「サイ・ラム」というあいさつの意味

「皆さんがだれかと出会ったときは、大声で『ハロー』とか『バイバイ』などと言ったり、無意味なおしゃべりをしたりしないことです。神を思い出すことによって、その出会いを神聖なものにしましょう。『ラム・ラム』、『オーム』、『ハリ・オーム』、『サイ・ラム』とあいさつしなさい」

『サティア・サイ・スピークス』第10巻14章

上記のスワミの御言葉の引用には、私たちが「サイ・ラム」とあいさつする意味が簡潔に要約されています。それは、相手の人でもあり、私たち自身でもある「神」を思い出すための言葉なのです。

ドイツ南部のバヴァリア地方では、多くの人が「グルエス・ゴット」とあいさつをします。これは「神にあいさつを」という意味で、同じ考え方によるものです。

「サイ・ラム」とあいさつするときは、目に見える現世的な肉体だけではなく、その人に内在する「サイ」にあいさつしているのだと考えるようにしなさい。どの神の名前を使ってもよく、大事なのは、何のためにどんな気持ちで神の御名を口にするかということです。私たちがたまたま「サイ・ラム」という言葉を選んだのは、この御名がマントラとして広く受け入れられているからです。(帰依者の中には、吸う息で「オーム・シュリ」、吐く息で「サイ・ラム」と唱えて、「オーム・シュリ・サイ・ラム」というマントラを使ってナーマスマラナ〔御名を繰り返し唱えて神を憶念すること〕をしている人もいます)。

「サイ」(SAI)という言葉は、「サ」(SA)と「アイ」(AI)の二つに分けることができます。私たちは「サ」は父を意味し、「アイ」は母を意味すると教えられています。私たちのサイ、すなわちサティア・サイ・ババは、私たちにとって母でもあり、父でもある存在なのです。

「ラム」(RAM)という言葉は、「ラーマ(RAMA)」の短縮形です。「ラーマ」という御名はさまざまに解釈されますが、そのひとつに次のようなものがあります。

――「ラー」はすべてを燃やして灰にする「火の原理」を表し、「マ」は「マーヤー」すなわち「迷妄」を表す。この両者がひとつになった「ラーマ」という御名は、「迷妄の破壊」を意味している――

サイ・ババは、次のようにお話になったこともあります。「『ラーマ』とは、『(万物を)満足させ、至福で満たし、歓喜をもたらす者』という意味です。この『ラーマ』とは愛から来る喜びのことです」。

 


出典:http://www.sathyasai.org/devotion/sairam.html
翻訳:サティア サイ出版協会