スタディー・サークル

「ほんとうのスタディサークルとは何でしょう?『スタディ』とは落ち着いて(steady)ということです。『サークル』は純粋に(purity)に平安(peace)にということ。スタディサークルの参加者はみんなとの一体感(oneness)と持続した平安を体験すべきです...。スタディサークルでは一冊の本が選択され、討論がなされ、意味が引き出されます。ヴァイオリンには4つの弦がありますが、それによって音楽が奏でられます。人によってそれぞれ意味の取り方は違ってくるかもしれませんが、最終的に意味するところは一つです。さとうきびにはそれぞれ違った名前や形がありますが、そのさとうきびジュースはみな同じ、それは甘いのです」

1995年5月14日の御講話より

ヒスロップ: スタディーサークルにおいて、スワミの説明されたような話し合いをするには、サークルの人数を十人位 に制限しなければなりません。
サイ: どうしてですか?百人でもできますよ。
ヒスロップ: でもスワミ、サークルがそんなに大きければ、一つのポイントさえも、一通 りメンバーの見解を聞くことはできません。
サイ: そんなことはありません。ここにいるグループの中では、科学者とヒスロップだけが質問しています。スタディー サークルの参加者全員が発言できるわけではありません。
ヒスロップ: あゝ判りました。状況が理解できました。

「バガヴァン シュリ サティア サイババとの対話」p230

なぜスタディサークルなのでしょう?どうやったらいいのでしょう?スタディサークルでは論争はあってはなりません。そうでないと混乱して気まずくなってしまいます。愛と理解とを培い、神聖さを体験すべきです。そうすればスタディサークルから得るものがあるでしょう。理解とは自覚することです。スタディサークルでは、意思の疎通 とともに自覚が必要です。人の話しを聞き、考えねばなりません。自覚とは完全な理解であるべきです。神は完全です。神にまで到達するつもりなら、完全な理解を持たねばなりません。スタディサークルの参加者はマンネリ化したやり方を続けていてはいけません。誰もが満足するように行うべきです。

1995年5月14日の御講話より

あなたたちは、わたしが書き与えたバガヴァッタ ヴァヒニや、その他のヴァヒニシリーズは読んでしまいましたと言います。立派です。しかし尋ねたいことがあります。そのヴァヒニシリーズの中のたった一つの指針でも、あなたたちは日常生活の精進のなかで実践したのでしょうか?静かに自分に問いかけてみなさい。そしてそこに書かれた指針を実行に移して恩恵を得ようと決断してみなさい。書を読んで深く考え、そして生活のなかでしっかりと応用していく、これが正しい学びの段取りです。学びは仕事(WORK)です。学んだことが価値のあるものか、実行に移せるものかを問い尋ねることが礼拝(WORSHIP)です。実践の価値と有用性を経験することは英知(WISDOM)なのです。

1974年3月3日の御講話より

さて、スタディサークルについて話します。手当たり次第に本を読むことは、たとえそれが価値のある書物であっても賛成しかねます。多読は心を混乱させます。論争と知的プライドを助長してしまうのです。私が主張したいことは、少なくとも読んだことの一つか二つぐらいは実行に移すということです。それから、書物は単なる指針でありガイド、標識のようなものに過ぎないことを常に忘れないようにしなさい。本を読んだからといって旅が終了したことにはなりません。それは最初の一歩に過ぎないのです。実行するために本を読みなさい。読書のためであってはなりません。部屋の中が本でいっぱいだということは、その人が知識病に冒されていることを示しています。ちょうど、戸棚の中が薬の缶 や錠剤、ビンでいっぱいならその人は病気であるのと同じです。本を読んだり、本の中の一文を引用したりすることは別 の機会にやればいいのであって、バジャンやその練習のときのように延々とやるものではありません。

1968年5月18日の御講話より

本を読むだけでは十分ではありません。すべての注釈書を学んで、それらの聖典について学者たちと議論討論ができたとしても、その教えを実行に移そうとしないのであればそれは時間の浪費でしかありません。本による学びには絶対に賛成しません。わたしは実践を評価します。

1958年2月2日の御講話より

ただ単に本を次から次へと学んでいったからといって何の役にもたちません。どれでもいいから一冊の本を選んでその中の一つの文を実行に移すだけで、永劫に続く暗闇と無知、光への渇望からあなたを救い出すのに十分です。

1974年3月3日の御講話より

スタディーサークル   -変革のための道具-  ルールについて

すべての参加者がこの「ルール」を知っておくことは重要です。ルールは細部では変わるかもしれませんが、いくつかの指針は生産的な議論の為に保たれるべきです。参加を活発にする、9つのルールを次に述べます。

1 ミーティングはOm Kar(オームを3回唱える)とPrayer (マントラ)もしくはバジャンでスタートしなさい。それはミーティング全体を浄め、参加者全員に兄弟愛と連帯感そして共通 の目標に向かって仕事をしようという気持ちを創ります。もし学習会がバジャンの会の後にもたれたならば、もう一度バジャンを歌う必要はありません。
2 学習会は論争する場ではありません。それは観点を探究する場なのです。発言を審判されたり、個人的な批判をされたりする恐れのない状態で、各参加者が自由な気持ちで発言できる場であるべきです。
3 すべてのメンバーは活発かつ平等な参加者でなければなりません。議論の熟練者は新しいメンバーが発言しやすいようにすることも必要です。新しいメンバーや静かなメンバーが、彼らの意見を述べる為には、しばしば会話の最中に一息の間合いを必要とします。もし他の人が話し出そうとするのを見れば、彼らは発言しないでしょう。
4 雄弁なメンバーは、会話を独占することのないよう気遣わなければなりません。熱中したメンバーが講義するようなことにならないよう、個別 のコメントには制限時間をつけることもよいでしょう。しかしそれは、このルールを監督する進行役によって、手際よくかつ礼儀正しくなされなければなりません。
5 議論をするリーダーやメンバーは、長い引用例を読むことを避けるべきです。学習会は読書会ではありません。長い引用例はしばしば疲れさせるもとです。特に他のメンバーの解らない外国語での長い例は不適当です。
6 各グループのメンバーは順番を待つべきです。適正な順で輪になって発言しているメンバーの次に、次の順の人が発言するというふうにです。無口なメンバーには発言するよう勇気づけが必要ですが、発言を強要すべきではありません。彼らは次の人にパスしてもかまいませんし、あるいは最後にコメントしてもかまいません。
7 引用例や逸話は議題に関連してあるべきです。引用例は特に、すべてのメンバーが信頼すべきと考えているものから選ばれるべきです。サイババの学習会では、最も適した引用例は、サティア サイババの御講話および書籍からのものです。
8 それぞれのミーティングの進行役は前もって指名されてあるべきです。進行役の義務は参加者が学習会の指針に沿っているかどうかみることです。また、進行役はミーティングが形式に忠実であるよう導き、かつ議論を常に活発にする責任があります。進行役がその週の議題を出す人である必要はありません。
9 単純かつ明確な質問が1つ出されることは、議論の為に望ましいことです。それは、霊性生活の実践面 に関するものであるべきです。小さなサークルでは時間が許せば2つ以上の質問が出てもかまいません。議論が始まる前にその質問について内省する時間を数分取るのも有効なことです。

これらの指針に従うならば、学習会は有意義に進むでしょう。上記のすべてはメンバーにとって歓迎されるものであり、彼らの述べたいろいろな観点は、価値あるものと見なされるに違いありません。すべての参加者を尊びなさい。そして各人が特別 な観点を共有できるよう、彼らに発言する勇気を与えなさい。なぜなら、各人は皆と共有できる特別 な観点を持っているからです。
 学習会は思想と直感と決意を私達に充電する発電機です。(中略)それはあたかも私達の足元を照らし導く明かりのように私達を導いてくれます。その過程は単純ですが、結果 は驚くべきものとなるでしょう。

「神への道 ジョナサン・ルーフ著」より