サイババの御言葉:人間の姿で

日付:1983年7月24日・場所:プラシャーンティ ニラヤム プールナチャンドラ講堂
グルプールニマー祭の御講話(上)より

人間の姿で


ある偉大なヨーギが神聖原理の栄光を探求する決意をし、静かな森の奥へ隠遁して、苦行を始めました。ヨーギは蓮華座を組んで目を閉じると、指を正しいチン・ムドラー〔親指と人差し指を付けて他の三本の指を伸ばすムドラー印契〕の形にして印を結びました。そのタパス苦行は五年間に及びました。神はそのヨーギの誠実さと熱意を試すことにしました。そこで、神は幼い少年の姿をとってヨーギの前に現れました。その時、ヨーギの目は少しだけ開いていました。少年はヨーギに尋ねました。

「おじいさん! どうしてそんなふうに目を閉じているのですか? いったい誰にお祈りしているのですか? 神がどのように姿を現されるか、わかりましたか?」

ヨーギは答えました。

「少年よ! わしは自分の目が開いている分しか、神を見ていない」

その後しばらくすると、ヨーギの目は半開きになりました。少年はまたヨーギに尋ねました。

「おじいさん! 今はどのくらい神が見えますか?」

ヨーギは答えました。

「少年よ! わしは半分だけ神がわかった」

一年後、またその少年がやって来ました。その時には、すでにヨーギは完全に目を開いていました。

「おじいさん! あなたは神を見ましたか? 神のことがわかりましたか? 」

そう質問すると、

「おう、わかったよ」

という答えが返ってきました。そこで少年は迫りました。

「あなたが何を理解したのか、僕に教えてください」

ヨーギは言いました。

「わしは、神は理解を超えているということを理解したのだ」

そのとき、神が目の前にいたにもかかわらず、そのヨーギは神の正体を見抜くことも、神に気づくこともできませんでした。

サイは千人の母親の愛を与える

神が人間の姿をまとい、あなたの後ろや、前や、隣にいて、あなたに話しかけ、あなたと共に動き、あなたが神に関する様々な執着を育てることを許しているのに、あなたは一向に神に気づきません。肉体をまとっていると、神は容易には認識できないのです。神は宣言しています。

私は血と肉の塊ではない
私は欲望の束ではない
欲望の束とはマインド心のことである
私は妄想の山ではない
妄想の山とは想像のことである
私はパラマートマ(至高の霊)、すなわち、始まりであり、終わりである

私は、あなたの内なる衝動であり、その衝動の結果としてあなたが求める知識であり、あなた自身の真我なのです。

スワミの一言は、あらゆる富という宝を授ける
スワミの一瞥(いちべつ)は、すべての恩恵を授ける
それは願望成就の花木(パーリジャータ)の一瞥である
サイの手は母が与える優しい慰め(ハーイ)を与える
それは一人の母親ではなく、千人の母親の神聖な愛(プレーマ)である!

このサティヤ・サイは、そのような愛の与え手(プレーマダーイー)です。

神が人々と共に遊び、歌い、出会い、食べるとき、この者は人間にすぎないという考えを信じることによって欺かれてはなりません。人はたいてい真理を忘れてしまいます。

神聖な愛の化身である皆さん!

あなた方は、通常の誕生と神の化身(アヴァター)の降誕の違いについて、はっきりと知っておかなければなりません。通常の誕生の原因となっているのはカルマ〔業(ごう)、行い〕です。人間の体を持って生まれるのは、立派なカルマをすることで得た徳の果報です。では、降誕の原因となるカルマとは何なのでしょう? 降誕にも、前もって幾つかのカルマがなければならないと言われています。そうです! あなた方の場合は、自分が行った善いカルマと悪いカルマが、自分の送る人生の種類を決めます。多くの結果を経なければ、乗り物すなわち道具を変えることはできません。というのは、それはこの世という舞台で繰り広げられる宇宙劇の中であなたに割り当てられた役だからです。その役は劇の一部であり、その劇ために割り当てられたものです。あなたは、その第一場面に出られるかもしれませんが、メーキャップ〔俳優のメイクや扮装〕を変えることはでないのです。

一方、神はカルマによって縛られることも、影響されることもありません。神は、カルマの結果としてではなく、善いカルマに褒美を与え、悪いカルマに罰を課すために、役を担うのです。神は、ヒランニャカシプの悪い行為とプラフラーダの善い行為の結果、ナラシンハ〔人獅子〕として化身しました。真実を言えば、アヴァターがまとう肉体は、個人の過去世における行為の質によって作られるカルマ デーハ〔行為によって得た肉体〕ではありません。アヴァターとしての神は、意のままに、どのようにでも肉体を形成し、変えることができます。神は、自らが意志した時に、意志したとおりに、肉体を生じさせること、捨て去ることができるのです。他のいかなる力も、いかなる人間も、それに影響を及ぼすことはできません。一切は、神が望むとおりに、神の決めたとおりに起こります。アヴァターを肉体と見るのは正しいことではありません。

グルは、グルの義務として、こういった、パラマートマとアートマの偉大な真理を、そして、神の栄光と神の慈悲の偉大な真理を、人類に教えなければならないのです。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.16 C16

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