●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2000年11月4日   

日誌に書き留めておいたことが幾つかあります。もうすぐこちらに来る人に役に立つかもしれません。

1.North 5(北5号棟)そばのパン屋の営業時間が延長された。午前9:30から11:15まで。

2.女性の日の合唱会の試演は11月7日。(通常のリハーサルも行なわれる)

3.11月3日、スワミはいつものようにダルシャンを行い、ホールをまわって歩いたが、男性側のダルシャンを終えてベランダ(壇上)に上がると、スワミはそのままアナンタプール女子短大を運営している3人の女性のところへ歩いていって話しはじめた。そしてもう一人のアシスタント(ドーティーを着てインタビュールームの前に座っている年配の人)を会話に交え、そこで5人が話し込んでいた。スワミは自分の前で行儀よく座っているアナンタプールの女学生たちを見ていた。女学生たちは活気づいて何が話されているのか聞き耳を立てていた。スワミが笑顔をみせると彼女らはくすくすと笑うような感じでそれに応えた。みんな何かを期待するような雰囲気になってきた。 その後、いつものようにインタビュールームに行く代わりに、スワミはまっすぐにイス(VIPや教師の座る場所の横、ベランダの端においてあるいつものイス)に向かうと、ちょっと間をおいてそこに腰をおろした。ダルシャンミュージックは先ほどまでずっとかかっていたのだが、その時は終わってしまっていた。時間は午後3時10分ごろ。帰依者が何人か静かにホールを退場した。(スワミはまだ外に出たままなので退場してよいのか悪いのか誰もはっきりしなかった)それでも、ほとんどのものがそこに居残っていた。スワミはVIPや教師、学生たちと4時15分まで座って話しつづけ、その後インタビュールームのなかに入っていった。帰依者たちは帰ろうとして立ち上がったり、また別 の場所に座ろうとしたりで、セヴァダルはカーペットを動かしはじめたりするし、ホールは大わらわとなった。通 常は、スワミは誰かをインタビューに選んで、その後それが終わると、外に出てきて5時15分かそのくらいまで、ベランダのイスに座ったまま「御前会議」を開いている。

4.ホールの人ごみはまだ大人数とまではいっていないが、しかしアシュラムは日に日にどこかしら変貌(へんぼう)をとげている。パン屋以外にも、VisaやMasterカードをキャッシングするときに利用するカラナ銀行の事務所(北7号棟と8号棟の間にある)が電話室にまで拡張された。木材の骨組みと、波形のトタン屋根でつくられたシェッドが北ビル1号棟の目の前にできた。電話やファックスといった通 信機器をさらに設置しているように思われる。毎日外国人がやって来ているのを目にするが、まだ大人数というわけではない。

5.2000年11月4日
 午後のダルシャンのとき?スワミはインタビューにもうひとつのグループを呼んだが、国籍は不明。首のまわりにスカーフではなくリボンをつけていた。そのリボンは南国的なデザインの生地で作られていた。女性5人と男性2人であった。  バジャンの前に、スワミはいつものようにマンディールのまえのベランダ上にあるイスに座ったままVIPや教師、学生たちと話している。今日ひとつだけ違うところは、アニール クマール先生が静かな声で話すスワミの言葉を通訳しはじめたことだ(私たちには全く聞こえなかった。学生たちの多くもだ)。ところがアニール クマール先生の声が大きくなるにしたがって、みんなにではないにしろ学生たちの多くに聞こえるようになってきた。私たちも声は聞こえてきたが、言葉までは聞き取れなかった。スワミがずっと話していたので、バジャンの前奏曲がいつもの5時15分にはじまらずいにいた。5時30分になって、バジャンがはじまる時間になったのにスワミはまだ話しておりアニール クマール先生が通訳している。バジャンをはじめたものかどうか見きわめるために、男性のバジャンリーダー2人がマンディールから出てきた。彼らがなかに戻るやオーム三唱がはじまり、5分だけ遅れてバジャンが開始された。

寄稿:アプリル スクロビザ






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