東京の全国大会に参加できなかった関西方面の人々のために、ヒスロップ博士は、9月27日、神戸センターにおいて、前後二度にわたる講演をなさいました。第一回目の講演は女性と子供たちを対象に、第二回目のものは一般の方々を対象に行われました。最初の講演には200人、一般向けの講演には400人を越える人々が会場に詰めかけ、博士が89歳という御高齢にもかかわらず、エネルギッシュで示唆に富んだお話しをされるのを熱心に聞き入っていました。
東京や神戸の講演の中から、また、ヒスロップ博士が日本滞在中に様々な機会にお話しになった内容の中から、いくつかご紹介いたします。
(問い):自由意志の有無と運命論についてお話し下さい。
(答え):自由意志を持った、真に自由な魂は、アヴァター以外にこの世に生まれてくることはありません。我々の体験する人生は、カルマの川の流れであり、何が起こるかは、すべてカルマの法則や天体の影響力によって細部に到るまで決まっており、その意味では我々に自由は全くありません。しかし私たち自身は、その川の流れを見守っている者であり、川自体が我々なのではありません。私たちの苦しみは、自分と自分の体験を同一視するところから生じます。「私は誰か」という探究の道を歩むことにより、自分は体験を意識している者であり、体験は自分ではないということがはっきり判ります。体験と自分を結び付けることは自己執着であり、無執着とは、体験に左右されない、体験を意識しているだけの自分に焦点を合わせることです。人間には、カルマの川の流れを決定する自由意志はないと言いましたが、川の流れは自分ではないとはっきり認識することによって、どんな瞬間でも、自分の体験するものごとに、自分自身が左右されないでいる自由意志はすべての人が持っているのです。あなたの本当の姿はアートマ(真我)であり、サット・チット・アーナンダ(存在・意識・至福の三位一体の宇宙意識)です。
(問い):それは自分が罪の意識に苦しんでいないときには、すべてを神の御意志として受け入れて、体験に左右されずにいることは可能なことだと思いますが、例えば、自分の欲に負けて悪いことをしてしまい、その結果心にやましさがあるときは、自分の体験をどうしても自分に結び付けてしまいがちだと思うのですが……。
(答え):ある状況において、一つの思いが心を占め、それに負けて「悪」を行ってしまうという場合に、その行動決定をしたのが自分だと考え、罪の意識に悩むこと自体が「無知」なのです。もちろん常に善をなすことはあなたの言った意味においても大切なことですが、一つの思いに動かされて行為をする場合、その思いに力を与えているものは、あなたの欲ばかりではありません。あなたの過去生からのカルマの総体、あなたの食べたものに込められていた波動、あなたの周囲の人々の想念の力、その場のエネルギー、遠い天体からの影響力等々、そこには、あなたが通常「自分」と思っているエゴの力をはるかに上回る様々な力が複雑に組み合わさって人間を操っているのです。その意味で、善を自分のエゴに結び付けることも、無知のあらわれに過ぎません。罪意識自体があなたなのではありません。あなたはそれを感じている意識そのものです。あなたが暑いと感じているとき、暑さはあなたの体験内容であって、あなた自身ではないのです。「肉体は自分ではない」「心は自分ではない」「感情は自分ではない」というように、一つひとつ良く点検して、自分ではないものを否定して行き、最後にそれ以上否定できずに残るものが本当の自分なのです。
過去に関しては、いくら悔やんでもやり直すことは出来ません。自分の過去にしがみついている手を放して、今に集中することです。常にババを思い、すべての思いと言葉と行いをババに捧げ、何をするにしても、ババのお喜びになるように行うことを心掛けていけば、すべてのなかに神を見る目が開いてきます。全託とは、すべての人とすべてのものの中に神を見ることに他なりません。
(問い):様々な予言書や予言者、チャネラーなどが、世界の終末とか、天変地異について語っていますが、サイババはそのようなことに関して何と言っておられますか?
(答え):スワミは、「私に帰依する者たちがいなかったとしたら、世界はとっくに破滅していただろう。私の帰依者たちの魂が洗われ、彼らの心の奥に愛が輝いているので、これから先、一般に騒がれているような大規模の天変地異は起こらない。異変があるとしても、常識の範囲内での大地震や大事故というものでしかない。私は、昔からの預言書などに示された神の計画を徐々にキャンセルしている。」と言っておられます。また、「プレマ・サイババが誕生する頃には、世界は愛と平和に満ちているだろう」とも言っておられます。私が、「現代社会に見られる様々な非人間的な出来事や戦争などを見ていると、その言葉はすぐには信じ難いのですが」と申し上げると、ババは、「はるか遠い海の上で嵐が起きると、嵐が消えた後になっても、海上で発生した大波は海岸まで旅をして、浜辺に打ち寄せる。それと同じことで、今の世界が経験している様々な波瀾は、嵐が消えたあとの余波に過ぎない。嵐自体は既に消えてしまっている」とお答えになりました。
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