石の贈り物
       


私の最愛なるサイの家族へ
サイラム

 恐らく、子を持つすべての親たちは、「無条件の愛」がどんなものか知っていると思います。親というものは、我が子に対する純粋な愛を持っており、我が子が十分なケアを受けていると安心するまではどんなことでもやってのけるものです。親の愛は、ご褒美やお返しを期待して与えられるものではなく、純粋な、無条件な愛で、また自発的に与えられるものです。彼らは子供たちのためならば個人的な楽しみを犠牲にすることをこれっぽっちもためらうことなどないのです。繰り返しになりますが、それは、親の本当の愛が無条件であり、制限がないからです。たとえ子が反抗的なときでも、親は子を粘り強い愛をもって戒め導くものです。結局、すべては愛によって克服できるのです。以下に述べる話は、娘に対する親の無条件の愛を美しく表現した例です。この話の中では、娘もまた母の愛がいかに彼女の人生にとって重要かを悟ります。それでは、お話をお楽しみください。

無条件の愛(Life Support Systemより引用)

 ある匿名の人物によって綴られたこの話は、心からの行いの中に秘められた無条件の愛の無限の可能性を美しく描き出しています

「石の贈り物」

 その女性の10代の娘は、年をとるにつれ反抗的になっていきました。ある夜遅く、ついに娘は飲酒運転で警察に逮捕されてしまいました。母親は、娘を迎えに警察署まで行かなくてはなりませんでした。

 母と娘は、翌日の午後になるまでひとことも言葉を交わしませんでしたが、母親が、娘にきれいに包装された小さな贈り物をすることで、その緊張を破りました。娘が無造作にそれを開けると、そこには小さな石が入っていました。

 娘はあきれ返って言いました。「ま、かわいらしいこと。で、ママ、何これ?」

 「カードを読めば分かるわ」と、母親が言いました。

 娘はカードを封筒から取り出して読みました。すると、娘の頬に涙がこぼれ始めました。娘は立ち上がると、カードが床に落ちるのも構わず、母親に愛を込めて抱きつきました。

 カードには、こう書いてあったのでした。「この石は、2億年以上前のものです。私があなたをあきらめるまでには、そのぐらいかかるでしょう。」おそらく、2億年を待たずにあきらめるのは早すぎるのです!

そして、以下は我々の最愛なる神の御言葉です。

 
「世界は愛であり、愛は世界です。すべての人間の中には愛があり、その愛は人の気持ちの中で光り輝いています。愛は生命であり、生命は愛です。ちょうど、燃える力が炎にとって自然で、冷やす力が水にとって自然であるように、愛は人の持つ自然な力です。それなくしては、人は人ではありません。愛は人に生まれつき備わっています。それは人の息吹です。私たちは若木を大いなる愛情をもって育てますが、若木が成長した後に枯れてしまったときには、私たちはそれを何の気なしに捨ててしまうでしょう。どれだけの愛情を惜しまずにそれに与えたかも忘れて。それが生きている間だけ、私たちは愛情を注いだのです。それが枯れて生命を失ってしまえば、私たちはそれに対する愛情を失います。子供のときから私たちは、自分を生み育ててくれた母親に対して愛情を抱きます。でも、母親が亡くなれば、その屍は何の愛着もなく焼かれることになります。それまで私たちが愛していたものは何だったのでしょう? 私たちは、生きているものを愛していたのです。だから、愛は生命であるとともに生命は愛なのです。」 ― サイババ

 「無条件の愛は真の愛であり、制限がありません。そういった愛を通 して初めて、神の心に触れる望みがあります。ガンディージは私たちに、悪を行う人でなく悪のみを忌み嫌うことを教えました。結局、悪を行う者もやはり、人間の心を持つ人間なのです。愛とは、他人の気持ちに敏感になることに他ならないのです。」 ― サイババ

「サナザナ サラーティ 1993年8月・12月」 218ページ、315ページより


神があなたとともにありますように。
オーム サイラム

 


寄稿:Sylvia Naidu





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