サイババの御言葉

日付:1980年11月22日午後・場所:プラシャーンティ ニラヤム
第三回世界大会連続講話B

サイの理想に応えなさい


人は、生と行為の両方の根本原因として、自らの内にアートマ(神我)と称される存在を有しています。ヴェーダとウパニシャッドは、その神秘的な存在を自覚するという人間の必要を満足させるために生まれました。その探求の道筋をはっきりさせるために用意された『ブラフマ スートラ』(至高の実在の格言集)の一番最初の格言は、「アタートー ブラフマジグニャーサー」です。その中の四つの語、「アタ」、「アトー」、「ブラフマ」、「ジグニャーサー」は、綿密な学習をされるに値します。なぜなら、これらの語は、四ヴェーダとその教えのエッセンスを含んでおり、ブラフマン、すなわち、その普遍的な側面のうちにあるアートマ原理の、ジグニャーサー(学習)を助けるよう意図されているからです。

「アタ」という語には多くの意味があります。たとえば、「吉兆」、「後に」、「初めに」、「疑問」、「普遍なる」等々です。けれども、この格言においては「後に」という意味が最も適しています。それはいったい何の後になのでしょう? その答えは「要求される資格を得た後に」です。それらは、

  1. 識別力: 一時のものと永遠のものを識別すること

  2. 無執着: 物質界には永久的な価値はないという気づき

  3. 自己制御: 外的感覚と内的衝動の双方における自制

  4. 切望: 迷妄〔マーヤー〕と迷妄が作り出す欲望からの解放を切望することです。

    さらに、四つ必要なものがあります。それらは、

  5. 善良で道徳にかなったことを聴くこと

  6. 神から授かった感覚器官を有益な目的のために使うこと

  7. 聞いたこと、見たこと、味わったことについて熟考すること

  8. 有益だとわかったことを実践すること

です。これらのステップは真理を明かし、完全なる至福を授けてくれます。

1917年から、ロシアにおいて、主にスターリンによって物質主義と無神論が奨励されました。しかし、スターリンは反対勢力を完全に抑えることはできませんでした。ウルフ・メシングという名の強力なスピリチュアルな人物〔1899−1974年。特殊な能力を備えていたポーランド生まれのユダヤ人で、迫害を逃れて1939年にソ連に亡命した〕が現れ、浄化された意識と、神聖な特質によって印された眼識を示したのです。スターリンはメシングを引きずりおろすことを計画し、メシングをヒトラーのもとに送還しました。メシングは祈りました。

「主よ! 私はただひたすら、あなたの栄光を地上に広めようとしているのです。ですから、私はあのような邪悪な人々の戦略を恐れてはいません」

初めて明かされた出来事

ヒトラーのもとに送還される途中、メシングはウィーンでアインシュタインに出くわし、また、人の心を研究していた科学者のフロイトにも出会いました。フロイトは、メシングとメシングのもつ力に驚き、自分の研究が浅いものであることに気づき、人間のもつ最高レベルの意識を探求することに興味が向きました。スターリンはフロイトとメシングに感化されましたが、これまで築いてきた自分のイメージを壊したくはありませんでした。スターリンは、物質的、無神論的な状態に落ち着くという安易な道を歩み続け、若者たちの心に無宗教を植えつけました。

この体は、明日55歳に至ります。私は今日まで、この出来事を、どこにも、誰にも明かしませんでした。それは1937年のことでした。この体はその時11歳でした。私は当時、取り巻きの少年たちのグループと一日中行動を共にしていました。私はそのころ、カダパ県のカマラープラムにいました。その日、私は少年たちといっしょにカマラープラムの駅の近くにいました。ある人物が私を見て、私のもとに駆け寄ってきました。そして、

「アイム ソー ハッピー、アイム ソー ハッピー」(私はとても幸せです)
と言いながら、私を腕に抱き、キスをしました。頬には涙が伝っていました。その男は大喜びで狂ったように踊りながら、「アイ ラブ ユー、アイ ラブ ユー」と繰り返していました。そのすべてを見ていた私の仲間たちは、こう怪しみました。

「この白人は誰だろう? どうも頭がおかしいようだ。最後には誘拐しようというのだろう」

私たちがそこを立ち去ると、その男はその場に立ちつくしたまま、私が視界から見えなくなるまで、物欲しげにずっと私を見つめていました。それはメシングでした。

人体の周囲のオーラは認識可能

メシングは、アートマ原理を確認して実感認識するためにインドに来ていました。メシングはそれを目的に、さまざまな霊性修行に着手しました。その結果、メシングは神のヴィジョン〔神が姿を顕して見せること〕を得ました。メシングは、ガンジーや、ヒマラヤで苦行を積む大勢の聖人に会い、自分が切望していたものを勝ち得たことに満足して、自国に戻りました。

自分が探さなければならないものを知り、それを追い求める者だけが、ゴールに達することができます。ブラフマンの本質を知るものだけが、ブラフマンの本質を認識することができます。メシングはずっとアートマを心に想っていたので、自分はその意識に到達したと公言できたのです。メシングは、スターリンの国は崩壊すると述べ、その予言どおり、その直後にフルシチョフが国を転換しました。

キリルという写真家も、その変革を助けました。キリルは南ロシアの黒海沿岸にあった自分の現像所で多くの実験をしました。キリルは、人間の体の周囲に存在する多色のオーラは、認識可能であり、写真に写せることを実証しました〔キルリアン写真〕。キリルはオーラの存在を知らなかったため、既知の物理の限界を超えたところに到達しました。人間のオーラ、植物のオーラ、昆虫のオーラ、石のオーラが、キリルのカメラによって捕らえられました。キリルは、「このすべてはイーシュワラ〔至高神〕に包まれている」(イーシャーヴァースヤム イダム サルヴァム)というヴェーダの言明は真実であることを証明したのです。

無神論者は有神論者に変わる

あるとき、キリルは列車で旅をしているときに「空飛ぶ円盤」を見ました。そして、人間の理解を超えた世界が存在するのだと断言しました。キリルは遠くの惑星にも生命が存在すると断定しました。キリルは天の川の近くの別の銀河系にも生命が存在すると主張したのでした。こうした展開はすべて、片や物質主義が一般大衆の指示を得ている一方で、道徳性や人間性、スピリチュアリズムへのより深い確信も、同様に人々の心をつかんでいることを示しています。何年かのうちに無神論者が有神論者に変わることに疑いはありません。

昨今では、学生や自分は学者であると主張する者たちは、神を信じる者や神に慰めを見出す者をあざ笑います。しかし、考えてもごらんなさい。身体的な技能やこの世での成功を得るための教育が、どうやって永遠なる実在の知識を授けることができますか? 善良な人、善をなす人、善を望む人だけが、真に知識の求道者となれるのです。花を傷つけることなく花の蜜を吸い、受粉を助ける、ミツバチのようでありなさい。その上、ミツバチが集める花の蜜は、ハチミツとして人々に味わわれます。ハエを見てごらんなさい。ハエは不潔なものだけを探します。そして、その後に清潔なものの上に止まって、清潔なものをも不潔なものにしてしまうのです。

善を集めて神に捧げよ

サティヤ・サイ・カレッジの学生は、ミツバチのようでありなさい。ハエのように振る舞うことは避けなさい。善を集めて神に捧げなさい。軍の駐屯地では、ドービー(洗濯夫)であろうが、料理人であろうが、掃除夫であろうが、誰もが軍隊に参加して武器の使い方を習わなければなりません。それと同じように、サティヤ・サイ・カレッジの男子同窓生たちは、どんな職に就いていようとも、必ず神への信仰心を持っていなければなりません。もし、霊的意識を身につけていないなら、同窓生たちは「キングダム・オブ・サティヤサイ」〔サイ大学の男子同窓会〕からどんな利益を得ることができるでしょう? 同窓生は、自らの義務である規律正しい生活から決して外れてはなりません。ところが、カレッジを卒業するとすぐに、髪を長くし、もみあげを伸ばし、口ひげを生やして、だんだんと荒廃した文化に染まってしまう人が、一部ではありますが、いるのです。〔ババはつね日ごろ学生たちに、髪は短髪にし、もみあげと髭は伸ばさないようにとおっしゃっている〕勇気、冒険心、犠牲、無執着、規律、自制、真理と公正を切に求める気持ち――これらは人間を特徴づける性質です。

学生たちが模範的な生活を送るための準備を整え、それを世に示すなら、サティヤ・サイ・カレッジ、そして、サティヤ・サイ自身を満足させることになるでしょう。悪い欲を育ててはなりません。世俗的な楽しみを渇望して、自分を動物のレベルに落としてはなりません。霊的な性質を育むことによって、この国とこの国の文化の蘇生に貢献するようにしなさい。聖典が示す警告に目を向けなさい! アスラ〔阿修羅〕のソーマカはヴェーダを盗み、ラーヴァナはシーターをさらい、ドゥルヨーダナは帝国を我がものとし、カムサは子どもたちを大虐殺しました。その誰一人として自分のハートの望むものに気づいた者はいません。歴史は彼らの名を呪っています。死の判決はすべての人を待ち構え、人の高慢と虚栄心を切り落とします。

若者たちのなかには、今自分が就いている職業は大きな喜びを与えてくれているけれども、将来の状況はどうなるかわからないと感じている者もいます。もし有益な結果を望むなら、有益な活動に従事しなければなりません。あなたの意識の働きの一つひとつが、目には見えない領域で結果を生みます。ですから、つねに注意していなければなりません。聖なる学びをする習慣を持ち、謙虚さと尊敬の念を身に付け、両親を敬い、両親に奉仕し、他の人の模範と理想になりなさい。この目標を実現することができるよう、私は皆さんを祝福します。

プールナ チャンドラ講堂 サイ大学卒業式にて
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.14 C57

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