Q:真の帰依とは何ですか?
A:様々なタイプの帰依者がいます。その一人一人が、「自分は神への深い帰依の心を抱いている」と主張します。ギーターの中でスワミは帰依者を4つのタイプに分類されております。(1) 自分の欲望が満たされることを望む者、(2) 自分の抱えている問題が解消されることを望む者、(3) 英知を求める者、(4) 悟りを得、至福を求める者。
神はまた、こうもおっしゃられています。「帰依者がどのような方法で神に近づこうとも、神はそれと同じ方法で帰依者の信仰心を支えるであろう」 しかし、スワミは「自分が帰依者であると宣言するだけでは十分ではない」 とおっしゃられます。神がそのような帰依を認められるでしょうか? では、真の帰依とは一体何でしょうか? また、神に最も愛される帰依者とはどのような人物なのでしょうか? 答えはギーターの中、特に『帰依の道』について述べられている第12章にあります。要約すれば、真の帰依とは、神を最も喜ばせるものです。神は、いかなる憎しみをも抱かない人、すべてに対する愛に満ち満ちている人、バランスのとれている人、何が起ころうとも常に落ち着いている人、行為のすべてを愛をもって神に捧げる人、常に神を想っている人、あらゆるものの内に神を見る人、そして、何が起ころうとも決して揺らぐことのない信仰をもっている人を最も愛されるのです。信仰は『常なるもの』でなくてはなりません。これは重要なことです。このすべてを達成するための道はたくさんあります。そして、それが霊性修行を構成しているのです。
Q:ガヤトリー マントラを唱える際には、一語一語の意味を思い浮かべながら唱えた方がよいのでしょうか? それとも一文一文の意味をつかみながら唱えた方がよいのでしょうか?
A:ガヤトリー マントラは至高の母、または至高の光(人が見たいと思うどちらか)に対する祈りです。唱えている間は心を集中させ、さまよわせてはなりません。最も簡単な方法は、ただスワミを想って唱えることであり、単語ごと、文章ごとの意味を心配することはありません。しかしながら、このマントラの主な意味は常に心に留めておかなくてはなりません。スワミは「このマントラの目的は悟りと英知を生み出すことにあり、その結果プレマ、すなわち愛が三界のすべてにおいて光り輝くためである」 とおっしゃられています。実践的に言うなら、唱える時には次のような気持ちを抱いていなければなりません。「おおスワミ、この祈りによって、私のあらゆる思いとあらゆる行動を通して愛が輝くようにしてください」 これこそが、マントラを唱えている時に抱いていなければならない気持ちなのです。
Q:リーラとは何ですか?
A:リーラという言葉は『神の戯れ』を意味しています。『創造』は一種のリーラです。それは、神が自らの楽しみとして演じておられる劇なのです。偉大な帰依者が、自分の身にふりかかるものを含め、『創造』のうちに起こるすべてのものを神のリーラとして受け入れるのは、この理由からなのです。
Q:神が化身して来られたことは究極のリーラと言えるのでしょうか?
A:創造のリーラにおいて、神はときに名場面の脇役として姿を現されます。それが神の化身であり、それはリーラの一部分なのです。有名なハリウッドの映画監督アルフレッド ヒッチコックがいつも自分の映画のどこかに出演しているのと同じことなのです。
ここで二つの疑問が起こります。一つは「なぜ神は創造を行われたのか?」ということです。スワミはこうお答えになっております。「『私』は『私自身』を愛することができるよう、『私自身』から『私』を分離させた」
もう一つは、「神はいつ化身として降臨なされるのか?」ということです。これについてはクリシュナ神がギーターの第4章でお答えになっております。
Q:なぜ五つの鞘というものがあるのですか?
A:ギーターの中でクリシュナはアルジュナに、人は身体ではなくアートマ(真我)である、すなわち人は身体+心+アートマであるとお教えになりました。ヴェーダンタ哲学では、概してこれを肉体をまとったアートマ、もしくはジーヴァ アートマと呼んでいます。スワミが「ディッヴィアートマ スワルーパラーラ」すなわち「神聖なるアートマの化身である皆さん」という言葉でほとんどの御講話を始められるのには、このような理由があるのです。この肉体をまとったアートマ、すなわち生物は、しばしば様々な組合わせで表現されます。その一つは「人=身体+心+アートマ」であり、また別の組み合わせは「人=粗雑体+精妙体+起因体」です。三つ目に五つの鞘による組合わせがあります。すなわち、アートマは五つの鞘に覆われているとされているのです。このことは自動的に、アートマが自由になれば鞘を突き抜けてしまうということを意味しています。第一の鞘は粗雑体に関連しています。身体は食物によって形づくられているために、これは『食物の鞘』と呼ばれています。次にくる四つの鞘はそれぞれ『生気の鞘』、『心の鞘』、『理知の鞘』、『至福の鞘』と呼ばれ、それら全体で精妙体を表しています。最後にくる鞘が起因体を表しています。五つの鞘を突き抜け、超越することはまた、覚醒の状態、夢見の状態、熟睡の状態よりも高められ、第四の状態つまり、悟りの境地に到達することとして表現されています。
Q:今年、スワミが特に強調しておられることは何ですか?
A:今年の初め、私はスワミが様々な場面で『肯定的』ということを強調されているのに気づきました。本質的に、スワミのおっしゃったことは(1) 神は肯定的である、(2) 私達は常に肯定的であるようにしなくてはならない、ということでした。実践的な意味としては、(1) 私達の思考はいつも肯定的でなければならない、(2) 私たちはさらに内面に目を向けなければならないということです。
Q:スワミの人生の中で印象深い出来事は何ですか?
A:エピソードは数多くあり、そのすべてが様々な土地で語り継がれています。例えば、スッバーマの臨終の際に水をお与えになったこと、ウィリアム コーワンに延命をお与えになったこと、スワミが信者の麻痺を肩代わりし、信者の虫垂炎を肩代わりされたことなどです。
G. ヴェンカタラーマン博士 経歴
南インド、マドゥライ出身。ボンベイ大学で博士課程修了後、ガンジー物理学研究室において様々な研究に従事。インド学士院特別会員、インド物理学会会長、ネルー首相財団特別研究員等を歴任。インド科学界への多大なる貢献により、'91年インド大統領よりパドゥマ シュリ(閣下)の称号を、'95年にはインド国立科学アカデミーよりインディラ ガンジー勲章を授与される。その後、教育の仕事に携わり、'96年よりシュリ サティア サイ大学副学長として五大価値に基いた理想の学生の育成に多大な貢献をなされております。
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