サイババの御言葉:運命の力

日付:1978年1月30日・場所:アナンタプル市
サティヤ サイ女子大学における御講話より

運命の力


雨は 砂に吸い込まれる
その同じ雨が 土を平らにする
その同じ雨が 貝に真珠を生じさせる
同じ教育が与える効果も またしかり
運命に応じて様々である


アートマの化身である皆さん、教師の皆さん!

〔真の〕教育は2つのことを教えます。それは、「人生とは何を意味するのか?」、「どのように人生を役立てるか?」ということです。加えて、教育は生計手段という側面も教えます。前者はパラマールティカ ヴィッディヤー〔最高の富の知識〕と呼ばれます。現代の教育は古代の教育とは異なります。当時、教育は主として、倫理、美徳、霊性の側面を含んでいました。現代の教育には規律がありません。現代の教育は箍(たが)が外れた生活を助長しています。私たちは善悪を識別しなければいけません。人々の目は、自分の遭遇する物事や人に関する印象を刻み続けています。人々は、様々な人に対して、様々な感情を抱きます。同一の人物が、息子として情愛をもって見られたり、夫として愛着をもって扱われたり、義理の家族として敬意を払われたりします。同じように、同一の人物が、人によって、祖父と呼ばれたり、叔父と呼ばれたり、夫と呼ばれたりします。

エーカム サット ヴィップラーッ バフダー ヴァダンティ
真理は一つ、しかし、賢者はそれを様々な名で呼ぶ

教育のすべての部門は霊性に融合する

学生のなかには、人文系科目の研究に着手する人もいれば、理科系科目を研究する人もいるでしょう。しかし、誰にとっても目標は同一であるということを自覚しなければいけません。こういった世俗の学問は小川のようなものです。一方、霊的な教育は大きな海のようなものです。一切の学問は霊性の海に流れ着かなければいけません。浄性(サットワ)、激性(ラジャス)、鈍性(タマス)と呼ばれる手ごわい性質は、あらゆる困難と苦難の原因です。

シュリ ラーマが若者だったころ、聖賢ヴィシュワーミトラに随行して森に行き、羅刹女タータキーを滅ぼしました。ミティラーの都へと向かう途中、ラーマはガウタマ仙の妻アハリヤー〔不義をしたとして夫の呪いにより石に変えられていた〕を元の姿に戻してやり、夫とよりを戻させました。ラーマはミティラーの都でシーターと出会い、妻として迎え入れました。この3人の女性の中で、最初に登場した女性タータキーは鈍性を表し、2番目の女性アハリヤーは激性を表し、3番目の女性シーターは浄性を表しています。ラーマは、鈍性と激性からは距離を置きましたが、浄性は受け入れました。鈍性と激性の性質は、邪悪な力であるエゴ〔アハンカーラ、自我意識〕を生み出します。これは、あらゆる悪い性質の中でも最悪のものです。羅刹王ラーヴァナのような人々は、この悪い性質ゆえに滅ぼされました。人間は鈍性と激性によって完全に破滅します。

学位を持っているからといって尊大になってはなりません。年長者から学ばなければいけないことは山ほどあります。敬意と謙虚さをもって年長者を訪れなさい。エゴがなくなってこそ、人生は滑らかに進みます。たとえば、サッカーボールは繰り返し人に蹴られます。中に空気が入っている限り、ボールは人に蹴られます。しかし、空気を抜けば、ボールは蹴ることも投げることもできなくなります。エゴに満ちた人は、空気がいっぱい入ったサッカーボールのようなものです。エゴがある限り、打撃や厳しい批判は避けられません。人はエゴを取り除いたとき、初めて困難から解放されるのです。風船は、空気を入れすぎれば破裂します。同じように、人生もエゴが膨れ上がれば崩壊します。

謙虚さは人間にとって大変重要です。名誉は人間の命です。人は五感の抑制を培い、名誉を手に入れるべきです。あなた方は皆、母親になる可能性があります。今、この時から謙虚さを育てなさい。そうすれば、皆さんの子供は模範となります。教育は謙虚さを育てます。謙虚さは、慈善等の敬虔な活動に費やすことのできる金銭を稼ぐ権利をもたらし、そうして、人は霊的な成就のみならず、世俗的な成就も手に入れるのです。

女性は弱いものだと考えるべきではありません。それどころか、女性の特質である、進取の気性、犠牲、力強さ、慈悲の心、愛、忍耐、等々は無類のものです。愛があなた方の生き方になるべきです。皆さんは全員、姉妹のように共に歩むべきです。浄性を育て、激性と鈍性を捨て去ることにより、自分の人生を清めなければいけません。

皆さんは、教育を通じてこの神聖な目的を完全に理解しなければなりません。教養を身に付けた人々は電球のようなものです。電球は電気が通ってこそ役に立ちます。霊的な教育という電流は、私たちの幸福な生活に不可欠な要素です。場の空気を明るくし、夫と子供たちの模範となれるよう、激性と鈍性という埃を取り除かなければいけません。

今日は元日です。実に、人生のすべての瞬間は新しいのです。人生という旅路には、新しいも古いもありません。俗事の追求における進歩は、実際には進歩ではありません。石炭は石鹸で洗っても牛乳で洗っても白くはなりません。それと同じように、激性と鈍性はそう簡単にハートから取り除くことはできません。それらはバクティ(信愛)と神の恩寵を通してのみ、取り除くことができます。激性と鈍性が除去されれば、ハートは明るくなり、人生はいきいきと輝くようになります。人間的価値は、五感の制御、自尊心、無執着、愛といった性質を授けられている女性によってのみ、育むことができます。ですから、世俗の教育と同時に、霊的な教育も奨励されなければいけません。規律のない人生が栄えることはあり得ません。

ナフ シュレーヨー ニヤマム ヴィナ
制限を守らなければ利なし


規則がなければ繁栄はありません。体の場合を例に取りましょう。血液の循環も、呼吸も、大変規則正しい方法で行われています。もしその規則が乱れれば生命は危険にさらされます。これらの機能の一切は限界を守っています。私たちの生命は、リミティッド・カンパニー〔有限の同行者/有限会社〕です。人々は人生に大変多くのものを期待します。人々は、多少の投資をすると、大きな利益を切望します。これは間違っています。何らかの成果を求める前に、一生懸命働かなければいけません。

神にとっては泥も金も同じ

「神は目に見えないのに、どうして神の存在など信じられるのか?」と問う人々もいます。石を上に放り投げれば、必ず地面に落ちてきます。それは地球に引力があるからです。引力は目には見えません。だからといって、引力は存在しないなどと言えますか! それと同じく、神の存在は、目には見えませんが、理解することはできます。人は百科事典や辞書で数多くの項目について読みます。人はそれら一切を信じますが、神の存在は受け入れません。実に、これは単純な知識です。ところが、人々は無知ゆえに混乱しています。神性なしに人間性はありません。神性が認識されて、初めて人間性は意味を持ちます。さもなければ、人間性はあっても無駄です。

ある年のクリシュナ神降誕祭(ゴークラアシュタミー)の日のことでした。クリシュナ神の像は黄金の宝石類ですっかり飾りつけられました。ところがその夜、その宝石がすべて盗まれてしまいました。朝になってそのことに気づくやいなや、寺の僧侶は、すぐにラーニ・ラーシュマニ〔ラーマクリシュナ・パラマハンサが住んでいた寺院の持ち主〕に連絡しました。それを聞いたモトゥラーナート〔ラーニ・ラーシュマニの義理の息子でラーマクリシュナの身の回りの世話をしていた人物〕は、自分を抑えることができず、クリシュナの像に向かって言いました。

「クリシュナ様、あなたは恥知らずです。あなたはご自分が身に付けている宝石を守ることさえできません。それでどうして世界を守ることなどできますか?」

この叱責の言葉を耳にしたラーマクリシュナは言いました。

「馬鹿げたことだ! クリシュナ神が泥に等しいような純金をお守りになるだろうか? それは、お前の目には金に見えるだろうが、神の目には泥なのだ。宝石はお前が持ってきたのだから、それを守るのは、お前の責任ではないか」

何でもかんでも神が守ってくれると期待するのは大きな間違いです。世俗の物事は取るに足りないものと見なし、真理という永遠の原理を悟るよう努力しなければいけません。

些細なことに落胆してはなりません。皆さんは将来の主婦として、堅忍不抜と謙虚さを養い、礼儀を尽くさなければなりません。これはいわゆる一般知識、つまり常識です。

運命は人間の努力で消すことはできません。自分の額に書かれている運命は、顔に付けた赤いクムクムの粉の点とは違って、消すことはできません。人はバクティを育てるべきです。バクティを通じて、神の恩寵と愛を獲得することができます。善い人格、放棄の精神、慈悲の心を育て、礼儀を身に付けなさい。そうすれば、神の恩寵によって、あなたの人生は喜びに満ちたものになります。努めていつも朗らかでいるようにし、恐い顔を用いないようにしなさい。あなたはいつも、自分が対処する物事の内にある重要性と意味を見つけるよう努めなくてはいけません。物事を機械的に行うだけでは不十分です。霊的な体験は、誰か他の人から借りたり、受け継いだりできるものではありません。霊的な体験は、当事者本人に限られた体験です。

女性は社会で高い地位にあります。国は敬意を込めて母国(マートゥル デーシャム)と呼ばれます。人々が国を女性の姿に描いてその絵姿を崇めるのは、国の未来が母親たちにかかっているからです。

女性は弱くありません。女性は非常に強力です。女性は、とても大きな神の力を持っています。その昔、ラージャムンドリー市の近くのパピコンダ野生保護区で、戦争に発展しそうな事態が起こりました。そのような一触即発の状況の中で、その地域の女性全員が戦争を止める決意を固め、夫たちを説得して緊張を緩和し、災難を回避することができました。女性たちは、自分の中に隠れているこの種の力を引き出して、社会のために役立てるべきです。

他人の欠点を見つけようとするなら、それと同じ欠点が自分に跳ね返ってくるでしょう。ですから、他人の善いところだけを見て、そこから学ぶよう努めなければなりません。神の目は、すべての人に公平です。磁石は、肉屋の包丁であれ、医者のメスであれ、木こりの斧であれ、等しく引きつけます。

周囲の状況は心(マインド)に責任があります。心が善良な道に向けられれば、どこの地域も、どこの国も、自然と善良になります。あなた方全員がこの真理を悟り、自分たちの環境を改善するために努力するよう、私は皆さんを祝福します。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Women's Role C16

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