サイババの御言葉:世界の繁栄 − ローカ カッリャーナ

日付:1963年10月21日・場所:プラシャーンティ ニラヤム
ダシャラー祭連続講話Bより

世界の繁栄 − ローカ カッリャーナ


広く一般に受け入れられている「カルマ」〔行為、因果応報〕の意味の一つは、その人の運命あるいは宿命、すなわち、自分の額の上に書かれた消すことのできない「記述」であり、実行されなければならないものです。それを逃れることはできません。けれども、それは他人の手によって書かれたものではないということを人々は忘れています。それはすべて自分自身の手で書かれたものです。そして、それを書いた手は、それを消すこともできます。籾殻は生まれつき稲に付いていますが、努力によって取り除くことができます。運命のすべてを書くようにとあなたを促したマーヤー(この世の幻力)は、一瞬のうちに征服することができ、そうすることで、そのすべてのページを消し去ることができるのです。

人間たちは自分で自分の繭をこしらえているのです。人間が苦しんでいるのは、繭から出て光の世界に行くことができずにいるからです。人間は、猿回しの縄につながれたまま踊りをおどって見物人に小銭を乞う猿のようなものです。シャンカラは次のように言いました。自分は喜んで猿(心、マインド)をシヴァ神に捧げる。そうすれば、シヴァ神は猿にシヴァ神を喜ばす芸を教え、施しを得るために猿を使うことができるからであると。これは言い換えるなら、シャンカラは自分の心(マインド)を神への想いで満たすつもりであるということです。そすれば、猿は手なずけられて、神の目的のために猿に奉仕をさせることができるからです。あなた方も、心を五感の奴隷にするのではなく、神の召し使いにしなければなりません。

各人のダルマを決める尺度

風で揺れている枝に鳥が止まっているのを見たことがあるでしょう。鳥は枝よりも自分の羽を信用しているので恐れてはいません。いざとなれば羽を広げて不安定な枝から飛び立つことができるということを、鳥はわかっているのです。枝は現象界(プラクリティ)であり、羽は主なる神の恩寵(アヌグラハ)です。羽を強くして、どんな枝にも止まれるようにしなさい。そうすれば災難に遭うことはないでしょう。けれども、現象界(プラクリティ)を信用して、現象界が与える守護に頼るなら、あなたは落ちてしまいます。

今、ムッラプーディ・ナーラーヤナ・シャーストリと、ヴァージャペーヤム・ヴェーンカテーシュワラ・アヴァダーニは二人とも、厳密には何がダルマかという境界線を定めるのは難しい、各人のダルマを決めるための尺度を定めるのは難しいということを言いました。あなたが従わなければならないダルマは、自分はこういうものだとあなたが断言しているもののダルマであるべきです。それはわかりやすい簡単な分析によってわかります。たとえば、もしあなたが自分はブラフミン〔バラモン、僧侶階級に属する者〕だと感じ、それを信じているならば、あなたはブラフミンに定められているダルマに従わなければなりません。もし自分はアートマン(真我、アートマ)であると感じ、それを納得しているならば、あなたのダルマはアートマ ダルマ(神性本位のダルマ)です。もし自分は体であると感じて、それを確信しているならば、あなたのダルマはデーハ ダルマ(体本位のダルマ)です。

しかし、人は皆、より高次の価値を吸収し、自分をアートマンだと思い、アートマ ダルマに従わなければなりません。これぞ私が降臨した目的である使命です。これぞヴィッドワン マハーサバー〔ヴェーダを復興するためのヴェーダ学者の会〕の仕事です。どんな蟻でも砂糖は自分の巣へとつながる入口に置くものです。すべての人間は私のものです。ですから、全世界は無知や限られた知識が招くものから救済されねばなりません。私は私の人間たち全員を私の近くに引き寄せます。なぜなら、人々は私のものであり、私は人々のものだからです。それゆえ、私は人々の教化を始めるのです。そして、人々が完全にエゴ〔自我意識、アハンカーラ〕のない人間となるまで教育するのです。

帰依者は何が自分のためになるかを滅多に知らない

これまでの25年間は、甘く、親切で、やさしい導きでした。しかし、これからは違います。私は人々を引きずってきて手術台の上に乗せ、手術をします。言い換えるなら、私には怒りも憎しみもなく、愛しかないのです。人々がもっと深くぬかるみにはまってしまう前に人々を救済するよう、人々の目を開かせるようにと私を促しているものは、愛です。

昨日発足した会〔プラシャーンティ ヴィッドワン マハーサバー〕は、まだヴェーダとヴェーダーンタの偉大な教えを知らない人々、それらを消化吸収して自分の型にはまった考え方の中に取り入れる余裕のない人々に、働きかけるでしょう。そうして、それらは愛と思いやりといっしょに、小さくて容易に消化吸収できるような一服の薬の中に入れて与えられるでしょう。ここにいる学僧(パンディト)は皆、無知(アグニャーナ)の根絶にいくらかの貢献をするでしょう。スローガンは、ヴェーダの祈りである、

「タマソー マー ジョーティル ガマヤ」

――暗闇〔タマス〕から光明〔ジョーティ〕へと導きたまえ

となるでしょう。

それは村から村へと光を灯していき、大きなランプから小さなランプに光を渡していくでしょう。

この仕事は果たされなければなりません。しかし、支配者はそれに着手することはなく、それが果たされたかどうかを尋ねることもありません。母親は子供が泣き声を上げるまで子供に乳を与えません。しかし、この母は違います。この母は、子供は乳を与えられなければならないということを、そして、それをいつ与えるべきかを知っています。この降臨自体が、私の神意(サンカルパ)に応じたものでした。この神の化身(アヴァターラ)の一歩一歩は、私自身の神意によるものであり、帰依者たちの祈りや嘆願によるものではありません。帰依者は何が自分のためになるかを滅多に知らないものです。

ヴェーダを養って世界の繁栄を確実にせよ

ブラフミン〔バラモン、僧侶階級〕はヴェーダとシャーストラの保管人であるがゆえ、ブラフミンを養うことは、ヴェーダとシャーストラ、そして、世界の繁栄(ローカ カッリャーナ)を確実にすることになるのです。ブラフミンはヴェーダとシャーストラを独占しており、自分の力の拡大のためにその独占状態を悪用していると言う者たちがいます。ヴェーダは、ブラフミンの共同体の富を増やすための、ブラフミン集団による巨大な陰謀であるとも言われています。これらは事実とは大きくかけ離れています。ブラフミンが守らなければならない規律と戒律、禁令と禁制の一切を見てみなさい。それらはすべて、ブラフミンがブラフミンのために敷いたものです。飲食、外出、睡眠、会話、仕事、与えること、受け取ること、収入、支出といった、生活の様々な行いの一切が、何百という決まりで規制されています。これは、他の共同体が費やしたものをブラフミン集団が享受しているなどという印象を伝えるものではありません。加えて、ブラフミンの規律正しい生活、および、ブラフミンが自らの義務として行う供犠、誓願、断食、ジャパ(唱名)は、全世界のためを意図しての、世界の繁栄(ローカ カッリャーナ)を確保するためのものです。実際、あなた方は、ブラフミンが伝統的な規律正しい生活様式を守り続けるよう、もっともっとブラフミンたちを勇気づけなければいけません。これはヴィッドワン マハーサバーの目的の一つでもあります。

バヴァーニー女神〔命を与える者の意、パールヴァティー女神〕は、シヴァージー〔インドのマラーター王国の初代の王〕に剣を与えて、ダルマの復興という女神の仕事のために送り出しました。このシヴァ シャクティ〔シヴァ神とパールヴァティ女神の化身であるババ〕は、ここにいる学僧たちの手に勇気(ダイルヤム)という剣を与え、私たちの民を教育し直すため、無知(アグニャーナ)を取り払うために出発するよう要求しました。

シヴァージーの剣は常にダルマのためにのみ用いられました。あるとき、シヴァージーとその軍勢がサマルタ・ラームダース〔シヴァージーの導師〕のアシュラムを訪れたときのことです。兵士たちは向かいの畑を占領し、勝手に畑中の砂糖きびを引き抜いて食べ尽くしました。その上、そのことを抗議してきた畑の所有者を砂糖きびの茎で打ちのめしたのです。それを聞いたシヴァージーは、兵士たちを盗みのかどで罰したのみならず、導師(グル)の勧めにより、その小作人の農地を無期限に無税としたのでした!

ここにいる学僧たちは俗心という病(バヴァローガ)に効く薬を知っています。彼らからそれを学び、その薬を飲みはじめなさい。地域の委員会がどこの村で学僧たちに話をしてもらう集まりを主催したとしても、それに参加しなさい。学僧たちが与えてくれる善いものは何でも受け入れなさい。至高の平安(プラシャーンティ)の兵士になって、自分のハートから中国軍〔前年に勃発した中印国境紛争で中国軍が国境付近のインドの国土を侵攻したことを指す〕を、すなわち、あなたのアートマの意識を徐々に蝕んでいるものを、退散させなさい。学僧たちを礼遇することは、私を礼遇することです。学僧たちを軽く扱うことは、ヴェーダとシャーストラを軽く扱うことであり、それは私を軽く扱うのと同じくらい愚かなことなのです。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.3 C29

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