バジャンについて

(サティア サイ ババの御言葉からの引用)

バジャンは、神への賛美で大気を充電します。私がグループで歌うことを強く勧めるのはそのためです。

“Sathya Sai Speaks旧版”Vol.6, p239

神の栄光を声高らかに歌い、神への賛美で大気を充電しなさい。神の様々な御名をグループで歌うことを私が強く勧めるのはこのためです。

“Sathya Sai Speaks旧版”Vol.6, p239

バジャンとは、唇や舌からではなく、ハートから出てくる歌を歌うことです。それは、神の栄光を思うときにハートから湧き上がる、喜びに満ちた感動の表現です。内なる歓喜の自然な現れです。他の人からの非難や称賛には、一切注意を払いません。バジャンは、それを聴く人からの称賛や評価を求めるものではありません。

“Sathya Sai Speaks旧版”Vol.10, p84

バジャンは心を広げて永遠に価値あるものに到達できるようにする訓練法の一つです。神の栄光と荘厳さに浸る喜びを、心に教えなさい。取るに足りない快楽の領域から心を引き離しなさい。(中略)バジャンは、あなたの内に、真理を経験したいという願いを引き起こします。神そのものである美しさを垣間見たい、真我そのものである至福を味わいたいという願いを湧き上がらせます。バジャンは、人が自分自身の内に入り込んで、本当の自分自身になるように励ますのです。

“Sathya Sai Speaks旧版”Vol.7, p497-498

バジャンは、そこで一緒に歌うすべての人々にとっての霊性修行(サーダナ)です。

“Sai Bhajana Mala”p30

神を讃えて歌う歌の一つひとつが、怠惰という厄介者を切り捨てる剣だということを覚えておきなさい。それは、人々を見守っている全能の神に対する、人々の義務のすべてを思い出させてくれる、素晴らしい社会奉仕です。

『聖者と精神科医』英語版p134

人々は、サイ ババの所へ行ってもバジャンしかないと言います。バジャンより偉大なものはないということに気づきなさい。バジャンには何という至福があることでしょう。無数の人々が声をひとつにして神の御名を共に唱えることは、何という一体性の表れでしょう。人々の喉から生まれた震動は、ハートを活気で満たします。あなたが、自分の祭壇の前で、一人きりで歌えば、その震動は反応としてあなたに戻ってきます。しかし、大勢で歌うときに生まれるのは、反応ではなく振動の波です。その波は大気に入り込み、汚れた空気を浄化します。今日の大気は、悪い考えや感情で汚れています。あなたが神の栄光を歌う時、抗生物質で治療するように、空気中の有害な細菌が消失して、空気は以前のように浄化されるのです。

“Sanathana Sarathi”, Jan 1995, p26

バジャンの参加者全員が声を一つにして歌うとき、何という神聖な波動が生まれ、何という神聖なエネルギーが発せられることでしょう。このような波動が世界を満たすとき、いかなる変化でも、それによって引き起こすことのできないものがあるでしょうか? 人が一人で歌う時、ハートは歌に溶け込みます。しかし、大勢が共に歌うとき、そこには神の力が与えられます。

“Sai Bhajana Mala”p30

バジャンを歌う人々は、「二重の特典」とも呼べるものを得ます。というのも、彼らは喜びを引き出し、その喜びを周囲に分け与えるからです。

“Sathya Sai Speaks旧版”Vol.10, p101

神は遍在です。神はあらゆるハートの内に住み、すべての御名が神のものです。ですからあなたは、どの御名であれ、自分が喜ぶ御名で神を呼んでもよいのです。あなたは他の御名や御姿のあら捜しをしたり、狂信者となって、他の御名や御姿の栄光に目を閉じたりしてはなりません。あなたがバジャンを歌う時、歌の意味と、それぞれの御名と御姿をもつ神のメッセージとをよく考えて、その甘美さをあなたの舌の上で転がしなさい。

『聖者と精神科医』p134

様々な名を用いて神を呼ぶことは不適切ではないかと疑問をもつ人がいます。しかしそれぞれの御名は神の一面 のみを示すものです。それは至高の神格の一部分を示すものです。それぞれの御名は、至高神の一面 、一部分でしかなく、無数の光線の一つにすぎません。霊性修行は、多を支え維持する唯一者に気づき、それを意識することにあります。それが、人が獲得し大切にしなければならない英知の宝石なのです。

“Sathya Sai Speaks旧版”Vol.10, p87

火葬場への行進は生まれた瞬間から始まり、心臓の鼓動はそこに至る行進の太鼓の音なのです。長い道のりを行く人もいれば、すぐそこにたどり着く人もいますが、すべての人がその道中にあるのです。ですから、バジャンは幼年時代から始めて、継続しなければなりません。バジャンが絶えず人と共にあって、慰めとなり、力となるようにすべきです。年をとるまでバジャンを始めるのを遅らせてはいけません。バジャンは心にとって、なくてはならない糧だからです。

“Sathya Sai Speaks旧版”Vol.1, p123

バジャンはあなたの舌と心における途切れのない至福の流れとならなければなりません。バジャンはあなたにソーハム、つまり自分と神が一つである、という不断の自覚を与えなければなりません。

“Sathya Sai Speaks旧版”Vol.9, p41-42

舌は柱であり、バジャンは綱です。その綱であなたは全知全能の神を近くに引き寄せて、神の恩寵があなたのものとなるように、神をくくりつけることができます。

“Sathya Sai Speaks旧版”Vol.7, p52

欲望と怒りは二つの敵です。バジャンはこの二つを遠ざけておくことのできる、すぐれた鍛錬法です。

“Sathya Sai Speaks旧版”Vol.10, p100

たとえば、ここに木があって、たくさんの鳥が止まっているとします。鳥たちは、あちこちに糞を落とします。これらの騒々しい鳥たちをどうやって追い払えばよいでしょうか。大きな音で手を叩けばよいのです。同じように、この人生という木には欲望という鳥たちがいます。そのためハートが汚れるのです。それを清めるには、バジャンを行いなさい。

コダイカナルにおける御講話 1996年4月12日

バジャンを、はかない事物への執着を取り除き、あなたを清め強くし、生死の輪廻とそこから来る苦悩からあなたを解放するために真剣に取り組むべき霊性修行の一つであると考えなさい。そのようなひどい疾病に対して、バジャンはか細い治療法のように見えるかもしれません。しかし、バジャンこそは万能薬なのです。

『聖者と精神科医』英語版p132

恐れと不安に満ちたこの忙しい時代に、神を忘れず神の御名を繰り返し唱えることこそは、万人に手の届く解脱の手段です。

“Sai Bhajana Mala”p30

あなたの人生全体を霊的な歌としなさい。神があらゆる場所に常に存在することを信じ、神の御前で神の栄光を歌うことによって、力と安楽と喜びを引き出しなさい。

“Sathya Sai Speaks旧版”Vol.10, p94

 


出典:http://www.sathyasai.org/devotion/songs/songs.html
翻訳:サティア サイ出版協会