サイババの御言葉

日付:1972年11月23日・場所:プラシャーンティ ニラヤム
47歳御降誕祭の御講話(2)

3つの体


人は幸福を求めて絶え間ない探求に取り組んでいます。しかし、人は幸福の本質的な要素とは何かを正確に定義することができていません。そのため、何か1つのものを手に入れると、またすぐに別のものを求めて飛び回り、常に満足できず、常に失望に悩まされているのです。人は、ものを見る目を曇らせて永続的な価値のあるものを得たいという欲求を鈍らせてしまう外界のがらくたを、所有しよう、貯めよう、もっと多く得ようとしています。人はいつ「私は完全に幸せです。もうこれ以上必要ありません」と言うことができるのでしょう? 外界のものが与えてくれる喜びや快適さの特質はどのようなものでしょう? 人は探求のために立ち止まることをしていません。人は、自分が最高で最も永続する至福の権化であるということに気づいていません。その気づきの欠如こそが、人を災害や病気に追いやってきたのです。

五感や心や知性を通じて幸福を求める前に、人は自分が五感の束なのか、それとも、五感と戯れる心なのか、それとも、心の欲求を正当化する知性なのかを、調べなければなりません。体は粗大体〔肉体/粗体〕です。粗大体が体の中に含有しようとする水は微細体です。それを作り上げ、それを意志した陶工の実体は原因体です。この3つの体はそれぞれ、粗大体(ストゥーラ デーハ)、微細体(スークシュマ デーハ)、原因体(カーラナ デーハ)と呼ばれています。人間の肉体の鞘〔食物でできた鞘〕と生気の鞘〔生気で出来た鞘〕は粗大体であり、心の鞘〔心で出来た鞘〕と理知の鞘〔知性で出来た鞘〕は微細体であり、歓喜の鞘は原因体です。歓喜の鞘の背後には、至福の源泉であるアートマ〔真我/内在の神〕が存在します。

3つの体に関係する3つの英知の段階

この3つの体に関連付けられた3つの英知の段階があります。それは、グニャーナ、スグニャーナ、ヴィグニャーナです。外界の分析と外界のさまざまな構成要素の行為の類似性によって得られる知識が、グニャーナです。この知識がさらに研究され、人間社会の最善の利益を守るために実践されるとき、それはスグニャーナ、すなわち、有益な知識になります。賢者からにじみ出てくる神の諸性質が染みこんだ浄化された意識から生じる意図と熱望は、ヴィグニャーナ、すなわち、最高の英知です。ヴィグニャーナという単語は、単なるグニャーナ、つまり、物質世界との接触から生じる知覚についての統合された情報、分析された情報を指すものとして誤用されることがよくあります。バーラタ文化〔インド文化〕では、ヴィグニャーナという単語を、賢者や聖仙の印である至高の英知を指すものとして用いています。

知力、知性、直観――この3つは人間の思考と行動を支配します。1つがもう1つへと導いていきます。これは、ガンディーがこの広大な国で解放への熱望を呼び起こした祈りの意味するものです。その解放は、異国人の支配からの解放だけでなく、異国人の思考の傾向や流行からの解放でもありました。ガンディーは、国中の何億という人の喉から「サブ コー サンマティ デー バガヴァン、おお、主よ! すべての人に有益な知力という道具をお恵みください」という祈りを引き起こしました。ひとたびそれが保証されれば、進歩は確実です。

ランカーへのハヌマーンの任務から教訓を学びなさい

ひとたび知力が浄化されて霊的な努力に専念するなら、どんな障害、どんな誘惑があっても、退歩することはなくなります。ラーヴァナがシーターを幽閉した場所を見つけ出すという任務を命じられたハヌマーンは、シーターを捜すためにランカー島を目指して海を一跳びしよう、自分のハートと舌にラーマを携えていこう、と決意しました。海の底に鎮座していたある山が、何か少しでもハヌマーンに奉仕をしたいという強い熱望を覚えました。というのも、ハヌマーンは神の道具で、心身を消耗させる冒険に従事していたからです! その山はマイナーカという名の山でした。マイナーカ山は海の上に顔を出し、ハヌマーンに、この上でしばらく休んで、ここに生えている木の実を食べて元気をつけてくださいと呼びかけました。ハヌマーンはランカーへの到着を遅らせることを拒みました。ハヌマーンは神の任務に従事しており、その任務には、休むこと、遅れること、手間取ることは許されませんでした。ハヌマーンはマイナーカ山のしつこい懇願に耳を貸さず、主の命令を果たすために先を急ぎました。

この出来事についてよく考えてみなさい。「自動力」のない巨大な山の感じた慈悲と奉仕への熱意について考えてみなさい! 猿であるハヌマーンの揺るぎのなさ、逸脱することのない信心、ひとすじの忠誠を考えてみなさい! 彼らはかけがえのない教訓――苦しみに対してとろけるハート、義務の道から外れることを拒む頭――を人間に説いていませんか?

人間全体の義務は、肉体を使って善い行いに従事し、微細体を使って善い思考と善い影響を自分の周りにまき散らし、原因体を使って神我顕現と至福を得ることです。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.11 C51

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