サイババの御言葉

日付:1965年3月1日・場所:プラシャーンティの旗の掲揚式
マハーシヴァラートリの御講話(上)より

シャヴァの中のシヴァ


今日、北はヒマラヤ山脈から南はカンニャークマーリーの岬まで、国中に「シヴォーハム、シヴォーハム」〔我はシヴァなり〕という宣言がこだましている時に、ここに来て私と共にいることのできた皆さんは、実に幸運です。

人に固有の神性を黙想するために伝統によって定められているこうしたあらゆる祭日には、自分の装備を点検し、どれを捨て、どれを保有するかを決めなければなりません。あなたが帰融しなければならない絶対者を思い出させてくれる特性や態度や習慣は、保持し、伸ばさなければなりません。時間と空間の相対世界へとあなたを引っぱっていくものは、すべて捨て去らなければなりません。あるいは、少なくとも、それらには一時の価値しかないということを認識しなければなりません。

あなたが渇望するあらゆる喜びは、すべてあなたの中にあります。けれども、あなたは、鉄の金庫に莫大な富を持っていながら、どこにその金庫の鍵があるのかさっぱりわからない人のように、苦悩しています。瞑想の静寂の中で、適切な指示をもってそれらに浸るとき、その鍵を手に入れて金庫を開け、豊富な歓喜を味わうことが可能になります。

怒りの炎、慢心の炎、憎悪の炎、妬みの炎は、他の炎よりも壊滅的です。これらの炎は、心の中で密かにめらめらと燃え上がります。そしてつねに、もっともっと油を注げと要求します。ギーターの中で、炎はアナラと呼ばれています。なぜなら、「アナラ」には「不十分」という意味があるからです! 炎は決して「もう十分だ」とか「満足だ」とは言いません。あなたは遠くで炎が燃え上がっても怖がります。そうであれば、あなた自身の中で炎が燃え上がったらどうでしょう? あなたはどうやってその恐ろしい炎を消すのでしょうか? サナータナ ダルマ〔古来永遠の霊的な法〕には、経験によってテストされ、聖仙たちによって保証された、いくつかの消火剤があります。それらは、真理(サティヤ/真実)、ダルマ、平安(シャーンティ)、愛(プレーマ)です。それらをあなたのハートに染み込ませなさい。そうすれば、炎を遮断することができます。

人は喜びを求めて痛みを得ている

コブラにつかまって口にくわえられているのに、自分の運命を知らずに舌を伸ばしてハエを捕まえようとする蛙のように、あなたも、自分が死の牙に捕えられているということに気づいていません。あなたは、喜びを求めて痛みを得、楽しみを追って悲しみという獲物をしとめています。あなたは朽ちゆく体に執着して、永遠の存在である神を手放してしまいます。当然ながら、これまで多くの賢者がこのことをあなた方の耳に入れましたが、彼らの言葉は固い土の上に落ち、芽吹くことを拒絶しました。もしそれらがあなたのハートの柔らかな土に落ち、その上に悔い改めの涙が注がれたなら、それらは必ずや芽吹いて成長していたことでしょう。

清らかな意識は、明るく輝くランプのようなものです。そのランプに恩寵という油を注ぎ、その中に自制という芯を据え、ナーマスマラナ〔唱名〕という火屋(ほや)を付けなさい。そうすれば、苦楽という突風がランプの炎を消すことはできないでしょう。「我は神なり」や「汝はそれなり」といった大格言によって、ランプに明かりを灯しなさい。そうすれば、あなたは光を得るのみならず、光の源となるでしょう。



私が今抱えている旗は、自分のランプに明かりを灯しなさい、というあなた方への呼び声です。この旗に付いているシンボルは、ここ、この地にあり、上昇を象徴しています。それは、見て学ぼうとする誰の目にも明らかです。蓮の柱の周囲にある複数の同心円は、ゴールへと向かう霊性の求道者の進歩の段階を示しています。求道者は、欲望という砂だらけの荒地から抜け出して、怒りと憎悪という血のように赤い階段を登り、至福という涼しい緑の広場を通って、ヨーガ(神との合一)という大いなる静寂に到達しなければなりません。そして、そこで真っ直ぐな柱のように、瞑想に定まらなければなりません。皆さんは、ヨーガ ダンダ、すなわち円の中心にある柱に六つの円があることに気づくでしょう。それらは、霊性修行者のクダリニー シャクティがゴールへ向かって上昇して通っていくチャクラ(エネルギーの中心)です。では、そのゴールとは何でしょう? それは、ハートの蓮の花が花開き、そこから英知の光が生じて一切の迷妄を焼き払い、個人の光輝を普遍なる神の光輝に帰融させることです。

プラシャーンティ ニラヤムの三つの門

プラシャーンティ ニラヤムには三つの門がありますが、壁がない、フェンスさえもないということに、皆さんは気づくでしょう! ある聖仙がこう尋ねたことがあります。「全世界を自分の住まいとして有している神にとっては、どれが正門なのですか?」、と。ここも同じです。ここかしこに入口があります。人を中に入れないためのものは何もありません! 第一の門はタモーグナ(鈍性)です。そこを入ると、今度は、庭や装飾や花飾り、そして音楽が、あなたをラジョーグナ(激性)の門へといざないます。それから、あなたはホールに入ります。そこにはサットワグナ(浄性)が広がっています。何であれ、私がすること、話すことには、すべて意味があります。私は決して意味のない行いはしません。これらの門も、あなた方への学びを有しているのです。

シヴァラートリのような聖日(ホーリー デー)を休日(ホリデー)として扱ってはなりません。ピクニックや映画やカードゲーム、宴会や娯楽を遠ざけなさい。聖仙たちが暦にこうした聖日を定めたのは、神を黙想するため、人の中にいる神に奉仕するため、悪徳という雑草や人を弱くさせる習慣を取り除くためです。

今日私から生じたアートマ リンガ、ジョーティ リンガ〔炎を有するリンガム〕を黙想しなさい。リンガはあなた方一人ひとりの中にあるということを確信しなさい。なぜなら、それはシャヴァ(肉体の鞘)の中に住むシヴァ神の印だからです。アートマ リンガのヴィジョンをあなたの内の意識に入れて、それを神の高みに上昇させなさい。

プラシャーンティ ニラヤムで過ごそうと決意した数日間を、しゃべりまくったり、無益な議論に興じたり、野次馬になったり、落ち着きなくぶらついたりして無駄にしてはなりません。この場所の規律を身に付けて、あなたのおしゃべりと、交際と、快適さを制限しなさい。そうすれば、この環境の中だけでなく、後であなたの家でも、神を思って生活することができるでしょう。この場所の平安を喜びなさい。思考と言葉と行いによってそれを遮断してはなりません。数々の過去世で積んだ徳によって手に入れた、この貴重なチャンスを、この類まれな機会を、自己改善のために活用しなさい。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.5 C8

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