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OM SRI SAI RAM

 ババ様の蓮華の御足にお祈りいたします。
 私たちの愛するバガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様ご生誕90周年記念、SSIOJ創立40周年記念を 迎える今年、スワミの恩寵により、サティヤサイ国際オーガニゼーション(SSIO)とシュリ サティヤ サイ セントラルトラスト(SSSCT)から、素晴らしいサイの使者が来日されることになりました。
 全インド工業団体連合会の元会長であり、現在はSSSCT 理事、SSSO 全インド会長を務めるV・シュリーニヴァーサン氏、著名な法律家でありSSSCT 理事であるS・S・ナガナンド氏、ナガナンド氏の配偶者でありイーシュワランマ福祉トラストの理事を務めるマドゥリー・ナガナンド女史、スワミの元側近で現在はヴィッディヤー ヴァーヒニー プロジェクト責任者を務めるサティヤジット・サリアン氏の4名を、SSIOJ 全国サーダナキャンプに来賓としてお迎えすることを謹んでお知らせいたします。スワミの本質である「愛」について、より深く学ぶと共に、私たちの今後の霊性修行の成功とご加護をスワミにお祈りする機会となれば幸いに存じます。多くの方のご参加を、心よりお待ちしております。

サティヤ サイ 国際オーガニゼーション ジャパン

開催日時 2015年9月21日(月祝)15:00 〜 9月23日(水祝)12:00(2泊3日)
開催場所 白浜荘(滋賀県高島市安雲川町近江白浜)

※ ご案内/お申込み方法/お問合せ(下記よりご覧ください)

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 歓喜と平安は、外界の事物の中に備わっているのではありません。それらはあなた自身の中にあります。しかし人々は愚かさのゆえに、外界に、自分が今日明日にも去らねばならない世の中に、歓喜と平安を求めるのです。それゆえ、早く目を覚ましなさい。すべてのもののエッセンス、永遠の真理を知るように努力しなさい。パラマートマそのものである神聖愛を経験する努力をしなさい。つねに識別し、真理を受け入れ、真理以外のものは捨てなさい。世俗の欲望をもつ限り悲しみをまぬがれることはできません。

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 人はここ地上では、限られた短い時間を過ごすだけです。しかし短い人生とはいえ、注意深く時を用いるならば神聖至福に到達することができます。うり二つの二人が、表面的には同質に見える二人が同じ環境のもとに育てられても、一人は天使となり、もう一人は動物的性質をもったままに留まります。このような相違が生じるのはどうしてでしょうか?
 習慣と、習慣によってできあがった行動と、行動から形成される人格とが、相違の原因です。人は人格の産物です。

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 神の御名を繰り返し唱えること(ジャパ)、苦行と祭式に励む者(タパスとヴラタ)、自己抑制のできる者(サマヤマ)、規律を守る者(ニヤマ)、信念、忍耐、友情、親切、歓喜に満ち、私に対して純粋な親愛を持つ者は誰でも私にとって愛しい者です。識別と捨離を持ち、謙虚と英知を持つ者、絶対実在者の知識を自覚する者、常に私の遊嬉を憶念する者、いついかなる時にもいかなる条件においても私の名前に安座する者、どんな人の口からでも至高の神の御名が語られたときには信愛の涙を流す者は誰でも、私を真に愛する者です。

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 九つの信愛の道のどれか一つを誠実に実践するならば、私に達することができます。教えを聴く(スラヴァナム)、神を賛美する歌を歌う(キールタナム)、神を絶えず憶念する(スマラナム)、自然と一切生物を敬う(ワンダナム)、神の蓮華の御足に奉仕する(パダセヴァナム)、神を祀る(アルチャナム)、主従の関係(ダシャム)、友人として親しむ(サチャム)、神の御心に従う(アートマニヴェダナム)、私はこれらの九つの形態の神への愛によって、束縛されています。

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 信愛・信愛する者・信愛される者、この三者は一つであり同一です。信愛なしには、信愛するものは存在しません。信愛と信愛する者が存在しても、信愛されるものが存在しなければ、信愛は機能しません。この三者のうち主要な成分は信愛です。あらゆるものに、まんべんなく浸透するもの、それが神です。それゆえ、それら三者には区別はありません。三者の中で、信愛はすべてのものに内在する神として識別することができます。したがって、あらゆるものは本性として神であることを実感認識することができます。

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 意識をひとすじに神に定め、感情が清らかで思いが外界にそれぬ礼拝は、深い静慮(バーヴァサマディ)そのものとなります。その結果、至高の神は信者が礼拝の対象に選んだ姿をとって彼の心眼に現れます。ヴィジョンは単なる想像の産物ではありません。それは直接体験です。どこにいようとも、至高の神の臨在に安座することができます。それを常に神と共にいること(サローキアムクティ)と称します。そして見るものすべてを至高の神の栄光を実感認識します。その体験を神の栄光を見ること(サミピアムクティ)と称します。