サイババの御言葉

日付:1970年8月16日・場所:アナンタプル市のロータリー クラブ
ロータリー クラブでの御講話より

誰に奉仕すべきか?


時間は高速で流れ、人間の肉体は、死に至るまで一秒毎に劣化していきます。肉体の中で働く心は、一つの欲求から別の欲求へと休むことなくふらふらと飛び回ります。しかし、人は知りませんし、知りたがりません! 人間は、非真理、不正、心配にふけっています。現代では、私たちが注意を向けるところはどこでも、恐れ、派閥争い、怒りだけが見えます。

一方では、科学者たちが鷲のように空を旋回し、魚のように海の中を動いているのが見えます! もう一方では、愛の下で生きる方法を知らずに、自分の足の下にある硬い地面の上で苦しんでいる人間の哀れな光景が見えます! 人間は、大きな苦悩、憎しみや不安、ただ一口の食べ物のために兄弟同士が一触即発の状態にある中で生きています! 自分の義務を知らぬまま、人間は破滅的な理想を追い求めています。

ライオンズ クラブやロータリー クラブ〔共にアメリカで発足した会員制の国際的社会奉仕団体〕など、人類への奉仕に専念する団体が、さまざまな国で栄えています。私自身、カンパラ〔ウガンダ共和国の首都〕やジャームナガル〔グジャラート州の都市〕、ボンベイ〔ムンバイ〕や他の場所にあるそうした団体をいくつか訪問し、メンバーたちの熱意に目を留めました。奉仕という言葉の意味を理解すると、それは他人への奉仕ではなく、自分自身のための奉仕であることがわかります!

相手はよそ者だという区別意識があると、奉仕は相手を見下した恩着せがまいものなります。奉仕は奉仕の味を失います。その奉仕はエゴという悪を助長します。奉仕を受けた人も、自分は下なのだと感じて傷つきます。このような奉仕は、セヴァ〔神に捧げる無私無欲の奉仕/セーヴァー〕と呼ばれるサーダナ〔霊性修行〕とはかなり相反するものです。

人のすることから誠実さが消えた

所有と物品に目を向けていることに基づいたこうした優越感と劣等感が、今、この国を飲み込んでいる不安の原因です。今、人は自分を恐れています。自分が住んでいる家にしっかりしとした基盤がないので、いつ自分の上に家が倒れてくるやもしれないと、人は思っています。人が生涯を過ごさなければならない家の唯一強力な基盤は、霊性です。すべての人が同じ神聖火花を授かっているという信念に基づいて生活を送るとき、もはや人間関係における恐れや憎しみはなくなるでしょう。

「兄弟姉妹の皆さん!」という呼びかけは、人々が立ち上がって話をするときに使うただの決まり文句になっています。それはハートからわき上がっていません。人のすることから誠実さが消えてしまいました。

この国〔インド〕に蔓延している貧困と食糧不足に関する話が出ましたが、食物は万人に行き渡るのに十分な量はあるのです。ただし、それは個々人が、そして、社会が、考えて消費して食物を保存するならば、の話です。人々が自分たちの資源と能力を信じることで元気になれば、もっとたくさん生産することができます。自己非難は国家再建に適した強壮剤です。人間が自分の可能性に気付きさえすれば、人間にとって不可能なことは何もありません。恩寵は、ひとたび獲得されたなら、豊かさと繁栄を保証できます。けれども、寝たふりをしている人を起こすのは困難です。もし本当に眠っているのであれば、一度ポンと触るだけで、その人を起こすには十分です。インドは寝ていません。寝ているふりをしているだけです!

宗教は常に結び付け、分断はしない

人と人、村と村、地域と地域の間で憎悪が増している主な原因は、個々人を感染している貪欲です。貪欲は、満足感を消失させ、派閥を生み出し、分裂を引き起こし、あらゆる所で惨めさを倍増させています。

頭を取り外すことは、頭痛の治療法ではありません。人生というカリキュラム〔教育課程〕から宗教を排除することは、宗教コミュニティ間の対立の救済策ではありません。対立の原因を見つけて、それらを取り除くことです。それで十分です。宗教は、常に結び付けるものであって、分断はしません。宗教は、一つにさせるものであって、ばらばらにさせるものではありません。

科学者は、五感によって知覚可能なあらゆるものを調査します。一方、聖者は、五感の領域、知性、さらには想像力をも超えて、高度な直観が触れた領域へと旅します。ロータリークラブの会員は、両方の分野を理解するよう努め、両方の修養の価値を高く評価しなければなりません。

私は皆さんに、都市部よりも、へんぴな土地で奉仕プログラムを実施することを勧めます。なぜならば、へんぴな土地のほうが思いやりを必要としており、それをよりありがたく思えるからです。

さらに、私は皆さんに、現在普及している人工的な家族計画の方法よりも有益な方法として、自制と教育を強調するよう求めます。なぜなら、人工的な方法は、人々の道徳的、および、身体的健康に、大きな害をもたらすからです。ヨーガは、「チッタ ヴリッティ ニローダハ」(気まぐれな心を支配すること)と定義されています。ヨーガの哲学を広めなさい。それは、そうした考案品よりも、より永続的で、より広範囲に及ぶ結果を、家族にもたらすでしょう。

神への信仰は、子供たちの心に植え付ける必要があります。なぜなら、神への信仰は人生という船の碇であり、その船がいずれ嵐の海に放り込まれたとき、役に立つからです。インドの叙事詩には、子供や若者を引き付けることのできる、信仰と不屈の精神の偉大な模範があります。私は、バーラ ヴィハーラ〔“子供の遊び場”を意味する子供たちのための道徳教室〕が、あなた方が青写真として心に描いている仕事のプログラムの一部であることを嬉しく思います。バーラ ヴィハーラをあなた方の活動の貴重な手足として扱いなさい。この国は、バーラ ヴィハーラが必要とするわずかな出費で大きな利益を得ることになるでしょう。これは、子供たちへの奉仕であると共に、国への良い奉仕でもあるのです。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.10 C21

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