●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2000年11月6日   

 私のささやかな文章をバガヴァン ババの蓮華の御足に捧げます。

  先日のヴィサカパトナムの医師団とバガヴァンとの素晴らしい体験を、全てのサイファミリーの兄弟姉妹の皆様にお話ししたいと思います。 スワミは2000年8月21日、プラシャンティ マンディールでのグループ インタビューで慈悲深い祝福を与えて下さいました。 スワミはまさしく愛の化身です。ヴィサカパトナムからの約85人の医師達を祝福し、メッセージを下さいました。

  神の恩寵とともに、神の面前にいるという言いようのない喜びを分かち合いたく、メッセージの要点を皆様にお話ししたいと思います。

  スワミは初めに、人生における時間の重要性について話されました。 スワミは、時間の正しい使い方について強調され、多くの人々が時間を無駄 にしているのでその結果として、悪い思考、悪い言葉、悪い行為に染まって過ごしていると話されました。

  次にスワミは医療の話しをされました。真の医師であるスワミはとても明朗で、満足そうな雰囲気でした。そして、グループの年配の医師に質問をしました。 スワミは、医学と病気の治療について、いろいろ尋ねました。 年配の医師達は有名な院長や教授達でした。 しかし全員が真の医師に、すっかりこころを捕らえられ、魅了されてしまいました。 スワミはいつもの謎めいた神々しい振る舞いで、複雑な医療についてとても簡単に易しく説明されました。

 スワミは、人間には二つのハートがある。一つは肉体的なハートで左側にある。二つめは右(right:正しい)側にあり、それはフリダヤ(ハート)(フリは「そこにあるもの」、ダヤは「慈悲」の意)であり、そこから同情心や寛大さといった感情が湧き起こってくるのだ、と話されました。 スワミはこのハートをペンに例えて話され、ペンが中に満たされたインクと同じ色を書くように、人格はハートにあるものを反映すると言われました。 スワミは翌日のクリシュナ祭の御講話でも同じことを話され、慈悲深いことに私達のグ ループのことにもふれて下さいました。

  次に、スワミは胸部内科の医師に肺結核の治療法について尋ねました。その医師はエタン プトール(合成抗結核薬)等の抗生物質を処方すると答えました。 私達の聖なる主であるスワミは笑って、抗生物質は肉体に副作用を及ぼすと言いました。 私達も自分自身の自我が外部に反響して影響を及ぼすように、抗生物質も副作用という形で、 自分達の力を見せつけようとするのです、とスワミは話されました。 患者は回復するためには、良い食べ物を与えられ適度な運動をしなければならないと言い、そして、浄性の食べ物を摂ることを強調されました。

  次に、健康な人の体温について一人の医師に尋ねました。 その医師が答えた後、体温の上昇でさえ有害で危険であるように、何事も限度を超えることは危険であるとスワミは言いました。

 続いて怒りのコントロールについて話しました。コップの水を飲む、プージャを行う等といった怒りをコントロールする様々な方法がある。怒りとは基本的にその人がもって生まれた弱さから生じる。それはその人自身の欠点の反映である。決して他人のあら捜しにふけるべきではなく、あらゆるものがひとつであることを実感認識するようにと強調しました。

 そして、一人の医師にこの世界に数はいくつあるでしょうかと尋ね、彼が100(百)、1000(千)などと答えた時、スワミは笑って言いました。一つの数しかありません。それは(1)「ひとつ」です。 全てはこの1に加えたり、減らしたりすることでしか生じません。同じように、全ての人は神の顕現を表しているものであり、それゆえにあら捜しにふけるべきではありません。

 3000年近く以前の最も古代の治療法の一つであるアーユルヴェーダについてもスワミは強調されました。アーユルヴェーダには副作用を及ぼすような薬はぜんぜん含まれていない。対症療法は病気を押さえ込むものだが、アーユルヴェーダは病気を癒すものであると言いました。

 高血圧、心臓病といったような、人々が近代の病気と思っているものは昔はなかった。過去これまでにもあったのだが、昔の人々は汚染された環境や悪い習慣にさらされていなかったので、それらに悩まされることはなかった、と話されました。 スワミは、最近、汚染された空気や水や食べ物といった形で、汚染された環境に人はさらされている。悪い習慣によって汚染はさらに進んでいる、と言いました。私はとてもこの点に魅了されたのですが、媒体、主体、環境といった疫学の本質をスワミがとても甘く明確に私達に説明して下さいました。

 地元のサミティ(奉仕団体)と協力して奉仕しなさい。 "dil me ram, hath me kaam"(サンスクリットの句)を強調されました。どんな奉仕を行っても、ちっぽけだとか取るにたらないと感じるべきではありません。 野菜を切っている時は、自身の欲望を切り捨てているのだと思いなさい。チャパティを丸めている時は、ハートを広げているのだと思いなさい、と言いました。

 スワミは、ときどき厳しい調子を使うのは、目的があるからで、それによって人々がよくなるようにと厳しく振舞うのだ、と話されました。ここで聖者ドルヴァーサの例をとって、クルクシェトラの戦いで彼の怒りがパーンダヴァ兄弟を守った話をされました。

  神の重要性を実感認識するべきである、とも言いました。ここでコンピューターとコンポーザー(作者)の例をとりました。 みんながコンピューターは偉大だと思っていますが、コンピューターを作った人(コンポーザー)の方がもっと偉大ですと話しました。

 一人の医師がバスの待合所を建てることについて質問したところ、スワミは人々が寺院等にお金を無駄 に使わないように願っている。ミーラバイのように人々の心に神の寺院を建てることを願っていると答えられました。

 スワミは私達全員を祝福し、パダナマスカールとプラサーダムを与えて下さいました。医師達のほとんどが今回が初めての訪問であり、人生において忘れられないひと時を過ごしたのです。スワミは二人の医師に指輪を与えました。私達の全員が心から幸せと祝福を感じました。そして明日のクリシュナ祭の後に出発するように言われました。私達はお祭りに参加した後、昼のうちに出発しました。

  私がスワミの神聖なメッセージをまとめるにおいて、何らかの間違いを犯していた場合には、スワミとみなさまの全てにお詫びを申し上げます。

みなさまに愛を込めて、 サイラム

Dr.n.アナンタ クマール バブー


訳:浅海輝久





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