サイババの御言葉

日付:1998年1月1日・場所:サイ・クルワントホール
元旦の御講話より

あなた自身を変容し、世界を変容させなさい


宇宙は神に支配されている
神は真理の支配下にある
かの真理は、神聖で気高い者たちの威光の支配下にある

(テルグ語の詩)

今、人は真理の化身とならねばなりません。人は真理を支配しなければなりません。

創造物はすべて真理から生まれた
すべては真理に帰融する
この宇宙に真理を基盤としていないものがあろうか?
おお、人よ、これはシュッダサットワ(絶対実在の清らかなる真理)なり!

(テルグ語の詩)

すべての人は真理を起源としています。人は真理によって維持されています。そして、人は真理に帰融します。人は真理の化身です。すべての人が真理を認識するなら、全世界に真理が浸透するでしょう。今、人が探し求めるべきものは喜びではありません。また、悲しみが人の目標なわけでもありません。人は喜びや苦痛の原因を自分の支配下に置くべきです。喜びよりも苦しみが人の英知を呼び覚ますのです。もし、偉人の生涯を研究するなら、困難と苦しみから英知を見出したことがわかるでしょう。悲しみがなければ英知はもたらされません。苦しみこそが、人に多くの賢明な教訓を与えてくれるのです。

この深遠なる真理を悟ることなく、人は際限なく喜びを追い求めています。人が幸せになる必要があるのは当然のことです。しかし、幸せはどのようにして得ることができるのでしょうか? 人は、悲しみを克服して、初めて幸福になることができるのです。ですから、人は誰もが、幸福を迎えるのと同じ気持ちで悲しみを歓迎すべきです。

悲しみと喜びは混じり合っている
悲しみと喜びを引き離すことは誰にもできない
喜びは決して単独では存在しない
苦しみが取り除かれたとき、人は喜びを味わう

(テルグ語の詩)

喜びはどこからやって来るのでしょうか? 苦しみが取り除かれれば、喜びが確保されます。

喜びと苦しみを神の贈り物として等しく扱いなさい

私たちの国の繁栄と貧困の相続人は、今の若い青年男女です。将来の国の発展は、彼らにかかっています。ですから、国家の真の宝は青年男女なのです。

人は、自分が喜びと悲しみの設計者だということを悟らねばなりません。したがって、良いことであれ悪いことであれ、あなたに何が起ころうとも、いつも平静にそれらに面と向かうようにしなさい。

神はスィッディ スワルーパ(願望成就の化身)であると言われています。また、神はアモーガ(限界のないもの)であるとも言われています。この意味は、神の力は無限である、ということです。神はまた、アプラメーヤ(測定不可能なもの)とも呼ばれています。したがって、人は自分に何が起ころうとも、それを神からの贈り物として扱うべきなのです。喜びも苦しみも、神からの贈り物として同等に扱うようにしなさい。そのプロセスには比類のない喜びがあります。日常生活において、私たちは、失敗や損失や悲しみを不幸としてとらえがちです。しかし、この世で原因なく起こることは何もありません。ものを食べる原因は空腹です。水を飲む原因は喉の渇きです。悲しみの原因は苦難です。もし永遠に続く幸福を味わいたいなら、その幸福の源を探さなければなりません。その源はプレーマ〔愛〕です。この世に愛より偉大なものはありません。あらゆるものには代価があります。永遠に続く幸福に対して支払うべき代価は、神聖なる愛です。愛がなければ、どんなものもあなたに真の幸福をもたらすことはできません。ですから、人にとって一番の富は愛です。誰もがその富を得ようと努めるべきです。その富を持てば、誰も皆、永遠に続く至福を味わうことができます。

苦しみは後に続いてやって来る喜びを神聖化する

私たちは、この世であらゆる苦しみと悲しみを目撃します。しかし、そのどれ一つとして永久に続くものはありません。どんな苦しみの日々も、必ずその後には喜びがやって来ます。喜びの体験は、先立つ苦しみによって純化され、いっそう強められるのです。金をるつぼで溶かして精錬するように、苦しみは後に続いてやって来る喜びを神聖化します。

新しい年や新しい月が、新しい喜びや新しい悲しみを運んでくるのではありません。先ほど話をしたサンディーパン・チャッテルジーも言っていたように、あらゆる瞬間が新しいのです。毎秒ごとが新しいのです。なぜなら、秒は時間の進行の先陣を切っているからです。実際のところ、一年というものは、秒が分になり、日になり、そして月となることの連続です。

あらゆる瞬間を新しいものとして認識したとき、初めて新年は新しい年となります。この一年がどれくらい実りあるものになるかは、あらゆる瞬間が神聖に費やされるかどうかにかかっています。

もしもあなたが、神聖な人生を送りたい、神聖な経験をしたいと望むのであれば、神聖な行いをしなくてはいけません。この世の善と悪は、人間が行いを変えることによって、初めて変えることができるのです。社会の変容は、個人個人の変容から始めなくてはなりません。学生たちは今朝、学生が共に友好的に生き、和をもって行動することに関する、ヴェーダの祈りを唱えました。しかし、彼らは、「争うことなく、仲良く生きることができますように」という、その祈りの大切な箇所を抜かしていました。

このヴェーダの讃歌は、一体性は人々が不和に陥ることなく共に生きるときにのみ生まれ得ることを強調しています。それゆえ、誰も皆、衝突や不安に付け入る隙を与えることなく、他の人と共に、和と愛の生活を送るべきです。

神は無知の暗闇を取り払う者

そもそも、神は愛の具現です。神の愛は世界に満ちています。宇宙はヴィシュワ〔すべて、あらゆるものの意〕という名が付いています。なぜなら、神は全宇宙に存在しているからです。神の御名の一つにヴィシュヌという御名があります。この語は、語源的には、宇宙中隈なく存在している者を指しています。神は原因であり、宇宙は結果です。神はアートマとも呼ばれています。アートマは、光や光輝を意味します。神は無知の闇を取り払う者です。

古代の聖典で使われている言葉には、すべて内的な深い意味があります。この深遠さはバーラタ〔インド〕の霊的遺産の特徴です。この深遠さを探求することに興味を持っている人はごくわずかしかいません。ほとんどの人は、毎日短い時間、形式的な礼拝をするに留まっています。彼らは何のためにそうした礼拝の儀式を行っているのかを知ろうともしません。祈りの目的と人生の目的を理解することなく礼拝の儀式を行うことは、何の意味もありません。あらゆる霊性修行の究極の目的は、愛の原理(神の愛)を悟ることです。愛を培うことが、あらゆる霊的努力の目的です。どのような状況にあろうとも、愛を放棄すること、無視することがあってはなりません。愛のあるところには、憎しみも、嘆きも、不足もあり得ません。時は過ぎていきます。あなたたちは皆、年々成長しています。しかし、あなたたちの態度は、わずかしか変わっていません。清らかな思考は、清らかな知識と英知をもたらします。悟りはグニャーナ(霊的英知)を通してのみ、生じ得ます。世の中では多くの人が富や名声や地位を獲得しています。しかし、人生の目的という意味においては、彼らは何を達成したのでしょうか? 彼らの失敗は、一見多様に見えることの下に隠れている一体性を理解できなかったことに原因があります。あらゆる人の中に神聖さを見出すことは、霊的に善良であることの印です。プラフラーダは、どこに神を探しても神を見つけることができる、と宣言しました。プラフラーダの父ヒランニャカシプは、学識においては偉大な人物でしたが、神を否定したために、善良さを獲得することに失敗しました。同じような違いは、ラーマの善良さとラーヴァナの偉大さの間にも見られます。

現代の学生たちへの教訓は、神聖な正義の道を歩むべし、ということです。学生は社会の幸福のために働くべきです。学生は三つの性質を育てるべきです。それは、生きとし生けるものすべてに対する愛を持ち続けること、あらゆる善い性質を育てること、役に立つあらゆる知識を得ることです。この三つの性質の基盤は愛です。

あなたのハートを愛で満たしなさい

愛の化身である皆さん!

あなたの望みが成就する、しないにかかわらず、神への愛が揺るがないようにしなさい。あなたの行為が善であれ悪であれ、自分の行為の結果は自分が刈り取るのだということを覚えておきなさい。永遠の至福を与えてくれるのは、神の愛のみです。憎しみや妬みといった悪い性質を避けなさい。

今日は1998年の始まりです。少なくとも今日からは、あなたのハートを愛で満たしなさい。すべての人を神の子と見なさい。シュリ・クリシュナは、すべての人間は私の火花である、と宣言しました。これは、人は誰もが神聖な人生を送らねばならないということを意味しています。誰も皆、毎日何人かの人に愛を表現すべきです。そうすることによって、全世界が愛で満たされるようになるでしょう。

あなた方は、今日ここで、世界中から何万という人たちが集まっているのを目の当たりにしています。そのことについて、しばし考えてごらんなさい。このように大勢の人が集まっている理由は何でしょうか? あなた方は、自分の国で見つからない何かを、ここで見つけようとしてやって来ました。それは何でしょうか? それは神の愛です。あなた方は、自分の住んでいる場所でそれを見つけられずにいました。あなた方は自分の内でそれを見つけられずにいました。それゆえ、病人が病院に行くのと同じように、あなた方はここにやって来たのです。今、あなた方はここにやって来たのですから、神の愛を持って帰りなさい。あなたのハートを神の愛でいっぱいにしなさい。病人がどこに行くにも薬を持ち歩くように、あなたがどこに行こうとも、いつも神の愛を携えて行きなさい。水夫のコンパスが常に一定の方向を示しているように、あなたのハートをいつも神に向けていなさい。あなたの思いと行動のすべてを神に捧げなさい。そうすることで、あなたの一生を聖化することができます。こうした信心深い生活を送ることによって、私たちの先祖は輝かしい遺産を残してくれました。現代の少年少女は、マインドとハートをそのような神聖な理想で満たし、社会全体を愛にあふれた共同体へと変えていくべきです。

若者たちを感化するスポーツの役割

クリケットの試合に出場するため、12月30日にたくさんの国から選手たちがプラシャーンティ・ニラヤムにやって来たのを皆さんは知っていますね。選手たちは皆、スポーツマン精神にのっとって、清らかな心で、ルールを守って試合をするという決意をしていました。彼らはその崇高な精神で試合をしました。選手たちは、自分たちが試合を楽しんだだけでなく、大観衆を喜びで満たしました。私たちの若い学生たちは、その試合に大変興味を示していました。観衆の中には、近隣の町や村からやって来た大勢の人たちもいました。スポーツや試合には、若者たちを感化するという明確な役割があります。人生はゲームです、プレイしなさい! 人生は夢です、それに気づきなさい! 人生は愛です、楽しみなさい! 人生は挑戦です、挑みなさい! 人は人生で厳しい試練に立ち向かう覚悟をしておかなければなりません。生涯の数々の挑戦に立ち向かうことのできる能力は、人間だけに与えられているものです。

日常生活のすべての行為は、神に捧げることによって聖化することができます。すべての思考を神に捧げることにより、人は平安に達することができます。これを実行し始めるのに、ふさわしい時を待つ必要はありません。時はあなた次第です。偉大な人は時を待ちません。偉大な人たちは、時間を自分の僕(しもべ)にします。人は神聖な体を授かっているにもかかわらず、体を誤用しています。竹には多くの節があるように、人間の一生には、富や妻や子への渇望という節があります。それらの節は取り除かなければなりません。

新年から、あなたは人間性の真の意味を理解し、人生を変容させねばなりません。そうして初めて、あなたは国家の真の召し使いとなるのです。あなたのハートを純粋に、汚れのない状態に保ちつつ、公人としての生活のあらゆる場における自分の役割を果たしなさい。

すべての行為を神に捧げることによって神聖化しなさい

学生諸君!

諸君は今、人生の「黄金の時代」にあるのだということを覚えておきなさい。それを無駄にしてはいけません。自分の義務を果たしなさい。両親を愛し、敬いなさい。社会に奉仕しなさい。正しい教養と結び付いた良い性質をしっかりと守りなさい。幸せでいなさい。そして、他の人を幸せにしなさい。この新年から、あなたが謙遜と、目上の人への敬意と、すべての人への愛を育むなら、私はとても幸せを感じるでしょう。

昨日のセントラル・トラスト〔シュリ・サティヤ・サイ中央信託〕の会議において、私はシュリ・インドラル・シャー〔当時のシュリ・サティヤ・サイ・オーガニゼーション国際委員長〕を含む信託のメンバーに、私は財産に興味がないということを伝えました。財産に関することに私を巻き込んではなりません。私はお金や財産とは一切関係を持ちたくありません。私の唯一の関心事は、私の帰依者たちに関することです。これらすべてをメンバーに告げてから、私は書面にサインをしました。

あなた方が私の財産です。私にはこの無限の財産があるというのに、どうして物質的な財産に関心を持つ必要があるでしょう? 学生は私の財産です。私にとって、学生たちが理想的な生活を送っている様子を見ること以上の楽しみはありません。これが、私があなた方からの返礼として期待することです。私はあなた方からどんな学費も受け取りません。しかし、私は一つ特別な学費を払ってもらいたいと思います。それは愛という学費です。愛という学費を差し出すとき、あなたはすべてをありのままに捧げることになるのです。

ラクシュマナ〔ラーマの弟〕はラーマに完全に全託し、自分の家族と持ち物のすべてをラーマに捧げると宣言しました。あなた方もラクシュマナの模範に倣うべきです。ラクシュマナは、兄の妻〔シーター〕を自らの母親と見なして敬いました。

目は善いものだけを見るべし

目は善いものだけを見るべきです。手は善い行いをすべきです。耳は悪いことを聞かず、善いことだけを聞くべきです。悪いことを話してはなりません。善いことだけを話しなさい。悪いことを考えてはなりません。善いことだけを考えなさい。悪いことをしてはなりません。善いことだけをしなさい。これが神に到る道です。

目は神聖なものだけを見るべきです。あなたの見る目が神聖になったとき、全世界は変容するでしょう。今日はグレゴリオ暦の元日です。この国には地域の慣習に従った別の元日がいくつかあります。年を気にすることはありません。毎瞬を、神を喜ばせる行いに捧げなさい。神への愛を深めなさい。それはあなたにあらゆる祝福を授けてくれるでしょう。その手本はハリシュチャンドラ王の生涯です。ハリシュチャンドラは真理のためにすべてを犠牲にしました。そして、最終的に、神の恩寵によりすべてを取り戻しました

この元日に、あなた方皆にあらゆる幸せと繁栄がもたらされますように。古代の人たちは、自分に会いに来た人に、百歳の長寿と健康が授かりますようにと祝福を与えていました。人々が価値ある人生を送ることができるよう、長寿を祈ったのです。長い人生、幸せな人生、平安な人生、愛に満ちた人生、そして、神聖な人生を送りなさい。神の愛を実践することにより、あなたの人生をあがないなさい。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.31 C1

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