サイババの御言葉

日付:1991年7月22日・場所:サティヤ サイ大学講堂
サティヤ サイ大学マネージメント開発プログラム開会式の御講話より

社会意識を持ちなさい


今、この国では、教育の促進という名の下に、モラルに欠けるとんでもない開発が行われています。そこには、本物の教養の証である謙虚さと規律が、ほんのわずかもありません。学生の間には人格と善い行いが浸透しているべきですが、今日では、その代わりに物質偏重主義と見栄と横柄が広まっています。

世界では、科学と技術の急速な進歩と共に、平和と安全の減少が起こっています。現代の学生は、飽くことを知らない欲望を募らせて、心を堕落させています。現代の学生は、内省する能力に欠けています。その一方で、外を見る目はあらゆる方向を向いています。

学生がまず第一に知るべきことは、「誰が人なのか、そして、良い人間を特徴づける性質は何か?」ということです。「人」とは信仰心を持っている人物を意味します。信仰心は、自分の信じることに従って生きるとき、深まります。人間の神聖さを認識すべきです。

新しい教育システムや、新しい社会システムを作ろうとすることは無意味です。そうした方法で現存する問題を解決することはできません。私たちは、清らかなハートを持つ少年少女の世代を育成しなければいけません。そのような世代を育てるには、清らかさと誠実さという精神風土があるべきです。これには、道徳を深めること、そして、真実への信愛を深めることが要求されます。人格と真実は、神でもあり人でもある人間という存在に内在する、霊性の浮上へとつながります。このように、霊性は、清らかなハートを持つ少年少女の世代を生み出すための基本となる土台です。清らかな若者たちがいるときにのみ、国は平和と繁栄を体験します。良い人生を送るには、学生諸君は自己中心的なところを捨てなければいけません。残念なことに、今の学生の間には犠牲の精神が見られません。

魂の富は世俗の富よりも大きい

今、学生は、何らかの精神的な弱さを患っています。その弱さの一つは、「人の幸せには富と地位が不可欠なのだから、富と地位だけを追い求めるべきだ」と感じていることです。これは完全に間違っています。ジャナカ王やシヴァージー王のような過去の偉大な統治者たちが、ヤーグニャヴァルキヤといった聖賢やサマルタ ラームダースといった聖者に師事したという事実がありますが、その内にある意味は何ですか? そうした統治者たちは富にも権力にも事欠きませんでした。しかし、彼らは、この世の富と権力の一切よりも、魂の富のほうが大きいと見なしました。一方、神への信仰よりも権力や地位を重視したカウラヴァ兄弟のような人物たちは、惨めな結末を迎えました。

生活していくには物質的な富も必要だというのは事実です。けれども、富が人生のすべてであり目的だ、というようになってはなりません。人間の命は神から来たものです。自分の人生を神に捧げ、正義の道を貫くとき、あなたは人生を聖化して平安と幸せと繁栄を獲得することができます。

まず必要とされるのは自己管理

MBAコース(経営学修士課程)では、財務、マーケティング等々といった難しいマネージメントの領域を教わります。しかし、それら一切よりも、もっと重要な領域は、「セルフ マネージメント」(自己管理)、つまり、マン マネージメント(人間管理)です。自己管理ができない人が、どうやって自分以外のものを管理できますか?

ですから、まず必要とされるのは、「セルフ マネージメント」(自己管理)です。そこには私利私欲のための余地はありません。孤立することのできる人間は誰もいません。もし誰のために生きているのかと尋ねられたら、人は自分のために生きていると答えるでしょう。さらに職業のことを尋ねられたら、自分は妻子のために働いていると言うでしょう。さらに質問を浴びせられると、人は自分や家族のさまざまな必要を満たすために社会に依存しているということを認めるでしょう。

今、権力を握っている人や、政治、ビジネス、あるいは他の職業に従事している人は、大勢います。彼らは、ほぼ全員が自分と家族のことしか考えておらず、社会意識を持っている人はごくわずかです。社会を苦しめているあらゆる悪の原因は何なのでしょう? それは、社会的責任感の欠如です。どの人も、社会に対する自分の義務を認識し、社会が存在しなかったら人は家庭生活を営むことができないということを理解しなければいけません。

ですから、学生諸君は社会意識を持つべきなのです。学生諸君は、自分と家族の利益を増す方法よりも、どうしたら自分の行いによって社会の幸福を増すことができるかを自問すべきです。「自分は社会の一員である。自分が良い状態にあることは、他の人たちが良い状態にあることと密接に結び付いている」と誰もが感じるべきです。

この国の無秩序と病弊の一切をもたらしているもの、それは霊性の衰えです。今、世界では、人の心も、空気も水も、あらゆるものが汚染されています。五大元素のすべてが汚されています。人の生活は五大元素に基づいています。ですから、人は五大元素の汚染の体現なのです。人間としての生の神聖さが奪われています。坂を滑り落ちるように、日々モラルの価値が低下しています。人間の中にある獣性が猛威を振るっています。人が獣性を滅ぼして神の段階に上昇することができるのは、人間の中にある神の性質を育むことによってのみ可能です。そのためには、自己中心的なところをなくさなければいけません。

給料とモラルの反比例

教養は、社会に奉仕する準備として不可欠なものです。たとえば、MBAの学生は、学位を取ったら大企業の管理職に就いて、快適な生活を送りたいと望んでいます。管理職は高い給料がもらえます。高額所得の理由というのは、生産が需要に追いつかず、値が上がるからです。所得の上昇には、モラルの低下がついてきます。モラルの崩壊に伴って、国は暴力と無秩序の餌食になります。高額所得を得ている人は、自分のしている仕事は自分が得ているサラリーに見合っているかどうか自問すべきです。

多くの事業で、収入よりも支出が上回っています。こうした状況の原因は、仕事の倫理の欠如、すなわち「仕事の精神」の欠如です。インドの地位は、他のいくつかの国々よりも悪くなっています。怠け癖が拡大しています。学生たちに、日本とバーラタ(インド)の状態を比べさせてみなさい。日本人は「仕事の精神」を持っています。日本人はよく働きます。そのため、日本人の生産性は高く、価格を低く抑えることができるのです。日本人はストライキの最中でさえ仕事を放棄しません。インドでは、高い給与を求める騒々しい声は上がっても、もっと勤勉に働こうという意思は見られません。そうした態度のせいで、インド経済は嘆かわしい状態にあるのです。

「Work、Work、Work!」がモットーであるべし

学生たちは、どんな類の仕事にも就くという覚悟ができていません。「Work、Work、Work」(働くこと)が学生のモットーであるべきです。職を得る見込みのない、教養ある若者たちが、不満を募らせ、精神を乱して、ナクサライト〔インドの武装革命主義者〕やテロリストに転向しています。しかし、学生諸君は、そうしたゆがんだ傾向に陥ってはなりません。学生は自分の義務のことだけを考えていなければいけません。自分が選り好みした特定の職を待っているべきではありません。

1973年1月28日、カルカッタ〔現コルカタ〕近郊のバッリアパラという村にプラスティック工場ができました。その工場から液体の化学物質が汚水として流されました。油売りが、その油ぎった液体に目をつけました。油売りはそれを集めて、自分が客に売っている食用油と混ぜました。その村で、突如として身体の麻痺が多発しました。男性も女性も子供も、あらゆる人が麻痺に襲われました。当局が調査した結果、身体の麻痺が発症したのは、その油売りから買った混合油を摂取した後だということが判明しました。商人たちのなかには、不正をしてまで利益を得たいという貪欲から、神聖で貴い人間の命を危険にさらす者もいます。現代では、かなりのビジネスがこの種のものです。私たちは、清らかな牛乳、清らかな水、清らかな空気を得ることができなくなってしまいました。どの商品にも混ぜ物がされて、質が落とされています。新車でさえ、買った翌日に問題を起こします。このようにして、あらゆる生活必需品が汚されています。

この悪の根底には、自分さえよければ、という気持ちがあります。モラルの価値をおろそかにしているせいで、これは次第に大きくなっています。モラリティー(道徳的であること)とは、善い行いを意味します。善い行いは、正しいことと間違っていることがわかることに基づいています。

犠牲の精神を持ちなさい

学生諸君は、犠牲の精神を持つべきです。そうすれば、自分のエネルギーと才能のすべてを他者への奉仕に捧げようという覚悟になります。この目的のために、学生諸君は、道徳的価値観を大切にしなければいけません。道徳的価値観は、学生諸君が理想の生活を送れるようにしてくれるでしょう。どこで働こうと、誰と会おうと、諸君は良い評判を得るべきです。自分はMBAの高学歴だからといって、思い上がった態度で振る舞ってはなりません。

諸君はさらに、プラフラーダは何をあらゆる教養の真髄として明示したかを覚えておかなければいけません。それは神を黙想することです。諸君のハートが神を思うことで満たされれば、詐欺や言い訳をして人を騙そうという考えが心の中に入り込んでくることはなくなるでしょう。そうして初めて、諸君はマネージメントの学習で得た多様な知識の一切を、正しく使うことができるようになります。

私たちの学校の学生は善良な男子です。彼らは生まれつき純粋ですが、世の中に出ると外の環境に影響されがちです。それほどの環境の中でも心を清らかなままにしておくために、ハートを愛で満たし、日々の行いを清らかで汚れのないように保ちなさい。さらに、学生諸君は、食べ物、時間、お金、エネルギーを無駄にしないことを習得すべきです。外の世界に入ったら、諸君の生活は人の手本となるものであるべきです。神を唯一の友と見なしなさい。自分の良心の指示に従いなさい。

諸君は、理想的な管理者へと成長すべきです。諸君が自分の振る舞いによって本校に信用をもたらすなら、それこそが、諸君が母校に感謝を示す一番の方法です。私たちは諸君からそれ以外何も求めません。自分自身のために良い評判を得なさい。理想の生活を送りなさい。そうすることで、諸君は、自分の両親と、諸君が学んだ学校を喜ばせることになるのです。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.24 C20

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