サイババの御言葉:バーラタの栄えあるヴェーダ遺産

日付:1993年10月18日・場所:プールナ チャンドラ講堂
三年ぶりに復興された
ヴェーダ プールシャ サプターハ グニャーナ ヤグニャ開会式の御講話より

バーラタの栄えあるヴェーダ遺産


知識より偉大な目はない
真理より偉大な苦行はない
貪欲より悪い悲惨さはない
犠牲より偉大な幸福はない


知識は真の目です。真理は真の苦行です。飲食物を断つことや森を放浪することは苦行ではありません。永遠の真理を追い求めることこそが真の苦行です。悲嘆の主な原因は欲望です。欲望は増え続けます。一つの欲望が満たされると、それが別の欲望が引き起こし、これが果てしなく続いていくのです。真の至福は欲望を制することにあります。犠牲は最高の永続する幸福をもたらします。それゆえヴェーダは、人は行為や子孫や富によってではなく、犠牲によってのみ不滅を得ることができる、と言明しているのです。

犠牲は人間の生命力です。ヴェーダは、ティヤーガ(犠牲)とヨーガ(霊性修行)とボーガ(世俗の快楽)を教えています。ヴェーダという言葉そのものに多くの意味があります。ヴェーダは、知性、知識、気づき等を意味します。有意義な人生を送るためには、一定のニヤマ(勧戒)に従わなくてはなりません。また、自分自身の内なる真実を知ることも必要です。単に知性と知識を習得するだけでは十分ではありません。知識は気づきへとつながる英知を育むべきです。これはヴェーダが教えていることです。「グニャーナ」という言葉は「英知」と訳され、「グニャー」と「ナ」という音節を含んでいます。過去、現在、未来のすべての時において真理でないなら、それをグニャーナと呼ぶことはできません。「アドヴァイタ ダルシャナム」(不二一元を見通すこと)こそが、真のグニャーナです。

真理は一つ、真理は無限、真理はブラフマン〔神〕です。「サッティヤムグニャーナム アナンタム ブラフマー」〔神は真理と英知と無限である〕は、ウパニシャッドの宣言です。

ヴェーダは人類に安寧を授ける

ヴェーダは単なるマントラとして扱われるべきではありません。ヴェーダは完全なる知識と英知を悟ることを助けます。古代の聖者たちは、内なる目を持ち、神を体験し、ヴェーダを通してその啓示を表現しました。それらはいつでも全人類に応用できます。それらは人類に安寧を授け、幸福と平安への道を示します。人生の最終目的は、欲望を犠牲にし、神を体現することです。

ヴェーダはアナンタム(無限大)であるがゆえに、人生という短い存命期間にヴェーダを修得するのは困難です。そのため、ヴェーダ ヴィヤーサは、ヴェーダを四つの部門に分けました。ヴィヤーサ仙はリク〔讃歌/ルク〕を一部に編纂し、それらをリク サンヒターと呼びました。ヴィヤーサ仙はすべてのヤジュス〔祭式〕を一緒にまとめ、その集成をヤジュス サンヒターと名づけました。すべてのサーマ〔詩歌〕の讃歌はサーマ サンヒターの中にあります。これら以外のマントラはアタルヴァナ サンヒター〔アタルヴァ サンヒター〕と呼ばれる四番目の部門に編纂されました。

さらに、ヤジュス サンヒターが、シュクラ ヤジュル ヴェーダ〔白ヤジュル ヴェーダ〕とクリシュナ ヤジュル ヴェーダ〔黒ヤジュル ヴェーダ〕に分けられ、ヴェーダ サンヒター〔ヴェーダ集〕の実際の数は五つになりました。

ヴェーダ サンヒターの分類

さらに、各サンヒターは、三つの部分、すなわち、ブラーフマナ、アーランニャカ、ウパニシャッドに分けられました。

最初の部分、ブラーフマナは、祭儀のためのマントラがぎっしり詰まっており、慈善や他のシャーストラ〔経典〕の儀式を行うためのものです。マントラの中には生命力があり、正しく解釈されるとき、どのマントラも神と結び付けられます。

第二の部分、アーランニャカは、人がグルハスタ アーシュラマ〔家長期/グリハスタ〕を終え、苦行生活を送るために森〔アーランニャ〕へ隠遁するヴァーナプラスタ アーシュラマ〔林住期〕の間にマントラを唱えることと結び付いています。

マントラを唱えることは、定められたカルマ〔行為〕の実践と常に同時進行であるべきです。人はその実践によって神を悟ることができます。ただマントラを聞くだけでカルマを実践しないのであれば、決して幸福や平安を手に入れることはできません。神を悟るためにはヴェーダに定められている教えを実践しなければなりません。もちろん、ヴェーダの詠唱を聞くだけでも、それ自体にマインドを浄化する力はあります。それはシャブダ ブラフマン〔音の姿をとった神〕です。音は神の第一の属性です。ヴェーダ シャブダ〔ヴェーダの音〕は至るところに浸透しています。

現代では、ヴェーダの影響力が減少しているために、世界中にかなり多くの邪悪、困難、混乱が蔓延しています。水、空気、食べ物、音はすべて、公害によって汚されています。私たちは汚染された生活を送ることを強いられています。私たちの呼吸する空気そのものが汚染されているとき、どうやって公害とは無縁の生活を送ることができるでしょう? ハートの純粋さを確実にするためには、環境と自然の元素が清らかであるべきです。この汚染の原因は、他ならぬ私たち自身の行いにあります。私たちがどのような言葉を口にしようとも、それは大気全体に広がります。私たちは、ヴェーダを詠唱し、神の栄光を歌うことによって、世界の大気を清めることができます。

人生を昇華させるためにヴェーダを大切にせよ

太古のリシ〔聖仙〕たちは、森へ入って、全世界の大気を清めるためにヴェーダのマントラを唱えたものでした。今日、ヴェーダは軽んじられています。この偉大なバーラタの国民は、ヴェーダの無限の力を理解していません。バーラタの国民がヴェーダの甘さを経験していないのは残念なことです。ヴェーダは、生計を得るためではなく、人生を昇華させるために大切にすべきです。

ウパニシャッドは、ヴェーダーンタ、すなわちヴェーダの末尾と呼ばれており、ダルマ、アルタ〔富〕、カーマ〔欲〕、モークシャ〔解脱〕という人生の四つの目的(プルシャールタ)を果たすための方法を詳しく述べています。これらはヴィッディヤー(正しい知識の習得)を介した自分自身の努力によって果たすことができます。ヴィッディヤーには二種類あります。一つはパラ ヴィッディヤー(高次の知識)、もう一つはアパラ ヴィッディヤー(低次の知識)です。アパラ ヴィッディヤーが束縛の原因となる世俗の追求を扱う一方で、パラ ヴィッディヤーはモークシャ(解脱)への道を示します。

霊的英知を手に入れるのに、世俗の教養は必要ありません。霊的探求に要求されるものは、サティヤドルシティ(真理の目)のみです。古の時代より、バーラタ人たちは霊的探求を人生の最終目的として専心してきました。

ヴェーダの九つの名称

ヴェーダには〔主に〕九つの名称があります。それは、シルティ、アヌスマラ、トライー、アームナーヤ、サマームナーヤ、チャンダス、スワーディヤーヤ、ニガマ、アーガマです。

シルティ〔シュルティ〕
ヴェーダは、正しいスワラ〔音〕と節に忠実に、口頭で復唱することにより、師から弟子へと伝授されました。古代にはテープレコーダーやレコードのような便利な機器はありませんでした。弟子たちは、もっぱら熱烈な信愛と共に日夜絶え間なく復唱することによって文言を習い、マントラを暗記しました。ヴェーダの基盤はスワラであるために、たとえ言葉が抜けたとしても、唱えるスワラや節にはわずかな欠陥もあってはなりません。それゆえ、ヴェーダは「シルティ」(聴くことによって習うもの/シュルティ)と呼ばれているのです。

アヌスマラ
ヴェーダは暗記と絶え間ない詠唱によって修得されるため、「アヌスマラ」〔アヌは従事する、スマラは思い起こすの意〕という名前を得たのです。

トライー
元々はリグ、ヤジュル、サーマの三つのヴェーダしかなく、それらが一切の祭祀とヤグニャ〔供犠〕のためのマントラと、音の高低の基部を形作りました。それゆえ、それらは「トライー」(三つのもの)と称されたのです。

アームナーヤ
「アームナーヤ」は練習を意味します。詠唱と暗記の練習は、起きている状態のときはもとより、夢を見ている状態と熟睡している状態でさえ続けられました。ですから、ヴェーダはアームナーヤと呼ばれるのです。

サマームナーヤ
ヴェーダは学ぶ者のハートに保たれるため、「サマームナーヤ」と呼ばれます。

チャンダス
サーマ ヴェーダは、ヴェーダのマントラの基本的な韻律を定めています。その韻律が「チャンダス」です。そのため、ヴェーダはチャンダスと称されます。

スワーディヤーヤ
ヴェーダは、息子が父親から、あるいは、弟子が師から習います。このように、ヴェーダは世代から世代へ、祖父から孫息子へと伝えられます。ヴェーダは、習った後に絶えず自習し、練習することによってのみ保持されるため、「スワーディヤーヤ」〔復唱すること、学習、声高に暗誦すること〕と呼ばれています。

ニガマとアーガマ
ヴェーダの学習は吸う息と吐く息に結び付いていることから、ヴェーダは「ニガマ」と「アーガマ」と呼ばれます。たとえば、人が空気を吸うときの音は「ソー」、吐くときの音は「ハム」です。呼吸のたびに、この「ソーハム」、すなわち「私は神である」が繰り返されています。これは一日に21,600回続けられます。これはまさに、ヴェーダのマハーヴァーキャ〔大格言〕、「あれは汝なり」――「タットワマスィ」の実践に他なりません。これをすべての人が呼吸のプロセスの中で一生を通じて行い続けます。呼吸が止まれば生命は絶えます。

内なる神我を悟るために肉体意識を超越せよ

多くの賢者と聖者が神を悟るために苦行をしました。彼らは述べました。

ヴェーダーハメータム プルシャム マハーンタム
(私たちは全能の神を見た)


彼らはどこで神を見たのでしょうか?

アーディッティヤヴァルナム タマサッ パラスタート
(私たちは無知の暗闇の向こうに神を見た)


ここでの暗闇とは、自分を肉体と同一視することと、感覚に執着することです。内なる神我を悟るには、肉体意識と感覚の欲望を超越しなくてはなりません。

ヴェーダは一体性と純粋性に重きを置いて、多くのことを教えています。人々のなかには、ヴェーダはヴェーダを唱える資格があるのは一部の人々だけであると断言して人々を差別している、と言う者もいます。これは完全な間違いです。ヴェーダは「シャーンティ シローカ」の中でこう述べています。

サハ ナーヴァヴァトゥ
サハ ナゥ ブナクトゥ
サハ ヴィールヤム カラヴァーヴァハィ
テージャスヴィナーヴァディータマストゥ マー ヴィッドヴィシャーヴァハィ


これはどういう意味でしょう?

共に成長しよう、共に生きよう、
共に学ぼう、共に知識を育てよう
争うことなく、友情を持って、広い心を持って


これがヴェーダの教えであるならば、どうして一部の人々を差別しているなどと言えるでしょう? ヴェーダは平等と平等観の深遠な形を教えています。

現在はヴェーダの一部のみが残っている

各ヴェーダには多くの分枝〔主要なヴェーダから生じた聖典/シャークハー〕があります。リグヴェーダには28の分枝がありますが、そのうち26の分枝は人々の記憶から消えてしまい、今では2つが残っているのみです。ヤジュルヴェーダには17の分枝ありましたが、世間に広まったのはそのうちの2つだけです。サーマヴェーダには1,000の分枝がありましたが、そのうちの998は失われています。それでも、世界が少なくとも現状程度の向上を遂げているのは、現在残っている原初のヴェーダの一部のおかげです。もし今、ヴェーダのすべての分枝が世間に広まれば、この惑星がどれほど強力なものになるか想像してごらんなさい!

神聖なバーラタの国は、ティヤーガ ブーミ(犠牲の国)、ヨーガ ブーミ(神との合一の国)と評されていましたが、今ではローガ ブーミ(病気の国)となってしまいました。その理由は、人々がティヤーガ〔犠牲、放棄、手放すこと〕とヨーガ〔神との合一〕を忘れて、ボーガ(世俗の快楽)に救いを求めているからです。人々はヨーガに生きることを習うべきです。

ヴェーダの戒めには大きな意味があります。万人がその教えの内なる意味を理解することはできないかもしれません。地球に引力があるという真実は、天地創造の時からずっと存在していました。しかし、それはいくつかの実験の末に、ニュートンによって初めて発見されました。それと同様に、ヴェーダの中に隠れている真理は、激しい苦行と霊性修行の末に、リシたちによって悟られました。リシたちは、自分たちに明かされた永遠の真理を人類に与えました。リシたちの霊性修行の振動は、宇宙の隅々まで広まりました。それはバーラタや特定の場所に限ったものではありません。

これはアメリカであれ、オーストラリアであれ、世界中のどんな場所でも実践することができます。これはサティヤ スワルーパ(真理の具現)です。それが時間や場所によって変化することはあり得ません。それは時間と空間を超越しています。そのため、それは超越的実在と呼ばれるのです。人々のなかにはヴェーダを軽く考えて茶化す人さえいます。

ヴェーダを学ぶことは限りない恩恵をもたらす

愛の化身である皆さん!

たとえヴェーダを唱えることができなくても、信愛をもってその音を聞きさえすれば、ヴェーダはあなたを上のレベルに引き上げてくれるでしょう。子供は母親が歌う子守唄の意味を知りませんが、その調べを聞いて眠りに誘われます。それと同じように、わき目もふらずに専心してヴェーダの詠唱を聞くことは、あなたに限りない恩恵をもたらすでしょう。もしヴェーダを反芻し、生活の中でヴェーダを実践するなら、あなたは自分が達するであろう至福の大きさを想像することができます。ヴェーダの讃歌はナーダ ブラフマン(音の姿をとった神)を構成しており、極めて効能があります。寺社へ詣でる信者は鐘を鳴らします。一般的には、それは神の注意を引くためだと信じられています。そうであれば、神は眠っているので鐘を鳴らして起こさなければならない、ということなのでしょうか? 神はいつでも起きていて、すべての人の祈りを聞いています。鐘を鳴らすのは、あなたが好意や援助をもって応じてほしいと願っている重要人物に手渡す名刺のようなものにすぎません。鐘を鳴らすのは、ただ神の注意をあなたのほうに向けるためです。それと同様に、ヴェーダの音は寺院で鳴らす鐘の音のようなものです。

オームカーラは神の正しい住所

音は原初のプラナヴァ〔聖音オーム〕から生じます。プラナヴァは、A〔アカーラ〕、U〔ウカーラ〕、M〔マカーラ〕という3つの音節でできています。神の正しい住所はオームカーラ〔オームの音節〕です。鐘の音とヴェーダの音も、オームカーラ ナーダ(オームの音)を発しています。オームカーラの発声は、臍から生じる「ア」の音に始まり、それから、喉から生じる「ウ」の音、そして最後に、唇から生じる「ム」で結ばれるという一連の方法で、甘く滑らかになされるべきです。それは、遠くの飛行機の音が空港に近づくにつれてだんだんと大きくなり、最後に着陸して小さくなるかのごとく、発声すべきです。(スワミはここでオームカーラの正しい唱え方を実際に示してくださいました) ヴェーダはこのことをとても明瞭に教えています。

ヴェーダは個人をより高いレベルに引き上げます。人々はこの真実に気づいていません。多くのヴェーダ学者が、子供を修道院の学校に送って子供に世俗の教育を授けようと努め、子供を守ってくれるヴェーダという神聖な遺産を伝えることには気にも留めていません。奨励と適切な普及と推進が欠けているために、ヴェーダの知識は、神聖なこの宝の故郷であるこの偉大な国において、日ごとに衰退しつつあります。

スワミは、人々がヴェーダを育てることを期待しており、サイの教育機関の何千人という学生たち全員に小学校からヴェーダの詠唱を習わせることによって、その方法を示しています。皆さんは、小学生の五歳から八歳の子供たちが、この集会の始めにヴェーダを唱えていたのを見ましたね。実際には、ヴェーダの学習を強制しているわけではありません。生徒たちは皆、自分から喜んでヴェーダの詠唱を習うことを申し出ます。この教えを伝えるヴェーダ パータシャーラ(ヴェーダ学校)は他の場所にもありますが、そこの学生たちは、のちにヴェーダを唱えるのをやめてしまいます。皆さんは、子供たちが熱意を持って、強制されずにヴェーダを習うようにさせるべきです。甘く優しく説得することによって、子供たちがヴェーダの偉大さに気づくようにするべきです。

ヴェーダは古代から私たちの国を守ってきました。国家の安寧に貢献しているヴェーダの影響力に政府が気づこうとしなかったために、この国は多くの困難に直面しています。国民がヴェーダの普及を始めるべきです。

バガヴァッドギーターとブラフマースートラにはウパニシャッドの神髄が込められています。ウパニシャッドの真理の重要性を明瞭に説明する物語に言及している聖賢たちもいます。「イーシャヴァースヨーパニシャッド」〔イーシャー ウパニシャッド〕は、諸ウパニシャッドの中で首位を占めるものです。このウパニシャッドは全宇宙に神が浸透していると言明しています。サンスクリット語の学習を軽視しているために、人々はウパニシャッドの中にある知識の宝を楽しむことができずにいます。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.26 C32

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