サイババの御言葉

日付:1963年2月22日
マハーシヴァラートリの御講話より

サティヤとダルマに屈しなさい


神は私をテストしていて、それに耐え忍ぶという厳しい試練を負わせている、などと嘆いてはなりません。というのも、テストを受けて、初めてあなたは成功を確信することができ、また、自分の弱点に気づくことができるようになるからです。そうなれば、あなたは、再びテストされた時に合格できるよう、自分が苦手とする課題に集中的に取り組むことができます。試験勉強は、ぎりぎりになってからすべきものではありません。事前によく勉強し、必要とされる知識と勇気、そして、その知識と技能から生まれる自信を身につけて準備を整えなさい。それから、事前によく勉強したことを、試験の直前に心の中で何度も何度も繰り返さなければなりません。これが行うべきことのすべてです。これが勝利への道です。

多くの人はこう嘆きます。「“ダルシャンは罪を滅ぼす”といわれているが、一度どころか何度ダルシャンを得ても、なかなか私の悪運は尽きず、それどころか、私は前より酷い目に遭っている」と。確かに彼らは、やって来て、ダルシャンを得て、それから、ここで新たに確保した種である、愛(プレーマ)、信仰心(シラッダー)、信愛(バクティ)、善い仲間(サットサング)、万物に神を思うこと(サルヴェーシュワラチンタ)、神の御名の唱名(ナーマスマラナ)といった種を植え、それらの養生と土を耕す技を習いました。今、彼らは、清められたハートという整った土地に、それらの種を植えました。ですが、収穫が得られるまでは、以前に収穫した穀物の蓄えを消費しなければなりません。困難や心配事は、以前の収穫のときに得た作物です。ですから、嘆いたり、がっかりすることはありません。

この神聖な国の人々は、神聖さ、聖なる生活、他の人々と仲良く暮らしていくこと、といったものの源を忘れています。今、彼らにそれを思い出させる時が来ました。首に宝石を着けていながら、人はその宝石を探し回っています。人は鏡を自分の顔に向けなければいけません。高らかなヴェーダの呼び声が、まもなく人類の耳に鳴り響き渡ることでしょう。原人〔プルシャ/全能の神〕が、人々に思い出させるために、そして、真実の道に沿って人々を導き直すために、やって来たのです。

もし誰かがあなたに、サナータナ ダルマ(永遠なる宗教/古よりの永遠の法)の原理が簡潔に言い表されている聖句を示すようにと要求してきたら、バガヴァッド ギーターについて述べなさい。ギーターはヴェーダとシャーストラとプラーナの神髄です。ギーターは、フルーツ バスケットの果物を搾った果汁のビン詰のようなものです。それは果物のように干からびることも腐ることもありません。なぜなら、よく絞ったジュースが保存されているからです。ギーターの味と優秀さはこのユガの終わりまで存続し、それからヴェーダに帰融するでしょう。

体は、この世の生活という森の木です。人々の思考、感情、想像は、その木の大枝、小枝、葉っぱです。悩み、心配事、恐れは、その枝を飛び回る猿たちです。そのさまざまな形をとったものの中にある悲しみは、その花の開花を駄目にする害虫です。その花の開花が笑顔です。怒り、憎しみ、怠惰、恨みは、その森を荒らすフクロウやカラスです!

太陽は決して昇りも沈みもしません。地球が自転しているので、昇ったり沈んだりするように見えるだけです。太陽が昇る時に起こることは、見えなかったものが見えるようになることであり、それがすべてです。太陽が昇って沈むという繰り返しは、それをそうだと思う人にのみ存在するものである、それを否定する人には存在しません。見えるものと見えないものという二元性は、英知によって克服することができます。同様に、英知という太陽を知る時、それは鈍ることのない光をもってつねに輝いているものとして体験されます。

リンガムは、単に「印」や「象徴」を意味するものであり、崩壊(ラヤ)を示す単なる記号です。崩壊とは、言い換えるなら、心の死滅、あらゆる心の揺れの死滅、あらゆる心象すなわち物質世界の一切の死滅です。シヴァラートリは、心を司る神である月が可能な限り崩壊へと近づき、ほんのわずかな努力を加えるだけで完全な成功へと導いてくれる日です。そのため、霊性修行者は完全な心の消滅(マノーナーシャナ)を達成することができるのです。万物はリンガム(無形なるものの象徴)に含有されている、というのがその気づきです。

神は巨大な炎であり、個々の魂(ジーヴィ)はそこから飛ぶ火の粉です。個々の魂は、同一の光のごく小さな断片であり、自らの基盤と同じ輝ける神髄を有しています。けれども、過去の行いによって心に残された印象(ヴァーサナ)という風が、火の粉を吹き飛ばし、その光を消し、熱を失わせてしまいます。しかし、その風が炎を消すことはできません。風は炎をさらに燃え上がらせ、その輝きをより強くさせるだけです。なぜなら、神の意志(サンカルパ)は、もっぱら神の栄光を増すことができるのみだからです。

あなたが見る夢が、あなたが起きている時の経験や強い望みや失望によって形作られるのと同じように、あなたが起きている時に経験することは、あなたの過去世の結果です。夢を見ている時には、あなたは夢の中での出来事や感情が起きている時の状態と関係があるなどとは思いませんね? あなたは夢での出来事を、起きている時の状態とは無関係な、独自の、まぎれもなく本当の経験だと感じませんか? それと同じように、起きている時のあなたの喜びと悲しみ、行動と反動は、あなたの過去世に基づいているのです。それらはそう築き上げられたものなのです。

ある時、偉大な画家が王子のもとに来て、「お城の壁に壁画を描きましょう」と申し出ました。その後ろから別の画家が来て、「私はその絵と同じ絵を向かいの壁に描きましょう」と言いました。「絵が描かれた壁が見えないようにカーテンを吊るしても、何を描いたかを言われなくとも、私はその絵を描くことができます」と! どちらの申し出も許可されて、二人の画家はそれぞれ自分の作業に取り掛かりました。一人目の画家が作業を終えたと言った瞬間に、二人目の画家も作業を終えました。二枚の壁と二人の画家を遮る大きなカーテンの吊るされたその広間に、王子がやって来ました。王子は壁の絵を見て大いに褒め称えました。それから、カーテンを取り払うようにと命じました。すると、驚いたことに、向かいの壁にも、一番目の画家が苦労して描いたのとまったく同じ絵が描かれていたのです! 二人目の画家がしたことは何かというと、壁を磨き上げて大きな鏡のようにすることでした。そのため、絵はまったく同じだったということです! 同じように、あなたのハートを、きれいに、清らかに、ぴかぴかにして、神の力の栄光がそこに映るようにさせなさい。神がそこに自らの姿を見ることができるようにさせなさい。

試合に出ている人たちが、観戦者が味わう喜びと同量の喜びを得ることはありません。ですから、観戦者の態度、つまり、見る者の態度を持ちなさい。試合の最中は、打者も、投手も、野手も、場外のファンたちが得る喜びのごく一部すら味わうことはできません。ファンたちは、一打一打、打撃と守備の失敗や好プレーに目を留めます。試合の細かい点まで正しく評価します。それと同じように、人生というゲームから最大の喜びを引き出すためには、ゲームに深くかかわらなければならない時でさえ、傍観者の態度を培う必要があるのです。

私は誰にも何にも屈しません。ですから、私は恐れ知らずです。私は愛に屈します。私は真理に屈します。それがすべてです。世俗的な快適さのことを案じて、まるでそれがすべてであるかのように、私にそれらを求めてはなりません。とても貴重なものである、あなたが生きている時間を、神が人間の姿をとって今ここに存在していることを疑って無駄に使ってはなりません。すべての人への愛を育みなさい。それは、あなたがあなた自身に対してできる、最大の奉仕です。なぜなら、他人はすべて、あなたにほかならないからです。あなたも屈しなさい。憎しみや残酷さや嘘に屈するのではなく、愛と真理のみに屈しなさい。

〔ババ様は御講話中に、金のリンガムと水晶のリンガムを現出なさいました。〕

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.3 C7

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