババに同行する帰依者もババが選んだ。6月7日、ババはマドラスで一行を迎えてデリー行きの列車に乗せた。ババは一行に、自分は翌日、飛行機でデリーに飛び、現地でじきじきに皆を出迎えると告げた。

列車は6時間遅れでデリーに到着したが、ババがそこにいて、笑顔と母のような配慮を尽くして、皆を安心させ、慰めてくれた。

翌日、一行はハリドワールへと向かった。そこでは、ウッタッルプラデーシュ州の知事、B・ラーマクリシュナ・ラーオ博士と合流することになっていた。知事もバガヴァン・ババといっしょにバドリーナートに行く計画だった。

6月11日の日曜日、ハリドワールのガンジス運河とガンジス河にはさまれたところにあるダム・コーティ・バンガローのきれいな芝生の上で、その静穏な夜、ババはバドリーナートへの巡礼(ヤートラー)に自ら同行させた帰依者の一団に向かって言った。

「明日、私たちはバドリー(バドリーナート)へ発ちます。バドリーは、すぐれた聖人賢者たち、そして、ナーラーヤナ神自身が積んだタパス苦行によって聖化された地です。あなた方は皆、実に、とても幸運です。なぜなら、皆さんは顕現した姿から顕現していない姿へと向かっているからです! それほどの聖地には、神聖なオーラ、霊的なヴァイブレーションが浸透しており、言うなれば、そのオーラを背にした姿を見るならば、神さえも新たな栄光を得るのです。ですから、あなた方が数多くの過去生で積んだ功徳によって勝ち得たこの希有なチャンスを、最大限に活用できるよう、常に注意深くありなさい。皆に友好的で、人助けのできる、愛に満ちた人でいなさい。いつも神の御名を唱えていなさい。決して勇気と歓喜をゆるめてはなりません」

ババは、その地はバドリーカアシュラムと呼ばれており、ナーラーヤナ神はそこでなすべき苦行をしていたということを明かした。

私は光を見出しはじめ、三年前にチットラーヴァティー川の砂地で"シュリ サティヤ サイと苦行(タパス)"ということで私を悩ませた疑問は、歓喜の炎によって溶かされた!

それからババは一行に、ナーラーヤナ神の像がどうやってバドリーナートの聖堂にときたまリンガムや仏陀やシャクティとなって顕現するのかを説明してくれた。さらにババは、そこで礼拝されているさまざまな付随的な像についても詳しく教えてくれた。ババは、シャンカラーチャーリヤがカイラーサ山から持ってきて、バドリー、プリー、シュリーンゲーリー、ドワールカー、そして、チダンバラムに安置した五つのリンガムのこと、適切な儀式を行うことによってシャンカラーチャーリヤがよみがえらせた四つのヴェーダのことを話してくれた。リグヴェーダをプリーで、ヤジュルヴェーダをシュリーンゲーリーで、サーマヴェーダをドワールカーで、アタルヴァナヴェーダをバドリーでよみがえらせたということだった。ババは皆の期待と士気を高め、愛、兄弟愛、そして、奉仕のムードの漂う巡礼の雰囲気に持っていった。

一行のメンバーの多くは、6月7日にマドラスのアルワルペートにあるヤティラージャ・カッリャーナ・マンダパムに集合して、9日にデリーに到着し、そこでカルカッタやボンベイやラクナウーといった遠方からの人たちが合流した。10日には全員がハリドワールに到着し、聖なる場所を見るため、それから、スワルガアシュラム、ギーターバヴァン、パラマールタニケータンといった機関を訪れるためにリシケーシュへと向かった。11日、一行はブラフマクンドで母なるガンガー(ガンジス河)への夕刻のアーラティーを目撃した。その神聖な場でのその日のアーラティーは、ババの臨席によって聖化された。ウッタルプラデーシュ州知事のB・ラーマクリシュナ・ラーオ博士もいっしょだった。バドリーへの巡礼に先駆けて、知事たちは、ババによって選ばれた帰依者たちと共に、自らババにアーラティーを行った。

ハリドワールからバドリーナートは291キロほど離れているが、いたるところが歴史と神話と伝説に満ちており、そのすべてに神々と人間たちの勇ましい苦行が織り込まれている。ハリドワールそれ自体、ダクシャヤグニャの場であり、七聖仙が苦行をした場である。リシケーシュではラクシュマナが苦行をした。数キロ先にはヴィヤーサ仙が苦行をしたヴィヤーサガートという場所があり、アラカナンダー川とバーギーラティー川が合流するデーヴァ プラヤーグという場所(天のガンガー女神を地に降りる気にさせるとは、バギラタは何と素晴らしい苦行をなしたことか!)では、シャンカラーチャーリヤが苦行をし、シヴァ パールヴァティー リンガムを安置した! その近くのビルヴァケーダでは、ダルマを守るためにシヴァ神から武器を授かろうとしてアルジュナが厳しい禁欲をなした。シュリーナガルでは、シュリ ラーマがシヴァ神の御姿をとるために苦行をしたと言われている! カルナ プラヤーグは、ケーダールナートから流れてくるマンダーキニー川がアラカナンダー川に合流する場所であり、カルナがスーリヤ神のヴィジョンを得るために何年も何年も苦行を積んだ地である。ルッドラ プラヤーグでは、ナーラダが神の栄光の歌い手となるために苦行をし、シヴァ神から楽器ヴィーナを授かった。そこから53キロほど離れたナンダ プラヤーグは、カンヴァ仙がカーリダーサによって不滅を得た庵にゆかりがある。サラスワティー川の岸辺では、ラージャラージェーシュワリーがシヴァ神を自らの主とするために苦行をしたと言われており、一方、ヴィラヒガンガーの岸辺では、シヴァ神がダークシャーイニー女神〔パールヴァティー女神〕を取り戻して妃とするために苦行をしたと述べられている! 途中のバヴィシヤ バドリーでは、アガスティヤ仙が苦行をした。ジョーシーマト〔標高1859mの地〕では、ナーラダ仙が苦行によってアシュタアクシャリー マントラ〔八文字の真言〕という救いの鍵をわがものとすることに成功した。そこで、マールカンデーヤは厳しい苦行を積み、シャンカラーチャーリヤはサナータナ ダルマを復興させて育むために僧院を創設した。

ジョーシーマトを越えると、パーンドゥの苦行を思い出させるパーンドゥケーシュワルがあり、千の舌をもつシェーシャ(蛇)もまた行者であり神を実現することができたということを思い出させてくれるシェーシャ ダーラがあり、ハヌマーンがパーンダヴァ兄弟の次男に自らの並外れた武勇を証明したハヌマーン チャッティーがある。そして、最後のバドリーナートは、ナラ山とナーラーヤナ山の間、雪の冠を頂いたニーラカンタ山の(6596m)の裾野にあり、ここでナラシンハはその恐ろしい御姿を顕し、ナーラダ仙、アグニ神、インドラ神はここで苦行をしたと、プラーナは述べている。ヴィシャール王は、ここでの苦行によってバドリーをバドリー ヴィシャールとする栄誉を得た。ガンターカルナ王は、ここでの禁欲によって主の番人となる名誉を得た。ウッダヴァはクリシュナ神の特命により、今もここで苦行をしている。そして、クリシュナ神自身も、タポームドラー〔苦行の手印〕組んだ姿で描かれ、人を高め霊感をもたらす周辺の広大なヒマラヤ一帯のムードと調和しながら、一年のうち半年間を神々によって、半年間を人間によって、ここで礼拝されている。

ハリドワールからデーヴァ プラヤーグへまでのガンガー(ガンジス)、そして、そこからのアラカナンダー川は、220キロ以上におよぶ巡礼の旅とは切っても切れない伴侶であり、それが今、勢いよく隆起する流れの中にある道の近くに現れ、深く壮大な渓谷を滑って、銀の糸に沿ってざわめいている。最初、その轟々という水の音が人を恐がらせるが、次第に川は友となり、伴侶となり、うねりの轟きは、まさに主の御名の唱名、あるいは言葉としての主の象徴であるオームの吟唱に聞こえるようになる。おお! クベーラ神の富を相続した億万長者であり、主の都であるアラカプリーから派手に岩々にぶつかっては跳ねる、高い声の持ち主であるアラカナンダー川を何と言ったらよいものか? その小さな支流の数々を何といったらよいものか? 乳のごとく白き者クシーラガンガーを! 青き者ニーラガンガー、艶やかな者グフルタガンガー、黄金なる者カンチャナガンガー、名高い者キールティガンガー、厳しき者リシガンガー、そして、見捨てられた者ヴィラヒガンガーを! 何でも貪り喰う大食漢となった自らの罪を取り除くために、ナーラーヤナ神直々の命令に従って、火の神アグニが噴き出しているバドリーの温泉のすべてを考えてみたまえ。

さらに、荘厳なマノーラマ山を、雪に覆われた峰々を、氷河を、気力を失わせるほど巨大な岩壁の勾配と急斜面と絶壁を、滝と湧き水を、そして、小さな谷の一つひとつに敷き詰められた色とりどりの花の絨毯を、何と言うべきか? 実に、その道での一歩一歩が神へと向かって大きく踏み出す一歩なのだ!

この聖なる道をババに先導されるということは、実に、たぐいまれなる幸運の一つであり、一つひとつのカーブで待ち伏せしている地すべりや土砂崩れ、予想外に存在する割れ目や通せんぼ、苦々しい寒さ、降雨、緊張と疲労といった、やかましい災難の数々を振り返って見ると、特別に祝福されていたと感じる。なぜなら、ババのアバヤ ハスタ〔施無畏印、恐れるなという意味の手のひらを向ける印〕が常にそこにあり、落下を止め、土崩を押さえ、雨を寄せつけず、空気を温め、うなだれた心を鼓舞し、疲れから回復させてくれたのだから。

車、ジープ、バス、そして、トラックから成る一団は、6月12日、月曜日、午前8時にハリドワールを発ち、正午にデーヴァ プラヤーグに到着した。その二つの川の合流地点での沐浴は、気分がさわやかになる、心はずむ体験だった。私たちは、その日の午後に古代ガルワールの歴代の王の首都であったシュリーナガルに着き、そこに一泊した。シュリーナガルの人々は、パハーリ族とチベットの踊りのプログラムを用意してくれた。それはたくましい部族民の素朴な明るさを表現したもので、ババ、知事たち、そして私たちは、皆、その人たちの真剣さと誠実さを深く味わった。一行は13日にシュリーナガルを出て、138キロほど先のジョーシーマトへと向かい、途中、ルッドラ プラヤーグで朝食をとり、マンダーキニー川とアラカナンダー川が合流するナンダ プラヤーグで沐浴をし、午後3時ごろピッパルコーティで昼食をとった。その夜は神聖なジョーシーマトで過ごした。

バドリーナートは、29キロ少し先から私たちを手招きしていた! 何百万もの敬虔な者たちの足に踏みしめられて平らになった、岩片と石でできた幅1メートル75センチほどの細道を通る29キロは、険しい登り坂と急な下りがあり、途中には「落石の危険」もあると知らされた! 目の前にはいつも峡谷と崖と積雪の歓喜があり、耳にはいつも急流の歓呼があった! 山々から川床へと雄々しく降下している大氷河は、悪戯にも巡礼の道の上にさえ横たわっていた! この国の隅々からやって来る巡礼者の流れは、すれ違いざまに「ジェイ バドリー ヴィシャール」という合言葉を掛け合い、その時、どの顔にもきらきらと輝く目があった! 巡礼者たちは、堅い決意で自分の足で己の身を運ぶか、危険に満ちた絶壁のふちを早足で歩くポニーの背中に滑稽にまたがった! 巡礼者の布団、荷物の束や箱、バスケットや鞄を背に乗せたラバと馬とヤクとヤギ、そして人から成る長い列が続いたが、ラバたちの背にはバドリーの街の店で売るための絹や白檀、お香、お菓子、小麦、花や果物も積まれていた!

このすべてがその聖なる道に高潔なサットサングの雰囲気をもたらし、そこには励まし手ある主がいつもかたわらにいるという体験があった! 14日の朝、士気の高まった一行は、予約してあった乗り物にラバと馬を乗せ、約17キロ半先のラムバガルへと向かった。その夜はそこで休むことにした。ババと大勢の帰依者たちは、その道をずっと徒歩で進んだ。おお! あの困難な道で、ババが一人ひとりを勇気づけてくれたさまを、どうしたら十分に説明することができようか? ある人にはダンディー〔山岳地帯で人を運ぶための輿〕に乗るように勧め、別の人には馬に乗るように、ある人には進む速度を見るように言い、また別の人には少し休憩するよう助言し、ちょうどよいタイミングで気の利いた言葉や冗談を言ったり、からかったり、時には神らしくヴィブーティを物質化するという方法さえ使って、ババは皆の熱意をよい具合に保ってくれた。

ラムバガルからは骨の折れる登りで、帰依者たちはババに馬に乗ってもらうことに成功した。しかし、一同が大変がっかりしたことには、ババは数分乗っただけでまた歩きだした。バドリーナートには15日の夕刻前に到着し、一行は寺院のすぐ近くのグジャラーティー ダルマシャーラに宿をとった。

16日、ババは、役人、市民、寺院の委員会のメンバーら大勢の人たちにダルシャンを与えて祝福し、それから知事たちを伴って夕のアーラティーに出席した。その後、ババはバドリーナート総合病院でレントゲン器機の除幕式を行った。レントゲン撮影をされる患者第一号はそこの医者自身で、その医師は嬉しそうにこう言った。

「ババ様! 私の胸にはあなたが座っておいでです!」

ババは言った。

「レントゲン写真にはそれは写りませんが、それは事実です。先生、私にはわかっていますよ」

それは、その病院の歴史とその医師の人生の中で、実に最高の瞬間だった!

6月17日は最良の日だった。その日のことは、一行全員の胸に、何年も何十年も大切な思い出として在り続けることだろう。人々が平安と歓喜を得るために集うすべての聖地に再び霊験を吹き込むというババの使命の遂行にあたって、最近、そのうちの一つの使命がババをアヨーディヤー、カーシー、プラヤーグへと連れて行った。ババはその日、独特な儀式を用いてバドリーナートでのナーラーヤナ礼拝を再び活性化させたが、ババの意図するところは私たちのごくわずかな理解力を超えたものだった!

バドリーナーラーヤナ神の像へ朝のアビシェーカム(灌頂)をしている最中に、ババが寺院の中の祭壇のほうを向いていたとき、8時15分ごろだったが、ババは四本の腕にそれぞれシャンカ(法螺貝)、チャクラ(円盤)、ガダ(棍棒)、パドマ(蓮)を持ったナーラーヤナ神の像を神秘的に物質化した。それは30センチくらいで、おそらくその中には、ババの目の前にあるナーラーヤナ テージャスの神聖なエッセンスが抽出されていたのだろう。さらにババは、愛らしい千の花びらのある金の蓮の花を物質化し、周囲の人々が驚きを表すより先に息をのむ中、さらに祭壇の前で手を揺らして回すと、何と、手のひらにジョーティリンガが顕れたのだった。ババはそのリンガムを輝く蓮の花の上に置いた。帰依者たち、および、ナドリーナートの役人と市民ら大勢の人たちと共に、ババはダルマシャーラへと立ち去った。知事たちもほどなくその群集に加わった。

ババは、聖なるガンゴートリーの水(ババの説明による)の入った銀のアビシェーカ用の器を物質化し、自らその半透明のネートラ リンガムにアビシェーカを行った。ババは慈悲深くも全員にリンガを見せて回った。そこには解き放たれる光と、どうやって入れたのかわからないが中に入っている「目」がはっきりと見え、皆を驚かせた。帰依者たちはババがリンガムに聖水を注いでいる間、「シュリー ルッドラム」、「プルシャ スークタム」、「ナーラーヤナ スークタム」を唱えた。それから、ババは108枚のビルヴァの葉のミニチュアというかレプリカを物質化し、それは金でできていたのだが、それがババの手のひらから、輝くシャワーのように銀の皿の上に落ちた。ババは再び手を揺らして回し、今度は、おお、何と祝福された瞬間であったことよ、本物の108の新鮮なトゥンメの花が聖なる手のひらから落ちてきた! 花には朝露まで付いていた。それと共に、ババはB・ラーマクリシュナ・ラーオ知事に、おそらくすべての会衆を代表してのプージャーを、シャーストラに記されているとおりのアシュトーットラ プージャーを、リンガにするようにと指示した。プージャーのあと、ババはアビシェーカ ガンガー〔灌頂された聖水〕を集めて一人ひとりに分け与え、自らその慈悲深い手で人々の口に注いだ。

言うまでもなく、そのリンガムは、五つのリンガムのうちの一つで、ババによれば、シャンカラーチャーリヤがカイラーサ山から持ってきたもので、シャンカラはそれをバドリーカアシュラムに生気を与えるために礼拝堂の中の聖なるスポットに置き、ババは新時代を画する活力授与の儀式のためにそこからそのリンガムを瞬間移動させて、その場に現したのだ。ババは、この重大な日の記念としてよく礼拝するようにと、蓮華と神の像は帰依者たちに、金のビルヴァの葉は一行のメンバーたちに与えた。

同じ日の午後12時30分ごろ、ババはへりくだってブラフマカパルにやって来た。そこにはピトル(祖霊)に供え物をするために帰依者たちが集まっていた。ババは皆に、信仰心と誠実さを込めて自分の祖先と亡くなった親類たちに祈るよう勧めた。一行のメンバーは皆、主御自身のすぐ目の前で亡き人たちへの借りを返すことができるという、たぐいまれな幸運を得た!

それから、ババはアラカナンダー川に降りていき、波打つ急流からコップ一杯の水を汲んだ。しかし、何と、そのコップにはプラナヴァの文字が浮き出たヴィブーティの大きなかたまりと、祖霊への供養に欠かせない胡麻も入っていた! ババは、体に障害があるためにピンダ プラダンに参加するのが無理な帰依者たちの手のひらにその水を注ぎ、代わりにその水を供えるようにと言った! その日のブラフマカパルの儀式に与った者の祖先の霊が三倍に祝福されていることは確実である!

夕方6時、バドリーナート寺院の委員会が境内での公式な式典でババを歓迎し、ラーマクリシュナ・ラーオ知事もそれに出席した。巡礼者と市民約三千人が参列し、境内は鮨詰め状態だった。ババはシャンカラーチャーリヤによって持ち込まれた五つのリンガムとバドリーの神聖さについて話をした。(中略)ラーオ知事がババのテルグ語をヒンディー語に通訳した。

ババに謝意を述べた秘書官が五つのリンガムについてアナウンスし、バドリーがそれらの保管場所の一つであることは誰をも感動させることであり、それはすべてのヒンドゥーの胸にバドリーへのより大きな信仰心を植えつけてくれるだろうと話した。

その夜、ババは食べ物の施しの手配をしたのだが、それはバドリーナート寺院周辺の物乞い全員への、本当に大規模な惜しみないものだった。ババは一人につき毛布一枚(もしくはそれと同額のお金)を、500人以上に配った。物乞いたちが皆、感謝を込めてバガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ ジ キ ジェイ!」という歓呼に加わったのは、驚くに値しない。

18日の午前9時ごろ、ババと帰依者はバドリーを発ち、途中、シュリー ラーマ クラトゥというヤグニャの主催者たちを祝福するために何度か休憩しながら、ラムバガルに到着し昼食をとった。翌日、ジョーシーマトにたどり着き、そこから先の帰途は、バスと車に請け負ってもらった。それは20日の火曜日だった。

ババはバドリーナートからジョーシーマトまでの距離を歩き、翌日には、ヴィシュヌ プラヤーグ ジョーシーマトの山道の急な高地を登って早く目的地に到着した人々の中にいた。疲れた様子は少しもなかった。

ババは行きの道中に、一行がリシケーシュに戻るまで雨は降らせないと言っていたが、ババの命令どおり、雨は、キャラバンがリシケーシュの手前32キロで初めて霧雨のしずくに出会うまで、降るのを控えていた!

リシケーシュに近づいているとき、ババは、道に向かって落ちてきて地滑りさえ引き起こすことになっていた崖崩れを、一行の全員が安全にその悪運の場所を通りすぎるまで、数分間遅らせる奇跡を行った。その100人以上の帰依者の一団は多くが老人で、あまり丈夫ではなかったが、慣れない気候と慣れない食事の中、延々バスに揺さぶられたり捻られたり、延々山を歩いたり登ったりをこなし、皆、健康そのものでスケジュール通りに戻ってこれたのも、ひとえにバガヴァン シュリ サティヤ サイ ババの恩寵が常にあったおかげである。

私たちは皆、6月21日、水曜日にハリドワールに戻ってきて、22日にデヘラードゥーンへと発ち、そこからデリーへ向かう列車に乗らなければならなかった。ババは帰依者全員に、家に持っていくことができるようブラフマクンドからガンジス河の水を持ち帰ることを勧めた。ババは皆に、やさしい言葉と勇気づけるような笑顔を向けた。出発のとき、ババはすべてのバスにやって来た。ババは皆を祝福し、自分が得た歓喜を他の人に分かち合いなさい、そして、これからの人生を日々ナーラーヤナ神の座に向かう本当の巡礼の旅としなさいと命じた。歓喜の涙を目にいっぱいにためて、私たちはバスの座席に座った。胸がいっぱいで、口を動かして何か言うこともできなかった。

ババはハリドワールからナイニータールへと向かった。ババはそこで知事たちと三日間を過ごしたが、ババのダルシャンを求めてやって来た大勢の高官や高僧との謁見で非常に忙しい日々となることは必然だった。(中略)ババは26日にデリーに戻り、27日にマドラスへと飛んだ。ババは、同じ夜にデリーから列車でマドラスに着いた一行のメンバーと会うために、そして、それぞれが自宅に帰るのを祝福と共に見送るために、ちょうど間に合う時間に到着した。

ババは7月3日の正午にプッタパルティに到着し、バクタたちは大いなる喜びと共にババを出迎えた。4日、ババは帰依者たちに、旅の地理的な説明と、行事が目白押しだったバドリーでの三日間についての感動的な話をした。(中略)それから、ババは一人ひとりに、ババがバドリーでアビシェーカをしたときのガンゴートリーの聖水とバドリーのプラサードを与えた。

以上が、バドリー巡礼の、すべての者にとっての至福に満ちた終わりである。

私たちは、顕現なさったお方と共に、顕現なさっていないお方のところへ向かったのだ! 私たちは、ヒマラヤでの一歩一歩で、私たちと共にいてくださった主の愛を体験した! すべての曲がり角で、主の恩寵が私たちを守り、導いてくださった。

主が永遠に私たちの守り手、導き手、そして、神であらんことを!

Radiosai Journal Volume2 Issue5 より

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