サティヤ サイ海外より

       
無私の愛の力が「痛みの地獄」を「愛の天国」に変えた話


あなたが今、病気で入院している友人のお見舞いで、どこかの病院を訪れていると想像して下さい。しかしその友人は元気を取り戻しており、あなたは喜んで友人に別れを告げます。そして、巨大な病院の迷路のような廊下を進むうち、とある暗い部屋の戸口にさしかかります。あなたは、自分が病院の建物のどこにいるのかわかりませんが、そこで見る光景は実に衝撃的です。部屋からは耐え難い悪臭が押し寄せて来て、ほとんど息ができなくなります。壊れそうなベッドに横たわっている無気力な人々は、死んだのも同然として見捨てられています。彼らは気力を失っており、生きていないように見えます。あなたは、その部屋でいったい何が起きているのかと怪しみ、気が気でなくなります。周囲に尋ねてみると、それが一つの「病棟」であって、そこは、人々が健康を取り戻すために治療を受ける所ではなく、文字通り、死を迎えるまで放置されている場所であることを知ります。「なぜこんなことがあり得るのか?」、「なぜこんなことが起きなければならないのか?」…あなたの心は痛み、許せない気持ちになります。… そのとき誰かが「この人々には身寄りがなく、誰も気にかけてくれる人がいないからさ。彼らには家族がなく、お金もなくて、恐ろしい病気に侵されているんだよ」と言いました。

あなたは、まったく信じられない気持ちでその哀れな人々を見つめますが、数秒と経たないうちに、もうそれ以上、そこに留まっていることができなくなります。そしてその場を離れますが、離れたのは肉体だけです。どうしても、その病棟の悲惨な光景を忘れることができません。それはあなたにまつわりついて、人生はこうあるべきだというあなたの考え方を引き裂こうとします。あなた自身の人生と、彼らの人生の間に大きな溝を感じて、あなたは考え込まずにはおれません。そのうち、落ち着かない心に変化が生じて、あなたは別人のようになります。あなたは行動することを決めたのです。それは、ただ状況に反応しようとするだけのものではありません! あなたは、世の中のそのような部分を変えてやろうという決意に満ちています。

悲劇の淵の中にこそ、最も清らかな動機が生まれる

現実の出来事にしては、あまりにも美しすぎる話に聞こえるでしょうか? しかしこの話は、インド東部のオリッサ州の州都にある病院で、6年前に始まった素晴らしい奉仕活動が実際にどのようにして始まったのかを物語っています。「知られざる患者たち」の病棟で、一人のサイユースが体験した衝撃的な出会いから始まったこの総合的なケア活動は、今では、こうした気の毒な人々の重荷を軽くすることに自分たちの生活を捧げた、30人の非常に意欲のある若者たちの一群を擁するまでに発展しています。毎朝、最低6名のボランティアが、一人3時間以上にわたってこれらの病人たちの世話をしています。すべてのサイ革命がそうであるように、このプロジェクトは静かに、かつ非常に強力に推し進められており、人に認められようとか、報酬を求めたり宣伝につなげようとする世俗的な欲には、まったく汚されていません。

悲惨な状況の改善には、高い目的意識と内面的な強さが必要

確かに、この仕事は容易ではなく、心の弱い人にできることではありません。H2Hチームが2009年2月にこの奉仕現場を訪れたとき、サンガミトラ ナヤクというサイユースの女性帰依者は、病院で奉仕を始めたばかりの頃を振り返って、次のように話してくれました。「最初のうち、この病棟の環境によって私の意欲はそがれました。私は患者さんたちや病院の匂いに苦しみ、目に入って来る光景に気が滅入りました。でも私は、スワミはバジャンを歌うよりも奉仕をすることの方をお喜び下さる、と確信していましたので、頑張ることができました。そして徐々に、最初のためらいを克服することができました。段々と私は、老人や、重病人たちの世話をしている他の帰依者たちの活動に加わるようになりました。特別な日には、私たちはこの方々にお菓子や贈り物などを持ってきますが、みんなはそれを本当に喜びます。私はみんなの喜びを大切に思うようになりました。『私には家があって、親戚も家族もいる。だけど、この人々には何があるだろう?』と考えるのです」。サンガミトラは涙ぐんでいます。…でもすぐに、気を取り直して話を続けました。「ある女性の傷口に蛆(ウジ)がわいていました。私たちは毎日、彼女の傷口を洗って包帯を巻き、色々と彼女の世話をしました。彼女が健康を取り戻して退院の日を迎えた時、彼女は自分を抑えることができず、私たちに抱きついて泣きました。…それはまるで、彼女が母親のいる家を離れようとする時のようでした! 私たちは、そのあふれるほどの愛情を体験して、本当に胸がいっぱいになりました。私たちは皆、このすべてが、愛にあふれるスワミから来ているものであることを知っています」。「このような深い愛の物語がたくさんあるので、私はこの病院に結び付いています。毎朝、私はここに来るのが待ち遠しく、よく一番先にここに到着します。何らかの理由でここに来られない日が一日でもあれば、私はとっても大切なものが奪われてしまったように感じます。ですから私は、自分の健康が優れないときでも、この奉仕を休むことはありません。実は今日もあまり健康がすぐれないのですが、他の人に喜びを運ぶ幸せを拒むことができないのです。私は、自分が参加しているサイ バジャン センターの女性のメンバー全員に、一度でもいいから、ここにきて患者さんたちに会って下さいと言います。二言、三言優しい言葉をかけるだけで、貧しい患者さんたちは本当に喜ぶのです。いったんその幸せを味わえば、二度とその幸せを手放したくないと感じることでしょう。私は、自分が最後の息を引き取るときまで、このような奉仕の機会に恵まれ続けますようにと、いつもスワミに祈っています」。

この栄光に満ちた冒険の始まり

今紹介したのは、このプロジェクトを、人生において最も情熱を傾けることのできる活動と感じている、たくさんのメンバーの中の一人から聞いた説明にすぎません。サイユースの年長組であるラジャニ氏は、2002年に、他の一握りのユースと共にこのプロジェクトを始めたその人です。それ以来彼は、この仕事に自分自身を完全に捧げきっています。この取り組みが実際にどのように始まったのかを振り返って、ラジャニ氏は次のように話してくれました。「ある日、私たちはこの病院で一人の困窮者の患者を探していました。通常の病棟には彼を見つけることができず、その人を探して歩くうちに、私たちは病院内の、完全に見捨てられた人々が集められているこの一角にやって来たのです。病院の人々は、誰一人として、これらの患者さんを助けるどころか、彼らの身体に触れようともしませんでした。私は、ことわざに聞く『地獄』でさえも、これほどひどくはないだろう、と目を疑いました。それはまったく心を押しつぶされるような光景でした。それを見るだけで十分でした。私たちは、それから毎日ここに来て、この場所を少しずつ、たとえ天国に変えることができないまでも、少なくとも人間の住む場所に変えようと決断しました」。

「しかし、最初の日は本当に大変でした。患者さんたちの身体から漂う悪臭は、実に耐え難いものでした。私たちは胸がむかついて、ときおり吐いてしまう有様でした。その日、私たちは二人だけでした。でもスワミの恩寵でメンバーが増え、今では30人の強力なボランティアがいます。この病棟で奉仕をするだけでなく、私たちは、病院から必要とされればどんな緊急事態や事故のときでも、いつでも手助けをする準備ができています」。 「また、この病棟で私たちが、(たとえば病棟の周辺全体や、壁などを掃除するというような)大きな課題に取り組むことを決めた時は、いつでも、たくさんの他のボランティアたちが参加してくれます。このプロジェクト以外にも、私たちは毎年一回、プラシャーンティ ニラヤムでの定例の奉仕業務に携わっています」。

患者たちも、愛の影響力の大きさを証言している

これらの若者たちの語る、心を打つ話を聞くだけでも啓発されます。私たちは、いったいどうやって彼らがそれだけの時間とエネルギーを、このような目的のために注ぐことができるのだろうと不思議に思います。しかし何よりも、彼らは何ゆえに、来る日も来る日も自発的な奉仕活動に携わり、しかもそれを何年も続けることができるのでしょうか? おそらく彼らは、外の世界から得られるよりもはるかに大きな喜びを体験しているに違いありません。彼らがそうした真の幸福の甘露を見つけたのだとすれば、全員のサイユースの体験談が、どれをとっても心を高揚させるものであったのは、驚くべきことではありません。しかし、病棟にいた患者たちから聞いた感謝の言葉は、それに輪をかけて感動的なものでした。私たちは、それまで抱えていたいくつもの病気が回復に向かっている一人の老人に出会って、お話を伺いました。

H2H 「おじいさん、あなた御自身のことを少しお聞かせ頂いていいですか?」

老人「 自分のことって、何を話せばいいんじゃろう? わしは昔、たくさん酒を飲んで、道路で寝ながらあちこちと放浪しておった。」

H2H 「誰もあなたの面倒をみる人はいらっしゃらないんですか?」

老人 「昔はたくさんいたけれど、この頃は誰もわしには構わない。」

H2H 「もうどのくらいそんな状態なのですか?」

老人 「わしは17か18の時に家を出た。それからずっと日雇いの仕事をしてきたよ。わしは働いて、その稼ぎで暮らしていた。働き始めた頃は、日当が6アンナ(約37パイサ。100パイサが1ルピー。1ルピーは約1.8円)じゃった。わしは屋根のあるところで寝たことがなかった。一度だけ、2年ほど僧院に寝泊まりしていたことがある。でも、そのうちそこも出て行った。」

H2H 「でも、どうしてあなたは、次々に場所を移動していたんですか?」

老人「そうすることしかできなかったよ。わしには滞在できる場所がなかった。仕事が見つかればどこにでも行った。働いて食べるものにありついたよ。色んな仕事をしたなあ。工事現場の労働者から、トラックの掃除、ホテルで働いたこともある。わしは読み書きができない。稼いだ金は全部食べたり飲んだりするのに使ってしまった。それがわしの人生じゃった。」

H2H 「今、おいくつですか?」

老人「80は越えたじゃろう。」

H2H 「あなたはいつ、どうしてここに来られたのですか?」

老人「わしは足が動かんようになって道路脇に寝ておった。誰かれ構わず、病院まで連れて行ってくれるように頼んでおると、2 - 3か月前のことじゃが、誰かがバスでここに連れて来て、わしをここに置いたまま帰って行った。それからずっとここにいるよ。」

H2H 「今、調子はどうですか? 足の具合はいかがですか?」

老人「みんながわしに薬をくれているよ。昨日、足からたくさん水が出てきた。」

H2H 「この白い服を着た人(セヴァダル/奉仕する人)たちは、おじいさんの面倒を見てくれていますか?」

老人 (首を縦に振って)「 毎日わしは、神様に祈って、どうかこの人たちの一人ひとりに善い事をしてあげて下さいとお願いしているよ。この人たちの足元に、百万回でも頭を下げたい。」

H2H 「みんな何をしてくれるんですか?」

老人「おお神様、この人たちがしてくれないことは何もないよ。この人たちはわしらの糞尿や、吐いたものを掃除し、わしらの臭い身体をきれいに洗って着物を着せてくれる。そしてわしらに物を食べさせてくれる。この人たちはこんなに若いのに、わしらを本当に愛してくれる。どうか神様がこの人たちを祝福して、この人たちとその家族の方々とを、いつも見守って下さいますように! 」

H2H 「あなたは彼ら以外の誰かから、それだけ面倒を見てもらったことがおありですか?」

老人「 いいや、ただの一度もなかった。わしはもうすぐ死ぬから、決して嘘は言わん。実の父親や母親でさえ、この天使たちがしているような奉仕はしてくれないだろう。わしは、この人たちの足についた埃(ほこり)にすら、百万回でも頭を下げるよ。神様がこの人たちに、一生の間、平安と幸せをお与え下さいますように。」

これは、同じような多くの患者さんたちと交わした会話の一つの抜き書きにすぎません。様々な言葉や表現がありましたが、そこに流れていた感情はいずれも、私たちの胸を打つ、心からの深い感謝でした。 極貧の人々は、サイの無私の奉仕者たちのおかげで「神に見放された者」ではなくなり、今や「神に選ばれた者」となっていたのです。

安全なサイの監視下では、記憶喪失も問題ではないこと

「ここ数年の間に、『絶望的』というレッテルを貼られていた何十人もの患者さんたちが、元気に退院していきました」と、ラジャニ氏は言い、その一例を話してくれました。 「プリー市に住む一人暮らしの70歳の元大学講師がいました。彼は、年金を受け取るためにブバネーシュワルを訪れていました。そして事故で道路に倒れ、頭部に重傷を負って、完全に記憶を失ってしまいました。最終的に、彼はこの病棟に連れて来られたのです。私たちは、彼の機能を回復させるために、できることは何でもする覚悟を決めました。 「医師たちは様々な試験を奨めましたが、私たちはサイを信じていたので、心からの祈りと、ヴィブーティ(聖灰)と、医師が処方した飲み薬だけを頼るという単純なやり方を守り続けました。1ヶ月半の間ずっとお世話をした後、嬉しい事に、彼は健康を取り戻しただけでなく、記憶も取り戻し、自分の住所と、家族に関する詳細情報も、私たちに教えることができました。そこで私たちは、彼をここから約150km離れた彼の村まで連れて行きました。弟さんは、彼を見てたいそう喜びました。みんな2カ月の間、彼を探し続けていたのです! 「村人の一人が私たちの所にやって来て、『皆さんは“サイババ”の所の人たちではありませんか?』と尋ねました。そして、『私は二カ月の間ずっと、彼が無事でいますようにとサイババに祈っていたのです。そしてババ様は、私の祈りに、皆さんを通して答えてくれたのです!』と打ち明けてくれました。私たちは言葉を失いました。私たちがどこに行っても、サイはいつも私たちと共にいて下さることが、ここでもまた証明されたのです」。

サイのボランティアが、やけどの患者をアーユルヴェーダ療法で治癒した話

ラジャニ氏は、全身の50%にやけどを負った、もう一人の患者の事例を話してくれました。その女性は別な病院で治療を受けていましたが、医師たちは彼女が助かる見込みはないと診断したので、彼女は見放されてしまいました。以下はラジャニ氏の話です。

「私たちは、彼女の状況について聞かされると、文字通り、彼女をその病院からこの病棟まで抱えて来て、彼女の命を取り留めるために看病を始めました。私たちは彼女を、この病院の中のアーユルヴェーダの医師の所に連れて行きました。その医師は、彼女が命を取り留めるだけでなく、症状も改善出来ると確信していました。彼は私たちに、壺一杯の水にニームの葉とベテルの葉を浸し、その水で毎日彼女のやけどの傷を洗うように言いました。後でその医師は、自分で調合した壺一杯の油を持ってきて、私たちに、その油を彼女の傷口に塗るように言いました。私たちがこうした治療を3ヵ月間毎日続けたところ、その女性は完全に健康を取り戻したのです。今彼女は、歩くことさえできるようになっています! 実際、この病院の外科手術主任は、彼女の回復に非常に驚き、感動したので、今では、彼自身がやけどの患者にはこの療法を奨めるようになりました」。

今でこそ、病院の医師たちはサイユース(サイオーガニゼーションの青年部)の活動を非常に喜んでいますが、初めはそうではありませんでした。「最初、病院の職員や管理者たちは、官僚主義的で、非常に非協力的でした」と、ラジャニ氏は教えてくれました。そして、「彼らは、自分たちがここの患者さんたちを治療できないことを、決して認めようとせず、自分たちは忙しくてそのための時間が取れないのだと言いました。でも、私たちにとって、これは素晴らしいセヴァの機会だったのです」と付け加えました。

若いボランティアたちの生活の変容

このような絶えざる奉仕活動が、奉仕者自身の生活にどのような影響を及ぼしたのかを知りたくて、私たちはラジャニ氏に「このことは、あなた自身にとって、人間的にどのように役立ちましたか?」と、尋ねました。「ああ…私は非常に大きな恩恵を受けています。おかげで私の人生は変わってしまいました。私は、以前は大変ひねくれた人間でした。しかし今、私は別人のようになりました。私と同じように、前には想像できなかったほど人生が変わってしまったサイの若者たちがたくさんいます。そのうちの一人は、以前は大酒飲みでした。でもこの奉仕に携わるようになってから、悪い習慣を離れる強さが生まれて、そのうち彼は、シュリ サティヤ サイ セヴァ オーガニゼーションのメンバーになりました。私たちの30人のグループの中には、最初、この病棟での奉仕に惹かれて参加し、後になってスワミ(サイババ)のことを知り、スワミの帰依者になった若者が少なくとも4人います。彼らは皆、新しい人間に生まれ変わったのです!」 3カ月前からこのセヴァに携わっている20代の若者、マノランジャン ムドゥリさんは、この個人の変容というテーマを取り上げて、次のように話してくれました。

「僕はただ、奉仕がしたくてここに来たのです。でも、サイの若者たちがしていることを見て、とても落ち着かない気持ちになりました。何もかもが、僕には奇妙に感じられました。彼らは患者たちの傷口を洗い、風呂に入れてあげ、食事を食べさせてあげていました。…彼らのために、どんなことでもしてあげていたのです! 最初の二、三日の間、僕はそうした行動に対する嫌悪感を抑えることができませんでしたが、僕自身が患者さんたちを愛するようになると、それも変わってしまいました。最初のうち、僕は手袋をはめていましたが、段々と、手袋を使う必要を感じなくなりました。でも、僕たちは実際手袋を使っています。それは主に患者さんたちの安全のためであって、一人の患者さんから別な患者さんへの感染を防ぐために使うのです。今、僕はこの病棟に大きな愛着を感じており、一日か二日病院に来ないと、罪悪感すら覚えるほどになっています!」

「以前は、他者の苦しみに対して、僕はそれほど関心がありませんでした。たとえ誰かが苦しんでいるのを見ても、『それは僕には関係ない』と言うだけでした。でも今はそれが変わりました。周囲の人々の生活を改善してあげたいという願いは、日々、心の中で大きくなっています。僕は、身体に息が残っている限り、どうかそのような活動に携わることができますようにと、いつもババ様に祈っています」。

サイの規律が病院の信頼を勝ち得たこと

この「愛と癒しのメッセンジャー」集団の献身は、実に感動的です。彼らは『オーム』(宇宙の原初の音)を唱え、スワミにその日の自分たちの活動とその成果を全託してから、一日の仕事を始めます。傷をきれいにするときは、彼らはヴィブーティを塗り、自分たちもうやうやしくそれをいただきます。彼らには、まったく感染に対する恐れがありません。それは、サイに対する信仰が揺るぎないものであって、サイのみを全面的に信頼しているからです。破傷風は非常に感染しやすい病気で、通常、破傷風に侵された患者には誰も近づくことが許されないのですが、そうした破傷風の患者の手当をする時ですら、サイユースは通常通りに病棟に入って、傷口の処置をして包帯を巻き、全般的なケアを施します! 彼らの働きが病院の職員に与えた影響は素晴らしいものでした。

病院の婦長さんは次のように話してくれました。「サイの若者たちの努力のおかげで、この病棟全体が見違えるようになりました。以前は、誰も病院のこちら側には近づこうとさえしませんでした。でも見て下さい。ここは今、何ときれいになったことでしょう。ここのボランティアは、信じられないほど素晴らしい方々です。彼らの献身は素晴らしいお手本です。ここには、傷口にウジがわいた患者さんたちがいますが、若い女性ボランティアたちは、嫌な顔一つせずに傷口を洗います。病院の看護婦や掃除婦たちができないことを、彼女たちは進んでします。それが一番素晴らしい事で、私たちはこのボランティアの方々に、本当に大変感謝しています。この方々の愛に満ちたお世話と奉仕のために、普通なら回復に一カ月かかる患者さんたちが、一週間で退院することができています。ボランティアの方々は、患者さんたちと病棟をきれいにしてくれるだけでなく、患者さんたちを自分の家族のように扱います。このことは患者さんたちの幸福感に大きな影響を及ぼすのです」。

しかしながら、婦長さんの褒め言葉はそれで終わりではありませんでした。彼女はさらに、サイの若者たちの献身的で不屈の奉仕が、政府の病院を一段高いレベルへと引き上げる可能性があると強調しました。

「これだけではありません。彼らは一日中昼夜を問わず、私たちの要請にこたえてくれます。また彼らは、患者さんたちを道路脇からここまで連れて来ます。彼らの多くが死にかけています。死ぬままに放置されていた人々が、新しい寿命を手に入れて、癒されて帰っていきます。これは本当に素晴らしい働きです。善意に満ちた神、サイ バガヴァン(尊神サイババ)がこの方々を祝福して下さいますように。もしこの方々がこのような働きを続けるようであれば、この病院自体が、他の病院の見本として輝くようになる日が必ずやって来ることを、私は少しも疑っていません」。

公共のヘルスケアと個人によるヘルスケアの間の溝に橋をかける

しかし、サイユースはこの病院の中で行う奉仕だけで満足しているわけではありません。彼らは、自然治癒力を重視した(ホリスティックな)完全な患者の回復を目指しており、それを実現するためには何でもする用意があります。このプロジェクトに責任を持って取り組んでいるもう一人のサイユース、スシャント クマール サフー氏は、一人の負傷した若者の事例を思い出して、次のように話してくれました。

「私たちは、大腿骨を骨折した一人の若者がいることを知りました。足のギプスを外したとき、一方の足が、もう一方よりも1.7cmほど短いことが分かりました! つまり彼は、まだ21歳なのに、生涯足を引きずって歩くようになるということでした」。 「政府の病院の医師は、それ以上彼を助けることができないと言うので、私たちが私立病院の専門家に相談したところ、その医師は手術を引き受けてくれました。それで少し希望が見えたので、私たちは彼をそこに連れて行き、病院での回復期間中、4人か5人のメンバーが交代で、四六時中彼の世話をしました。彼には友達も親戚もいませんでした。私たちは何から何まで面倒を見ました。食事を運び、おまるをきれいにし、衣類を替え、夜も付き添いました。このセヴァは、1週間や2週間ではなく、5か月と13日の間続いたのです」。

「また別な事例では、一人の病人が、危篤状態で病院に運び込まれました。その人は、それまで10日間意識不明の状態が続いていました。状態が非常に悪く、蟻が身体を食べ始めていました! 病院は彼を引き取ろうとはしませんでしたが、医師団の一人であるKPトゥリパティ博士が責任をとって、彼を受け入れることにチャレンジしました。この患者さんも世話をしてくれる親戚がいなかったので、私たちが、病院の先生方から、彼の面倒をみるように頼まれました。彼はその後も5日間意識不明の状態が続きました。ようやく目を開けた時、彼は何か食べたいと言いました。その言葉はまだ不明瞭でしたが、医師は、彼が間違いなく持ち直すことを請け合いました」。 「そこは私立の病院だったので、医療費が大変な額になりました。でもラジャニさんは、私たちにお金のことは心配しないように、と言いました。ただ一つ良かったのは、この病院では、サティヤ サイのユースが関わっている事例については、医療費をつけにして治療を施してくれたことです。実際、私たちはこの人のことは何一つ知らず、未払いの金額は、二、三日の内に40,000ルピーにも達しました。薬剤師はそれ以上薬を出すことをためらいましたが、私たちは、払うべきお金は最後の1ルピーまで全部支払うことを約束して、投薬を続けるように説得しました」。

「私たちはその患者さんをヴァンに乗せて床屋に連れて行き、散髪をさせ、きれいに髭を剃ってもらって、見苦しくないようにしました。でもまだ彼の言葉はよく聞き取れませんでした。彼がどこから来たのかを知る手がかりすらありませんでした。その後、彼に多くの検査が施され、腎臓や心臓や、他の臓器に影響している、多くの病状を抱えていることがわかったのです! 」

「26日間絶えず介護を続けたため、私たちは本当に疲れ果てました。私は試験を受けなければなりませんでしたし、この人のお世話をするために、毎朝、長い距離を自転車で通わなければなりませんでした。その上、私は自分の生活を支えるために、何人かの子どもたちの家庭教師をしていました。私にとって、時間と忍耐力とお金というすべての要件を満たすのは、本当に大変なことでした。私と一緒に働いていた他の青年たちも疲労困憊していました」。

「ある日、私は意を決して、医師にセヴァをやめることを伝えるつもりで病院に向かいました。病院に到着すると、ちょうど新しい患者さんが病院に運び込まれるところでした。この患者さんは、すぐに私たちが世話をしていた人を見分けることができました。二人は同じ村の人だったのです。私たちはこの人の住所を教えてもらって、その村に行き、家族の方にその人の状況を伝えました。家族の方々は、私たちが行った奉仕に心から感謝して、自分たちの親戚の面倒をみるために直ちに病院に来ました。間もなく彼は健康を取り戻し、退院することができました。私は、その人の面倒を見て、絶妙のタイミングですべてを取り計らってくださったのは、主であるサイの御手だと感じています。それだけでなく、その御手は私の面倒も見て下さっていることを感じています」。

他者に奉仕することは自分自身に奉仕すること

それからスシャント氏は、自分がスワミの仕事に熱中しているので、いつもスワミが彼と共にいてくださるという話をしてくれました。

「最初、患者さんの傷口や衣類を洗う仕事を始めた時、私はひどい吐き気を催しました。初めの二日間は、何も食べることができませんでした。そして、病院に行くことをやめました。しかし、もう一度病院に戻りたいという気持ちを抑えることができませんでした」。 「今や私は、人間的に大きく変わりました。私は他者の苦しみに対して心を閉ざさなくなりました。そして、どんな患者さんに対しても何のわだかまりもなく処置を施すことができるようになったので、一部の患者さんたちが放つ悪臭を何とも思わなくなりました。私はまた、非常に実際的な恩寵もいただいているのです。以前、私は一日中図書館に座って試験勉強をしていました。今では、勉強のできる時間が極端に減ってしまいました。にもかかわらず、私の成績は以前の4倍近く上がったのです!これはまさにバガヴァンの祝福そのものではないでしょうか?」

サンガミトラさんにも同じような体験談があり、喜んで話してくれました。 「私は初め、小さな会社に勤めていたのですが、突然思いがけない話が舞い込みました。ある大企業から、はるかに高い給料で働いてくれませんかと声が掛かったのです。これはバガヴァンの恩寵以外の何ものでもありません。困っている人々のために使うことのできるお金を、よりたくさん与えて下さったのです。ただ一つ残念なのは、自分が女であるために活動が制限されることです。もし私が男だったら、もっと多くのことができるのにと思います。あるとき私は、道で一人の男性に会いました。彼は『シスター、私がわかりますか? あなたは私の妻の面倒を見てくださいました。今、妻はずいぶん良くなっています』と挨拶してきました。私は深い感動を覚えました。私たちはこんなにも美しく神様の愛を分かち合うことができるのです。私は、様々な奉仕活動の中でも、病院にいる困窮者の方々へのセヴァ(無私の奉仕)こそが最高だと、強く感じています。これほど素晴らしいものは、どこにもないと思います!」

本当に、純粋な無私の奉仕に比較できるものは何もありません。なぜならそれは、この惑星に住むすべての生き物が永遠に求めている「尽きることのない喜び」を与える力を持っているからです。愛が最も純粋な形で分かち合われたり、受け入れられたりするとき、それによってもたらされる至福は際限がありません。そして、この小さいながらも強力な、オリッサのサイの天使の集団は、この無尽蔵の喜びの泉を味わったのです!

彼らは、慈悲の形で現れた純粋な愛が、社会に、そして私たち一人ひとりに何をもたらすことができるのかを、世界に示してくれました。 私たちが心を開いて、本来備わっているこの栄光に満ちた私たちの命の奇跡を大切にするかどうかは、私たち次第です。

この物語に関係する写真の多くは、皆さんにお見せするにはあまりにも痛々しいものであり、それを見た人は気分が悪くなるかもしれません。ですから私たちは、選び抜いたわずかな写真しか使いませんでしたが、これにより、私たちの周囲にある最も悲惨で気の毒な光景が、私たちのハートから、慈悲という形の最も美しい反応を引き出す可能性があることを十分伝えることができるように願っています。私たちのハートに愛の炎を燃やし続けましょう。

(訳注:写真は出典元の下記、URLをご覧下さい)
http://media.radiosai.org/Journals/Vol_07/01MAY09/07-sai_seva.htm

H2H 2009年5月版より



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