サイババの御言葉

日付:1965年11月24日・場所:プラシャーンティ ニラヤム
ババ様の40歳の御降誕祭の御講話Bより

呼び声と返答


霊的悟りを求めて森に入った求道者が、猛獣の徘徊する密林を重い足取りで横切っている時、ライオンのうなり声を耳にしました。求道者はライオンから逃れるために木に登りました。しかし、ライオンはその男が枝の間にいるのを見つけ、激怒してその木の幹をぐるぐると周りはじめました。木に登った求道者は、今度は木の上で熊に襲われました。その木はバンヤン〔インド菩提樹〕で、木の上からたくさんの根が垂れていました。そこで、求道者は根を伝って枝の一本へ滑り下りました。運よくその枝からは二本の根が垂れていたので、求道者はそれぞれの手でそれにつかまって宙にぶら下がりました。と思ったら、今度は二匹のネズミがその根元をかじっているのが見えました。一匹は白、もう一匹は黒いネズミでした。一かじりごとに求道者の命の危険は増していきました。その危険のただ中に、蜜をいっぱい集めた一匹の蜂が上の方の枝に止まり、その蜜が数滴、求道者の方に落ちてきました。そこで、その不運な男はそのおいしい蜜を味わうことができるよう、舌を伸ばしました。けれども、舌は届かず、一滴も味わうことはできませんでした。絶望と恐怖から、求道者は「おお、グルジ、助けに来てください」と自分のグルを呼びました。グルは近くを歩いており、その呼び声を聞きました。グルは助けに急ぎました。グルはライオンと熊を弓矢で倒し、ネズミを脅して追い払い、弟子を死の恐怖から救いました。それから、グルは弟子をアシュラムへと連れて行き、解脱の道を教えました。

グルは心の底から真剣に呼ばれた時に現れる

今の話は、あなた方一人ひとりの話です。この世はあなたがさまよう密林です。恐れがライオンであり、あなたを追い詰めて、この世の活動すなわちサムサーラの木へと登らせます。心配が熊であり、あなたを怖がらせて、サムサーラでのあなたの一歩一歩につきまといます。そこであなたは、希望と絶望という双子の根を伝って束縛の行為と執着へと滑り下ります。二匹のネズミは昼と夜であり、あなたの寿命を食べていきます。その間、あなたはエゴと「自分という感情」の甘い雫から喜びを得ようとします。そして最終的に、その雫は取るに足りないもの、また、手の届かないものであるということに気づき、あなたは断念の苦悶の中で叫び、グルを呼びます。その時、グルはあなたの内から、あるいは外から現れて、あなたを恐れと心配から救います。

あなたが心の底から真剣に呼べば、返事は必ず来ます。低次の欲望をすべて手放し、苦しみ痛むハートから呼びなさい。台所の隅に追いやられた礼拝の場で、あなたが今しているように、口先だけで祈るのはいけません。あなた方は片方の目で主を礼拝し、もう片方の目でかまどにかけてある料理を見ています。そして、鼻でカレーの煮える匂いを嗅いでお腹を空かせています。あなた方の神への思いは、ヴィシャヤ ヴァーサナすなわち五感の対象物への執着によって、質を低下させられています。あなた方が言うことと、あなた方がやっていることには、大きなギャップがあります。あなた方の能力と、あなた方が達成したことには、大きなギャップがあります。皆さんは、ウッタラクマーラのことを聞いたことがあるでしょう。彼は本当は臆病者でしたが、自分は一瞬で敵軍を倒すことができると自慢していました。彼は何時間でも戦闘理論を語ることができましたが、ただの少しもそれを実戦で行ったことはありませんでした。

あなたの行いを促している内面の動機こそが、主が量りたいものです。メッカのモスクの隅で眠っていたアブドゥッラーは、頭上で会話をしている二人の天使の声で目が覚めました。天使たちは祝福を受ける人のリストを作っているところでした。一人の天使がもう一人の天使に、「シカンダール市のマフブーブは、聖都巡礼に来たことはないけれどもリストの一番目に載せるに値する」と話していました。それを聞いて、アブドゥッラーはシカンダール市に行き、マフブーブが靴を修理する職人であることを突き止めました。

マフブーブは、ひもじく、貧乏でした。彼の稼ぎではどうにか肉体を維持していくのが精一杯だったからです。マフブーブは何年も大きな犠牲を払い、やっとのことでいくらかの小銭を貯めました。ある日、彼は身ごもっている妻へのサプライズのプレゼントとして、特別なご馳走を買うために全財産を使いました。そのプレゼントを持って家に帰る途中、マフブーブはひどくお腹を空かせて苦しんでいる餓死寸前の物乞いの哀願が耳に入り、そこから動けなくなりました。マフブーブはその男に高価なご馳走がいっぱい入った器を差し出しました。そして、男のそばに座って、やつれた顔が満たされてほころんでいくのを喜びました。その行為によって、マフブーブは祝福を受ける人の名簿の栄誉ある地位を与えられたのです。これは、慈善事業に何百万ディナール(アラブの金貨の単位)も費やしてメッカ巡礼に来る人でさえ手に入れることができない地位です。神は、大げさな見せびらかしや空騒ぎではなく、行為の背後にある思いに関心があるのです。

神は行為の背後にある思いに関心がある

何世紀か前、ゴーヴァルダナの町に小さなシリーナート〔ヴィシュヌ神〕寺院がありました。その町に住んでいた貧しいブラフミンに、6歳になる一人息子がいました。その少年はいつもクリシュナの物語と伝説を喜び、クリシュナのリーラー〔神聖遊戯〕を聞くことだけを楽しみにしていました。ある日、少年が牛を連れて牧草地に行った時のことです。少年はシリーナート寺院を目にし、その聖堂に祀ってあるクリシュナ神の像を見て、その像を本物のクリシュナだと思いました。少年はクリシュナに「聖堂から出てきて月明かりの下でいっしょに遊ぼうよ」と哀願しました。そのお寺のお坊さんは昼に出かけていったので、扉には鍵が掛けられていました。しかし、クリシュナは外に出てきて、少年と手をつなぎ、涼やかな銀色の月明かりの中、二人で野原を歩いていきました。横笛を持っていたクリシュナは、大きな岩の上に座ると、そのブラフミンの少年を至福で満たすために笛を吹きはじめました。数時間後、クリシュナは自らが「お兄ちゃん」と呼んでいたその友だちといっしょにお寺へ戻りました。お寺の扉のすき間からクリシュナの像が見えました。いつの間にか、クリシュナはお寺の聖堂の中に消えていきました。

少年は、遊び友だちになった神様との別れの悲しみに耐えることができませんでした。少年はそこで一夜を明かし、朝になって扉の外で泣いているのを両親とお寺のお坊さんが見つけました。両親は「おまえは私たちに大変な迷惑をかけた」といって息子をぶちました。そして、そのせいでクリシュナ神の像から血が流れているのをお坊さんが見つけました。

もしあなたがクリシュナを弟として呼び求めれば、クリシュナはそれに応じてあなたの陽気な遊び仲間になってくれます。クリシュナをグルとして呼び求めなさい。そうすれば、クリシュナは教え導き、あなたを鼓舞してくれるでしょう。信じて真剣に呼び求める者を、神は決して失望させません。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.5 C57

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