Special Interview  
 

サンドワイズ博士へのインタビュー

Part2

ワールドスペース「サイ・グローバル・ハーモニー」より

 
  Pink Line  
 

サミュエル サンドワイズ博士は、その著書"The Holy Man and the Psychiatrist"(『聖者と精神科医』)で知られています。この本は、多くの西洋人、特に医師たちに影響を与え、スワミの教えに向かわせました。「ラジオ サイ」は、先日のシヴァラートリー祭の期間にこのプラシャーンティ ニラヤムに滞在されたサンドワイズ博士にインタビューすることができましたので、その模様を皆さんにお届けしたいと思います。聞き手は、サイ大学(シュリ サティア サイ インスティテュート オブ ハイヤーラーニング)の前副学長、G.ヴェンカタラーマン教授です。インタビューは二部に分かれていますが、今回はその第2部をお聞きいただきたいと思います。


ヴェンカタラーマン:全体としての社会という問題は、とりわけ、いわゆる9月11日の出来事(*1)以降、かなり重要になってきたと思います。一般 論ですが、私がちょっと不思議に思うことがあります。ご存知のように、西洋社会は、科学技術においても、知的にも、科学の分野でも、たいへん進歩していて人々はたいへん優秀である等々、そうしたすべての点において優れています。西洋社会は、非常に多くのことを成し遂げてきましたが、その行動の中には矛盾点もあるように見えます。実際、本当に知的な人がどうしてあのようなことができるのだろうか? と不思議に思うようなことがあります。

ごく簡単な例を挙げると、今日、消費によって経済を構築しようとする考え方が非常に強調されています。消費主義といってもよいでしょう。消費主義は、際限なく成長を続けています。しかし、この状態は、地球という惑星にとって危険なものですし、いつのことだったかよく覚えていませんが、60年代か70年代の初めにローマ・クラブがそのことを警告しました。これはだれの目にも明白であるにもかかわらず、人々はなぜ、この明白な事実に目をつぶるのでしょうか? 目をつぶっている人々は知的な人々です。これは、科学研究であれ、政治企画や、軍隊の政策決定であれ、あらゆる分野で見られる現象であり、そうした人々は皆、たいへん優秀ですが、目隠しをしているのです。これは、なぜなのでしょうか?

サンドワイズ博士:これに関するスワミの御教えは、ごく簡単なものであると私は思います。つまり、「人間自身が神であり、人間は純粋な愛そのものである」ということです。しかし、私たちは、そのことに気づいていません。その鍵は心です。もし、私たちが心を神の方に向ければ、そのことこそが、自由に対して心を開く道なのです。心を世俗に向ければ、私たちは束縛の世界に閉じ込められてしまいます。心は実に強力です。ですから、心を世俗に向けることは、拘束されることを意味し、逃れることのできない牢獄に閉じこめられるようなものです。そこは欲望や貪欲さに満ちており、色欲、怒り、傲慢、憎しみ、執着といった、あらゆる敵がひしめいています。そこには、こういったさまざまなのものが、この世の神として、世俗的な生活の神々として、歩き回っているのです。人は、外界の対象への欲望と執着こそが満足をもたらすのだと感じたとたん、それを信じて追い求めるようになり、その追求には際限がありません。

ヴェンカタラーマン:つまり、欲望は盲点なのですね?

サンドワイズ博士:外界の対象が満足をもたらすという考え方について理解してみましょう。「満足は外界の対象によって得られるものではない」ということを示す、ごく簡単な心理学的実験があります。素適な新車をほしいと思っている人を粗末な古びた椅子に座らせ、催眠術をかけて、「あなたは素適な新車に乗っています」と言うと、被験者は、とても幸せな気分になります。さて、その幸福感はどこにあったのでしょうか? それは物質(外界の対象)から来たものではなく、心の中から来たものです。ですから、大事なのは、「どうすればたくさんのものを手に入れることができるのか?」ではなく、「どうすれば心の中に幸せを見つけることができるのか?」ということなのです。しかし、カリユガ(暗黒の時代=現代)には、この単純な理解が欠けていて、外界にある対象が満足をもたらすのだと信じられています。ですから、ウォール・ストリートや株式市場に人々が群がり、さまざまな組織の長が生まれる、というように人々の活動はとどまるところを知りません。

スワミは簡潔な表現で、「欲望を満たせば、さらなる欲望が生まれる」とおっしゃいます。満たされない欲望は、さらなる転生へとつながります。私たちは力ずくで欲望から逃れることもできず、すべてを抑圧してロボットのように生きることもできません。しかし、欲望から抜け出す秘訣は、すべてを神に捧げることにあるのです。それは非常に深く、かつ広範囲にわたる話題です。それはどのように実践するのでしょう? 自分自身を神に明け渡すにはどのようにすればいいのでしょう? (中略)まず最初に、欲望を満たすことがさらなる欲望につながることを理解しなければなりません。いったん世の中の方を向いてしまえば、心は非常に強力で、心自体を制限してしまいます。もし、欲望を満たすことが満足をもたらす、という過った考え方を信じて、利己的にさまざまな物を溜め込むようなことを続けていれば――このような言葉を使うことをお許し願いたいのですが――その人は地獄を体験することになります。欲望を満たすことによって満足が得られるというのは、あやまった考え方です。そして、人々にとって、この考え方を手放すことはとても難しいのです。

私が精神医学者として興味惹かれることの一つなのですが、私たちが外的なものに執着することをやめようと努力するとき、最初、それは意外に簡単なことのように見えます。スワミは初め、私たちに不便さや不快さを乗り越えるための課題を与え、それを助けてくださいます。スワミは「私に会うためにプラシャーンティ・ニラヤムにおいでなさい。皆さんが、そこまでの車の旅を我慢できるかどうか、飛行機に乗って来れるかどうか、どれだけ強い決意が必要かを経験してみなさい」などとおっしゃるわけです。これをやり切るには、ある程度の自己鍛錬が必要であり、それほど簡単ではないことに気づくでしょう。心はつねに満足した状態にあることを欲しています。そこで、人はそれまでの感覚的欲望から自分を引き離そうとします。「前ほどたくさん食べないようにしよう。前ほどテレビを見ないようにしよう」と考えます。これは単純な欲望です。けれども、こうしたことをコントロールできる人がいるでしょうか? 西洋では、人々は驚くほど食べ過ぎていますし、気が狂ったようにテレビを見ています。

その後、私たちは、もう少し深い真実について考えるようになります。私たちの名前、姿、名声、財産、家族、友人、権力、地位 、評判――これらすべては無に等しいものであり、そこに何かの重要性があると考えることは間違っています。ところが、もしだれかが、これらのものの中の一つ、たとえば、地位 やお金を失うと、恐怖に襲われます。これ以上ないほどの恐怖を感じます。

次に、さらに深いことを言えば、目に見える世界のものはすべて一時的なものであり、何であれ外界に存在しているものは通 り過ぎていくものであり、いっさいのものは過ぎ行く雲に似ています。すべてがゲームなのです。このことを本当に理解すると、非常に深い恐怖を引き起こします。私はそれを、根源的な恐怖と考えており、死の恐怖と呼んでいます。私は、あらゆる物事が一時的なもので、単に過ぎ行くものに過ぎないことを理解しています。それだけでなく、スワミは私に何度も教えてくださいましたし、おそらく皆さんにもそう教えていらっしゃるのでしょうが、スワミは「いかなるものも無であり、そして無はすべてである(*2)とおっしゃいます。

さて、外界において無を経験すること、つまり、私たちが欲しがる物はすべて無であると知って実際に無を感じることは、非常に恐ろしいことです。愛のみが唯一の力です。私たちは、放棄し全託する段階を支えてくれる愛を培わなければなりません。これら(名前、姿、名声等々)のすべてを犠牲に供した後に、初めて真の幸福に到達できます。子孫やお金や地位 によってではなく、犠牲によってのみ、それが可能なのです。そうすると、このすべてを経験し、そのすべてが無であると認識できるのです。私たちは、こうした道のりを最後までたどることができるように、スワミのローブにしがみつかなければなりません。これは、本当に恐怖に満ちた体験です。

ヴェンカタラーマン:ますます多くの人がスワミのもとに集まり、スワミのローブにしがみつくことでしょう。

サンドワイズ博士:もし、それがなければ、この世界は自滅してしまうでしょう。なぜなら、私たちは今、恐怖と破壊の中に封じ込められており、私たちが抱いているこの世的な考え方や人間的な考え方では、いかなる人物であれ、そこから逃れることができるとは考えられないからです。

ヴェンカタラーマン:しかし、ときおりスワミは――もちろんスワミがそれをなさっているとは気づかれない形で――私たちが夢にも思わないことをなさいます。たとえばロシアの例を見てみましょう。私は、ロシアが1960年代や70年代にどのような状態であったかを覚えています。当時、私たちは絶えず、核による大量 虐殺の恐怖の中にいました。ところが、突然状況が変わりました。今日では、朝夕非常に多くのロシアの人々を見かけます。そして、ここ(プラシャーンティ・ニラヤム)には、かつてなかったほど、あちらこちらに多くのロシアの人々がいます。10年前に、私たちは、一人でもロシア人を見かけることがあったでしょうか?

サンドワイズ博士:いええ、私は、一人も見かけませんでした。

ヴェンカタラーマン:ロシアといえば、博士は幾度かロシアを訪問なさいましたね? 博士がロシアでごらんになったことを、少し聞かせていただけませんか?

サンドワイズ博士:そうですねえ。ロシアに関する私の経験のほとんどが、私にとっての学習のためにあったように思います。スワミの愛について、私に何かを教えてくれたのです。また、私個人の欲求や欲望に関しても教えてくれました。そうした経験によって私が内面 的に学習したことについてお話しするのは、たいへん時間がかかりそうです。でも、私が初めてロシアに行ったとき、思ったことがあります。

ヴェンカタラーマン:それは、何年のことでしたか?

サンドワイズ博士:1991年頃だったと思います。1990年かもしれません。

ヴェンカタラーマン:当時ロシアは、まだ共産主義だったのですね?

サンドワイズ博士:いいえ、ペレストロイカが進んでいたころで、人々が徐々に開放的になっていったころだったと思います。

ヴェンカタラーマン:当時は、まだ、USSR(ソビエト連邦)でしたね。

サンドワイズ博士:よくわかりません。

ヴェンカタラーマン:結構です。それはさほど問題ではありません。

サンドワイズ博士:私がブリンダーヴァンにいたとき、だれかが私の初めての著書『聖者と精神科医』のロシア語訳の原稿をくれました。私は、その本をスワミのところにお持ちして、「スワミ、ロシアに行って、この著書の印刷業者を見つけてもいいですか?」と尋ねました。私は観念的な人間だったのでこう言ったのです。私は、ロシアにだれも知人はいませんでしたし、ロシアについて何も知りませんでした。私は単純に無知な男で、もし、スワミが「イエス」と言ってくだされば、スワミの力で私の願いをかなえてくださるだろうと信じていたのです。そのときスワミは、少し考えてから、「シカゴで出版したらどうですか?」とおっしゃいました。後になって、これを翻訳したロシア人はシカゴから来ていたことがわかりました。私はそれを知りませんでした。スワミがそのことをご存知だとは普通 では考えられませんでした。ですから私は「でもスワミ、その国で出版社を見つけるほうが簡単だと思うのですが。本を船で送る必要もありませんし」と言いました。つまり私は、スワミに何かを教えよう、スワミに何かを伝えよう、スワミの考えよりもよい考えを提案しようとしていたのです。するとスワミは、ちょっと考えて「よろしい、行きなさい」とおっしゃいました。スワミは(私がスワミのアドバイスに従わなかったので)、私に、自分自身のカルマ通 りに進ませようとなさったのです。つまり、私自身のカルマにです。スワミは、それ以上私のカルマに介入しようとはなさいませんでした。私は愚かにも、自分がスワミよりも良い考えを提示することができると信じていたのです。このときスワミは、私に教訓を与えようとしていらっしゃったのです。私が「どのくらい(の期間)行きましょうか? いつ出発すればいいですか?」とお尋ねすると、スワミは、「どうして待つのですか?」とおっしゃいました。スワミは、私のたどる過程を早めようとしていらっしゃったのです。

そのとき私は、現実を直視して面くらいました。私はロシアに知人もいませんでしたし、出版者も知りませんでした。どうやってロシアに行けばいいのでしょう? そして、何とかつながりを付けようとしてかけた最初の二つの電話は、惨めな結果 に終わりました。惨めなくらい何の成果もありませんでした。ところが、三番目の電話で、私はロシアと関係を築こうと努めて何度もロシアを訪れたことのある人に行き当たりました。それはあの、通 常では起こりえない「サイによる偶然の一致」(*3)のひとつでした。こうして、私は異例の速さでロシアに行くことができました。

当時、ロシアにはだれ一人スワミの帰依者はおらず、人々は『聖者と精神科医』がどんな意味を持つのかまったく知らなかったので、「いったいいつ、どのようにしてスワミの帰依者が育っていくのだろう?」と疑問に思いました。また私は「それがどのように起きるのだろうか?」と思案しました。なぜなら、奇跡が起きれば、非常に貧しく、実に多くの問題を抱えているこの国で突然、「いつの日か私が、グループの中に座って、“オーム、ガネーシャ・シャラナム…”という歌声を聞くことができるようなことになるだろうか? いったい、そんなことが起きることが可能なのだろうか?」と考えました。偉大な主がどのようにそれをなさるのかは知りません。(中略)

ヴェンカタラーマン:スワミは、確かにそのようなことを実現なさいます。

サンドワイズ博士:でも、本当にスワミはそれを実現なさいます。スワミは、どのようにそれを実現されるのか、あるいはそれをしているのはだれかということを、いっさい口外なさいませんが、私たちのだれもが、それをなさっているのはスワミだということを知っています。

ヴェンカタラーマン:その次にロシアに行かれたとき、博士は、たいへんすばらしい光景をご覧になったのですね?

サンドワイズ博士:ええ、二回目にロシアに行ったとき、ロシアの人々が、私と妻をゲスト・スピーカーとしてサイの大会に招いてくださったので、私たちは大会に出席しました。

ヴェンカタラーマン:それは何年のことですか?

サンドワイズ博士:3年前(*4)です。彼らは、空港まで私たちを出迎えてくれて、いろいろとお世話をしてくれました。私たちのためにバジャンを歌い、愛を注いでくれました。私と妻は、毎日違う帰依者の家を訪れて話をしました。彼らの家は、清潔で、芳しいお香の香りが漂っていました。子どもたちにも十分世話が行き届いており、「善良でありなさい、清潔でいなさい、正直でありなさい」といったスワミの御教えの影響を見るのは、とても嬉しいことでした。スワミの御教えが定着していく様子を見ることができたのです。

夜になると、私たちは、大きな会合で話をしました。そこにはその地域の人々が大勢集まってきていました。それから、私たちはモスクワで開かれた大きな大会に出席しました。私たちはそこで、早朝、ぼろぼろの木製の床に300人ほどのロシアの人々に混じって座りました。「オーム」の斉唱が始まると、涙がこみ上げてきました。それは、突如としてそれほど多くの兄弟姉妹の皆さんがスワミのお写 真の前で「オーム」を唱和しているのを見たからです。

ヴェンカタラーマン:それがどのようにして起きたのか、お話しいただけませんか? アメリカには、ヒスロップ博士がいらっしゃいましたし、オーストラリアにはマーフェット博士がいらっしゃいました。ロシアには、だれがいらしたのですか? それはどのようにして起きたのでしょう? それにはだれかが必要だということではなく、好奇心から、私はぜひ(それを知りたいと思うのです)。

サンドワイズ博士:まったくわかりません。私は、そうした方面 は調べませんでした。経緯はよくわかりませんが、突如としてそのような事態が起きたのです。そのようになったのです。

ヴェンカタラーマン:そのようになったのですね。

サンドワイズ博士:サイの兄弟姉妹と共に座って、同じバジャンを聞き、同じ「オーム」に耳を傾け、スワミの御教えに対して同じ愛と同じ敬意を払うこと――そうしたことのすべては、本当に息をのむほど感動的でした。

ヴェンカタラーマン:それはモスクワでのことですね?

サンドワイズ博士:モスクワです。どのようにして種が蒔かれて、それほど発展していったのかを見るのは、奇跡としか言いようがありません。

ヴェンカタラーマン:私はあるとき、サイの帰依者の皆さんのグループに出会ったことがあります。彼らは、皆、「シベリア」(英語で、サイベリアと発音)と書かれたスカーフを巻いていました。つまり、スワミは、はるばるシベリア(サイベリア)まで、お越しになったということなのです。彼らは、カザフスタンから来ていました。

サンドワイズ博士:それはサイ・ベリアだったのですね。

ヴェンカタラーマン:本当ですね。おそらくあの国はサイの国になったのじゃないかと思います。かつてのレニングラード、現在のサンクト・ペテルブルグにも、確か大きなサイ・センターがあったと思います。

サンドワイズ博士:はい、あります。(中略)。

ヴェンカタラーマン:ウクライナにも、サイ・センターがありましたね?

サンドワイズ博士:ウクライナですか? そういえば、ウクライナの帰依者たちが、モスクワでの大会に来ていました。参加者は、ウラル地方やシベリアなど、いたるところから参加していました。私がそれまで一度も聞いたことさえなかったような、いろんな場所から来ていました。(中略)その場所に行くためのお金がない人も、何日も何日も旅をして、ただサイの帰依者たちに会うためにやって来るのです。実に心温まります。

ヴェンカタラーマン:まさにそれは、愛のもつ本当の力であるとお思いになりませんか?

サンドワイズ博士:そんなことを、だれができるでしょうか? いったいだれにそんなことができるでしょう? また、いったいだれが、この上もなく不思議で、つねに力強く、心躍る状況の中に私たちを置くことができるでしょうか? いつも何かが起こっていて、私たちを不安にさせたり、ワクワクさせたりしてくれます。本当にスワミは、つねにドラマに満ちているでしょう? いつもいろんなドラマに満ちています。スワミが次に何をなさるのか、私たちにはわかりません。

ヴェンカタラーマン:まったく同感です。知らない国に行って、突然そこで聞き慣れたバジャンを聞くと、懐かしさを感じます。知らない場所にいるという感じが、まったくないのです。これは、本当にすばらしいことです。

サンドワイズ博士:国際的に理解されているあるものの種が、世界中に蒔かれているのを感じます。あらゆる言語や習慣の中で理解されているのは、「愛」という普遍的な言語であって、その愛が社会、経済、国、宗教といったさまざまな境界線を突き破って広がっています。そこには、本当にすばらしい「愛」の力、「愛」の性質があります。私たちは、人から受ける笑顔の中にこれを見て取ることができます。(中略)

自分はいっさい関係を持ちたくないと思った人々がいます。サイ・センターの中においてすら、どうしても好きになれない人や、いっさい係わり合いになりたくないと思う人がいます。ところが、不思議なことに、そういう人と交わったり、どうすればお互いにうまくやっていけるかを学ぼうとしたりする状況が生まれるのです。私たちをこのような共同実習に導いているのは、何とすばらしい愛なのでしょう!

ヴェンカタラーマン:かつて、ボブ・ボザーニ(SSO米国統括)が、こう言うのを聞いたことがあります。「私たちの目の前でこのようなことが起きるのを全部見ることができるとは、何とすばらしいことだろうか!」と。

サンドワイズ博士:本当に、スワミのことを直接にこれほどたくさん見聞きできるとは、私たちは、何とすばらしい恩寵に恵まれているのでしょう!

ヴェンカタラーマン:さてここで、博士がご自分のお考えを非常にたくさんお話しくださったことに感謝したいと思います。博士がここにお見えになるのは初めてではなく、今回限りでもありません。博士には、またここにおいでいただくことになるでしょう。それは、私が博士とお話ししたいことがたくさんあるからです。たとえばヒスロップ博士のことです。ヒスロップ博士は、並外れた人物であり、その上スワミとの間に普通 では考えられないような関係がありました。サンドワイズ博士は、ヒスロップ博士をよくご存じだったのでしょう?

サンドワイズ博士:ヒスロップ博士は、私の(家の)すぐ近くにお住まいでした。私は博士とは長年の知り合いでした。私たちは1975年にサイ評議会が設立されたときから、一緒に評議会で仕事をしました。私は博士と一緒にたくさんの会議に参加しました。私は博士を敬愛していましたし、博士とは頻繁に話す機会がありました。でも、私たちが最も緊密だったのは、博士の臨終のときでした。その偉大な帰依者が死を迎える過程を見守るのはすごいことでした。時として私たちは、帰依者の荘厳さや帰依者の善良さのうちに、主なる神の偉大さを垣間見ることがあります。ヒスロップ博士の臨終の際に、私が体験したのは、まさにそういうことでした。

ヴェンカタラーマン:あるヨーギ(ヨーガの行者)が死について説明していたことを思い出しました。そのヨーギは、「普通 の人々は“死を恐れる”が、ヨーギは、“そうだ、私の使命は終わったのだ。荷物をまとめて、別 の世界に行かなければならない”」と言うのだそうです。ヨーギは死を恐れません。ヨーギは死を歓迎します。事実、ヨーギは死を支配するのです。ですから、ヒスロップ博士の場合も、多分そうだったのでしょう。

サンドワイズ博士:さあ、ヒスロップ博士が、死を支配していたかどうかはわかりません。しかし、博士には、すばらしい無執着の精神がありました。私は疑問に思っていました。私はよく、ヒスロップ博士のそばに座って、「あなたは、怒っておいでではありませんか?」と尋ねたものでした。というのも、スワミは、博士が約9ヶ月の間、自分が力を失っていく様子を見守りながら死の過程を経験することをお許しになったからです。それは、私たち人間にとって困難なことです。

あるとき私は、「ジャック、どちらがたいへんですか? (再び)日本に行くのと今日ベッドから起き出すのと、どっちがたいへんですか?」と尋ねました。それはヒスロップ博士が日本を訪問(*5)なさったばかりのことでした。博士が10日ほどの間に30回もの講演を行ったらしいという噂が流れたほどの強行スケジュールだったようです。そのとき、博士には死期が迫っていたのですが、博士は自分がもうすぐ死ぬ とは知りませんでした。博士は、「私の古い友よ、今日、ベッドから起き上がることのほうがたいへんだよ」とおっしゃいました。博士はいつも私を、「古い友」と呼んでいらっしゃいました。(中略)

博士は、二人で話をしているときによくおっしゃいました。「ねえ、私の頭は以前ほどはっきりしてないんだ。すまないねえ、サム、私は昔のようにはよく物を考えることができない。でも今は、私が話して伝えることができるのはこれだけだ」。私は、「博士、博士は怒っていらっしゃらないのですか?」と尋ねました。すると博士は顔を上げて、実に無邪気に、「私が怒るべきだというのかね?」とお尋ねになるのでした。そこで私は、「いいえ、ジャック、その必要はないと思います」と答えるのが常でした。(笑)

博士の死にまつわる最もすばらしい思い出の一つは、博士との次のような会話です。博士は、「サム、私が君を落胆させていなければいいのだけれど」とおっしゃいました。私は「それはどういう意味ですか?」と尋ねました。(中略)博士は、「私の死に方を見てがっかりして欲しくないんだよ」とおっしゃいました。おわかりでしょう? 博士は、私の力になりたい、私に愛を注ぎたい、と願っていらっしゃったのです。博士は私に、人はどのように死を迎えるべきかを示したかったのです。だから博士は私に、「私が君を失望させていなければいいのだけれど」とおっしゃっていたのです。それは最も甘く優しい瞬間でした。私は、「ジャック、ああ兄弟、どうしてあなたが私を失望させるようなことができるでしょうか?」と言ってヒスロップ博士を抱きしめずにはいられませんでした。「あなたは、決して私を失望させるようなことはありませんよ」(と私は言いました)ヒスロップ博士はすばらしい人でした。

ヒスロップ博士の臨終のときのことですが、これからお話しするのは、「オーム」に関して私が経験した中で、最も強烈な体験です。ある日の夜、ほぼ同時刻に、私たちの仲間が何人も集まりました。そのときジャック(ヒスロップ博士)は昏睡状態に陥っており、呼吸が困難になっていました。私はバジャンのテープをかけたいと思いました。私は、ヴェーダの学者であれば当然知っているような、臨終を迎える人のために唱えるマントラや、その他それに類するものがある(*6)ことは知っていましたが、それがどのようなものかを知らなかったので、(代わりにバジャンの)テープをかけたかったのです。博士のテープレコーダーは故障していました。そこで私は自然に「オーム」を唱え始めました。博士のマントラは「オーム・サイ・ラム」でした。(中略)博士のベッドの足元で、「オーム、オーム」と唱え始めると、他の人々もベッドの周りに集まって、みんなで「オーム」を唱え始めました。(中略)私たちは、博士がそれを意識している様子に気づきました。つまり博士は、昏睡状態の中でも、みんながオームを唱えているのがわかっていたのです。(中略)身体がこのように動いて、博士は「オーム」の中に入って行かれたのです。私たちは、博士が「オーム」の中で私たちと共にいらっしゃるのを感じることができました。それはまるで、博士自身をご自身のマントラの中に解き放っていくような感じでした。私たちは皆、しびれるほどそれを感じていました。つまり、この「オーム」を唱えているときに、そのオームの中には博士がいらっしゃり、私たちと共にあることが実際に感じられたのです。それは驚くべき臨終の場面 でした。

ヴェンカタラーマン:その話に少し付け加えさせていただきたいのですが、それから少したった朝、私がベランダに座っていたときのことです。朝のインタビューがすべて終わって、スワミがお見えになりました。スワミはベランダに立って、米国から来ていただれかに話しかけました。それがだれであったかは知りません。スワミがその米国人に「あなたの友人はどこですか?」とお尋ねになると、その人は、「どの友人ですか?」と尋ねました。「ヒスロップ、ヒスロップ」というスワミのお言葉に、その人は、黙ってスワミの顔を見上げました。そしてスワミが「あなたの友人はどこにいますか?」とお尋ねになると、その人は「スワミ、ヒスロップ博士は亡くなってしまいました」と答えました。するとスワミは、「いいえ、ヒスロップは亡くなったのではありません。ヒスロップは、私のところに来ています」とおっしゃいました。この話は、今日の対談のすばらしい締めくくりになると思います。

サンドワイズ博士:おっしゃるとおりです。

ヴェンカタラーマン:本当にありがとうございました。またお越しいただくことを楽しみにしています。今日博士がおっしゃったことは、この放送を聞く何百万という帰依者の方々に喜んでいただけると確信しています。ありがとうございました。

サンドワイズ博士:ありがとうございました。とても楽しかったです。サイ・ラム。

 

以上は、サミュエル・サンドワイス博士が、最近このスタジオにお見えになったときのインタビューです。聞き手はG.ヴェンカタラーマン教授でした。

 

訳注:
*1:2001年9月11日にニューヨークで起きた米中枢同時テロのこと。
*2:仏教の神髄を説いた経と言われる般若心経にはこのことが「色即是空・空即是色」と書かれている。
*3: ユング心理学ではシンクロニシティ(共時性)と呼ぶ、意味のある偶然の一致のこと。
*4:1999年頃のこと。当時、サンドワイズ博士はプラシャーンティ・ニラヤムの木陰で、30人程のロシアのグループの人たちに請われてよく話をしていた。
*5:ヒスロップ博士が日本を訪問されたのは1994年9月に東京で行われた第4回全国大会の時。この時のお話の内容は、神戸で行われた「ヒスロップ博士講演(1999年9月27日)」を参照のこと。
*6:「チベットの死者の書」などに詳しく書かれている、臨終の床での枕経など。

 

 

 
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