サイババの御言葉

日付:1962年11月21日・場所:プラシャーンティ ニラヤム
御降誕祭 連続講話@

勝利へと


今日、皆さんは、神の御名について、そして、バクティ〔信愛〕の絶対的な必要性について、それから、神の恩寵の遍在性についての、素晴らしい講演を聴きました。これら三つに関する限り、誰が何を語ろうと、どう解説しようと、それらはその人自身の体験であり、学識や技術ではありません。神の御名は、プラフラーダのような、ひたむきな魂の持ち主が口にするとき、どこであれ本人が神を見ている場所に神を連れてきます!

神の御名は、救い、解脱させます! 神の御名は、慢心と自己憐憫の猛攻撃に対抗する鎧です。体系的な方法でジャパ〔唱名〕を始めて、その御名が描写している御姿にあなたの内なる目が定まると、あなたは、様々な障害物、あなたを不安にさせる思考や誘惑に出会うでしょう。それらは無視し、迂回して、軽く扱いなさい。自分の習慣を正し、自分に定められている戒律を固守し、自分の中の管理体制を改善しなさい。善き仲間、神聖な仲間と、もっと交わりなさい。手に負えない雄牛は、ロープにつながれて人に飼われ、鼻に穴を開けられて鼻輪をされなけばいけません。軛(くびき)を掛けられ、重い荷車を引く訓練をされ、おとなしく主人の言うことを聞く召し使いにならなければいけません。

六つの情念を敵として非難し、徹底的にそれらを追い払うようアドバイスする人たちがいます。しかし、私は、それらを従順な召し使い、あなたの目的の役に立つものとして、あなたの中にとっておくようアドバイスします。嫌悪しなさい! 神の御名を馬鹿にして、「そんなものは中身も意味もないただの音だ」とあなたに言う人たちを。彼らをずっと避け続けるほど、おおいに彼らを嫌悪しなさい! 執着は、あなたのハートを神に固定させることができます。自然界の愛らしいものすべてに反映されている神の御姿の美しさに圧倒されなさい。

シャーストラは生き物すべてを拘束している

欲望(カーマ)は、邪悪ではありません。なぜなら、欲望は人間の尽力(プルシャールタ/人生の四つの目標)の目標の一つとしての地位を与えられているからです。欲望を募らせなさい。しかし、それは、物質的なもの、はかないものへの欲望を募らせるということではありません。不死不滅になりたいという欲望、そして、そのための手段としてシャーストラ〔法を説いている経典〕への信心をしっかりと育てたいという欲望を、募らせなさい。「シャーストラはすべての人々を拘束している」とガナパティ・シャーストリ〔先の講演者〕は述べました。私はさらに一歩進んで、「シャーストラはすべての生き物を拘束している、シャーストラは聖なる知識であり識別力である」とさえ言いましょう。シャーストラが土台になければ、私たちはラーマがヴァーリ〔猿王スグリーヴァの邪悪な兄〕を殺したことをどう説明できるでしょう? ヴァーリはラーマの行動〔ラーマがヴァーリ対スグリーヴァの戦いに加勢して木の影に隠れてヴァーリに矢を放ったこと〕の是非を論じました。ヴァーリはラーマに、ダルマの原理原則を守ってほしいと訴えました。ラーマは数々のアダルマ(非正義)を行っている、とヴァーリは非難しました。その一方で、ヴァーリは自分が非難されると、シャーストラが拘束しているのは人間だけであり、自分は猿だから免除されると主張しました。両方を取ることはできません。是非を識別し、ダルマの原理原則の土台について尊大に論じるときも、あなた方は、戒律を敷いているシャーストラに拘束されます。

徳の道を厳格に固守し、望みに執心すれば、あなたはパラマハムサ(最高位の修行者/パラマハンサ)となることができます。たとえあなたが、今、駆け出しでも、あるいは、無信仰であっても!

しばしば、ただチャンスをつかむだけで、しっかりと自分を向上できることもあります。ある人が、お腹の痛みを治してもらおうと、私のところに来ました。それ以来、その人は、ここと、ここの環境と、オームカーラとバジャンと大いなる平安(プラシャーンティ)が好きになり、私を見て、私が動き回る様子や、私の言葉と行いを観察しました。しばらくすると、彼は自分をここに来させた痛みのことはすっかり忘れて、家に写真やバジャンブックを持ち帰り、新たな痛みを募らせました。それは、大いなる平安(プラシャーンティ)を求める痛み、神を見ること(ダルシャン)、神に触れること(スパルシャン)、神と話すこと(サンバーシャン)を求める痛み、ジャパ、瞑想、サークシャートカーラ〔神我の悟り〕を求める痛みでした。

もちろん、私は決して真理〔サティヤ/真実〕から逸れません。私は真理に寄りかかっているために、サティヤ サーイー〔サイ ババの「サイ」はサンスクリット語で「サーイー」と発音する〕と呼ばれているのです。「サーイー」は、「寄りかかる」という意味です。この名前がいかにふさわしいかを、私は皆さんに保証しましょう。私の教えに従いそこなった人、私が敷いた道から逸れた人だけが、私が目の前に差し出したものを受け取りそこないます。私の教えに従い、私の軍隊の兵士になりなさい。私はあなた方を勝利へと導きます。誰かが本気で「主なる神はどこで見つかりますか?」とあなたに尋ねてきたら、はぐらかしてはなりません。あなたのハートからあなたの口へと上がってくる答えを告げなさい。その人に道を教えなさい。彼〔主なる神〕は、ここ、プラシャーンティ ニラヤムにいます、と。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.2 C47

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