●プラシャンティニラヤムからのニュース
   2004年2月8日   

追悼 Bro. G・V・スバ ラオ

スワミの傑出した帰依者の一人であった、シュリ G・V・スバ ラオが、2003年12月28日未明に、スワミに融合しました。

ヴェーダの教えに添って生きた最後の人々の一人に数えられる、偉大なブラフマシュリ(ヴェーダに精通 した人々の名前の前につけられる称号)ガンディコータ スブラマンニャ シャストリの子息であったシュリ スバ ラオは、伝統的な教育制度と現代教育機関の両方において高い教育を受けました。彼は一流の物理学者であり、30年にわたって国連のエネルギー省の責任者を務めました。彼は1970年、ニューヨーク市フラッシングにヒンドゥー寺院を創設し、その評議員となって、私たちの愛するバガヴァンのサルバダルマ シンボルをその寺院の象徴として受け入れるように、すべての評議員を説得しました。

彼は、伝統的な教育による教えと彼自身の生き方により、父親が過ごす最後の歳月に、父に仕えるためにインドに戻り、その結果 、バガヴァン シュリ サティア サイ ババ様の蓮華の御足にもお仕えすることになりました。

この20年の間、シュリ スバ ラオは、絶えざる伴侶として私たちの主なる神に仕え、サナタナ サラティー誌のためにスワミの御講話を英訳して、多くの帰依者たちにスワミのメッセージを届けました。彼はまた、サイ財団の発行する多くの本の編集にも携わりました。(この世にサイ ガヤトリーを伝えた)傑出した父親の足跡をたどって、シュリ スバ ラオは、サイ スーリヤ ガヤトリー、サイ ヒランニャガルバ ガヤトリー、サイ グル ガヤトリーを書き上げ、バガヴァン ババ様は、その三つのマントラをサイスリーとお呼びになりました。またその後も私たちは、彼を通 じて、 サイラマ ガヤトリーと、サイクリシュナ ガヤトリーも与えられました。

彼はよくプラシャーンティ ニラヤムで外国人帰依者たちのための講演を行い、難しい哲学をわかりやすい言葉で説明していました。とりわけ、一人ひとりに対する彼の愛は非常に印象的で賞賛に値し、見習うべきものでした。彼は、人々に対して愛のこもった微笑をたたえて話すのが常であり、それがハートの深いところから来る愛であることを、誰もが感じました。彼は、バガヴァン ババ様の御教えを厳格に実践する知識人の一人でした。彼は偉大な学者の子息にふさわしい人物でした。

光栄なことに、シュリ スバ ラオは、2001年に、サルバダルマ サービス センターの運営委員会の会合における挨拶の中で、私たちの努力を称え、励ましてくれました。それから彼は現在の建物の敷地に行き、沈み行く太陽に向かって、プロジェクトを完成するための力を私たちが授かりますようにという祈りを捧げてくれました。

2002年の7月に、サルバダルマ サービス センターのメンバーの一団が、バンガロールにスワミのダルシャンを受けに行ったとき、スワミは300人以上の米国人帰依者たちに向かってお話しなさいました。そのとき、一部の国々において狂信的行為が増加の一途をたどっている現代においては、宗教間の調和が必要であることをお話しになり、ここでもまた「サルバダルマ サービス センターが達成しようと思っていること」を、より多くの人々が実践すべきであることを御指摘くださいました。

サルバダルマ サービス センターのメンバーは、スバ ラオ氏から直接、指導と愛を受けられなくなって大変淋しくなります。どうか、彼の死を悲しむすべての人々に平安が与えられ、彼の指導に従う力が授けられますように、心よりスワミにお祈りをお捧げします。

 

翻訳:サティア サイ 出版協会





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