Special Interview  
 

ラジオ・サイ マンスリーEジャーナル
Heart2Heart(ハートトゥーハート)(H2H)特集

神の化身と疑り深い人々

 
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6.神の化身に関する一側面

奉仕という観点を少し掘り下げてみることにして、三つのテーマをここで論じたいと思います。神の化身としてのスワミ、スワミが定期的に行う物質化という行為(一般 的に奇跡と呼ばれるもの)、そして、スワミがもたらす精神の変容というものです。ある意味、三つは互いに相関関係があります。また、三つはスワミが神であるという、スワミの声明とされるものと関係しています。

スワミの言とされるものから始めさせていただきます。そこでは、スワミの言葉が、何の前後関係もなく、しかも一部分だけ、引用されています。悪口を言う人々はこう言います。「サイ・ババは自分が神だと言っていると言っている。何というたわごとだろうか! もしサイ・ババが本当に神であるならば、なぜこれこれでもなく、しかじかでもないのか?」、などなど。まず最初にこう説明するとしましょう。スワミが神について語るときはいつもヴェーダーンタ哲学の脈絡から語っているのであって、XあるいはYが神をどう考えるのかというような見地からではありません。ここは重要なポイントです。なぜなら世界には、彼らが神と考えているもの、あるいは神はこうあるべきだというさまざまな概念を持った人々であふれています。不幸なことに、たいていの人々はヴェーダーンタ哲学における神の概念がどういったものであるのか、きわめて不明瞭な考えしか持ち合わせていません。スワミ・アグニヴェーシュ(かなりひどい、また私が思うに、何の根拠もない発言を意図的にしている人物)がわざわざヴェーダーンタを読み、この脈絡に関する事柄すべてを分析しているとは思えません。

ヴェーダーンタ哲学では、中心となる概念は、すべては神だということです。スワミがよく私たちにおっしゃるように、神以外には何も存在しない、ということです。それに、この表象としての宇宙において、神は直接的に目に見えるものではないということも付け加えなければならないでしょう。目に見えるものは、生命のあるなしにかかわらず、物理的な実体です。それらはどんなものであろうと、一つ確かなことは、それらの中に神が内在しているということです。そのことが何を意味しているのでしょう?

ガンディーがかつて言った有名な言葉で、私自身とても引用するのが好きな言葉から考えてみるとしましょう。ガンディーは言いました。「すべてに浸透しているが、はっきりと定義できない、神秘の力が存在します。私はそれを見ることはできませんが、感じることはできます。」。この力こそ、何と呼んでもいいのですが、シャクティであり、ガンディーによって神と同じであると認識されたものです。
 ガンディーはぶっきらぼうにこう宣言しました。神のことはほとんどわからないが、二つのことは非常によくわかる。一つは、神が存在しており、偏在であること。二つ目は、ガンディー自身の言葉で最もよくその意味が伝わることでしょう。ガンディーは言いました。「単に知性を満足させる者は神ではない。神であるべき神は心を支配し意識を変容させなければならない」。後にガンディーは、神は愛と同一であると考えます。それは偶然にもすべての宗教にあてはまるのです。
 要するに、もし私たちが理論的に神のことを語りたければ、必然的に意識、あるいはより優れた宇宙意識について語らねばなりません。もし物理的な世界と関連して神を語るのであれば、そのとき愛について語らなければならないでしょう。神性に二つのレベルがあるのでしょうか? クリシュナ神はあると強く言っています。クリシュナ神いわく、神は顕在の宇宙においては、内在的な神性として存在し、また物理的宇宙が存在しなくなる、目に見えない宇宙においては、超越的な神性として存在するというのです。そのことを科学的見地から理解しようとするならば、顕在の宇宙において、神はあらゆる存在の中に、活発なあるいは不活発な原子エネルギーとして内在しているといえるでしょう。さらに、生命体においては、神は生命力、すなわちプラーナとして顕れています。ギーターの中で、クリシュナ神はこれらすべてを二つの重要な言葉、アディバウティカ〔物質世界と関係のあるもの、目に映るもの〕とアディ ダイヴィカ(神と関係のあるもの、目に映らしめる太陽)を使ってアルジュナに説明しています。

科学的には、私たちの宇宙は137億年前に生まれました。何十年もの間宇宙の正確な年齢はきわめて不確かなものでしたが、COBE衛星のおかげで、およそ137億年前に宇宙が誕生したということを確信させるだけの、かなり正確なデータが得られたのです。ところで、今年の物理学部門でのノーベル賞はCOBEを考案、企画した人々、そして後にこの信じられないような発見をした人々に贈られました。ここで一つの疑問が生じます。もし、宇宙が137億年前に生まれたとしたら、その時に私たちの空間と時間も生まれたのであって、私たちの宇宙が存在しなかったという状態もあったに違いないのです。クリシュナ神は次のように確証しています。(『Universal Consciousness』を読んでみてください)神はそのときも存在していましたし、それが目に見えない神がどういうものであるかという由縁です。

目に見える形で顕れた神性についてもう少し語りたいと思います。スワミは、すべては神であると言います。同じことがラーマクリシュナによって若かりしナレンドラに語られました。ナレンドラがスワミ・ヴィヴェーカーナンダになる以前のことでした。ナレンドラは冷笑的でした。ある日の午後、グルの所へと道を歩いているときに、このすべては神だという言葉に、どれだけ彼が不満を感じたかを実際に絵を描きながら述べています。実は、ナレンドラは独り言を言いながら、歩いていました。「この柵が神だし、この鋳鉄の門も神であると信じなきゃいけないなんて。何と馬鹿げたことではないのか?」。しかし、ナレンドラが師の前にやって来たとき何が起こったと思いますか? ラーマクリシュナは優しくナレンドラの肩を叩いたのでした。すると突然、周りのものすべてが一つ一つ不思議な宇宙の一体性の中へと溶け込んでいったのでした。ナレンドラは今信じられないような平安、静けさ、そしてもはやそこから出たくないと思われるような至福の中にいたのです。けれど、もう一度肩を叩かれると、ナレンドラは乱暴にその信じられないようなトランス状態から引き戻されたのでした。師は、ナレンドラに、ナレンドラが永遠の至福にふさわしい状態になるまでになすべき多くのことがある、と言ったのです。これらのことを全部私が言った通 りに信じる必要はありません。すべてスワミ・ヴィヴェーカーナンダ全集の中に書かれています。

さて、この回想のポイントは何でしょうか? 簡単ですね。宇宙意識の状態が存在するということです。この状態は、物理的な宇宙が存在しないときにでも、それが存在しているときにでも、精妙なあり様で宇宙と重なり合っているということです。物理的な宇宙において私たちが目にするすべてのものは、この元々の宇宙意識から来ています。これがヴェーダーンタ哲学で中心となっている概念です。医学ノーベル賞を取ったハーバードの生物学者ジョージ・ワルド(George Wald)が以前宣言したように、すべてはこの「心の中にあるもの」の物質化なのです。人類はこの宇宙意識を認識し得る、究極のアヴァター〔神の化身〕です。その上、文学、芸術、科学などを通 してさまざまな方法でそれを花開かせることができるのです。

すなわち、物質的に実体があるものはすべて神性の一側面だということになります。この神性は明白に顕れたものではなく、間違いなく(見えない)潜在的なものです。特に、人間においては、メーダ シャクティ、すなわち世俗的な知性(科学における偉大な業績を可能にするようなもの)のように潜在的なものです。それは創造力(芸術、音楽、文学といったものを生み出すもの)のように潜在的ですし、最終的には気高い徳性のように隠れたものです。不活発な物において、内なる神性のほとばしりの真髄である宇宙意識は受動的な側面 において存在しています。生命体においては、その構成原子において受動的な側面 が存在する一方、気づきを与えるといった積極的な側面もさらにあります。生きているものは、自らが存在することを知っています。人間において、自己意識という能力は最高のものです。つまり、人間には、1)内なる神性のほとばしりを発見する可能性、そして、2)潜在的な神性に従って人生を生きるという潜在力がそなわっているのです。そのことがまさに、クリシュナ神がアルジュナに授けた最初の教えでした。クリシュナ神は言いました。「おお、アルジュナよ。あなたは人生を肉体の生と死の観点から捉えているのだ。あなたは単なる肉体ではなく、埋め込まれたアートマのための一時的な入れ物にすぎない。あなたの本質はアートマンだ。しかるにあなたの人生における行いはすべて、その本質に沿ったものでなければならない」。そしてそれはまさにスワミによって何度も諭されたまったく同じ教えなのです。特にスワミが「あなたはだれですか?」という質問をするとき、スワミはクリシュナ神のように、私たちが肉体ではなく肉体とは別 のものだということを思い出させてくれるのです。同様に、私たちは心(マインド)ではなく心とは別 のものです。私たちは、永遠なるアートマです。

これは、よくいろいろな所でいろいろな人に脈絡に関係なく引用されるスワミの言葉を思い出させます。「私は神です」。そうです、ババはそう言います。しかし、ババはそこで話を終えませんね? 次の大事な言葉を付け加えてはいませんか? 「あなたも神なのです。唯一の違いは、私はそのことを知っていますが、あなたはまだそのことを知らないのです」と。神はサーカーラ ブラフマン〔有形の神〕のように、ただその教えを説くために、人の姿を取って現れたのです。ラーマ神はあるやり方でそれを教え、クリシュナ神は別 のやり方で教えました。シュリ・サティヤ・サイ・ババもまた、この時代に一番ふさわしい方法でまさに同じ教えを説いているのです。要するに、少なくともヴェーダーンタ哲学的な脈絡において、ババが神であると言っていることには、まったく何の間違いもありません。ババが私たちも神であると思い出させることにも、同じようにまったく何も間違ったところはありません。そしてこう言って話を締めくくるのです。ババはその本性を知っているが、私たちはそのことを知らないままなのだ、と。実際、それゆえ、ある帰依者たちは、ギーターの第4章にある有名なブランマールパナム シュローカ〔食前の祈りの詩節〕の精神に従ってこう言うのです。「否定する者もまた神である」と。

すると、こういう質問があるかも知れません。「そういうことならば、この長い反論にはどういう必要性があるのだ?」と。当然です。しかし大事なことはこうです。いいですか。人生は私たちがそれぞれの役割を演じる宇宙のドラマです。本当に、いたるところに神がいます。責める人も責められる人も。しかし、ヴェーダーンタ哲学では、脚本に従っている俳優のように、私たちはそれぞれの分を尽くさなければなりません。彼らに知らされていなくても、霊的な光に目覚めていない人々はアダルマ(不正義)を通 すよう振る舞うでしょう。しかし、真理とは何かという手がかりを持った人々はダルマ(正義)の側で仕事をしなければなりません。『ラーマーヤナ』の中のラーヴァナという古典的な例があります。ラーヴァナはよく書を読み、ラーヴァナなりに信心深かったのですが、それでも悪の道を突き進みました。そして危機が迫ると、弟ヴィビーシャナがあえてラーヴァナに刃向かって、良い忠告を与えようとしました。それは、ダルマに関するものでした。『マハーバーラタ』では、何が起ころうと見上げた義務の遂行をした例、そして同様に多くの義務の不履行をした例を見ることができます。ビーシュマは、よく書をたしなむそれなりに高貴な長老でしたが、ビーシュマの言葉が大きな意味を持つことになるであろう時、またそうすべきであった大事な時に、話しそこねてしまったのです。一方、ヴィドゥラの例もあります。ドゥリタラーシュトラ(その相談相手がヴィドゥラだったのですが)にきっぱりと躊躇(ちゅうちょ)することなく意見を言い、黒は黒と呼んだのでした。

これらの例には意味がないわけではありません。独立後の数十年で、ゆっくりではあるが、確実に、私たちの教育機関はひどく堕落してきました。それに対し、あえて声を上げる者はいなかったのです。教育機関から価値観が崩れていくとき、その社会に何が期待できるでしょうか? 結局、このようなことになるのです。私個人に関してですが、私は愛、平和そして地球の調和というメッセージを広めるためだけに設立された、プラシャーンティ・デジタル・スタジオ〔ラジオ・サイの収録スタジオ〕の一翼を担っています。十分な情報機器がないので、何百万の人々には届かないでしょうが、しかし確実に数千の人々はこの不安定な世界において慰めや安らぎを得ようと、私たちの放送に耳を傾けています。スワミへの攻撃に心を痛め、深く傷つきながらも、大勢の人たちが何かをなすべきだと手紙を書いてきました。ババが何も弁明する必要がないと言っているからといって、それを単純に無視することはできません。確かに、ババはこういうことを超越されていますが、それでも私たちには行動する義務があり、そうすることによって私たちは名誉を回復することができるのです。

『ラーマーヤナ』で、ラーマがまさにランカーの町へ進軍しようとするとき、ヴィビーシャナが糾弾されラーマの前に引きずり出されました。ラーマはヴィビーシャナを排除するべきだと求められます。ラーマ神は注意深く皆の意見を聞いて言いました。「ヴィビーシャナが死刑に処されるべきだという、私を気遣うあなたがたの進言には感謝しているが、残念ながら、私はそれには賛成できない。それが、ただラーヴァナを排除するという問題であれば、あなたがたのだれの助けも得ずにそれはできる。実際、私にはランカーを征服する必要はない。私は、アヨーディヤーそのものからそうしようと思えばできた。しかし、ある理由から、この面 倒な手続きを取ってきたのだ。その一つは、ダルマのために闘うことによってあなたがた皆に名誉を回復する機会を与えること。もう一つは、私に、ある種の教えを説くという機会を与えること。三つめは、このようにしてダルマを上演することによって、私の恩寵をあなたがたに与えるという必要を満たすに十分な機会をもつためだ!

今ここで、私が説きたい教えは、だれかがあなたの所へやって来て降伏しているときに、あなたがたは単純に彼を見捨てることはできないということだ。確かにその者は邪悪な思いを抱き、そのように行動しているかも知れない。しかし、王のダルマとしては、ひとたび保護を求められた以上、無条件に与えるべきなのだ。そして、まさにそれこそが、王家に生まれた者として私がしようとしていることである」。そういった義務の精神に導かれ、そして大いなる謙虚さをもって、神のドラマの複雑さという概念をいくらかでも世界中の帰依者たちが得られるよう、また無知な人々が言っているようなことで煩わされることがないように、この長い論説文をあえて書いているという次第です。

まだ終わっていませんが、というのも、まだまだもっと言うべきことがあるからなのですが、すべてはスワミのアヴァター〔神の化身〕としての側面 に関連しています。この話題について語り始めるに及んで、1990年だと思いますが、スワミが初めて私と私の妻をインタビューに呼んだときに起こったことを書きたいと思います。その数年前、私たちはたった一人の息子であった子どもを、突然、若くして失くすという悲劇にみまわれていました。息子は18歳でした。息子が突然逝ったとき、私たちの人生は閉じられてしまったのです。ハイデラバードの自宅近くにあったサイ・グループに参加して、バジャンに定期的に参加しながら、慰めを求めたのでした。一つのことが次へとつながり、ババの大学の副学長、サンパト教授(Prof.Sampath)、何十年もの知己を得ているすばらしい紳士ですが、サンパト教授のおかげでプラシャーンティ・ニラヤムを訪れ、ついにスワミの所へ呼ばれたのでした。私は、夏季コースの時にすでに軽くスワミに会ってはいましたが、私の妻にとって、直に対面 するのは初めてでした。ではここで、「熟考」(Musings)という私の番組の一つから、数年前にラジオ・サイで放送されたものをそのまま再現することにしましょう。

――「それ(そのインタビュー)は、神との甘い親密さが本当に何を意味するのか初めてわかるようになったときでした。そこで、スワミが私たちの息子の早すぎる死に関してあることを詳しく明かされたのですが、私は驚くべき新事実も得たのでした。私たち以外だれも知らなかったことについてでした。それから、ババは私の妻に尋ねました。『なぜ、あなたはいつも私に詰め寄るのですか?』。妻はこの言葉に驚きましたが、私もです。妻が気を取り直して言いました。『スワミ、今までに一体どうやって私があなた詰め寄ることができるというのでしょう? 私たちが面 と向かって会うのはこれが初めてだというのに』。『いいえ、あなたがたは規則正しく私と戦っています!」。このとき、妻は黙ったままで、一方、私はたいへん当惑していました。するとババは言いました。『毎晩、皆が寝静まってから、あなたはプージャーの部屋〔祈祷室〕へ行き、神の前に立って問いただしているではありませんか。“神様、一体どうしてあなたは私の息子を奪ったのですか? 私があなたに一体どんな悪さをしたというのですか? それどころか、私はずっとあなたを信仰してきました。それなのにあなたは私にこのようなことをなされたのですね。あなたは本当にひどい方です、不公平です”。このようなことを来る日も来る日も言っていませんでしたか?』。私はただ驚くばかりでした。その時まで、毎晩真夜中に、妻が神を問いただしているなんて思いもよりませんでした! 妻は頭を下げてそっと言いました。『そうです、スワミ、それは本当です』。スワミは微笑んで言いました。『ほらごらんなさい。私は知っているのですよ!』。スワミ独特のやり方で、スワミが全能の神であり、つねにすべてを知っているのだということを、スワミは私たちに伝えたのでした」――。

ババが声高にアヴァター〔神の化身〕と叫ばれるとき、その背後には、たくさんの意味があるのだということをあなたがたにただ知ってもらいたいがために、私はこの話をしているのです。あなたがたは信じないかもしれませんし、でっち上げだなどといって簡単に片付けてしまう人もいるかも知れません。けれど、私はかまいません。実際、でたらめを言ったり、作り話をして私が得るものは何もないのです。それに私の科学的素養はこれまで私に、信じるに足るだけの確実な証拠がない限り、努めて懐疑的であるべきだということを教えています。つまり、一般 的に奇跡と呼ばれている出来事に対する疑問に対してなのですが。奇跡は、そのような超日常的な出来事にさらされたことのない人々によって、軽蔑的(けいべつてき)に却下されています。

私は愚かにも、何年もサイ・ババのことを信じていませんでした。私も他の人たちがするように(また彼らは今でもそうし続けていますが)ババをしりぞけていました。そのころ私がババを拒否していたのは、基本的にはババの奇跡の話のせいでした。私はそれらをまったく信じてはいませんでした。のちに、悲劇が私たちの人生を襲うまで、ババの愛というメッセージなど考えてもみませんでしたが、それは完全に私が受け入れられるものでした。私は何十年もガンディーやトルストイの書物によって育てられてきたのですから。そういえば、ガンディー自身はトルストイの影響を受けており、南アフリカの彼の農場にトルストイという名前さえ付けています。その点に関して、私は叔父とサイ・ババの奇跡について議論したのをはっきりと覚えています。物理の法則に従ってそんなことは不可能だと私が主張する一方、私の叔父はこう言って取り合いませんでした。「お前よりも偉大な科学者たちがひっくり返ったんだから、私はお前のような若造に論破されるものか!」。

それから1991年五月、正確には22日に、私は人生の衝撃を受けたのでした。私は、ババの大学で計画された夏季講習で話をするためにバンガロールへ行っていました。当時副学長だったサンパト教授に招待されたのでした。5月21日の朝、到着しました。その夜、ラジヴ・ガンディー(Rajiv Gandhi)が暗殺されたのでした。翌朝、国全体が大騒ぎでした。その日の午前に予定されていた私のスピーチは中止になりました。代わりに、私はババの教えに関する個人的な話をしました。ババは、サンパト教授に同じスピーチを設けるよう依頼しながら言いました。「皆に私が出席することを告げなさい。さもなければ、そのスピーチを欠席する者が出るかもしれないから」。

午後3時に皆私のスピーチに集まりました。スワミは現れませんでした。スワミは、当時プッタパルティで建設中のスーパー・スペシャリティ・ホスピタル(高度専門病院)に関することでとても忙しかったのです。それでも、ババの場所にはいつものようにイスが一つ置かれていました。聴衆に私の紹介をする傍ら、サンパト教授は私のほうを向いてこう言いったのです。「ヴェンカタラーマン博士、あれはババのイスです。空っぽのように見えますが、いいですか、ババはあなたがしゃべることはすべて一言一句聞いておられます」。私はそれを真剣には受け止めませんでした。私は、大部分はガンディーの教えに基づいた価値観というものの重要性について話しをしました。

スピーチが終わると、サンパト教授は私をババの所へと連れて行きました。私は、いとまごいをして、ハイデラバード行きの飛行機に乗るために急いで空港へ行かねばなりませんでした。いたるところで大騒ぎでしたし、空港へ行けるかどうかもわからない有様でした。もしたどり着けたとしても、飛行機が飛んでいるかどうかさえわかりませんでした。「あなたの話はすべて聞いていましたよ」。それは、最初のノックアウトの一撃でした。「疑り深いトーマス」ならこう言ったかもしれません。「とんでもない、それは仕組まれたもので、ババとサンパト教授の間で前もってやり取りがあったに違いない」。そういう人たちに言いたいのは、ババに対して大変不当なだけでなく、サンパト博士のように、なかなか出会えないようなすばらしい紳士に対してもひどく不当なことです。知らない方にお教えしますが、サンパト博士はスタンフォードで電子工学を学ばれ、1955年にインド科学大学で教えるためにバンガロールへやって来られました。(実際、私はここでサンパト博士に会いましたが、その時はサンパト博士のことを知りませんでした。) 後に、サンパト教授はマドラスのインド工科大学へ移りました。そこでサンパト博士は何年も副学長として働きました。教授でもあり、コンピューター科学部門の部長も兼ねていました。その後、サンパト博士は社会奉仕連合委員会で勤務し、カーンプルのインド工科大学の部長などを経ました。ここでサンパト博士の名誉の数々を思い出すには長すぎて無理があるのですが、それにしてもサンパト博士は完璧な紳士でした。ですから、今私が取り上げているような出来事の共犯者としてサンパト博士を攻め立てるのは、きわめて重い罪でありましょう。

この数分後、私は二回目のノックアウトの一撃をくらうことになりました。私はスワミにいとまごいをして、バンガロール空港へ向かう準備をしました。その時の場面 をよく覚えています。私たち二人は、共にトレイー・ブリンダーヴァン(ババのホワイトフィールドの住まい)のドアの近くに立っていました。スワミは、手を振って私のためにヴィブーティを出し、手のひらに注いでくれました。それが眠りから覚めた瞬間でした。この時のショックは私の息子の突然の死、あるいはガンディーのまったく予想だにしなかった暗殺のショック以上のものでした。私は、その体験にまったく呆然(ぼうぜん)としてしまいました。何分かして我に戻ったのですが。後で、それがどういう意味だったのか理解するために真剣に考えるべきだったと気がつきました。

その日に(そして後で何回も)私が目撃したヴィブーティの物質化は、私がそれまでに学んだことよりも、はるかに多くのことがあるのだということに気づかせてくれました。ソールカー氏はこのヴィブーティは単なる塩の玉 で、最初隠し持っていて、それから粉々にするのだと主張しています。ソールカー氏に言わせてもらいますが、私はその時以来ヴィブーティの物質化をさまざまな場面 で、あらゆる場所で百回以上は目撃しました。私はまた、いろいろなときに個人的に物質化されたヴィブーティをいただきましたし、そういった時は必ずその味をみてきました。それは、どれほど想像力を働かせようともまったく塩の粉などではありません。これが、私が最初に言いたいことです。

私はこれまで、きわめて予想し難い状況で物質化されたヴィブーティを見てきました。ここに一つの事例があります。1999年3月、スワミはボンベイに行ったのですが、私もその一行に加わっていました。そこで、スワミは大勢の家を訪れましたが、ある日の午後、ウォールリーにあるスニール・ガヴァスカール(Sunil Gavaskar)の家を訪れました。スワミはボンベイの有名人たちでいっぱいの大きな一室に座っておられました。もちろんそうした有名人の多くはスポーツ界から、そしてある者は映画界からの人たちでした。その部屋は人で一杯でしたが、無言律によって私たち一行のメンバーは外に座っていました。最初にバジャンが歌われ、そして短いスピーチがたくさん続きました。その後、ババは軽く食事をするためのダイニング・ホールへと案内されました。人々はババに手紙を渡したりしていました。スワミがドアの近くに来ると、私にもよくスワミが見えました。そこには、私の時代のクリケットのヒーローだったポーリー・ウムリガール(Polly Umrigar)とG・S・ラムチャンド氏(G・S・Ramchand)が座っていました。ガヴァスカールが二人を紹介しているときに、スワミは、いつものように何気なく、「ヴィブーティは好きですか?」と尋ねました。二人が答えるのを待つことなく、スワミはその場で物質化しました。一体どうやってだれがそんなことを予測できたでしょう。アンデーリーからウォールリーまでの長い道のりを、車に乗って、一時間座ったままでいながら、その間ずっと指の間に塩の玉 を隠し持っているなど、どうやったらできるのか私にはわかりません。おそらくソールカー氏ならばそれができるのでしょう。そんな事例はいくらでもありますが、省略することにします。しかしながら、ラジオ・サイの放送のために用意したキャプテン・オベロイ(Capt.Oberoi)とのインタビューから、抜粋したものをここで披露したいと思います。知らない方たちのために申し上げますが、オベロイ氏はインド航空で最初はパイロットとして、後に広告部門で働いておられた方です。退職まで高い地位 にあった方です。退職後、オベロイ氏はプッタパルティに来られましたが、ここで空港官として十年以上勤めておられました。私もオベロイ氏のことはよく知っています。

オベロイ氏が仕事でマドラスにいた時のことです。ババがハイデラバードに行く予定だと聞いて、オベロイ氏はバンガロールにやって来ました。広告部門の幹事長として、オベロイ氏は担当の地域を仕事であちこち飛び回って行くことができました。オベロイ氏は大きな問題を抱えていたので、スワミにとても会いたがっていました。スワミはオベロイ氏に、ハイデラバードに行く予定があり、飛行機の上でオベロイ氏と話ができるだろうと告げました。そうしてオベロイ氏はハイデラバードまでの便にババと同乗したのでした。そのとき、オベロイ氏は深刻な問題を抱えていました。喉頭癌(こうとうがん)と診断されていたのです。次に何が起こったのか、オベロイ氏が思い出して語るのを聞くことにしましょう。

――「その飛行の間、スワミは私を呼んで隣に座るようにと言いました。そのとき席にいたラーダークリシュナ氏は、私が座れるようにと席を空けてくれました。私が座ると、スワミは私の健康について尋ねたので、私は、『スワミはアンタラヤーミ(内なる存在)であるがゆえ、私の問題をご存知です』と答えました。

私の目から涙がこぼれてきました。私は動揺していました。スワミは私の涙を拭いて言いました。『わかっています。しかし私はあなたに話してもらいたいのです。話せば負担が軽くなるでしょうから』。それで私は、ENT(耳鼻(じび)咽喉科(いんこうか))の専門家が私に喉頭癌であるという診断を下したことを話したのでした。

スワミはコップに水を持って来させると、黒っぽい粉のようなものを物質化しました。そして、その粉をコップに入れ、スプーンで水をかき混ぜて私に飲むように手渡してくれました。それはとても苦い味がしましたが、私は全部飲んでしまいました。スワミは指先に残っていた黒い粉を全部私の(のど)に擦り付けてくれました。

それはとても慰められるものでした。痛みはたちどころに消え、それ以来、手に負えなかった(せき)はほとんど出なくなりました。スワミはマドラスのカーメシュワール医師(Dr.Kameshwar)の所へ行って、私の病気に関してもう一度診てもらうようにと言いました。私は、もうずい分良くなったので、なぜまたもう一度うんざりするような検査を受けなければならないのかと抗議しました。スワミはこう主張しました。『Ape Swami ka agya palan karo aur second opinion lo』(あなたのスワミの言うことを聞きなさい。そしてもう一度診てもらいなさい)」。――

オベロイ氏はマドラスへ帰り、スワミに勧められたように、高名な専門家であるカーメシュワール博士を訪ねました。カーメシュワール博士はたいして入念な検査もせずに(がん)と診断するような他の医師たちとは違っていました。カーメシュワール博士はオベロイ氏が持ってきた検査報告に軽く目を通 すと、なぜもう一度検査を受けたいのかとオベロイ氏に尋ねました。特にそういった検査にはひどい痛みを伴うものがあるのに、と。結局のところ、最初の検査からたったの十日過ぎたばかりの、そんな短い期間に一体どんな大きな奇跡が起き得るというのでしょうか? オベロイ氏はその医師に、特にカーメシュワール博士に診てもらうようにと言われたこと、そしてスワミの指示に従ってそうしていたことを告げたのでした。カーメシュワラ博士は、しぶしぶ検査を引き受けました。検査を終え、二重に検査を受けたのですが、そこにはまったく、癌の痕跡は何も残ってはいませんでした。スワミがすでに消してしまっていたのです。オベロイ氏は、スワミはなぜ、もともとオベロイ氏を診察した医者の所へ、ではなくカーメシュワール博士の所へ行かせたかったのか、と私に尋ねました。カーメシュワール博士はスワミのことを信じてはいませんでしたが、この出来事以来、完全に変わったのでした! 繰り返しますが、私が今再現したキャプテン・オベロイ氏の言葉は、数年前にラジオ・サイの放送で録音されたものとまったく同じものです。

私は、キャプテン・オベロイ氏をとてもよく知っています。オベロイ氏はバジャンのとても上手な歌い手ですし、素朴で率直な人柄です。ソールカー氏はまた疑わしいものだ、とおっしゃるでしょうが、どうやったら黒くて苦い塩の粉が一気に癌を治せるのかわかりません。おそらくババはオベロイ氏が問題を抱えてババのもとへやって来るのを知っていて、それで前もって黒い薬を持っていたのでしょう。

ここで再びサングヴィ氏の辛らつな言葉に関して触れなければなりません。「金持ちの帰依者はオメガを手に入れるが、貧しい者たちは神聖な灰を手にするだけだ」。そのような話をする者は単純に霊的に無知であるにすぎません。私に関して言えば、いつだってオメガの時計よりもヴィブーティの方を価値あるものだと思っています。時計は役には立ちますし、確かに仕事に行くときに一つはめていきます。しかし高価なオメガは執着心を刺激しますので、私はそういったものはあえて好みません。ヴィブーティはどうでしょう。ババが説明しているように、物は燃えると灰になります。しかし、灰自身は燃えることはありません。すなわち、経典などで人が目指すべきものとして薦めている究極の精神の純粋さという状態を思い起こさせてくれるものです。ヴィブーティはこのように究極の純粋さを象徴するものなのです。

私が何と言おうと、こいつは何て無知なのだろうかとか、ババに何と騙され、欺かれているのだろうかとか、こいつはあまりに未熟だから手品師のトリックを見抜けないのだとか、ありとあらゆる議論がなされるのは明らかです。そこで、私の体験を語ることにしましょう。これはおよそ四年前の出来事です。三月の初め、午後のダルシャンの時だったと思います。スワミがベランダに腰掛けていました。そこからは数千人が座っているサイ・クルワント・ホール全体が見えます。ひどく暑かったのですが、当然です、夏がすぐそこまで来ていました。一時間ほど経ってから、突然ベランダでスワミの近くに座っていた数人と会話を交わしている最中に、そこに集まった人々を全員見渡し、スワミが手を振ってイチジクを一つ出したのでした。プラスチックでもなければ粘土でもない本物のイチジクでした。スワミはそれを近くにいた私たちに渡したのです。私はそれを受け取って、手のひらに載せて見ました。それは本当に新鮮で、まるでよく効いた冷蔵庫から出してきたばかりのもののように冷えていました。どうしてそれがイチジクだとわかったかですって? なぜなら、ババがそのイチジクを小さく切って配るようにと言ったからです。私が食べたイチジクの一切れを持っていましたから。その時そばにいた人たちがだれだったのか皆は覚えていませんが、S・V・ギリ氏(S・V・Giri)がそばにいたのは覚えています。ギリ氏は、当時、副学長でしたし、当然スワミのお手伝いをするために側にいた一人か二人の少年たちもいました。彼らもその物質化された、新鮮で冷たいイチジクを一切れもらっていました。こういったことはすべて数千人という大きな群集の前で起きたことです。これをお話しするのは、NDテレビのソールカー氏が、スワミが手品師と言っているだけでなく、ババがカーテンの後ろの自分の部屋でものを物質化しているのだと主張しているからです。お決まりの説明で、そのイチジクは前もって用意されていて、(そで)の中に隠してあったのだと言う人もいるかも知れません。けれど、ババはそれをどうやって冷たいままにしておくことができたのでしょうか? もしかして(そで)の中によく効いた冷蔵庫を持っていたのでしょうか?

 

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出典:http://media.radiosai.org/Journals/SpecialArticle/GOD_AVATAR_AND_THE_DOUBTING_THOMAS.pdf
翻訳:サティア サイ 出版協会

 

 
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