サイの使命
       

●はじめに
 一部の元帰依者が結託して、揺ぎ無い信仰をもつ、増え続けるバガヴァンの帰依者を動揺させようと試みているため、国内外のいくつかの本、雑誌、新聞、インターネット上に、バガヴァン シュリ サティア サイババ様に対する激しい罵りと中傷が掲載されています。

●こうした中傷等は読むべきもの、耳を傾けるべきものか?
 こうした中傷等は読むべきもの、耳を傾けるべきものでしょうか? この問いに答えようと思うとき、「誰もわたしを、あるいはわたしの教えを護る必要はない」というアヴァター(神の化身)の言葉が思い出されます。アヴァターは「他の人の見解と相違して、あなたの見解が正しいということが、どうしてあなたにわかるでしょう?」とおっしゃっています。この観点から見れば、誤った方向に進むサイの兄弟姉妹が作る闇に、光を投じる助けとなりたいと望むことは、サイのご意志に反することかもしれません。

●ブッダとソクラテスを思う
 宗教の創始者や伝道者、そして哲学者の多くは非難を浴びました。ブッダは、「天に唾(つば)すれば己が顔にかかる」という言葉で不正な非難を咎めました。「青年たちを堕落させている」と非難された哲学者ソクラテスは、教え子たちにも彼らの親族にも苦痛を受けたような様子はないと答えました。ブッダは彼を非難する男に対し「家の主人が物乞いに食べ物を差し出し、物乞いがそれを拒むとき、その食べ物は誰のものか?」と尋ねました。すると男は「もちろん、それは家の主人のものだ」と答えました。同様に、私たちも皆で団結し、断固としてこうした誹謗中傷やいい加減な作り話を受け入れることを拒否し、それらを作った者たちに「返して」しまおうではありませんか。

●一時的な信仰の中断
 私たちは、今、サイの兄弟姉妹たちによる、悪意に満ちた誹謗中傷を目の当たりにしています。彼らは一時的にサイの使命への信仰を止めてしまったように思われます。彼らは真実を捜し求める中で孤独に陥ったとき、私たちのもとに戻ってくるでしょう。私たちは彼らが真実を見いだして戻ってくることを祈ります。見えざるものの存在を信じること。感覚によってではなく、心とハートによって、世界というものを理解すべきこと。これがサイの使命の真髄です。

●批判は結局より多くの人々をもたらすだけ
 このアヴァターの生涯においていくつかの事件が起きています。例えば、アヴァターを暗殺しようという企み、「奇跡に関するでっちあげられた嘘の話」を上映するテレビ番組等々。こういったものすべての行き着くところは何でしょう? 好奇心で来る人々、調査をしに来る人々、そして「世界の師」を探し求めて来る人々、こういった人々が多数集まり始めました。計算では、プラシャンティ マンディールではそのような多数の人々を収容することはできません。「拡大がわたしの人生」であることがいたる所で目にされます。プラシャンティに集まる多くの人々が、今、信仰を確かなものにしています。

● 一つの姿の内にある人間と神
  アヴァターは人の姿をとっていますが、それと同時に神でもあります。人間としての、そして神としてのあらゆる特質が、一つの分かつことのできない統一体の中に内包されているのです。帰依者たちにとって、その御教えと個人的な体験は、人生において助けとなってきました。彼らはひるむことのない帰依心と崇敬をもって、留まることを決意しています。

 私たちの師、サティア サイは、私たちの「良心」を通 じてすべてを教えてくださる、私たちの内に宿る「神」です。神は、目に見える導き――姿を持たぬ ものの姿――を切望する人々のために人の姿をとって外界に現れ給うのです。

●人類史上最も偉大な人物
  バガヴァン シュリ サティア サイ ババは、すべての教養ある男女の共通 の遺産として、世界の思想史に名をとどめるでしょう。もしも、知性の完全さ、道徳性における真面 目さ、そして、霊的な洞察力を基準として判断をくだすならば、サイは間違いなく人類史上最も偉大な人物です。

●サイ オーガニゼーションは神の道具
  サティア サイ オーガニゼーションは、サイの使命における神の道具です。その活動は、教育や医療の分野における機関の設立を通 じて広く行きわたっています。サイ オーガニゼーションは、様々な活動に取り組み、世界中の多くの人々がその恩恵を受けています。サイ オーガニゼーションは、無類の団体として根を下ろし、サイの使命における神聖な役割を担っています。

●愛に溢れる心を育もう
  人の心とその信仰を害し、悪に導く批判家たちは、神の地位を剥奪することと、サイ オーガニゼーションを解体することを目的としているようです。批判家たちは、「その人の行いの通 りに、その人はなる」ということに気付かされます。私たちは自分たちの行いの結果 、特に個々人の信仰の侵害という議論の余地のない罪からは決して逃れられないのです。完全な人間であるために何が必要かと言えば、愛と帰依に溢れた心による恩恵と歓喜を育むこと、そして、内なる平安を得るための心を養うことです。

●イエス キリストの磔
  私たちは暗闇と悲運の調べはいつまでも続くことはないと確信しています。例えそれが極めて強く見え、破壊を断言しているかのように見えても、終わりはつきものです。それがいかにして、そしていつ終わるかは、私たち帰依者にかかっています。

  もしイエスが十字架にかけられていなかったとしたら、キリスト教が発展を遂げていたかどうかを知る者がいるでしょうか? 現在の非難とその吹聴は、世界がこれまで目にした中で最も偉大な使命――サイの使命の前兆なのです。

平成12年12月  
世界第3地区事務局






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