サイババの御言葉:医者の職業

日付:1980年9月3日・場所:サイ クルパー医療センター
サイ クルパー医療センターにおける御講話より

医者の職業


健康と幸福は相伴うものです。健康でないなら幸福は叶わぬ夢です。シルティ〔ヴェーダの別名、聴くことによって学ばれるものの意〕は、

「人間にとって健康はきわめて基本的な性質である。なぜなら、健康でないなら人生の四つの目的である、正しい行い〔ダルマ〕、正しい欲望〔カーマ〕、正しい収益〔アルタ〕、究極の解放〔モークシャ〕のどれも達成することはできないからである」

と述べています。健全な心には健全な体が必要です。片方はもう片方に反応します。世界は心〔マインド、マナス、思考の束〕の反映にすぎないと考えられています。ですから、心が作動していない熟睡中は、世界も作動しておらず、存在していません。心も健康でなければいけません。心に貪欲、妬み、憎しみ、慢心が詰まっていてはなりません。反社会的、非人間的な計画や企てをたくらんで心を汚してはなりません。思考が心の奥底を見て、心が呼び起こす邪悪な感情と性癖を除去することができるように、心を穏やかで澄んだ状態にすべきです。

徳は、体と心、両方の万能薬です。徳のある人は健康と幸福の両方を享受することができます。では、どうしたら徳を育むことができるのでしょう? どうしたら日々の実践の中で徳が表れるようにできるのでしょう? それは、生きとし生けるものへの奉仕、セヴァ(無私無欲のボランティア)を通じてすることができます。セヴァの根っこに水を与えるためには、徳が愛と思いやりと無執着という三つの水路を流れなければなりません。人間が群れを形成して生活するという本能を授かっているのは、互いに共感し合い、絶えず相手を思いやり、実際に奉仕を行う道へと人を駆り立てるためです。人は社会的な動物です。人間は独りで生活することを不自然で惨めなものだと感じます。古代のアシュラムは学校のようなところで、そこでは互いの協力と愛のある奉仕が奨励されていました。弟子たちは、牛の世話をし、グル〔導師〕の家事をし、あらゆる点において互いに助け合い、グループで働いて奉仕をしました。

神は愛に満ちた医者を通して働く

医者は、実に、セヴァをする人(セーヴァカ)の中で最も重要な部類の人たちです。医者というものは、まさに、気高く尊い天職です。セヴァは、愛と知性と熱意をもって取り組むならば、人をどんどん神の近くへと連れて行きます。なぜなら、奉仕は奉仕それ自体に神の恩寵を導き入れるからです。諸聖典が医者(ヴァイディヤ)を神の地位に上げているのは、この理由によるものです。

ヴァイディヨー ナーラーヤノー ハリヒ
医者はナーラーヤナなり、医者はハリなり

医者はハリ(ヴィシュヌ神、シヴァ神、ヤマ神の別名)、すなわち、取り除く者、破壊する者です。なぜなら、医者は人のサーダナ(霊性修行)の道をさえぎる障害物を壊してくれるからです。もし医者が愛と思いやりに満ちていれば、神はその医者を通して働きます。そのとき、その医者はもはや人ではなくなり、その医者の指を巧みに操り、その医者を通じて投薬する、ナーラーヤナ(ヴィシュヌ神、ブラフマー神の別名)となります。

それゆえ、医者は治療の過程において神の力の受け手となるよう努力しなければいけません。体であれ心であれ、医者自身が病気にかかっていたら、どうやって人を治すことができますか? 医者の心が純真で満ち足りていれば、顔には自然と笑みがこぼれ、言葉は穏やかで優しく甘美なものとなるでしょう。それはどんな軟膏よりも柔らかいでしょう。医者の物腰と態度には、患者の中に存在する力の源をどんな薬よりも引き出す効果があります。祈りのこもった謙虚で敬虔な雰囲気は、十分に治癒の助けとなるでしょう。治癒は、医者の振る舞いと、声と、態度によるものが50%、薬とその効き目によるものが残りの50%であると言っても過言ではありません。

医者は信愛をもって治療すべし

インドの医者が実践している医学は、アーユルヴェーダという神聖な名前で呼ばれています。アーユルヴェーダは、健康で長生きするための科学です。その源はヴェーダ同様、神聖なものです! アーユルヴェーダは、グルの御足のもとで、ヴェーダを学ぶのと同じくらい畏敬と崇敬の念をもって学ばなければなりません。アーユルヴェーダは、ヴェーダの儀式と朗唱を行うときと同じくらい、信愛と専心をもって実践しなければなりません。アーユ(長寿)を授けるヴェーダ、すなわち知識が、アーユルヴェーダです。アーユルヴェーダは、命を延ばし、命の危険を予防し、命を危険から守ります。

アーユルヴェーダは、病気の治療だけでなく予防も扱っています。心の安定と落ち着きの欠如は、私たちが病気と呼んでいるものへとつながります。医者の神聖な義務の一つは、健康を維持して病気を予防する方法を人に勧めることです。医者は、病気を引き起こすあらゆるアーハーラ(食べ物)とヴィハーラ(気晴らし、娯楽)の習慣の傾向を発見して、それを鎮圧するために、常に社会を油断なく見張っていなければいけません。着る衣服、住む家、その家のある区域は、清潔で整然としていなければいけません。食べた食べ物は、病気に対する十分な抵抗力を備えた強い体を保つためにすべての器官が必要とするものを、供給しなければなりません。たとえこの点をほんの少し欠いていたとしても、もし体が汚染されずに、純粋で、神聖に保たれていれば、健康を保つことができます。吸う空気、飲む水、住む土地、周囲の動植物――これらにはすべて、有害な微生物が生息しています。もし心と体が頑丈な強い鎧を身に付けていなければ、微生物が病気を引き起こします。運動、入浴、洗濯、掃除などは、このことを目的として処方されます。体は、輪廻の海を渡る船旅で人が乗る船であり、よく整備して航海に適した状態に保っていなければいけません。そして、船旅をする人もまた、自信と勇気に満ち、強くなければいけません。

現代では、病気にかかったときに効果があるという理由から、医療には価値があると信じられており、医療の役割は治癒で終わります。しかし、この考え方は改めなければいけません。医療というものは、人が病気で倒れないために用いるものであり、病気で倒れた人を起き上がらせるためにあるのではありません。真理の目的が、また生まれてこないために生きることであるのと同じように。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.14 C53


*チェンナイのスンダラムに隣接する、サイ クルパー(サイの慈悲)と名付けられた医療センターでは、毎週日曜日にサイの帰依者の医師らによる医療が無料で行われています。

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