サイババの御言葉:この旗を掲げ続けよ

日付:1964年11月23日・場所:プラシャーンティ ニラヤム
ババ様の39歳の御降誕祭の御講話より

この旗を掲げ続けよ


(御講話の前に、ババは即興でお詠みになった詩を歌い、その中で、自らはシュリーナータ〔ラクシュミー女神の主/ヴィシュヌ神〕、ローカナータ〔世界の主〕、アナータナータ〔救い手のいない者の主〕であり、象王ガジェーンドラを救い、少年ドゥルヴァを救い、貧しいクチェーラを救い、救い手のないプラフラーダを救った本人であると、公表なさいました。)




今、ここに集ったバクタ〔信者/帰依者〕たちのハートはどれも、朝日を浴びた蓮の花のように花開いています。なぜなら彼らは、今日は主なる神が人間の姿をとって生まれた日だと信じているからです。私はよく彼らに言うのですが、プッタパルティでは、そして、どこであれバクタたちが集う場所では、毎日がジャンモータサヴァム、ブラフモータサヴァム、アーナンドータサヴァム(いずれもインドで行われている祝祭)です。善人たちの善と、悪人たちの悪が一定の段階に達した時、無形なる者は人間の姿をとって降臨します。ナラシンハ アヴァター〔人獅子の姿をとった神の化身〕が降臨するには、その時までにプラフラーダの信愛と彼の父〔羅刹王ヒランニャカシプ〕の神への軽視の両方が機を熟している必要がありました。

アヴァター〔神の化身〕の真実を知るためには、霊性修行者は、農夫が畑を耕すように、心を耕さなければなりません。茨が茂り、野性の蔓が伸び、細かい根が広がっている藪を整備しなければなりません。土地を鋤で耕し、水をやり、きちんと種を植えなければなりません。若木や苗木を害虫や山羊や家畜に荒らされないよう守らなければなりません。周囲に柵を付けなければなりません。それと同じように、ハートから、エゴ、慢心、貪欲を取り除かなければいけません。真実〔サティヤ、真理〕とジャパ〔唱名〕と瞑想は、鋤で耕すことや地ならしに相当します。神聖な愛〔プレーマ〕は、その土地を潤して土を柔らかく豊かにするために撒く水です。神の御名は種であり、信愛〔バクティ〕は芽です。欲望と怒りは家畜、柵は規律、そして、至福は収穫です。

英知はカルマの最終段階

当然、あなた方が神への信仰を得るのは、宇宙には創造者、守護者、進化と退化の両方をもたらす作用、あるいは、これら3つの機能すべてを働かせる力が存在するということを自分で発見したときに限ります。この概念を把握するには、ハートが純粋で、心〔マインド〕が澄んでいなければなりません。そのためには、行為(カルマ)がとても重要です。ヴェーダの「カルマカーンダ」(行為の巻。儀式を扱う部分)はシルティ(ヴェーダの別名。聴くことによって学ばれるものの意)の大部分を占めています。というのも、英知(グニャーナ)はまさに行為の最終段階であるからです。軍隊には大勢の兵士がいますが、司令官は一握りです。それと同じように、行為は数多くありますが、どれも英知に従って行われます。ヴェーダの100の部分のうち、80は行為、16は礼拝(ウパーサナ)で、英知は4つです。行為は、衝動を教育し、感情を訓練するために行われなければなりません。そうすれば、あなた方は偉大な計り知れない者を前にしての礼拝の姿勢と謙虚な態度を身につけ、最終的に、唯一の実在は自分のみであり、自分は神と同一であるということを悟るでしょう。

昨今では、平等、すべての生き物は他の生き物と等しいということが聞かれますが、これは間違った観念です。なぜなら、見てわかるように、親と子は備えているものが違います。また、幸せな人もいれば、不幸な人もいます。空腹や喜びに平等はありません。もちろん、愛と同情を得る権利、神の恩寵を得る権利は、万人に平等にあります。病院で薬をもらう権利は万人にあります。しかし、ある人に与えた薬を同じように別の人に与えるべきではありません。薬の投与に平等はあり得ません! どの人も自分の病気に効く薬を受け取る権利があります。

こうした平等という名の下でのあがきは、人が至福を得ようとして用いる手段の一つにすぎないということを、私は知っています。世界のほとんどの地域で、今、人はこういった近道や、至福に到るための間違った道の数々を追い求めています。しかし、言っておきますが、自分の行動や日々の振る舞い、毎日の生活の小さな行いを正さなければ、至福には手が届かないでしょう。不可欠なのは実践(プラヴァルタナ)であると私は考えます。

人や組織は、誠実か否か、行いが公言している規範に則っているか否かによって判断されます。心、体、言葉の3つすべてが調和して働かなければいけません。そうした規律ある行いによって、感覚器官は浄化され、大いなる平安(プラシャーンティ)を勝ち得ます。そして、その大いなる平安から大いなる光輝(プラカーンティ)が生じ、その大いなる光輝から至高の光(パラマジョーティ)が現れます。その光は、至高の真我(パラマートマ)、普遍なる者を明らかにします。


今、私は、ここで育まれた慣習に従って、物質的な次元の慣習同様に、ここプラシャーンティ ニラヤム(大いなる平安の館)に「プラシャーンティの旗」〔蓮の花が先端に付いた塔の周囲に五大宗教のマークがあしらわれたシンボルマークが描かれている旗で、蓮の花の中心から英知の炎が生じている。サルヴァダルママークの原型。〕を掲揚しています。この旗は、私があなた方のために定めた霊性修行の象徴です。それは、欲望と怒りを克服すること、プレーマ〔神聖な愛〕を獲得すること、ジャパ ヨーガ〔唱名〕を実践すること、ハートの蓮の花が開いて、その中にある光と英知が浮かび上がるようにさせることです。私がこの旗をこのニラヤム(館)に掲げる時、あなた方は自分のハートをプラシャーンティ ニラヤム(大いなる平安の館)に変えて、そこにもこの旗を掲げ、それがずっとなびいているようにさせなさい。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speak Vol.4 C37

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