●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2001年11月18日   

プラシャンティ・ニラヤムより

プッタパルティの帰依者から、以下のレポートがありました。

チャイタニヤ・ジョーティ開館記念とラトサヴァム―2001年11月18日

 スワミはこの日、いつもどおり朝6:45にダルシャンに出ていらっしゃいました。朝7時、サイ・ギータ(スワミのペットの象)がクルワント・ホールに入って来た時、スワミも一緒に出てこられて、サイ・ギータにココナッツとりんごをお与えになりました。赤いシルクのドーティ(腰巻き)と白のアンガヴァストラム(胴と手足を被う衣装)を着た70人ぐらいの学生たちが、列になって、ヴェーダを唱えながらバジャンホールから出てきました。その後ろから、25人の学生グループが、バジャンを歌いながら出てきました。そしてさらにその後ろから、ゴパーラ・クリシュナ、ラーマ、ラクシュマナ、シータとハヌマンの像を持ったボランティアグループの人たちが、列になって、バジャンホールから出てきました。ナダスワラのヴィドワン(メロディ奏者)と、サキソフォンのヴィドワン(サキソフォン奏者)が3グループぐらいおり、音楽を奏でていました。その列は、ダサヴァタラム・ゲートを通 って出て行きました。

 スワミは、チャイタニヤ・ジョーティ博物館に向けて、8:20ごろお出かけになりました。

 スワミは、9:20ごろに戻ってこられて、一行はサイ・ギータと共に9:40ごろ戻ってきました。スワミは、サイ・ギータがホールを出る前に、再びえさをお与えになりました。スワミは、お住まいに9:50ごろ戻られました。

 午後のプログラムは、スワミがクルワントホールにおいでになった2時半から行われました。3時から、9人の学生がヴェーダを唱え、ゴールドスティン氏がプログラムの開始を宣言しました。スピーカーは3人いて、一人目はチャイタニヤ・ジョーティ博物館の館長のボス氏、二人目はバーバ原子力研究所とNASAに以前勤めていて現在はチャイタニャ・ジョーティ博物館にお勤めのラオ氏、そして三人目はマレーシア人で博物館の建築設計をされたゴー氏でした。スワミはゴー氏に、スピーチの後、30センチほどの高さの銀のブッダ像とカンガナマム ゴールド(金のブレスレット)を一対お与えになりました(どちらも物質化されたものではありません)。

 スワミは、3:40ごろから御講話をお始めになり、4:40ごろに終えられました。スワミは概ねチャイタニヤ(神性意識)についてお話になりました。 スワミは、バジャン「ハリ・バジャーナ・ビーナ」で御講話を終えられました。歌の後、スワミは、喉の調子が大変悪く、ダルシャンに来られたときはお声が出ない状態だったことを明かされました。でも、スワミは、御講話を待っている愛しい顔をたくさん見ることが出来たおかげで、話すことが出来るようになったそうです!

 また、スワミは、後講話のなかで、スワミのお誕生日には、ノーベル賞の選考委員会の委員長がスウェーデンからやってくるのをはじめ、非常にたくさんの貴人・高官たちが、チャイタニヤがプッタパルティに出来たために、スワミに招待されたわけでもないのにやってくるということと、それから、今後1ヶ月の間に数々のすばらしいことが起こるということを述べられました。

 御講話の後、クシシュナムルティ氏とその奥様(プラシャンティ・ニラヤムの音楽大学の学長)によるヴィーナ・プログラムが6:20までありました。プログラムはマンガラ・アラティで締めくくられました。

 明日は「婦人の日」です。プログラムは朝7時に始まります。

 20日には、タイのサティアサイ教育学校の卒業証書贈呈式が行われます。また、タイから来られたジュムサイ氏がスピーチをしてくださることになっています。

ラーマリンガムより。サイラム。

 


寄稿:Augusuts Chang





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