奉仕のページ

・シュリ サティア サイババによる奉仕の写真集
・マレーシアにおける献血セヴァの報告
・オリッサ州の洪水被災者救済のための住宅供給プロジェクト

サティア サイのセヴァ団体は、
愛によって築かれ、愛によって繁栄し、愛を広めます。
他の心情や考え方が入る余地はありません。

「セヴァ―真のボランティア」p2

 

奉仕に関する御言葉

サティア サイババの御講話の中から奉仕に関する部分を抜粋してご紹介します。

 

奉仕を通して得るアートマの一体性

他の人が苦しんでいるときに奉仕を行なうことで、あなたが感じる苦悩からあなたを救うことになります。また奉仕はヴィジョンと自覚を広め、思いやりの心を深めます。全ての波は同じ海の上にあり、同じ海から来ており、同じ海なのです。奉仕は、この知識を堅く信じることをあなたに教えます。(1)

その他の修行では、生きとし生けるものすべてが一つであることを、絶え間なく思いつづけることはできません。他人の苦しみを自分のものとして感じ、他人の成功を自分の喜びとして分かち合いなさい。他のすべての人を自分自身として見なし、あらゆる人の中に自分自身を見ることが奉仕という修行の核心なのです。さらに奉仕によって利己心は少なくなります。それは利己心の糧が欠乏するからです。奉仕が自我を和らげます。奉仕は苦しんでいる人々を目の前にしてあなたを謙虚にさせます。助けるために急いで駆けつけるとき、決してあなたはその人の社会的地位 や経済的地位を計算に入れたりしません。奉仕がもたらした機会を得て、頑(かたく)なだった心もバターように次第に柔らかく溶け始めます。(2)

ところで、誰のためにあなたは奉仕をしているのですか。それは自分自身のためです。内在するアートマに気づき、自我の誘惑を捨て、そして自分自身を知り、あなたを悩ませている疑問、「私は誰なのか」の答えを得るために奉仕をしているのです。世間に奉仕しているのではありません。自分の利益のために奉仕をしているのです。
  どうして奉仕を通して自我が変容できるのか、と疑問に思うかも知れません。奉仕を愛で満たすことにより、その作業は神への礼拝へと変えることができるのです。仕事が神に捧げられるとき、それは礼拝へと神聖化されます。それにより自我のない奉仕活動になります。また成功に対する欲望や、失敗に対する恐れといった世俗的な煩悩から逃れることができます。奉仕の仕事に最善の努力を払ったとき、礼拝が完全に行われたことになるのです。その礼拝を受けとめて、あなたにとって最高と思えるものを与えるのは神なのです。このような態度は奉仕の仕事から、自我に対する執着を取り去ります。この修行を規則正しく行なうことが、意識を澄み切った純粋なものにするのです。そして更に意識の純化を促進させます。このような基本的な心の準備もしないで、どうして霊性の高みに昇ることが望めましょうか。過去多くの聖人たちは、自分たちの若い時代を意識を純化する修行に費やしています。どのようにあなたの仕事が期待されていようと、どのように心地よい生活の手段を備えていようと、また知性を活かしてどのように高い権力の座に昇ろうとも、すべての行動が、意識に内在する神聖な純粋さで満たされない限り、得るものはゼロに等しいのです。(3)

奉仕の機会は神からの贈り物

他人を助けることができるときも、それは誇りに思うようなことではありません。なぜなら、技能、冨、力、勇気、社会的地位 など、あなたに人を助ける機会を与えたこれらのことは皆、あなたが知っていようといまいと、神からの贈り物であるからです。あなたはこれら神からの贈り物を、もう一つの神からの贈り物、すなわち貧しい人、無学の人、弱い人、病気の人、悲しみに打ちひしがれた人、悲嘆に暮れている人など、あなたの助けを求めている人に捧げているだけなのです。神はあなたに、その健康な体と、優しい言葉を発する舌と心という素晴らしい器官を与えたのです。神は知性、分析と構成を行なう力、受け止めまた捨て去る能力、記憶し忘れる能力を与えました。このことを感謝の念をもって認識し、最も有効な使い方をしなさい。それらを駆使してあらゆる場所の万物の中に神を見出しなさい。人生の山や谷、喜びと悲しみ、疑念と決断を通 して、神を探し求めなさい。(4)

すべては神の芝居の舞台での登場人物です。すべての原子は神の御力、神の栄光を備えています。万物は神の至福、美、徳を備えています。決して自分が特別 の力や、技術を用いているのだと主張してはなりません。それは神の恩寵と慈悲からもたらされたものなのです。ともすると人は隠棲して神と接触しようと試みます。一人でいるということは、自分の性格と行いの欠点を見つけ出し、修正するのによく使われる方法ですが、神に接触するためには目を開け、同胞に奉仕しなければなりません。奉仕を行なう人は、人々が心ゆくまで礼拝し崇める神の化身です。最大限の犠牲から、最高の喜びが沸き上がるのです。(5)

お腹を空かせている子供にミルクを、路上で寒さに震える兄弟に毛布を差し出すとき、あなたは神からの贈り物を、もう一方の神からの贈り物の手に、ただ移し置いているだけのことです。あなたは神の贈り物を、神の本質である神の奉仕という宝庫に貯えているのです。神はあなたが自分が奉仕したのだと主張させておくでしょう。しかし、神の意志なくしては、草の葉一枚といえども風にそよぐこともできません。いつでも贈り物を与える者と、受取るものの両方に感謝の気持ちをもちなさい。(6)

過ぎ行く時もまた、貴重な神の贈り物です。ですからあなた方は、貴重な時間を最善で永続する利益のために使いなさい。他人に奉仕し、その緊急の必要性を満たすことに幸せを感じていなさい。ひとときといえども締まりのない無駄 な会話に費やしたり、スキャンダルを吹聴したり、不健全な物語を読み耽(ふけ)ったり、映画を観たり、軽薄な仲間と交わってはいけません。そして、無秩序な自由を欲する感覚に勇気をもって抵抗しなさい。あなたは、あなたの真実、「尽きることのないアートマの至福の本源」を備えています。それなのに、なぜあなたはほんの些細な移ろい行く喜びが欲しくて、外的世界を通 じてあなたを引きずり回す感覚を追い求め、健康と心の平穏を損ねようとしているのでしょうか。(7)

愛と無私の奉仕

人間として、あなた方は一つのことだけを願い求め、楽しむべきです。それは神に対する愛です。ひとたび神を愛すれば、二度と悪い行いに溺れることはありません。ひとたび密の味を知れば、誰が苦いものを食べたいと思いますか。それと同様に、神の愛を知らない人だけが、物質的対象に快楽を求めるのです。純粋で永遠の神の愛という真実に触れた人は、移ろいゆく誤った世俗の快楽に身をやつすことはありません。人間の生は、ただ世俗の快楽を追い求めるために与えられたのではなく、すべてを犠牲にすること、そして放棄と犠牲から喜びを導き出すためにあると知らなければなりません。それが人間誕生の秘密です。皆に幸せをもたらす活動を始めなさい。何者をも憎んではなりません。また何者にも苦痛を与えてはなりません。心に美徳を育てなさい。そうして初めて人間性が花開くのです。人間の姿をして悪魔的行動をなすことは、人生の品位 を貶めることになります。世界中にお金持ちはたくさんいます。権力をもち高い地位 にいる人々もいます。しかし、彼らに心の平安はあるのでしょうか。いや絶対にありません。彼らは一見平安を装っていますが、平安は欲望の無い人の心にのみ宿るものです。この平安のみが人間の冠であり、最高の宝物であり、手中にした強力な剣なのです。また平安は、あなたの心に蓄えられた甘い蜜でもあります。もしほんとうの平安を得たいと望むなら、欲望を抑え、神への愛を育て、奉仕活動を始めねばなりません。常にあなた自信のことを指導者ではなく、召し使いであると思いなさい。召し使いでいるところに、ほんとうの喜びがあるのです。指導者でいるところに幸せはありません。実は、それは指導者などではなく奴隷であるということです。巷(ちまた)に出て貧しい人に奉仕し、寄る辺ない人を助け、その行為が神への奉仕であると感じなさい。そのときは絶好の機会です。あなたのハートに神を宿して、奉仕を行なう準備をしなさい。(8)

愛は神です。神は愛です。愛があるところに神が存在していることは、はっきりしています。もっともっと人を愛しなさい。もっともっと強く愛しなさい。そしてその愛を奉仕に変え、その奉仕を礼拝に変えなさい。それが最も崇高な修行です。愛の火花を出さない生き物はありません。狂人でさえも誰かを、あるいは何かを強く愛します。この愛は、愛の化身が映し出されたものであるということを認識しなければなりません。この愛こそほんとうのあなたなのです。あなたのハートに住んでいる神の愛です。ハートに湧き起こる愛の泉なしには、あなたは、少しも愛に駆り立てられることなどありません。その泉を見出して、もっともっと心の拠り所にし、その可能性を育みなさい。 あなたの周りの世界を愛の泉で潤わせるように努力しなさい。そこから自我の感覚のすべてを捨てなさい。愛を与えた人から何の見返りも求めてはいけません。日々の出来事で争いを起こしたり、憎悪を燃やしたりしてはいけません。他の人の良い点を見、自分の欠点を見なさい。他の人を神が宿った人として崇めなさい。また、自分自身のことも神の存在するところとして崇めなさい。神が宿ることができるように、あなたの心を純粋なものにしなさい。(9)

奉仕の第一歩は家族から

奉仕についての第一歩は家族の輪の中から学ばねばなりません。父、母、兄弟、姉妹、この堅く結び合った小さなグループの中で、愛をもって奉仕し、家の外で待つ広範囲の奉仕活動に備えなければなりません。家族個々の性格がその一家の平安と繁栄を決定づけます。また個々の家庭の性格が村や地域社会の幸せと喜びを決定づける基本要素です。国の繁栄は、その構成要素である地域社会の力と幸せに依ります。ですから国と世界の福祉のために、奉仕の精神、ほとばしる熱意、建設的な構想力、純粋な動機、利己的でない機敏さ、これらのすべてが緊急に求められているのです。 (10)

出典:
(1) Sathya Sai Speaks. Volume VII, page 264
(2) Sathya Sai Speaks. Volume X, page 33
(3) Sathya Sai Speaks. Volume X, page 94-95
(4) Sathya Sai Speaks. Volume VII, page 359-360
(5) Sathya Sai Speaks. Volume VII, page 501
(6) Sathya Sai Speaks. Volume VII, page 58
(7) Sathya Sai Speaks. Volume VII, page 100
(8) Sathya Sai Speaks. Volume X, page 96-97
(9) Sathya Sai Speaks. Volume IV, page 309-310
(10) Sathya Sai Speaks. Volume XI, page 192

各センター、グループでは色々な奉仕活動を行なっています。
詳細はお近くのセンター、グループにお問い合わせください。

祈る唇よりも
奉仕する手のほうが尊い

―サティア サイババ