肉体を去ったときスワミは何歳だったのか?
 
     
 

ババはご自分の肉体の死期について、2003年のヴィジャヤダシャミー祭の最中に、そこに集まった帰依者たちに語りかけた御講話の中で、こうおっしゃいました。

「私はいつも健康です。今日だけでなく、96歳まで私はこのようにしています。私は何でも自分の望む通りにすることができますが、肉体の 姿を基準として判断する人々はスワミが年老いて行くと考えます。若さと老齢は肉体に関係するのみで、私には関係していません。私はいつも同じです。私は何 でもすることができます」。

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また、1960年9月29日の御講話(Sathya Sai Speaks Vol.1)において、スワミはこうおっしゃっています。

「私は、この死にゆく人間の姿にあと59年留まり、このアヴァターの目的を必ず果たします。このことを疑ってはいけません。あなた方に関しては、私は私のペースで私の計画を遂行します。私はあなた方がせきたてるからといって急ぐことはできません。時として、いっぺんに10のことを成し遂げることができるときまで、私は待つかもしれません。ちょうど、一台の車を運ぶためには貨車のエンジンはかけず、馬力に見合うだけの十分な貨物が積まれるまで待つのと同じです。けれども、私の言葉は決して裏切りません。それは私が意志したときに起こらなければならないのです」

スワミは1926年11月23日にお生まれになったので、これは、スワミは93歳か94歳で肉体を去られるということを意味しています。しかし、スワミは、2011年4月24日(“復活祭”であるイースターの日)の午前7時40分に、84歳で肉体を去られました。この不一致(ずれ)に関して、どう説明できるのでしょうか?

これは、スワミは暦年ではなく、太陰年でおっしゃっていたということで説明がつきます。スワミは過去においても同じことをなさっていました。このページの最後の下線以下に掲載した話をご参照ください。

太陰年には12の太陰月があります。何人かの人たちは、スワミが肉体を去ったときの年齢は、太陰年で94歳か95歳、あるいは96歳であったと計算しました。これらの計算は、太陰月をそれぞれ異なった日数で数えているために、幅が出ています。それゆえ、ヒンドゥー教の学者あるいは占星術師が、これら平均的な太陰月をもとにしたものではなく、スワミがお生まれになってから肉体を去られるまでの実際の太陰月をもとにした正確な年齢を割り出すまで、待ちたいと思います。そうすれば、スワミは実際何歳であられたのかがわかるでしょう。

しかし、要点は、スワミは暦年ではなく太陰年でお話しになっていたために、誰もが惑わされたのであろうということです。

ざっと計算してみましょう。スワミは3万833日間生きられました。太陰月の平均は27.21日(これはインターネット上にある数字であり、正確なものではありません)で、太陰の1年は12ヶ月です。すると、スワミは1,133太陰月、すなわち、94.4太陰年を生きられたということになります。


以下は1986年に起こった出来事で、スワミが太陰月をお使いになった前例です。

ガンディコータ・アルヤマ氏のご祖父は、故シュリ・ガンディコータ・スッブラマニヤ・シャーストリ氏という、有名なサンスクリットのパンディト(学僧)であられたスワミの帰依者で、サイ・ガーヤトリー(マントラ)をもたらした方でした。1986年にご祖父が93歳でスワミに融合したとき、スワミはプラシャーンティ ニラヤムの氏のアパートに起こしになり、ご祖父はマハリシ(大聖賢)であったこと、そして、100歳に届いていたことを述べました。

後日、アルヤマ氏は、父である故シュリ・ガンディコータ・スッバ・ラーオ氏に、その不一致について尋ねました。シュリ・ガンディコータ・スッバ・ラーオ氏は、スワミが人の寿命を数えるときには、太陰月をもとにした伝統的なインドの太陰年を、太陽年に換算せずに用いられると述べました。12太陰月で1太陰年ですから、アルヤマ氏のご祖父の場合、100太陰年は93年に相当します。

http://www.sathyasai.org/swamihealth/swamiage.html

 

 
     

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